どう見てもヤクザです。拉致ですよねこれって
「……これはいったい、どういう状況なんですか?」
わたしはグトウザさんのほうへ向き直って訊ねた。不信感が伝わるよう気を使いながら。
神が異世界から送り込んできた、御使いである(ということになっている)わたしの身柄を確保するための争いだろうと予想はつくけど。
「手前どもは、自分たちを犬人と呼んでおりますが、犬人の世界はむろん一枚岩ではありません。御使いどのの地元である、地球に多くの国々があり、さまざまな信条を持つひとびとが暮らしているのと同じことです」
「わたしは、特定のだれかを利するためにこの世界にきたわけじゃありません」
争いの種になるなら、帰らせてもらいます。どうすれば帰れるのかわかんないけど。とりあえず話が違うぞゴッド!
グトウザさんは巌のように揺るぎない態度で、こういう。
「まず、巫女どのにお会いください、御使いどの。巫女どのの中立は確実です。この世界の住民ではありませんので」
「地球のひとってことですか?」
神さまは「帰らない選択をするのは簡単」といっていた。巫女さんとやらは、以前に地球からこの世界へやってきて、ミッション達成後ももとの日常に戻らず、神の代理人をしているということだろうか。
「予見につながる、余計なことを手前の口からお伝えすることは避けましょう。お会いいただければわかります。手前が偽りを申し上げてはいないということも。手前は、御使いどのの選択に一切干渉いたしません。……巫女どのと会見するまでは、ご同道いただきますが」
わたしの選択に逆らう気はないけど、いまこのクルマを降りるのはNGと。
信じろというのは虫のいい話だ。かといって、逆らってどうにかなるものなのか。このものすごく強そうなマスティフに、女の細腕でなにができるだろう。
御使いであるのだから、やってみればどうにかなるのかもしれないけど、神さまはチートをくれるとはいっていなかった。むしろ、あの不思議空間での話しぶりからすると、個人的なスペシャルパワーはなにもナシな気がする。
しばらく考えてから、巫女さんと顔を合わせるまでは判断保留ということにして、わたしは席に座り直した。
あらためて感触をたしかめてみると、自動車の座席だというのが信じられないようなふかふかソファだ。高級リムジンの後部座席みたい。……いや、リムジンなんて、空港からホテルへの送迎で一回しか乗ったことないし、あれが高級だったかどうかは知らないけど。
石畳の道を、クラシックカーのエアチューブなしタイヤで走っているのにおしりが痛くならないのは、このソファのおかげだったんだな。
「……あ、そういえばグトウザさんのお名前うかがったのに、まだ名乗っていませんでしたね。申し遅れました、わたし、犬飼ちさとです」
「チサトどの。よいお名前ですな」
はじめて、グトウザさんがいかめしい表情を崩した。あー、こうして見るとやっぱりわんこだ。かわいい。
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わたしたちを乗せたクルマは市街地を離れて砂埃が舞う砂利道を走り、ふたたび石畳の舗装路に入った。さっきの赤レンガの街より、すこし建物の背が高い気がする。
壁に白い漆喰塗りがされていたり、レンガではなく石材造りだったりと、デザインや構造も多彩だ。
あきらかに別の街だけど、ここもグトウザさんの管轄範囲なのだろうか。
大通りから、立派な車止めが設えられている建物の前に回っていって、クルマが停まった。さっきの街で丘の上から見えた、視界内唯一のビルだ。
車止めにもう一両停まっていて、そっちは馬車だった。牽引してる動物の頭に角が生えてるけど。たぶん馬に相当する生き物だろう。体格的には牛じゃない。
外側からクルマのドアを開けてくれたのは、くりくりした目のコーギーだった。金モールつきで胸ポケットにスカーフを差したブレザーを、ぴしっと着込んでいる。かわいいドアボーイだ。
エントランス前に、使用人と思しき一団が整列していた。
モーニング姿の執事や家令であろうひと。メイド服の女の子に、和装に前かけをした料亭の女中さんみたいな出で立ちのお姐さんもいる。
そしてあきらかに“若い衆”な、スーツにフロックコートやトレンチコート、あるいは着物にトンビやインバネスを羽織っている強面さんたち。
「お帰りなさいませ旦那さま」
「お帰りなさいませ」「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」「お帰りなさいませ」
つぎつぎと出迎えの言葉とともに最敬礼をほどこす人垣のあいだを、悠然と歩くグトウザさんのななめうしろに、わたしもちょこちょことついていく。
使用人の中では一番偉いのであろう、建物入口前で待っていたモーニングを着ているヨークシャーテリアのかたわらで、グトウザさんが一度立ち止まった。たぶん若頭だろう、羽織袴姿のブルドッグが寄ってくる。
わたし和服にはぜんぜん詳しくないけど、若頭の着物は明確にグトウザさんのより落ちる仕立てになってるな。目に見える歴然とした階級の差が。それでも羽織袴をまとうことが許されてるってことが、まわりとは違うって意味なんだろうけど。
「ここまで押しかけてはこないはずだが、警戒を怠るな」
「承知いたしました」「へい」
抑えた声だったけどばっちり聞こえた。べつに、わたしに聞かれないようにしようと思ってるわけではないんだろうけど。
やっぱ、客観的に見れば、御使いの身柄を独占してよからぬことをたくらんでるのは、グトウザさんのほうだよなあ。
コーギーの子と同系のお仕着せ姿のバセットハウンドが、大きなガラス戸を開けてくれて、ビルの中へ。
雰囲気は高級ホテルのエントランスホールだ。ヤクザの事務所感はない。実際に、このビルはホテルやクラブとして営業しているのだろう。
奥にエレベータがあった。階層表示はアナログ時計みたいに針が回るタイプで、格子戸の隙間からエレベータシャフトの内部がのぞいている。映画でしか見たことないレトロなやつ。
ゆっくりとカゴが降りてくるのが見えた。床面がそろったところで、チーンという音とともに格子戸が開く。
エレベータガールはいなかった。たぶん、VIP客や、オーナーであるグトウザさんが使うときしか動かさないんだな。操作は執事さんの役目のようだ。
上へまいりまーす、のアナウンスはなし。このビルは14階建てみたい。
ゆっくりとエレベータが動き出したところで、
「巫女さんがこちらに?」
と訊ねてみると、グトウザさんは素直に肯定しなかった。
「上からは、巫女どのがおわす聖域もよく見えまするよ。その前に、すこしお引き合わせいたしたい顔がありましてな」
……うーん、やっぱ引き延ばされてるなあ。近づいてきてはいるみたいだけど。
わたしになじみがあるエレベータよりはずいぶんゆっくり、でも階段を昇るよりは早いくらいのスピードで、14階に到着。
執事さんはエレベータの格子戸を開けたところで、両手を前にそろえてかしこまった体勢に。どうやら、このフロアでいっしょに降りることはないらしい。
エレベータにヨークシャー執事さんを残し、わたしとグトウザさんだけで14階へ。エレベータホールから進むと、雰囲気が和風になった。梁や柱も木製に、檜のいい香りがする。
グトウザさんが自ら引き戸を開けると、上がり框があった。靴脱いで上がるんですね。完全に和風様式。
ここはグトウザさんの私邸かな。
「おじゃましまーす」
「どうぞ、ご遠慮なく」
さらにふすまをひとつ、ふたつ開けたところで、畳の上に端座してこちらを出迎えるふたりの姿があった。