話がちがう!?
街を小一時間歩きまわって、わたしはひとつの結論に達した。
ここは大正ロマンならぬ、犬正ロマン世界だ。
いぬしょうと読むか、けんしょうと読むかはそれぞれにおまかせしよう。
道路の舗装は石畳で、路面電車が走っていて、自動車の姿はない。ときどき人力車がさっそうと駆け抜けていく。
通りの左右には赤レンガの建物が並んでいて、高層建築はない。公園になっているらしい小高い丘に登ったら、歩いていくには現実的じゃなさそうなくらい離れたところに、14、5階建てっぽい、ビルと呼ぶに足るものが見えた。たぶん、あれが随一にして唯一の摩天楼だろう。
そして道ゆく人々は、クラシカルでありながらモダンな、和洋折衷コーデをしていた。
海老茶の袴にブーツを履いた女学生に、詰襟に下駄の男子学生。着物にインバネスを羽織ったダンディさんに、着流しでズボン穿きのちょっとズボラさん。
そしてなにより、そのまま原宿に連れて行っても違和感なさそうな、和ゴスルックや、ゆったりとしたシルエットのワンピース、あるいは身体のラインを際立たせるパンタロンスーツと、それぞれ着こなしがおしゃれな女性たち。頭に帽子やボネを乗せていたり、洋装だけどかんざしを挿していたりと、発想も自由だ。すてき。
みんなお顔はわんこなんだけどね。
テリアっぽい子、柴っぽい子、シェパードっぽい子、ポメラニアンっぽい子…………
ダックスフントっぽかったり、プードルみたいなひともいて、ミニチュアやトイなのか、スタンダードなのかはわからない。
女の子だと、耳やしっぽにリボンをつけていたりして、すごくキュートだ。
そんな中で平たい顔族なわたし。犬耳突き出してないわたし。顔面不毛なわたし。しっぽは、わんこでもときどきない場合があるとはいえ。
ブティックのボルゾイさんは、
「お顔に毛のないかたはとてもめずらしいですが、われわれにとって歓迎すべき客人であると周知されていますから、どこをおひとりで歩かれても危険はありませんよ。わたくしは、お客さまのようなかたをお出迎えするようにうけたまわっております」
といっていた。
そのへんは、神さまが調整しているのだろう。この世界には、これまでにも地球人が送り込まれてきていて、問題を解決してきたということかもしれない。
……わたしはいったいなにをすればいいのか、使命の内容聞いてこなかったんだけどね!
いや、神さまと問答するテーマ間違えてたな、いまさらながら。もう遅いけど。
とりあえず、この世界は地球なら19世紀末から20世紀初頭くらいの文明度のようだ。
科学技術が社会に浸透しつつあるけど、高度な機械化はまだされていない、のんびりした空気の残る、まさに大正ロマンな世界。歴史的にはどうなんだろう。
武家政権があって、産業革命で海を簡単に越えてくるようになった諸外国相手に、開国するか海禁かでもめて、維新とかあったんだろうか。
いまわたしがいるのは、和風が基本だったところに洋風習俗が入ってきた、多分に日本っぽい国だとは思うけど。
……でも、住民の顔立ちは和犬一辺倒じゃないな。
たしかに柴や秋田っぽい顔が多めな気はするけど、ボルゾイ、シェパード、ポメラニアン……と、なんでもありだ。あんまり地球の常識を当てはめて考えるもんじゃないのかもしれない。
港のほうへ行って、波止場に泊まっているのが蒸気船か帆船かを確認するか、あるいは、丘の上から見えた、どことなく浅草12階風のビルのあるところへ行ってみるか……
そんなことを考えながら歩いていたら、ぼすんぼすん、とあまり効率のよくなさそうなエンジン音と、石畳の上を走るがたがたというタイヤのきしみとともに、角を曲がって自動車が姿を現した。
初期の自動車に前部座席後部座席の区別はない。馬車のキャビンの設計思想を流用しているから、観音開きのドアで、客座は向かい合わせのボックス席。運転手は、馬車の御者みたいにキャビン外、車体前方に座っている。……ということを、英国の時代ドラマで見たのでわたしも知っていた。
――と。
のんきに見物していたわたしの前でクルマが急停車。いきなり開いたドアから複数の手が伸びてきて、わたしの両腕をつかんで車内へ引っ張り込む。
「……え?」
この世界、耳なし平たいツルツル顔族がひとりで出歩いても安全なんじゃなかったの!!?
助けてボルゾイ!
+++++
車内に引きずり込まれたわたしの前に座っていたのは、右耳がすこし欠けている上に左頬にも傷のあるマスティフだった。羽織袴がとんでもなく似合う。
これはあれだ、代紋背負ってる系だ。
わたしの右手を引っ張ったのは、中折れ帽まで被ったシカゴマフィアスタイルの、スーツにトレンチコート姿したピットブルで、左手を引っ張ったのは、長ドス振り回すのが似合うだろう、着流し浪人風ドーベルマンだった。
……アカンやつじゃないですかこれって。
背中からダラダラと汗が流れてきたところで、スカーフェイスなマスティフが両ひざに手をおいて、深々とこうべを垂れた。
「突然のご無礼、平にご容赦いただきたく。手前、冷水グトウザと申すもの。この、折濱一帯を預かっております」
まず頭を下げてからの自己紹介。丁重だけど、顔が怖い。
「あのお……なにがなんだか、さっぱりわからないんですけど。わたしにどのようなご用件で?」
ここいらを預かっている、というニュアンスに、公的な意味がふくまれている気はあんまりしないので、触れないでおこう。
「あなたさまは、異界より遣わされなすった、御使いどの、ということでよろしゅうございますな?」
平たいツルツル顔族は異世界から送り込まれてきた神の使い、っていうのはわりと一般認識なのか。
「ええと……たしかに神さま?から頼まれてやってきたんですけど、ここでなにをすればいいのか、聞きそびれてたんですよね。すみません」
「その点は、ご懸念無用であります。大いなる意志の為さんとするところを伝える、巫女どのがおられるゆえ」
「あー、そうだったんですか」
ミッション内容を教えてくれる巫女さんが現地にいるから、神さまは事前にあれこれ話す必要を感じなかったわけね。
……あれ?
わたしのような顔平たいツルツル族は、この世界を救う、あるいは維持するために必要な、なんらかの特別な力を持っている。この世界の住民のあいだで、それは広く知られていることと考えてよさそうだ。
具体的には巫女さんが教えてくれる。
だったらどうして、いきなり黒塗りのクルマでかっさらう必要があったの?
事態の不自然さというか不穏さにわたしが気づいたところで、シカゴマフィア風ピットブルが口を開いた。
「……きました」
「行け」
マスティフ組長(?)グトウザさんが短く命じると、シカゴピットブルは観音開きのドアの半分を開けた。クルマはけっこうなスピードで走っているにもかかわらず、躊躇なく飛び降りる。
浪人風ドーベルマンもシカゴにつづいた。降車しつつ、うしろ手にドアを閉めていった。器用だ。
わたしは首を伸ばしてリアウィンドウをのぞく。「きた」のは、大きな自動車だった。
クラシックながら、構造としてはわたしにも馴染みのあるこのクルマとは違い、大きなタンクがついていて、ぱっと見は小型のSLだった。レールの上ではなく、道をゆく蒸気機関車だ。
ピットブルがトレンチコートの前を払い、マシンガンを取り出した。ほんとうにシカゴマフィアのイメージを裏切らぬ、そのまんまだ。
……マフィア大戦争な禁酒法時代って、大正ロマンよりもうちょっとさきのことだったよね? 地球の歴史と1:1の対応はしてないんだろうけどさ。
ずだだだだだっとマシンガンが火を噴いて、蒸気自動車のタンクが穴だらけになる。水と湯気が漏れ出し、スピードががくんと落ちた。内燃機関搭載であるこのクルマにはもう追いつけそうにない。
航続能力を失った蒸気自動車の後部から、5人ほどが飛び出してきた。土佐っぽいのと、ブルテリアっぽいのと、ハスキーっぽいのと……
これまたやっぱりイメージどおり、浪人風ドーベルマンが長ドスを抜き放ちながら走っていき――
そこでわたしたちの乗っているクルマが急カーブを曲がった。視線が途切れる。