1000年後の世界はどのような世界なのか
過去に存在しないものを過去に送ることは出来ないが過去に存在するものを過去に送ることは案外たやすいものだ。何で3022年の私が2022年に"私"を送るかという理由は単純明快だ。インターネットが普及し世界中に情報を発信できるようになった2000年頃からの1022年間の中で2022という数字が一番好きだからだ。2022=2×3×337で表されるこの数字が好きだからだ。それ以上でもそれ以下でもない。
しかしながら私は過去を変えようとは思わない。というよりそもそも変えることができない。人類に未知への好奇心があり続ける限り必ず同じ道をたどると確信しているのだ。それは悲しいことではない。むしろ未知への好奇心を抱かない人類を私は"人類"とは呼ばない。時の流れというものにありがたみを感じない私は技術の発展が1000年早まろうと遅まろうとどちらでもいいのだ。したがってなぜ私がこの文字を2022年に送ることができたかを説明することはしない。
1000年前は国家というものがあったらしい。車というものがあったらしい。紙幣というものがあったらしい。会社というものがあったらしい。地球という惑星があったらしい。身体というものを持っていたらしい。人類という生命体が存在したらしい。私は2022年という時代についてきっと君たち以上に情報を持っている。私は君たちが生きる世界と限りなく近い世界を実現することができる。しかしそれはあくまでも莫大な情報のもとに作られた世界でしかない。私は君たちと限りなく同じ世界に生きることは出来る。しかし君たちと同じような感情を抱き生きることは出来ない。もはや人類なのかもわからない私が君たちと同じように生きていくことができないことなど考えればわかることだ。
2022年を生きる君たちが一人一人違うということは理解している。しかし君たち一人一人を特徴づけるあらゆるパラメーターを考慮すれば君たちはある程度均一な集団に属する。私を特徴づけるパラメーターはとてもじゃないが君たちが属する集団の一員であるとは言えない値をとる。君たちを人類と称する私はもはや人類ではないということだ。
少し私が生きる3022年についてお話しよう。君たちの世界には”魔法"が描かれた世界が輝かしく描かれている。好きな場所に瞬時に移動できる魔法、好きな姿に変われる魔法、好きなものを出すことができる魔法、自分の想像の世界を体験できる魔法。君たちはこれらのような魔法を素晴らしいものだと思っているのだろう。私の生きる世界はこれらの魔法が実現した世界だ。容姿に対するヘイトやいじめ、経済的困窮や環境問題、戦争、争い、など存在しない世界だ。自分の関わりたい人と関わり、自分のしたいことだけをすればいい世界だ。先ほども言ったが私は君たちとは異なる思想を抱いている。君たちにとって素晴らしいこの世界を私は好きになることができなかった。