第五話 成り上がり社長
未来予知―――
そのスキルが世に知れ渡ったきっかけはテレビの生放送に彼女が出演した時だ。
「この放送の一か月後の深夜に地震が起こる」
彼女はそう予言した。
当時、番組の出演者もその視聴者もまさかと鼻で嘲笑った。
―――その一か月後、本当に地震が発生した。
だが、誰もが偶然だと見下し、相手にしなかった。
それでも、彼女は気ままに予言を発信し続けた。
金メダルの数を予言した。
パンデミックを予言した。
横領事件を予言した。
株価暴落を予言した。
大国の軍事作戦を予言した。
文化、健康、政治、経済、軍事―――あらゆる分野で彼女の予言が的中した。
人々は彼女に畏怖の念を抱き、次第に崇めるようになった。彼女の言動を固唾を飲んで見守るようになった。
―――やがて、彼女は表舞台から姿を消した。
人材派遣会社異邦禄の社長業に専念するため―――それが彼女が世に出した最後の声明だ。
日本の歴代閣僚や世界の要人とのツーショット写真が壁一面に飾られた応接間のソファーに彼女は深くもたれかかっていた。
ゆるやかなドレスに身を包んだ貴婦人は扉が開く音を聞き、その頭に被ったカタツムリの殻をグラリと揺らした。その殻から垂れ下がる紫の前髪の隙間から鋭い視線を三人の来客に向けると、ソファーから徐に立ち上がって名を告げた。
「アタシは蝸牛人族のオベソ。異世界人を専門にした人材派遣をしている異邦禄の代表取締役だよ。よろしく」
「本日はよろしくお願いします」
形式的な言葉を返す稲妻を見て、「座りな」とオベソは三人に促すと、三人はソファーに深く腰掛けた。カフェでの威勢はどこへ行ったのか―――労働基準監督署の稲妻はすっかり委縮していた。竜の隣に座るななみも心なしか緊張した面持ちでオベソに対峙していた。
竜は思わずオベソの背後に佇む武人然とした大男を見上げた。岩のような固く灰色肌の男が放つ無言の威圧に竜は負けじと睨み返していた。
「こいつは岩人族のシルバ。アタシのボディーガードさ。急用で参加できなくなった秘書の代わりと思っておくれ」
神妙な顔つきをした三人の来客の異変に気づいたオベソが背後に立つ大男を呼びかけた。
「おい!シルバ!」
シルバはその呼びかけにピクリとも身体を動かさず、その暗い瞳をオベソの方に向けた。
「お客様がすっかり委縮してしまってる。少し控えな」
オベソの言葉にシルバは小さく頷くと、半歩後ろへ下がって警戒心を解いた。シルバが放つ威圧から解放された稲妻とななみは「ありがとうございます」と同時に呟き、稲妻は大きく咳を払って紹介した。
「通訳として入管庁から清良さんと竜さんをお連れしました」
「清良です」「竜だ」
稲妻の紹介と共に軽く会釈する異世界課の二人に向かって「通訳なんかいらなかったのに」と笑いながら言い放つと、オベソはその頭に被ったカタツムリの殻を大きく揺らした。
得体の知れない笑みを浮かべるオベソにすっかり気後れした稲妻は隣に座る異世界課の二人に視線を送った。自信を持てと言わんばかりに深く頷き返す二人を見て、稲妻は早々に話を切り出した。
「あなたの会社の派遣社員に不法滞在者がいる件について、お話を伺いたい」
稲妻の言葉にオベソは細く長いため息を吐いた。
そして、オベソは三人の前に一冊の冊子を投げだした。百科事典と見間違えるほどの分厚い紙の束を、その粘液まみれの手でなでながらオベソは説明を加えた。
「これがアタシの会社の規約さ」
「今からこれを読めと言うのか?冗談じゃない!」
読めば理解できるだろうと言わんばかりに分厚い規約書を押し付けるオベソに竜が言い返した。竜の指摘にオベソは閉口し、言葉を続けた。
「じゃあ、18ページから25ページを読んでみな」
抗議の声を上げようとする竜の口をななみが咄嗟にふさぎ、その間に稲妻が粘液まみれの規約書に目を通した。
量が多いのか、はたまた戸惑う内容が多いのか、頭を掻きながらもゆっくりとページをめくっていく。やがて読み終えた稲妻はこめかみを押さえて眉間にシワを寄せた。
「つまり、あなたの会社の社員は社員ではないと言うことですか?」
稲妻の言葉に竜が首をかしげた。
「何の言葉遊びだ?派遣社員は社員だろ?」
「フリーランスだよ」
竜の疑問にため息をつくと、オベソは淡々と答えた。
「世間では派遣社員と呼ばれちゃいるが、それはあくまで世間の勘違いさ。それをいちいち正すのも馬鹿馬鹿しいから無視しているだけだし、むしろ、アタシは被害者さ」
「被害者?一体、どういうことだ?」
困惑する竜の呟きにオベソは不遜に笑った。竜の疑問に答えるつもりのないオベソの様子を見て、ななみが代わりに説明を加えた。
「異世界人はフリーランス。つまり、あなたはその労務管理に一切口出しができない。在留届を出すようあなたから口出しできない……そう言うことですか?」
「ああ、アタシはアイツらに仕事を紹介しているだけさ。アイツらの申請手続きや健康に関与できない。そこは、いわゆる、自己責任ってやつだね」
人材派遣会社異邦録と異世界人はただの契約関係ーーー雇用していないから異世界人の素性など知ったことではないとオベソは告げた。
「ですが、在留カードを確認すれば済む話では?」
契約を結ぶ前に相手の素性を明らかにするーーーななみの至極当然の指摘にオベソは鼻で笑うと、ななみを見下ろすように睨んだ。
「確認はしているさ。だけど、そこで摘発できないんだよ。本当に困ったことにねぇ」
なげやりな言葉にななみは不信感を露にした。だが、彼女は非難の視線なぞ気にも留めず、殻を揺らしながら笑っていた。
「委託契約のはずなのに派遣社員と呼ばれる働き方をさせている」
稲妻は自問自答するように呟くと、オベソを見上げた。
「偽装請負ですよね」
稲妻の指摘にオベソの頭上の殻の揺れがピタリと止まった。稲妻は更に言葉を続けた。
「実態として、異世界人はクライアントの社内で働いています。異世界人がラインで検品したり、クレームの電話に対応している話は私も耳にします。それはどう説明するつもりですか?」
稲妻の並べる事実にオベソは憎悪に満ちた目を向けた。不貞腐れた表情を浮かべながらオベソは反論する。
「アイツらが勝手にその会社のやり方に従っているだけさ。それもアイツらの自己責任さ」
「では、フリーランスがライン作業をしている実態はどうなんですか?本当にフリーランスの仕事だと胸を張って言えますか?」
稲妻の問いかけにオベソは薄い唇を横に伸ばした。
「答えてください!」
声を荒げる稲妻にオベソはニタニタと気味の悪い笑みを浮かべながら無言を貫き通した。突然走る緊迫した空気を一人掴み損ねる竜が思わず声を上げた。
「おい、一体どういうことだ?」
稲妻は竜の方を振り向くと、「竜さん、いいですか?」と状況を伝えた。
「フリーランスは成果物に対して報酬が支払われる契約を交わします。例えば、イラストを一枚描けば数万円とか、プログラムソフトを一つ開発すれば数百万円とか言ったように、完成した物に対してお金が支払われます」
竜は稲妻の説明に頷きながら、じっと聞き入っていた。
「ですが、ラインに流れる商品を検品するという仕事はどうでしょう?検品をしたことが目に見える形で成果物として現れません。ましてや、検品した数を自己申告されても、それを鵜呑みにできません」
稲妻はそのままオベソの方に非難の目を向けた。その視線に気づいたかのように再びせせら笑うオベソに忠告を突きつけた。
「いかがですか?オベソ社長」
稲妻の追及にオベソはニタニタと笑い続けた。あくまでも嗤うだけで無言を貫き続けるだけだ。
「おい!何とか言ったらどうなんだ?その沈黙は肯定したも同然だぞ」
竜が思わず苛立ちの声を上げる。今にも殴りかからんとする勢いを察したななみは咄嗟に竜の太ももを抑えた。青筋を浮かべてオベソを睨む竜を見て、彼女の背後に立っていたシルバが微かに肩を揺らして身構えた。
「はぁ……」
ひりつく応接間にため息が静かにこだました。
「規約に書かれている通りさ」
「では、異世界人をフリーランスとして扱っていると言うことですね?」
稲妻から度重なる念押しにも関わらず、彼女の口から答えは出なかった。頑なに口を割ろうとしないオベソに負けじと稲妻が仕掛けた。
「実態調査をすれば、すぐに明るみになるんですよ?」
「実態調査?そんな権限が今のアンタにあるのかい?」
待っていましたとばかりに舌なめずりするオベソに稲妻は思わず口をつぐんだ。突然顔を曇らせる稲妻に「おい!」と声を上げると、竜は鼓舞するかのように稲妻の背を叩いた。
「それに」オベソは勝利を確信したかのような満面の笑みをこぼす。
「お客様は人件費を削減できたと狂喜し、国民も百円ショップが三円値下がりしたと万歳三唱しているじゃないか?国民の歓声をたかが公僕風情のアンタは蔑ろにするつもりかい?」
オベソの核心を突いた言葉に稲妻もななみも黙り込んだ。ただ一人、竜だけが狼狽した様子で二人の顔を交互に眺めていた。
日本の刑事事件における有罪率は九割を超えると言うーーー
それは原告である検察がほぼ間違いなく有罪を確信して立件するからだ。
今ある確たる証拠はオベソの発言とオベソが作った規約書といずれも被告が作ったものしかない。訴える相手が出したものを証拠として扱うのはあまりにも危険すぎる。
「フリーランスであるはずの異世界人が派遣社員として働いている」
誰かがそう労基署に通報しない限り、確たる証拠がない限り、労基署は実態調査に乗り出せない。
だが、誰もそんなことはしない―――
異世界人がフリーランスであることすら気づいていない世間に指摘できる道理はない。
例え気づいていたとしても、自分たちの出費を増やしたい物好きはいない―――
「それに、アタシがいなくなったらきっと世界は悲しむだろうねぇ」
世界中の為政者は、世界の経済、戦争、災害に関する未来の情報を全て独占したいと強く願った。
オベソの予知能力という兵器は彼女の存在ごと保護された。
オベソは徐に立ち上がると、壁に掛けてあった写真を一枚手に取った。アメリカ国防長官とのツーショット写真を愛おしそうに見つめると、竜たちに見せつけた。写真の中の世界各国の要人たちが、オベソを脅かす三人の悪党を非難するかのように見下していた。
「国防がどうした?今の話と何の関係もないだろ!」
「関係あるさ!この世界が、この国の民がアタシを望んでいるんだよ!」
けたたましい音と共に立ち上がる竜の姿を見て、シルバが反射的に机を蹴り飛ばして二人の間に割って入った。ななみに身体を抑えられながら威嚇する竜を、シルバに守られたオベソはただ嘲笑っていた。
「アイツらも考えが甘いんだよ」
垂れ下がった前髪の隙間から薄く延びた唇が見え隠れしていた。
「世界が滅びるから……故郷が滅びるから……侵略の意図はないから……丁重に受け入れてください?異世界人に優しくしてください?異世界人に優しくするのが当然です?そんなわけあるか!」
オベソは髪をかき乱して声を荒げた。
「覚悟が足りない!」
オベソは目の前の竜を睨み、そして、恨めしそうに叫んだ。
「アタシは違う!下準備を重ねてアタシは今の権力を掴んだ!アイツらが生活に困窮しているのも、人間が異世界人に仕事を取られるのも、自己責任さ!どうして必死に努力したアタシが悪党みたいに言われるんだ!」
オベソは側にあったガラス机を叩いた。水風船を叩きつけたような鈍い音が応接間に響いた。勢い任せに振るった右手が潰れているのを見て、オベソは静かにソファーに座った。
「とにかく、アタシには異世界人が在留届を出すことに対する管理責任はないし、偽装請負をさせている事実はない!責任は愚かな異世界人共にある!全ては自己責任だよ!」
オベソは肩で息をしながら竜を睨みつけていた。
これ以上話すことはないと言わんばかりの瞳にななみと稲妻は互いに顔を見合わせて頷き合った。唸り声を上げ続ける竜を抑えながら、ななみと稲妻は立ち上がった。
「とりあえず、あなたの言い分は分かりました。折り返し勧告書を出すかもしれませんが、その時は誠意ある対応をお願いします」
鼻息を荒げて肩で息をするオベソに稲妻は淡々と告げた。諦めようとする稲妻を竜は睨みつけるが、どこ吹く風と言わんばかりにスーツケースを持ち上げた。
「本日は失礼しました」
稲妻は軽く頭を下げると、応接間を去って行った。その後をななみと竜がついていく。応接間の外に待機していた蝶人族のキタテが扉を閉める。オベソは扉に耳を当てて四人分の足音が遠ざかるのを確認すると、「塩を持ってこい!」とシルバに命令した。
「やはり、こうなりましたか……」
突如、勲章が飾られた棚が横にずれた。その奥に隠し扉が現れ、中から燃えるような赤髪の青年が顔を覗かせた。オベソは収まらない怒りを赤髪の青年にぶつけた。
「火野斗!秘書のくせにアタシを助けないとはいい度胸だね!」
「申し訳ございません」
頭を下げる赤髪の青年を見て、オベソは拾い上げた規約書で火野斗の小さな顔を撫でるように叩き回した。
「アタシが狼狽える姿を隠し部屋から見るのは、楽しかったかい?」
「いえ、滅相もございません」
淡白に答える火野斗に向かってオベソは規約書を投げつけた。頭にぶつかった規約書の紙束が辺り一面に飛び散るも、火野斗は一向に動じず、黙って俯いたままだった。
「恐れながら……」
火野斗は顔を上げてオベソに進言する。
「本当に実態調査に入られたら我々の敗北は確実です。今のうちに改善に努めた方が良いかと」
「安さはアタシの会社の唯一無二のセールスポイントだよ。それとも、お前が高くなった人件費を全額肩代わりしてくれるのかい?」
オベソは見上げる火野斗の顎を鷲掴みすると、その顔を引き寄せた。興奮したオベソの鼻息を受けながら火野斗は「いえ」と否定した。
「ならば、どうするつもりだい?」
粘り気のあるため息をわざと火野斗に吹きかける。火野斗は思わず目を細めながら、淡々と答え続けた。
「策はすでに打ってあります」
「流石だね。それでこそアタシの秘書だよ」
オベソは火野斗を突き放し、高らかに笑った。不気味な笑い声だけが応接間に轟いていた。
「竜!いい加減にしてちょうだい!」
「すまねぇ……ななみ。つい熱くなってしまった」
異邦禄を後にした三人は街路樹が生い茂るオフィス街を歩いていた。遥か遠くから異邦禄のロゴが三人の背中を見下ろし、心に溜まった憂鬱とは打って変わって穏やかな日差しが三人を照らしていた。
一般市民に乱暴な態度をとってしまった竜にななみは説教を続けていた。異邦禄を後にして一時間経っても続く説教に聞いていた稲妻も少しげんなりとしていた。
竜も時間が経つにつれて公務員として民間人に手を上げようとしたことのまずさには気づいたようだが、上司のななみは別の懸念点を抱いていた。
オベソがクレームを入れるかもしれない―――
そうなれば、青島課長が、最悪は直属の上司である自分が責任を取らされるかもしれない―――
組織人らしい悩みと言えばそれまでだが、それを竜に理解してもらうのは至難の業だ。
竜が素直に反省する姿を見て、ななみはその話まで切り出せず、深いため息をついた。
「まぁまぁ、過ぎたことを考えても仕方がないでしょう」
説教が途切れたタイミングと横断歩道で足止めされたタイミングが重なった瞬間、稲妻が二人を宥めすかすと、道の向かい側に見える喫茶店を指さした。
「どうです?あそこの喫茶店で少し早い昼ご飯といきませんか?同行してくれたお礼に私からおごらせていただきますよ?」
「お前も随分と呑気だな。何の結果も得られていないじゃないか」
口を尖らせる竜に、「いえ、成果はありましたよ」と不敵な笑みを浮かべて答えた。
「不法滞在者を働かせているだけでなく、偽装請負をさせている疑いを確認しました。これが今回の面談の成果です」
「だが、アイツは世界から守られているんだろう?法で裁くのは難しそうだが?」
「ふふ……竜さん。攻める時は外堀から埋めるものですよ」
「外堀?」
信号が青に変わり、三人は横断歩道を渡り始めた。ビジネスマンが行き交う交差点を見渡して、稲妻は言葉を続けた。
「例えば、CSRってご存じですか?」
「何だそりゃ?」と首を傾げる竜に「CSRとは……」と稲妻は語り始めた。
「企業が負うべき社会的責任のことです。それを謳う企業は違法労働の疑いがある異邦禄と関わりを持てない。そうなれば、異邦禄も客が減り、社会的制裁を受けることになる。そこで初めて誤りを是正せざるを得なくなる」
「随分と回りくどい攻め方だな。その間、異邦禄には何のお咎めもなしか?」
「まぁ……正直、それは否定しません」
肩を落とす稲妻に竜はため息を吐く。二車線道路を渡り終えて目の前の小さな喫茶店の扉に手をかけて稲妻が中へと入って行く。
後に続く竜は不意にその足を止めた。
「どうしたの?」
竜の後ろをついていたななみが声をかける。
竜は遥か虚空を見上げていた。
「おい。あそこに人がいないか?」
ななみは竜の指先を辿った。
街路樹が連なる通りの上空に三橋銀行の看板があった。
更にその上ーーービルの屋上に確かに人影があった。
目を細めて何とか見えるほどの小さな人影を当然のように捉える竜の視力に感心していると、ほどなくして影が空を飛んだ。
一つの影はビルに沿って落ちていた。
コンクリートに叩きつけられる鈍い音がオフィス街に響いた後、続けて甲高い悲鳴が上がった。
「飛び降りだ!」
竜は悲鳴を聞いて我先に走って行った。
突然の出来事に呆然と立ちすくんでいたななみは我に返ると、竜の後を追いかけていた。
竜の背中を追いかけながらもいまだにななみはどこか上の空だった。
もう一つの影が道路の反対側のビルへ飛び移っていたーーー
その奇妙な光景がななみの脳裏から離れることはなかった。