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第二話 空跳ぶ迷惑系異世界人

「なるほど。顔を殴られた後に君はその男の腹を殴ったんだね?」


 灰色の薄ら髪を掻きむしり、中年男はその手に持つ報告書に目を通した。報告書を流し読みして苦笑いを浮かべる中年男の背中に柔らかな朝の日差しが照りついていた。


「正当防衛のはずだが?」


 竜の反論にすっかり困り果てた顔をしながら中年男は竜の隣に凛と佇む黒髪の女を見つめた。シックなパンツスーツに包まれた細身の女は、竜の正しいと信じてやまない強情な視線と助け船を求める中年男の視線に挟まれ、その端正な顔を歪めた。


「そうだけど!けれど、違うのよ……!」

 

 女は天を仰いだ。

 竜の判断は正しい。

だが、それは法律の話であって、世間一般の目とは違う話だ。

 それを頑固者の竜に分かるように説明する言葉を女は必死に探していた。


「この件は不問で良いんじゃないかな?ななみ君」

「青島課長!」


 肩までかかる長い黒髪をなびかせて、ななみは中年男の元へ駆け寄ると、アンティークな造りの机を勢いよく叩いた。『異世界課課長 青島海也(うみなり)』と書かれたネームプレートが大きく揺れた。


「マスコミがどう報道するか分からないでしょう?たった一人しかいない異世界人公務員()の世間体を言っているんです!ただでさえ、特例中の特例の公務員なのにスキャンダルなんか出回ったら……!」

「だけど、ななみ君。それを竜が分かるように説明できないでしょ?」


 達観したような笑みを浮かべる中年男に図星を突かれ、ななみは思わず声を詰まらせた。人の気苦労も知らずに大きな欠伸をあげる竜の隣で、ななみは人知れず青筋を立てていた。




 口論の場は東京の中心に居を構える入管庁異世界課の課長室ーーー庁内から左遷先と蔑まれる責任者の部屋だ。

 鳥人族の男を保護した昨晩の出来事の後、桐沢はいびきを上げる竜を放置して、報告書をななみの席に置いて帰路に着いた。

 その翌朝、報告書に目を通したななみは「竜が人を殴った」という物騒な文言を見て、職場で爆睡していた竜を叩き起こし、青島課長の元へ慌てて駆け込んだと言うわけだ。


「課長が気にしないと仰るなら、私からこれ以上何も言いません……」


 ばつが悪そうに口を尖らせるななみに竜は思わず愚痴をこぼした。


「別に悪いことしたわけじゃないだろ?ななみ」

「だ・か・ら!」


 ななみは竜の元へ駆け寄ると、その薄い唇を真一文字に引き締め、抗議の目を竜に向けた。竜はこれから始まる長い口喧嘩を予期し、黙っていれば良かったと遅すぎる後悔をしていた。


「一人で行動したら、あなたの無実を証明する人がいないでしょ!」

「だが、あの場を離れるわけにはいかなかった!」

「まぁまぁ……二人とも……」


 いつもの様に口喧嘩をする二人を見て、青島は机の引き出しから煎餅を取り出した。口喧嘩を続ける二人に青島は他人事のように声をかけた。


「喧嘩が終わったらこの煎餅を食べると良い。娘夫婦からの土産だよ」

「何!食べて良いのか?朝飯まだなんだよ!」

「ちょっと!竜!まだ話は終わっていないわよ!」


 説教を続けようとするななみを竜の腹の音が遮った。

 荘厳な部屋に響き渡る腹の音にすっかり説教する気を削がれたななみは、煎餅に飛びつく竜の背中を見て、一人ため息をついた。

 我先に煎餅にかじりついた竜から「ななみも一つどうだ?」と手渡された。ななみがしかめ面のまま煎餅の封を開けた瞬間、課長室の扉が勢い良く開かれた。


「いやはや、朝からお元気なことで!」


 派手なスーツを身に纏った金髪の男が大袈裟に拍手しながらやって来た。その背後から、狐のような吊り目をした童顔の青年が緊張した面持ちで付いてきていた。


鬼俵(おにだわら)外務大臣に西街(にしまち)外務報道官とは珍しい客人だね」

「彼に送迎してもらったんだよ。それより、久しぶりだね。青島君!」


 派手なスーツ姿の鬼俵は軽やかな足取りで青島に近づくと、ハグを交わした。外務省のトップの予期せぬ来訪にななみは困惑した様子で佇んでいた。それに気づいた鬼俵はななみの元へ近づくと、おどけながらななみの顔を覗き込んだ。


「驚かせちゃったかな?ごめんね、ななみ君」

「い……いえ……」

 

 鬼俵外務大臣を目の前にななみは精一杯の返事をした。その背後で呑気に煎餅をむさぼり続ける竜をななみは一睨みしたが、竜が気づく様子はない。

 大臣の目の前で咀嚼音を発し続ける竜を咎めるべきと考えると同時に、目の前にいる大臣にどう対応すれば良いか思考を巡らせ、ななみの思考は限界を迎えた。固まったななみを見て、鬼俵は口元を抑えて笑うと、スーツの胸ポケットから一枚の葉書を取り出した。


「これを渡しに来たんだ」


 それは七回忌の案内葉書だった。裏面の欠席の文字に目を向けて不意に顔を上げると、目の前に頭を下げる鬼俵外務大臣の姿があった。


「ごめんね。君のお父さんの七回忌に出席できなくなっちゃった!アラブの要人と打ち合わせが急に入っちゃって……」

「そう頭を下げないでください。父もきっと理解してくれると思います」

「そう言ってくれると助かるなぁ」


 目の前で手を合わせて平謝りする鬼俵にななみは困惑しながらも尋ねた。


「でも、わざわざ直接手渡さなくてもよかったのに」

「いやいや!」


 鬼俵は急に顔を上げると、ななみを真剣な眼差しで見つめた。


「君のお父さんには外務大臣の先輩として何度もお世話になったからね。直接、この口で君に伝えることに意味があるんだよ!」

「は、はぁ……」


 大仰な話し方をする鬼俵に戸惑うななみの姿を見て、鬼俵は意地悪な笑みを向けると背後で佇んでいた青年に声をかけた。


「さぁ、西街外務報道官!僕の用事は終わったし、次は君の番だよ」

「えっ?鬼俵長官?もう一つの要件も……」


 ウインクとサムズアップで黙らせにかかる鬼俵に西街は深いため息をついた。そして、頬を二度叩いて大きく息を吐くと、話を切り出した。


「異世界課の皆様にお願いがあります」


 西街は声を張り上げたが、煎餅をむさぼる音だけが課長室に響き渡る。煎餅を嗜む竜に頬を引きつらせながら、西街は話を進めた。


「皆さんは仮面人族をご存じですか?」

「仮面人族?」


 興味がなさそうにしていた竜が話に食いついてきた。小さく舌打ちをする西街を見かねた青島が竜にスマホを手渡した。


「これが仮面人族の記事ね」

「ほぉ……都内の夜空を跳ぶ謎の仮面の人物?」


 渡されたスマホに映し出されたネット記事を眺める竜が嘆息を漏らす。ぼろ布一枚羽織り、その素顔を猫の仮面で隠した人物が夜の東京のビル群を跳ぶ姿が一面に映し出されていた。


「世間はダークヒーローやら騒いでいるが、地球にそんなものは存在しない」


 ネット記事に食い入る竜に西街が鼻を鳴らし、睨みつける。


「俺たちのせいって訳か?俺たちの世界にもヒーローなんざいねぇよ」

「はい。二人とも喧嘩は良くないよぉ」とおどける鬼俵を無視して西街は話を続ける。


「ともかく、地球人には高層ビルの屋上を自在に跳び回ることはできないんだ!お前たちの世界の住人なら知らんがな!」


 目撃証言によれば、仮面人族は地上三十メートルはあるビルの屋上から四車線の道路を挟んだ反対側のビルへ跳び移ったらしい。

 走り幅跳びの世界記録保持者でも転落防止用に取り付けられた柵のせいで跳ぶことはできない。

 

 でも、異世界人ならできるんじゃないか?

 

 世間の声を代弁する西街に竜は呆れた様子で言い返した。


「だが、ビルの屋上を跳び回るだけで実害はないんだろ?」

「不法侵入だ」

「待ってください、西街さん!それは警察の管轄ではないですか?」


 不法侵入と言う犯罪の捜査は警察の仕事だ。例え異世界人が絡んでいる可能性があっても、日本国内の犯罪であれば最初に動くべきは警察だ。

 ななみが浴びせた正論に思わず声を詰まらせ、西街は()()()()()()の方をすがるように見上げた。


「ななみ君。君の仰る通りだ」


 鬼俵は耳を掻きながら竜の元へ近づいた。そして、竜から青島のスマホを取り上げて全員に見えるように掲げると、その記事に掲載された仮面人族の写真に映るビルを指さした。


「ここに小さく映っているのが三橋(みつはし)銀行。見えるかい?」

「三橋銀行?よくテレビで宣伝してる……銀行か?」

「財閥系の銀行よ」


 呆れ顔のななみに竜は不貞腐れた様子で鼻息を鳴らした。世間知らずな竜を鼻で嘲笑う西街に、鬼俵は苦笑を浮かべて話を続けた。


「不審人物が侵入できるなんて金を預かる銀行としての信用問題に関わってくるでしょ?だけど、警察に相談しても、捜査の進展は芳しくない」


 防犯カメラで追跡しようにもそもそも仮面人族の素顔を知らない。現場を取り押さえようとしても、空を跳んで逃げられてしまう。実害がない相手を捕まえるよう命令された現場の士気はどうしても上がりにくい。

 日本の警察は未だ仮面人族の正体を掴めずにいた。


「それで、僕の所に話を持ちかけてきたんだよ」

「警察ではなく、外務省にですか?」


 ななみは思わず驚愕の声を上げていた。

 警察の捜査不備を訴える相手は警視庁で然るべきだ。外務省に抗議した者の正体をななみは訝しんだが、鬼俵はその正体をあっさりと明かした。


「三橋銀行の役員が僕と古い友人でね。お友達の頼みは聞いてあげなきゃいけないでしょ?」

「そのお友達との約束の尻拭いを俺達にやらせようってか?」


 すかさず、竜がかみついた。

 だが、鬼俵は達観した様子で「うん、そうだね」と静かに頷いた。


「俺は知っているぞ!こっちの言葉じゃそれを公私混同と言うんだ!」

「それは違う。いいかい?よく聞いてね」


 ウインクして人差し指を振りながら鬼俵は竜にゆっくりと語りかけた。


()()()()()の財産を預けている銀行からお金が奪われるかもしれない。それは()()()()()にとって不利益を被り、不幸を招くでしょ?()()()()()が悲しむ前に、君たちに協力してほしいんだ」


 鬼俵の言葉に、竜は唸り声をあげて口をつぐんだ。

 三橋銀行以外にも銀行は数多くあるし、一つの銀行に肩入れするのは公僕である公務員の考えに背くものだ。冷静に考えれば何とでも反論のしようはあったが、異世界人の竜にそこまで地球の知識はない。

 ななみと青島も当然、鬼俵の公私混同は分かっていたが、大臣の命令には逆らえない。ななみと青島が口を挟まなかったことも竜が言い返し損ねる要因となっていた。


「議論は終わったようだね」


 我先に勝利宣言をした鬼俵は煎餅をつまむと、「後は頼んだよ!」と歓喜に満ちた声を上げて課長室を後にした。しばしの沈黙の後、初めにため息を漏らしたのは西街だった。


「すみません」

「彼が大臣にしてはノリが軽いのは気にはしてないけど、法務省()をすっ飛ばして直接入管庁に頼むのは良いのかい?」

「……すみません」


 脇腹を押さえて謝り続ける西街に青島は憐れむように微笑む。


「今回は大臣直々の依頼だし、できる限りの範囲で取り組ませてもらいますよ。次からは必ず法務省を通してくださいね」

「ありがとうございます……」と消え入るような声で礼を述べた西街はちらりとななみの方を見た。


 視線に気づいたななみはキョトンとした様子で小さく首を傾げた。その仕草に西街の頬が微かに赤くなる。西街は自分の生唾を飲み込む音を聞きながら声を振り絞った。


「あの……なな……」

「おい」


 言葉を発したと同時に竜が横槍を入れる。

 西街は竜を睨むも気づく気配もなく、むしろ竜は心配そうに西街に声をかけた。


「鬼俵の奴、もう出て行ったぞ。送迎しなくても良いのか?」

「えっ……あー、はい!そ……そうですね!早く行かないと……」

 

 竜の言葉に一瞬固まったが、すぐに我に返ると何度も頷きながら荷物をまとめた。「ははは……」と困ったような笑いを浮かべながら最後までななみの方を見つつ、西街は部屋を後にした。


「何だったんだ、アイツ?」

「さぁ?」


 竜の隣で首を傾げるななみの背後で青島は密かにため息をついていた。ななみは開きっぱなしになった課長室の扉を閉めると、青島の方を振り返った。


「青島課長。仮面人族を調査する人員について早速相談したいのですが……」

「うん、良いよ」と頷いた青島とななみの後ろで竜は頭を掻きながら声を上げる。


「俺はもういなくてもいいよな?ちょっとスーラの所に行ってくる」

「分かったわ。後でメールで伝える」


 去り行く竜の背中を一目見たななみは青島と仕事の話を始めた。






「お待たせしました」


 黒塗りのリムジンが静かにエンジン音を上げた。西街はバックミラーを合わせると、後部座席でニヤニヤしながら座る鬼俵と目が合った。


「何か嬉しいことでもあったのですか?鬼俵長官」

「それは僕の台詞だよ、西街君」


 西街はウィンカーを出してリムジンを静かに発進させた。異世界課のオフィスの前で抗議の声を上げるデモ隊の横を通り抜けると、オフィス街の通りを行き交う車の流れに乗った。


「ななみ君をデートに誘えたかい?」


 鬼俵の言葉にリムジンが左右に揺れた。蛇行するリムジンの後方からクラクションが鳴り響いた。


「鬼俵長官……!突然、何を……!」

「外務省、いや、霞ヶ関で君の恋心を知らない人なんてほとんどいませんよ。肝心の本人とあの異世界人以外はね……」

「し……失礼ながら、長官!それは余計なお世話と言うものです!」


 赤信号に気づき、西街は勢いよくブレーキを踏んだ。横断歩道にバンパーがかかったリムジンに通行人が次々と非難の視線を送っていた。


「でもさぁ……ななみ君は先の外務大臣、清良高貴(せいらこうき)先生の一人娘だし、君とも歳は近いしでとてもお似合いだと思うんだよね」

 

 西街はすっかり黙り込み、ハンドルを指で叩いていた。その間にも鬼俵の独り言は続いていた。


「けれど、あの異世界人―――竜の教育係を長い間やっていたんでしょ?竜は君と正反対の―――野性味あふれる性格だし、彼女みたいな美人が未だに結婚していないのも、ひょっとして……」


 リムジンが急発進した。

 舌を噛みそうになった鬼俵は依然ニヤニヤと西街の背中に向けて微笑み続けていた。


「フフフ……せいぜい先を越されないように頑張りたまえ!若人よ!」


 腹を抱えて笑う鬼俵をバックミラー越しに見ながら、西街は次の目的地へと車を飛ばした。

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