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第一話 異世界人の来訪

 ネオンが輝く新宿の繁華街。

 今日もくだを巻いた男達が千鳥足で雑居ビルへと吸い込まれていく。

 そのビルのすぐ隣―――ビルの間の細い路地裏を一人の少女が疾走していた。


「どうしよう……」


 真夏の熱帯夜に室外機から漏れる熱風で少女のこめかみに一筋の汗がしたたり落ちる。少女は辺りを見渡しながら、光を避けるように暗闇に染まった路地裏の奥へと走り去った。ゴミ箱を蹴散らし、野良猫が揃って抗議の唸り声を上げても尚、少女は脇目も振らずに走り続けた。


「探せ!近くにいるはずだ!」


 こだまする怒号に少女は思わず足を止めた。

 少女の童顔を夜空に浮かぶ月が照らす。その愛らしい口から喘息が漏れ、深紅に染まる瞳は大きく見開かれていた。

 何者かに追われている少女とは現代日本にはあるまじき異常な光景だ。

 だが、月の光はその光景すらかすんでしまう程の異常を映し出していた。

 少女の頭から生える大きな耳―――さながら兎のように天に向って伸びる耳が、少女が人間ではない、異形の生物であることを物語っていた。


「早く逃げないと……」


 立ち止まる暇はないと辺りを見渡す少女に一筋の光が射した。

 

 人間の群れに紛れれば、追手から逃げ出せるかもしれない―――


 大通りから漏れるネオンの明りは少女にとっての希望の道だった。少女はネオンの光に吸い寄せられるように歩み出した。

 しかし、数歩進んだところで少女は踏みとどまり、耳を押さえた。


 兎の耳を生やした異形が人の前に飛び出せば注目を集めるかもしれない―――


 耳を隠す帽子やフードは身に着けていない。

 この時ばかりは、悪目立ちする己の耳を少女は恨んだ。


「どうする……」


 冷静になろうとする少女を追手は待ってくれなかった。


「どこに逃げた!」


 不意にネオンの光が一筋の影に消えた。足元へ迫る影から逃げるように少女は来た道を引き返した。

 路地裏に少女の荒い息だけが響き渡る。

 それが追手に居場所を知らせるようなものだと気づく余裕はなかった。

 路地裏の奥へと逃げ込むことが何を意味するか思考を巡らせる余裕もなかった。


「行き止まり……!」


 立ちはだかる金網フェンスに足が止まる。

 その先端に鋭く光る有刺鉄線を見上げる少女に突如大きな影が覆いかぶさった。


 後ろを振り返った少女は短い悲鳴を上げた。


 影となった男の顔から猛禽類のような瞳が少女を捉えていた。乱雑に伸びた茶髪を揺らしながら歩み寄る男が発する威圧に少女は声を上げることができず、ゆっくりと後退りした。

 しかし、背後は行き止まり―――

 程なくして背中に冷たい感触を覚えた。


「武器になりそうなものは……」


 少女が目を離した隙に男の腕が少女の目の前まで近づいていた。ワイシャツの袖の下から伸びる男の腕には爬虫類のような鮮やかな緑色の鱗が見えていた。

 肩に硬い鱗の感触を覚えた少女は思わず目を閉じた。


「ένα άτομο σαν κουνέλι? (兎人族だな?)」


 懐かしい故郷の言葉に少女は「えっ?」と驚愕に満ちた声を漏らし、微かに目を開けた。月明かりでよく見えなかった男の強面が目の前に広がり、再び目を瞑った。


「出入国在留管理庁の異世界課取締室の竜だ」


 竜と名乗る男が手帳を見せると、少女は恐る恐る目を開けた。手帳に書かれている言葉は全く分からない。だが、少女の目に映る男が安堵の笑みを浮かべているのは分かった。


「お前の身柄を一時的に保護させてもらう。いいな?」

「保護……?」


 少女はようやくその赤い瞳を男に向けた。




「二十二時三十分、異世界人一名を保護!」


 男は擦り切れた革ベルトの時計を目尻に皺を作りながら眺めて、時刻を告げた。警帽を脱ぎ捨てて、すっかり型がついたオールバックの髪を掻くと、隣に佇むショートヘアーの爽やかな見た目をした警官に目を向けた。

上司からの視線に慌てた様子で報告書を記入する警官を横目に、男は無線の通信機の電源を入れると通信先の相手に連絡を入れた。


「B班、聞こえるか?転移したばかりの異世界人を発見できたか?報告どうぞ。」

「こちらB班。伊勢さん、聞こえますか?」


 無線越しに聞こえる部下の声に男は耳を傾けた。


「泥酔した犬人族を交番に送り届けた所です。転移したばかりの異世界人は発見できていません、どうぞ」

「了解。引き続きパトロールを頼む。三十分後に歌舞伎町の交番前で落ち合おう」

「了解」の合図とともに無線を切ると男はこめかみを押さえると、報告書を片手にスーラと話す若い警官に声をかけた。


広大(ひろまさ)、聴取は終わったか?」


 声をかけられたショートヘアの警官は首を横に振った。


「後もう少しっすよ、先輩」

「その言葉遣い、何とかならんのか?」

「すいませんっす」

「まったく……早くしろよ」


 何度注意しても治らない広大の口調に先輩と呼ばれた男がため息をついて顔を上げると、腕組みしながら佇む竜と目が合った。


「伊勢。いい加減、次の捜索に行こうぜ。人の目が気になって仕方がねぇよ。報告書なんざ後で適当に書けばいいだろうがよ」

「そうもいかないんだよ!この、トカゲ!」


 度重なる竜の愚痴に警視庁保安課の伊勢刑事の語気が自然と強まった。獣のように唸りながら互いに言い争いう二人を保護された兎人族の少女だけが心配そうに見つめていた。


 遡ること十年前。


 地球の上空に突如現れた転移ゲートと呼ばれる黒い穴を通って、アルマという異世界から動物と人間のハーフのような見た目をした異世界人が地球上の至る所に転移してきた。


 当時の法では、どこの国でも異世界人たちの転移は不法入国だった。


だが、地球からアルマに送還する術はないし、転移を止める術はないし、年々増え続ける異世界人たちを収容するにも土地もない。そうした事情を知る由もない異世界人は次々と転移してくる。

 ―――彼らを害獣駆除の名目で殺処分してしまうか?

 ―――最低限度のコミュニケーションができる人間の姿をした生物を問答無用で抹殺するのは人道的にいかがなものか?


 世界各国で議論が繰り広げられ、法整備に追われた。

 それは日本も例外ではなかった。


「それなら、彼らに日本に住んでもらおう!少子化も改善され、労働力も増えるし、国内消費も活性化されて景気も上向くし、良いことづくめじゃないか!何をためらう必要がある?」


 当時の最大与党であった民宰(みんさい)党幹事長の発言が後押しとなり、出入国在留管理庁ーーー入管庁に異世界課が新しく設立された。

 異世界人が日本に増えるにつれて、今度は異世界人の不法滞在問題が露見した。外国人の不法滞在を取り締まってきた警視庁保安課の仕事は右肩上がりに増え続けた。


 だが、彼らは異世界人の言語が分からなかった。


 必然、異世界出身の竜を抱える異世界課との合同捜査が増え、二人が顔を合わせる機会も増えた。すっかり長い付き合いとなった竜と伊勢刑事のいがみ合いはもはや日常風景と化したいた。


「まぁまぁ、竜。もう少し待ってやりなよ」


 竜の背中を叩いた銀縁眼鏡をかけた天然パーマの男が竜に缶コーヒーを差し出した。缶コーヒーを受け取った竜はプルタブを勢いよく開けると、眼鏡の男に愚痴をこぼした。


「桐沢。もう十分もここで棒立ちだぞ」

「この場で兎人族のスーラちゃんと言葉が通じるのは竜、君だけだ。多少、時間がかかるのは我慢してほしい」

「ふん……伊勢の肩を持つんだな」


 口を尖らせる竜に桐沢は苦笑いを浮かべた。竜は「仕方がないな」と呟くと、缶コーヒーを呷った。一気に飲み終えると、竜の目の前で野菜ジュースを片手に新人が見上げていた。


「どうした?」

「あの……スーラちゃんに野菜ジュースを渡したいんだけど……」

「渡せばいいじゃないか」


 おずおずとした様子の桐沢に竜は一瞬首を傾げるが、欠伸を浮かべながら暇そうに佇むスーラを横目で何度も見つめる桐沢の姿に竜は思い切りほくそ笑んだ。


「ギリシャ語を習いに塾に通っているんだろ?」


 異世界人と唯一言葉が通じるギリシャ語の会話塾に通う桐沢の肩を竜は大袈裟に叩いた。


「うるせぇ!そこまでペラペラ喋れねぇわ!」

「じゃあ、実践だ!行けっ!」


 涙目で訴える桐沢は優越感に浸る竜を見て、暇を持て余している兎人族の少女の元に駆け出した。

首を傾げるスーラとプルタブの開け方を身振り手振りで説明する同僚の背中を竜はぼんやりと見つめていると、その視線の先に路地裏へ姿を消す五人組の若者の姿が映った。

 そこに一人紛れていた異世界人の姿を見つけた竜は若者の後をつけた。





 怒鳴り声が聞こえる。

 煽り声が聞こえる。

 呻き声が聞こえる。

 入り組んだ路地裏の奥から聞こえるただならぬ声に竜は角から様子を覗いた。そこには、ビルの壁に押し当てられた異世界人の男を囲む四人の若者の姿があった。


「おいっ!何とか言えよ!鳥野郎!」

「集団リンチか?」


 鳥野郎と揶揄された異世界人の男は平たい嘴を持った人間の姿をした鳥人族だった。鳥人族の男の左頬が赤く腫れているのを見て、竜は瞬時に殴られた痕だと見抜いた。

 薄ら笑いを浮かべる四人の若者に飛びかかろうとする自身の膝を竜は押さえていた。

 暴行の瞬間を目撃していない以上、現行犯で取り押さえることはできない。下手に飛び出しても言いくるめられて逃げられてしまう可能性もある。


 竜はあくまで公務員―――法を冒す真似は上司から固く禁じられている。


 竜は爪を噛みながら静観を続けた。

 鳥人族の男はその羽毛と体色とから鳥人族の中でも椋鳥(むくどり)人族と呼ばれる比較的温厚な種族だろう。胸ぐらをつかまれても尚、恐怖からか声を上げることも抵抗する様子もない。

 四人の若者は金品を奪うわけでもなく、怯える鳥人族の男に向けてスマホを向けていた。その袖から出た華奢な腕を見て負けるはずがないと竜は確信する。

 

 ならば、警戒すべきは鳥人族の男の胸ぐらをつかんでいる男―――


 鳥人族の男を遠巻きにあざ笑う他の三人とは違い、一人だけ目が血走っている。

 今すぐにでも事を起こしそうな殺気を放っている。その殺気を竜に向ける分には問題ないが、鳥人族の男に向けられたら守れないかもしれない。

 万が一に備えて援護を呼ぶ時間もないだろう。

 判断に迷いつつ監視を続けていると、鳥人族の男の弱った声が竜の耳に入った。


「どうして……」


 鳥人族の男は肩を震わせながら目の前の男を見上げていた。

 男が乾いた笑いを上げる。周りの取り巻きの三人は震えている鳥人族が面白いのか、男の強まる殺気にも乾いた笑いにも気づくことなく腹を抱えて嗤い続けていた。


「ないんだと……」


 月明かりが胸ぐらをつかむ男と鳥人族の男の横顔を照らす。胸ぐらをつかむ左手の指輪が鈍い光を放っていた。


「次の派遣先が……仕事先が……俺にはないんだとよ」


 男の悲壮に満ちた小さな叫びに取り巻きの若者の嘲笑が止んだ。男は鋭い八重歯をむき出しにして恐怖に震える鳥人族の男に顔を近づけると、眼前で囁いた。


「お前らに俺の仕事も……彼女も奪われちまったよ……」

「それは僕には関係ない……」


 鈍い音が路地裏にこだました。

 無音となった路地裏に大通りの喧騒だけが響く。

 男は右手に息を吹きかけると、腹を押さえてうずくまる鳥人族の男に唾を吐きかけた。


光輝(かがやき)さん……あの女と別れちゃったんですか?」

「もうすぐ結婚するって……」


 取り巻きの三人の若者は「やばくね?」と消え入るような声で呟くと、互いの視線を合わせて静かに頷き合った。


「光輝先輩。もうやめましょ。警察が来るかも……」

「黙れ!」


 取り巻きの若者達が上ずった声で宥めるも、男はうずくまる鳥人族の男に右の拳を振り上げた。


「お前ら畜生が人間様の仕事を奪って……!俺たちはどう生きれば良いんだよ!」

「おい!止めろ!」


 呼び止める竜の声に気づいた時、振り上げた拳を竜が取り押さえていた。自分の懐に瞬時に飛び込んだ竜に男の目は大きく見開かれていた。


「警察か!」「やべっ!逃げろ!」


 突如現れた大男の姿に三人の取り巻きは我先にと路地裏の更に奥へと逃げ出した。

 後輩に見捨てられ、ただ一人残された男は竜を睨み続けた。


「何だよ、おっさん!離せよ!」

「殺意をむき出しにしたお前と殴られそうなこの男をそのままにしておけない」


 竜の手を振り解こうとするが、日本人離れした竜の握力からは逃れられなかった。男が竜を睨むと、竜は余裕の笑みを浮かべながら男の手首を握りしめた。突然の激痛に男は苦悶の表情を浮かべたが、すぐさま睨み返した。


「お前には関係ないだろ!引っ込んでろよ!」

「異世界人のトラブルを解消するのが異世界課の……いや、俺の仕事だ!」

「うるせぇ!」


 男は腹の底から咆哮を上げる。

 空いた左手で拳を作り、全体重を乗せて竜に殴りかかった。

 振りかぶった男の拳は竜のこめかみを捉えていた。

 先に動いたのは男の方だった。

 薬指に走る激痛に男は顔を歪めて、思わず竜から距離を取った。そして、鼻筋に指輪の痕を残したまま笑みを浮かべる竜の姿に男は顔を引きつらせた。


「これは正当防衛だよな?」


 竜の拳が男の腹を捉えた。

 その衝撃で真横のビルの壁に亀裂が走る。

 男は膝から崩れ落ち、声にもならない声を上げて、その場にうずくまった。


 殺気が自分に向けられて助かった―――


 竜は地に伏せる男に安堵のため息をつくと、鳥人族の男に手を伸ばした。


「大丈夫か?」

「あ……ありがとう」


 鳥人族の男は竜の手につかまり立ち上がった。立つのも精一杯の状態の鳥人族の男は何とか竜に頭を下げた。竜は地面でえずく男を一目見て、鳥人族の男に尋ねた。


「こいつに恨まれるようなことを何かしたか?」

「いえ……仕事帰りに急にからまれて……」

「そうか」と竜は当然のように呟くと、鳥人族の男に忠告する。


「ニュースで知っているとは思うが、異世界人への暴行が後を絶たない」


 異世界課で数々の暴行を取り押さえてきた竜の言葉に鳥人族の男は視線を落として頷いた。

 

「何があっても立ち止まるな」


 語気を強めて忠告する竜に鳥人族の男は悲しげな表情を浮かべていた。竜は深刻な表情のまま忠告を続けた。


「俺の経験上、こういう輩は相手が立ち止まった瞬間を狙う。たとえ助けを求める声が聞こえても、たとえ人が倒れていても、家に帰るまでは全部無視するんだ」

「そんな薄情な……」


 鳥人族の男は地に伏す男と竜に憐みの視線を向けた。その視線に竜は同意した。


「俺も寂しい社会だと思う」


 竜は異世界人を暴行する人間の言い分を何度も聞いてきた。初めの内はそのあまりに身勝手な動機を聞いて、怒りに身を任せて全力で殴り飛ばす場面もあった。

 だが、何度も動機を聞いているうちに竜は暴行事件を起こすある原因を見出していた。


「革命には血が必要だ」


 竜は彼らの動機を革命―――いわば、急激な変化に置いていかれた者達の戸惑いの声、幸せだった旧態勢を死守したいと懐古する者達の反発の声だと捉えた。

 竜が吐露した言葉に鳥人族の男は唖然とした顔で竜を見上げた。


「お前も覚えているだろう?アルマで起きた産業革命」

 鳥人族の男は故郷で起きた忌まわしき革命の名に頷き返した。竜は更に言葉を続ける。

「あの時、職を失い首を吊った奴が何人出た?汚染された水と空気で幾多の種族が消えた?俺たちの転移が地球人にとってあの時の革命と同じなんだよ。激しい環境変化に耐えられない人間が出てくるんだよ」

 

 異世界人の転移は人間にとって劇薬だった。

 価値観や文化の違いが多くの衝突を生んだ。今までの平穏を異世界人に奪われた人間も多い。そうした軋轢から生まれた怒りを自分より弱い者にぶつけるようになった。


 ―――ちょうどこの男のように。


 竜は座り込むと、腹を抑えて倒れ込む男を肩にかかえて立ち上がった。そのまま引きずるように大通りの明かりへ進む竜の背中に、鳥人族の男は穏やかな笑みを浮かべた。


「他人に優しくするなとは言わない。だが、自分が犠牲にならないように生きろ。良いな?」


 背中越しに忠告する竜の後を鳥人族の男が追いかけた。

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