2(めちゃくちゃ怒られた)
「あたし、講義中なんだけれども」まだ鐘は鳴っていない。まだ、いまのところは。
「まあ、出物腫れ物──、」
ルーシィの言葉を、「所嫌わず」引き取った。「シャーリーンは?」
「ネイルサロン」いいなあ、自分ものんびりしたいわあ。ルーシィの怨嗟が電話口越しでも伝わる。
「デカい案件だと困るよ」
「分かってる」ごめんね、って、ルーシィが謝る道理はないが。
「だからご指名。懸賞金だって高くはないけれども、塵も積もれば──、」
「山となる」
「そう云うこと」ッターン(実行キーを叩く音)。「いま、送ったから」
アケビはため息。どうやら三限の〈確率・統計I〉は欠席せねばならぬよう。実験でなかっただけ良しとしよう。問題は:誰から講義ノートを借りるのか。
通話を切り、スマホに転送された詳細を確認する。ふむふむ、なるほど。「しょっぼ」思わず声が出た。ダンボール箱を抱えた購買のお兄さんが胡散臭げな目を向けてきた。学内でこんな目をさせるって、よっぽどだ。
アケビは「わたし、関係ないですよ」の顔を取り繕い、立ち上がってスマホをポケットに滑らせた。ジンを使って接近禁止命令を破った男を捕まえよ。おれじゃない、禁止されたのはおれで、接近したのはジンだから──そんな話がまかり通るか、無法者。いや、無資格者だ。とにかく仕事だ。急げ、急げ。
本館を出るまでに気付いていたが、いまさら引き返せない。そう。ジンがいない。いや、ジンはいる。いるけれども、当のコールと契約を交わした指輪がない。これで捕まえられると云うのか。仕事になると云うのか。情けなくて足が重い。
──この印章は、精霊使いとジンを繋ぐものである。同じ意匠はふたつとない。指輪にしてもペンダントトップにしてもいい。ただし、絶対に紛失してはならない。絶対にだ。
おおお。アケビは頭を抱え、足早にキャンパスのはずれに向かう。これはマズいってレベルじゃない。不注意で済まされる問題じゃない。
しかしアケビは女子大生で、未成年で、けっこう単純で。だから、至極簡単な結論を得る。
失態の返上は:仕事で挽回すれば良い。
そう思ったら気楽なもので、駐輪場へ向かう足取りも軽い。もう指輪がどうとか、コールがどこにいるとか、わりかしどうでもよくなった。悪いヤツを捕まえる。それが、あたしの仕事。道具の入ったお仕事ポーチを、腰のベルトに引っかける。よし、いくぜ。鍵を外して、通学チャリに跨がった。賞金稼ぎ、いざ参る!
逃亡者:身上書。二十四歳・男性。見た目、普通。ジンと一緒なら、あまり期待のできない添付写真。髪・黒、瞳・黒。ちょっとやせ過ぎの嫌いはあるけど、いたって・普通。接近禁止命令に背き、知人女性に未登録のジンを使用し、接触を企てる。……企てる? 未遂か。良かった、接触された女性はいなかった。オーケー。不届き者を引っとらえよう。
それにしても、なんでこやつは裁判所の追跡GPSをはぎ取った。アケビは首を捻る。仮釈放違反プラス保釈金没収:罪の上乗せ。しかも自分みたいな女子大生風情に捕まるとか──だから、叔父はアケビをご指名なのだ。
駆け出しの姪っ子に、マジでアブないヤマを回すほど、叔父もそこまで邪悪でない(と、アケビちゃんは信じている。なんなら明日の学食定食を賭けたっていい)。マジでアブないヤマはつまり高額報酬で、故に、新人に回したりはしない(ご飯の大盛りを追加で)。
成功報酬は保釈金の一割。確かに、たいした額ではない。しかし、お金は、お金。あたしの報酬/労働対価。今夜はカツ丼にしようかな。いや、お昼に豚肉、夜も豚肉、どれだけポーク好きなのさ。同じ丼なら、海鮮丼にしよっかなっ。それはさすがに贅沢が過ぎるでしょう? ちぇっ。残念。なら、天丼! エビ天、追加!
文明による追跡ができない今、霊界の利器、すなわち霊応盤のお導きに頼るしかない。さよなら文明、ようこそ中世。やってみせますチャンポンで。
ルーシィの入れてくれた便利アプリは、充電コネクタに接続した外部入力デバイスと連動して、アケビのマナに反応する。これがオフィスのエーテル・サーバ(とってもお高い)に接続されて、効果効能を増幅する。ちょっと血行が良くなったりする。気がする。わりと本当。たぶん。いずれにせよ、他社より一歩先んじられる。
アケビは目を閉じ、両目の間に右指二本を添え、眉を寄せながら気分を高めた。
よーし、よしよし。こい・こい・こい──今! 画面をタップ、ピローン! おめでとう、逃亡者までの直通チケット当選!
表示を見て極太満足吐息。アケビはめちゃくちゃ元気になった。なんだ、逃亡者、すぐじゃん、近いじゃん──先回りっ!
とは云え、相手はジンを喚べる力がある(だからこっちにお鉢がまわる)。今も一緒の可能性が高い。むしろ一緒だろう。そう考えて動くべき。業界の警句。妖霊は召喚者が生きている限り、開放されぬと考えるべし。
アケビの相棒コールは、あれでなかなか強い部類に入る、と、自称している。アケビ自身も、わりと早熟なだけあって、魔力には自信ある。そんな自分が喚び出したジンが、中の中ならまだしも、中の下と云うこともあるまいて、とは思う。でなけりゃ無資格召喚した廉で、叔父にめちゃくちゃ怒られたりはしなかった。
(なんてことをしてくれたのだ!)
こんなにうまくいくとは思わなかったし?
(身内から犯罪者を出すところだった!)
でも、未成年だし?
(さっさと免許を取りに行け!)
なるほど、姪の資質を見抜いていたのか。
(ウチで働くのだ!)
あ、とアケビは気が付く。それが目的だったんだ。能力云々でなく、資格を取らせて便利に使うために。身内を顎で使うために。そもそも。自分からお願いした憶えがないゾ?