藍原桐華の憂鬱
あたしはまず、藍原桐華という存在を説明出来ない。それは自分自身が分からないとか、悩みが無いのが悩みという話ではない。自分という存在を説明し、いつ何処で生まれ、どうして藍原桐華という名前になったのか。その経緯をあたしが知らないのだ。
藍原桐華――自分で自分の名前を言うのも可笑しな話だが、それでもやはりピンと来るものはない。ただ分かっている事は、あたしという存在には彼が関わっているという事だ。
彼とはつまり、霧原零が大きく関わっている。そしてあたしは彼との関係を築く事に成功したある日の事だった。
「先輩って、お菓子ばかり食ってるよな。何か理由でもあんの?」
「……?」
それはある日の放課後、まだ会長である九条咲と会計である藤堂亜理紗が来ていない生徒会室。そんな密室空間であたしは、彼から問い掛けられていた。
「理由って……お菓子が好きなだけなんだけど」
「そうなのか?何か執念みたいな物を感じるんだけど」
「……」
彼はそう言いながら、スポーツドリンクを飲む。別に大した理由でもないし、好きという理由も間違いではない。だがしかし、彼の洞察力は侮れないようだ。何を隠そう、確かにあたしがお菓子を食べるのには理由がある。
「……何?」
ふと視線を感じ、あたしは働かせていた思考を中断させる。顔を上げた瞬間、彼はこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「先輩って本当に年上なのか?」
「年齢を偽って入れる程、この施設は甘くないと思うよ」
「そういう事じゃなくて、藍原先輩に似てる奴を見た事あるなぁって思っただけだ」
「なにそれ、新手のナンパ?」
「俺に黙々とお菓子を食べ続ける奴をナンパする趣味は無いな」
「まぁ確かに。ナンパされても困るけど」
あたしはそんな事を言いながら、棒状お菓子で名を馳せているパッキーを口に咥える。
チクタクと時計の針が鳴り響く静寂が、生徒会室の中を包み込んでいる。黙々とお菓子を食べるあたしと対面し、施設利用者に配られる専用端末を眺める彼の姿が視界に入る。
あれだけの実力があるにもかかわらず、どうしてまともに誰かと決闘をしないのだろうか?視線を向けているうちにそんな事を考える。
「……何か用か?」
彼はあたしの方を見ずにそう言った。視線を向けられていた事に気付いていたのか、あたしは気になった事を率直に聞く事にした。
「どうして手を抜いてるの?」
「……何の話だ?」
「この間の決闘。龍紋の能力を使ってる様子は無かった。けど、ただの体術だけであたしは負けた」
「単に使う気が無かった。必要無いと感じれば、誰だって使わないだろ?」
「でもあたしは序列5位。その実力は予想が出来ていたはず。普通ならここで最初から本気でやるって皆考える」
「あんたの言う皆の中には、俺という存在は当てはまらない。そもそもの話で、俺には序列なんてどうでも良い。人には人の数だけの戦い方、スタイルがある。それを踏まえた上で、俺はお前のスタイルを見極めてたに過ぎない」
「それはあたしの容姿だけで、戦闘スタイルまでも見極めたって事?」
「簡単に言えばそうだな。あんたの体格、身長……見える限り、知る限りの情報で割り出す必要が……なんだその目」
彼が話している間、あたしはじーっと疑念の込められた視線を送っていた。その事に気付いた彼は、言葉を切ってそう問い掛けてきた。
だがこれはあたしでもなく、誰でも疑念を抱くのではないだろうか。そんな事を考えつつも、あたしは彼に向かって一言言うのであった。
「……変態」
「仕方ないだろ?あんたの事は知らなかったんだから。それに戦いにおいて情報は戦闘能力以上に意味を持つ時がある。持っていて損は無いし、咎められる筋合いは無い」
「じゃあ聞くけど、身長、体格から割り出した事の中にあたしの個人情報が無いと言える?」
「…………」
「――ケルベロス」
カチャリと彼の眉間に銃口を向ける。あたしの行動に驚いたのか、それとも予想通りの展開だったのかは分からない。だけど彼は眉一つ動かさずに、言ってはならない事を言うのであった。
「あぁなるほど。負けた時の悔しさか分からんが、焼け食いして体重が増えた。と……」
「命乞いはそれで良い?」
あたしはそう言って、銃のトリガーを引くのであった。翌日、彼から伝わったのか。咲からお菓子の制限通知が来た事は、あたしの憂鬱の種となった――。




