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まもなく、電車が通過します。

作者: 六条菜々子

 その子が同じ電車に乗っていると気が付いたのは、ほんの少し前の事だった。

 いつのころからだろうか。気づいた時には、今日はどこの席だろうかと目で追うようになっていた。知っていることと言えば、降りる駅が一つ違いだということと、乗る位置がいつも同じということくらいである。

 彼女は本を読むことが好きらしく、電車に乗っている時にはいつも読書をしていた。

 そして先週、俺は彼女の名字が桜葉だという情報を手に入れた。彼女が友達と話しているところを、偶然耳にしたのである。だからと言って何が変わるのか、という話ではあるが、彼女のことを少しでも知りたいと思っていた俺にとって、その情報はとても価値があった。

 毎日、同じ電車に乗り通学するだけであったが、彼女のことをほんの一瞬でも見ることができるだけで、俺は幸せだった。

 だが、俺は日を重ねるごとに、彼女のことをもっとよく知りたいと思うようになっていた。だからと言って、彼女に声をかけるなどということは、人と接することが少し苦手な俺には出来なかった。


「おはよう」

「おお、努か。おはよう」

 俺が自分の教室に入ると、そこには生駒祐樹がいた。祐樹とは、中学のころからの付き合いがあり、俺の数少ない友達の一人である。

「相変わらずだな。もう十月だっていうのに、テンションが低いぞ」

「それがどうした。別にいいだろう、俺はいつもと同じだ」

 祐樹は、俺とは正反対の性格の持ち主だ。だが、そこが嫌いにならないところでもあった。基本的に感情が表に出ないのが俺の欠点であるが、祐樹はすぐにわかってしまうほどに感情が出る。自分とは違ったものを持っているということを、羨ましく思っているのかもしれない。

「そんなお前に、ある情報を教えてやろう」

「ある情報?」

「気になるか?」

「まあ、多少は」

 祐樹が本題に入る前に一呼吸置くときは、たいして話が長くないときである。もう五年以上の付き合いだから分かることだが、こいつはこの癖のせいで損をしていると思われる。これは、主に恋愛的な意味である。

「では教えてやろう…。今日の一時間目に席替えをするらしい」

「話はそれだけか?」

「そうだな」

 祐樹がそういうことを確認したのち、俺はそっとその場を去った。後ろで何かを言われているような気がしたが、それは気のせいだと思うことにした。


 祐樹の情報通り、一時間目は席替えの時間となった。担任教諭が担当の科目だったので、その通りになってもおかしくはないだろうと思っていたが、本当にその通りになるとは思っていなかった。

「俺の言った通りだろう」

「そうなったな」

 祐樹が自慢げに話しているので、その情報をどこから仕入れたのかを追求することは、やめることにした。


 席替えは、くじ引きで行われた。みんながくじを引いている間に、担任教諭が黒板に座席表を書き、数字で埋めていった。

「あまり変わらないなあ」

 祐樹は、席替えの結果にあまり満足していないみたいだ。番号を見てみると、今の席から一つ前に移動するだけのようだ。

「努はどこだ?」

 俺は自分の指を新しい席の方へと向けた。その瞬間、祐樹の表情が沈んでいくのが見えたような気がした。

「一番後ろの席だ」

「本当か?」

 やはり、祐樹はとても分かりやすい。心の底から悔しそうな顔をしていたからだ。

 特にこれといったメリットがあるのかは分からないが、後ろの席が人気なのは、もはや常識となっている。強いて言うならば、授業中に内職をしやすいというところだろうか。

「努の隣の席の子は誰だろうな」

「どうしてお前が気にする?」

「可愛い子だったら、羨ましいじゃないか」

 実に祐樹らしい理由だったので、俺は思わず笑ってしまった。


 他の学校ではどうなっているのかを知らないが、この学校では座席の列が男女の順になっている。つまり、隣の席は必ず女子になるのだ。

 隣に誰が来てもいいが、出来れば落ち着いた子がいいな。前回の席替えでは、隣の席がとてもおしゃべりが好きな子で、授業中もずっと話しかけられたため、ひどい目にあっている。俺は普通の子でいいのだ。落ち着いていて優しい感じの子を望んでいるだけなのである。

「ずっと一人でぼそぼそ喋っているね」

「え?」

 知らないうちに、隣の席に女子が座っていた。

「毎日、そんな感じなの?」

「いや、別にそういうわけじゃないよ」

 何だか誤解をされているみたいだが、別に気にするほどのものではなかった。

「そうなの。じゃあ、これからしばらくよろしくね」

「こちらこそ」

 隣に来たのは、小早川真奈で顔なじみだった。顔は可愛いのだが、性格に難がある。いわゆる、黙っていれば可愛いタイプである。

「せっかく隣同士になったから、仲良くしようね」

「そうだな」

 別に嫌いなタイプではなかった。少々話すのが好きな女の子である。さっきまで隣だった子と比べると、とても落ち着いている方である。

 これで、冬休みまでは落ち着いた学校生活が送れそうだな。


 やがて二時間目が始まり、俺は黒板をノートに写していた。いつも通り、黙々と作業を進めていたのだが、何だか隣が騒がしかった。

「ねえねえ」

「……」

 しばらく無視を続けると、やがて飽きるだろうと思っていたのだが、小早川は別の方法で俺に話しかけてきた。

「…ん?」

 何を思ったのか、小早川は紙切れを机の上にのせてきたのだ。もしかしてと思い、その紙切れを広げてみると、そこにはこんなことが書かれてあった。

『ねえ、ずっと無視する気?』

 女の子らしい丸文字で書かれたその文章に、俺は少し驚いた。こんなものをもらったのは、何年ぶりだろうか。

 そのまま返すわけにもいかないので、俺はその下に文章を付け加えた。

『授業中だから仕方ないだろう』

 どういう風の吹き回しか、小早川はどうしても話したいらしい。先生には失礼だが、授業内容をしっかりと聞いていないといけない教科でもなかったため、俺は小早川に付き合うことにした。

『少しだけならいいぞ』

 ノートの端を破った紙で、俺はそう書いて小早川に渡した。すると、返事はすぐに帰ってきた。

『やった! じゃあ、藤村君って趣味とかあるの?』

『特には無いかな』

『遊びに出かけたりとかはしないの?』

『家族とならあるよ。たまに行く程度だけれど』

『彼女と行ったりしないの?』

 それは、唐突な質問だった。この流れなら、もしかするとこうなるかもしれないとは思っていたが、まさか小早川に聞かれるとは思っていなかったのである。

『彼女はいないぞ』

 そう書いて小早川に渡すと、広げた紙を見て、彼女はとても驚いていた。そんなに驚くようなことではないと思うのだが。

『でも、気になる子はいるよね?』

『まあ』

 それを渡した後で気が付いたが、そのことについては書くべきではなかった。

 小早川の方を見ると、不気味な笑みを浮かべていた。何かよからぬことを考えているようだ。


 二時間目が終わり、休憩時間となった。それとともに、小早川が俺の方に近寄ってきた。予想通りである。

「それで? 気になるお相手というのはどちら様?」

 これも予想通りの展開である。だからこそ、こうなることは避けたかったのである。しかし、今さら後悔しても遅いのである。このまま無視することはできないので、俺は仕方なく答えることにした。

「桜葉っていう、同学年の女子だよ」

「そうなの。まあ、あの子可愛いからね」

 小早川の言い方は、まるで古くからの友人のようなものだった。もしかして、二人は知り合いだったりするのだろうか。

「桜葉さんとは知り合いなの?」

「ううん。顔を知っている程度よ。女子の間では、結構有名人よ」

 俺はあまり知らなかったが、同学年の中で桜葉さんを知らない人はいないらしい。つまり、それほどに有名だということだ。そんなことは、今まで聞いたことも無かったので、少し驚いた。

俺は、電車がよく同じになるということも話した。

「桜葉さんと付き合いたいなとか思っているの?」

「いや、別にそういう事じゃないよ」

 桜葉さんと付き合うということを考えたことがなかった。そもそも、自然と目を追うようになっていたのは、先月くらいからで、恋人同士になるかどうかは、今まで想像すらしたことがなかった。

「じゃあ、このままずっと片想いのままでいいの?」

「え?」

 小早川の言葉に、俺は耳を疑った。

 俺は今、何と言われた。小早川は、俺の今の状態のことを片想いだといった。しかし、俺自身にはそんな感覚はなかった。むしろ、その反対だと思っていた。

「もしかして、気付いていないの?」

「何が」

「今の話を聞く限り、藤村君は桜葉さんのことが好きだとしか思えないのだけれど」

 小早川から放たれた言葉たちは、あまりにも衝撃的だった。俺がそのことに気付いていないだけなのだろうか。いや、気付かないようにしているだけなのだろうか。

「どうして、そう思う?」

「だって、毎日のように目で追っているでしょ?」

「うん」

「さらに、最近少し気になり始めている」

「そうだね」

「じゃあ、聞いている側はそう思うしかないよね」

 俺は、いつの間にか小早川の意見に納得していた。確かに言われてみれば、そう考えてもおかしくはないのである。

 ただし、このことはとても重要なものである。ほかの人に俺が桜葉さんの事を気になり始めている、などという情報が漏れた日には、どうなるか分からない。

「なあ、小早川」

「どうしたの?」

 俺の首元くらいの背丈しかない小早川を間近で見ると、何だか妹を見ているような感覚になり、少し戸惑ってしまった。妹の夏菜子は、俺と一歳年下なのである。

「このことは、誰にも言うなよ」

「うん。分かっているよ」

 小早川は、言われなくても分かっていると訴えるような顔をしていたが、この話はそれほどに秘密にしておかなければいけない事なのである。

「それで、初デートはいつ?」

「はい?」

 少し過程を飛ばし過ぎではないかと思ったが、小早川の顔は真剣だった。なぜ俺ではなく小早川の方がやる気になっているのかと聞きたかったが、話がそれてしまうのでやめることにした。

「一応言っておくけれど、付き合う前に二人でお出かけすることもデートっていうのよ?」

「そんなことは分かっているよ」

「まあ、冗談よ。そろそろ授業始まるよ?」

「そうだな」

 俺は自分の席に戻り、ノートを広げた。


 放課後になり、再確認も兼ねて小早川に桜葉さんの話を持ち掛けた。

「もう帰るのか?」

 小早川は、すでに帰る支度を終えていたようだった。

「ううん。どこかに寄り道して帰ろうかなと思っていたけれど。どうしたの?」

「いや、桜葉の事だけど……」

「そのことなら大丈夫。誰にも言っていないよ」

 小早川は、俺のする質問を知っているかのように話した。何でもお見通しということなのだろうか。それはそれで怖いような気もするが。

「そうか。それならいい」

「まあ、何かあったら言ってね」

 そういうと、小早川は足早に去っていった。


 次の日、学校へ行くためにいつもと同じように電車に乗った。次の駅で桜葉さんが乗ってくるのである。彼女を見るために、俺はいつの間にか早く起きるようになっていた。ほんの少し見ることが出来ただけでも、俺は満足していたのである。


学校につき、教室に行ってみると、小早川はすでに席についていた。

「おはよう。藤村君って案外朝は遅い方なのね」

「これくらいが普通だと思うけれど」

「まあいいわ。それじゃあ、桜葉さんの情報を教えてあげる」

「桜葉さんの?」

 俺は不思議に思った。なぜ小早川がそんなものを持っているのかということだ。やはり、仲がいいのだろうか。

「今から言うのは、私の情報網を駆使して手に入れた情報だからね。ありがたく聞きなさい」

「わかったよ」

「まず、これが一番重要だと思うのだけど、桜葉さんに彼氏はいませんでした」

「え、ほんとに?」

 俺はなぜか喜んでいた。心のどこかで、居なければいいと思っていたのだろうか。

「そして、桜葉さんの好きなことは、読書とお料理だそうです」

「そうなんだ」

 読書好きなことは知っていたが、まさか料理が好きだとは思わなかった。家で手伝いをしているのだろうか。

「あと、食べ物は麺類が好みみたいです」

「なるほど」

 桜葉さんの学食は、その影響なのかいつもラーメンなのだそうだ。

「運動系は苦手みたい。昨日の体育も見学していたからね」

「そうなのか」

 俺のクラスと桜葉さんのクラスは、合同で体育の授業が行われるため、小早川がチェックしてくれていたようだ。

「それにしても、よく昨日だけで調べられたな」

「実はね…桜葉さんと話したのは、昨日が初めてだったの」

「昔から仲がいいとかじゃないのか」

 俺は、てっきり桜葉さんと小早川は昔からの友達同士だと思っていた。だが、どうも違っていたようだ。

「全然だよ。昨日が初対面だよ。それでね、私は体育の授業中に思いついたわけよ」

「ほう」

「私も桜葉さんと一緒に見学すれば、話が自然とできるってね」

「なるほど」

 小早川の話から、昨日の行動を何となく想像してみると、昨日の放課後に俺が再度口止めした時には、すでにある程度の情報を握っていたことになる。要するに、すでに手遅れだったということだ。

「一番の収穫だったのは、昨日だけで桜葉さんとお友達になれたことかな」

「小早川…お前ってすごいな」

「今さら気が付いたの?」

 俺が知らなかった桜葉さんの情報を、小早川は昨日だけで調べてくれていた。それどころか、小早川は今までほとんど接点のなかった桜葉さんと、友達になっていたのである。

「あとね、桜葉さんって人付き合いが苦手みたいよ。だから、友達とかがほとんどいないらしいよ」

「だから、小早川とそんなに早く友達になれたのか」

「そうやって考えるの? やっぱり先は長いかな……」

「どういう意味だ」

 小早川は、まるで子どもを心配するような目で、俺のことを見ていた。とても複雑な気分である。

「そして、これが一番伝えたかったことなのだけれど、今日のお昼休みに一緒にご飯を食べることになったの」

「そうなのか」

「だから、お昼休みは忘れずにここで待機しておいてね」

「え? 俺も行くのか?」

 まさかの展開に、俺は驚いてしまった。今まで遠くから見ているだけだった桜葉さんと一緒に、昼ご飯を食べることになっていたのである。これは、事件である。

「当たり前じゃない。話したことないのよね?」

「……うん」

「じゃあ来なさいよ。せっかく機会を作ったのに、本人同士が来ないと意味がないわ」

「でも……」

 あと数時間後に桜葉さんとご飯を一緒に食べる…。そのことを想像しただけで、足が震えだした。まだ、心の準備が出来ていないのである。

「そんなこと言っていたら、いつまで経ってもお付き合いは出来ないよ?」

「それでもいいよ。ずっと遠くから見ているだけで」

 俺のその言葉に、小早川はため息で返事をした。本心を言っているだけだから、別に問題はないと思うのだが。

「そう思っていてもいいから、とりあえず来なさい」

「……わかりました」

 俺は、小早川に説得され、昼休みのことを承諾してしまった。まさか、小早川に話した次の日に、こんなことになるとは考えてもいなかった。



 昼休みが、こんなにも緊張するものだとは知らなかった。ただの休憩時間であり、なおかつ昼ご飯を食べる時間でもある。しかし、今日は意味が少し違うのだ。

 遠い存在―手の届く場所にはいないと思っていた桜葉さんと過ごすのである。緊張しないはずがない。


 桜葉さんと話をして帰ってきた小早川は、とてもうれしそうな顔をしていた。予定通り、一緒に昼ご飯を食べることができるようだ。

「さあ、行きましょう。桜葉さんは、屋上で先に待っているらしいから」

「……俺が行ってもいいのかな」

 俺は不安だった。初対面の人といきなり食事をすることに、桜葉さんは抵抗を感じていないだろうか。もしかすると、小早川が無理を言ったのではないか。いろいろなことを考えてしまうのである。

「いいに決まっているでしょう。桜葉さんも是非と言ってくれているから」

「それなら大丈夫かな」

 つくづく実感した。俺は、とんでもなく臆病者だということを。


 屋上に上がると、ベンチに掛けている桜葉さんがいた。

 季節も秋になり、少し肌寒いせいなのか、屋上には俺たちのほかには誰もいなかった。めったにこの場所は使わないが、こういう時にはうってつけの場所であることを知った。

「ごめんお待たせ。待ったかな?」

「いいえ、大丈夫ですよ」

 俺はあっけにとられていた。目の前に桜葉さんがいるという状況を、上手くのみこめていなかった。いや、信じられなかったのである。

「どうも……初めまして。桜葉心音です」

 なぜ、こんなにも可愛いのだろうか。腰にかかるまで伸びた髪は、さらさらと風になびいていた。彼女の瞳に、俺は吸い込まれそうだった。

「ちょっと、藤村君?」

「あ、ああ。どうも藤村努です」

 小早川に促され、俺は自分の名前を伝えた。

 言葉を出すことさえも忘れるほどに、桜葉さんに見惚れてしまっていた。これはもはや、病的である。自分でもそう気づいているのだが、治療法はなさそうである。

「もうお昼ご飯にしましょう。二人とも、お腹がすいているでしょう?」

「それもそうですね」

 お昼ご飯を三人で食べている間も、俺はあまり桜葉さんと話すことは出来なかったが、こんなに近くで一緒に過ごせることが、何よりもうれしかった。


 こうして俺は、電車の中で遠くから見るだけの存在だった桜葉さんと、初めて言葉を交わすことが出来た。そして、桜葉さんとの距離が少し縮まったような気がした。


 家に帰ると、俺は小早川に感謝を伝えるため、電話を掛けることにした。何かあった時の為にと、小早川は家の電話番号を紙に書いて渡してくれたのだ。

「……もしもし、小早川さんのお宅でしょうか?」

「あ、もしかして藤村君?」

 電話に出たのは、小早川本人だった。てっきり母親が出るものだと思って、少し緊張しながら掛けたというのに。

「たいしたことではないのだけれど……ありがとう。いろいろと」

「何よ、急にかしこまって」

「いや、電車の中で見ているだけだった桜葉さんと一緒に話せるようになったのは、小早川のおかげだから。感謝せずにはいられないよ」

「別にいいよ。私は、藤村君の片想いが実ればいいだけだから」

「本当にありがとう」

 実際、小早川の手助けがなければ、このまま見ているだけだったと思う。俺一人だけの力では、無理な話だったのだ。

「分かったわよ。話はそれだけ?」

「うん」

「じゃあ、切るね」

「ああ。また明日な」

 俺がそういうと、受話器からは通話の切れた音がした。それを確認すると、俺はそっと受話器を置いた。

 最後の小早川の声は、どこか寂し気な雰囲気だった。まあ、気のせいだとは思うけれど。


 それからはしばらくの間、三人で昼休みを過ごす日々が続いた。最初のころは緊張の連続だったが、次第に慣れていき、桜葉さんと気軽に話せるようになっていた。

 そんなある日、小早川がこんなことを言い始めた。

「そろそろ、二人でお昼ご飯食べたらいいよ。うん、その方がいい」

「どうして?」

 もちろん、桜葉さんと二人きりになれることは、とてもいいことだ。しかし、桜葉さんはどうなのだろう。二人きりになることに、抵抗を感じないのだろうか。

「だって、藤村君が桜葉さんとお付き合いするのが、計画の最終目標なのよ?」

 言われてみれば、その通りであった。桜葉さんと仲良くなるだけが、俺の目標ではなかった。恋人同士になることが、目標だった。

 初対面の時まで、自分の本当の気持ちを無視し続けていたが、俺は桜葉さんと付き合いたい。今は、そう思えるのだ。

「わかった。今日は、桜葉さんと二人で過ごすよ」

「じゃあ、私は友達と学食にでも行くね。それじゃあね」

 少し急ぎ気味で、小早川は教室から出ていった。ずっと昼休みは三人だったため、何だか寂しい気もするが、今が変わるときなのかもしれない。そう思い、俺は屋上へと向かった。


 屋上に上がると、そこにはいつものように桜葉さんの姿があった。桜葉さんが俺に気付き、手を振った。しかし、いつもとは違う事に気が付いたのか、手を振ることをやめた。

「小早川さんは来ないのですか?」

「うん。今日は、友達と学食に行くらしいよ」

 俺がそういうと、桜葉さんの表情が少しこわばった。やはり、いきなりこういうことをするのは、まずかったのだろうか。

「じゃあ、お昼ご飯にしましょうか」

「うん」

 桜葉さんに対して、俺はいつもと同じように振る舞うことが出来なかった。二人だけで話すということも理由の一つではあったが、やはり小早川の存在が大きかったのだろう。しかし、このままだと小早川が二人きりにしてくれた意味がないのである。

 そして、この雰囲気を何とかしようと思っていた俺は、あることを思いついた。

「桜葉さんって、お出かけとか好き?」

 これが、今の俺にできる精いっぱいの努力だった。言葉を発した後、自分の脈が速くなっていることに気付いた。

「好きですよ」

「……一緒に、どこか行きませんか」

 緊張の連続だった。もう、頭がどうにかなりそうだった。

 いつの間にか、無意識に顔を下に向けてしまっていた。桜葉さんの顔を見ることが、出来なかったのである。

 もしかして、桜葉さんに嫌われてしまっただろうか。そんなことを考えてしまったのだ。

「いいですね。どこに行きましょうか」

 俺は、聞き間違えたのかと思った。あまりの緊張のせいで、頭がおかしくなったのかと考えたのである。しかし、顔を上にあげると、そこには桜葉さんの柔らかな笑顔が見えたのだ。

「本当ですか。本当に俺でいいですか?」

「私には、断る理由が見つかりませんよ。むしろ、私でいいのですか?」

「良いから、誘っています」

今にも、顔から火が出そうだった。自分の顔が真っ赤になっていることに気が付くくらい、熱くなっていた。

「わかりました。もう時間がないので、とりあえず、ここにお電話くださいね。これは、私の家の電話番号です」

 桜葉さんはそういうと、移動教室なので失礼しますと言って、教室へと戻っていった。

 あっという間に時間が過ぎていったが、俺にとって今日の昼休みは、大きく前進できた時間でもあったと思う。


「あれ? 藤村君じゃないの」

 放課後、帰りの電車に乗ろうと学校近くの駅に行くと、ホームに小早川がいた。

 本当は桜葉さんと一緒に帰りたかったのだが、今日は委員会の集まりで遅くなるからと断られたのだ。

「小早川か」

「うん。桜葉さんとは、上手くいったの?」

「え?」

 小早川は、今日俺がしたことを、すべて知っているかのような言い方をした。不思議に思ったが、彼女は笑いながらこう言った。

「そろそろ、デートに誘うころじゃないかなって思っていたの。その様子だと、上手くいったみたいね」

 そこで、俺は気が付いてしまった。小早川には、俺の考えていることが筒抜けのようだ。

「何とか、成功したみたいだよ」

 俺は、昼休みにもらった桜葉さんの家の電話番号を見せながら言った。まさか、ここまでうまくいくとは思っていなかったのである。

「デートの日がいつかは知らないけれど、変なことはしないようにね」

「そんなことは分かっているよ」

「じゃあ、私からは最後のアドバイスをしてあげる」

「最後の?」

 桜葉さんと、少しでも距離を短くしようと、小早川と二人で考えたこの計画は、すべて小早川のアドバイスがあったからこそ、ここまで来たのである。だからこそ、最後という言葉が引っ掛かっていた。

「そう、これが最後よ。だって、あんまり二人でいると、桜葉さんに勘違いされるかもしれないでしょう? それに、もう電話も禁止ね」

「わかったよ。小早川先生の言うことは、聞いておかないといけないな」

「じゃあ、始めるね。一つ目、デート中は桜葉さんのことをきちんと見ておくこと。二つ目、別行動は禁止。三つ目、桜葉さんの意見を尊重すること。どこかに行くってなったときは、必ず桜葉さんに行きたいところはないかを聞くのよ? 四つ目、デートをしている最中に、最低三回くらいは手をつなぐこと。たったこの四つを守れば、藤村君なら上手くできるはずよ」

「分かったよ、小早川。ありがとう、本当に」

「いいのよ。気にしないでね。私が勝手にしていることだから」

 ありがとうという言葉では、感謝しきれないくらいに小早川にはお世話になった。彼女がいなければ、俺は今ごろどうなっていたのだろうか。多分、電車の中で桜葉さんのことを見ているだけだったのだろう。

「でも、小早川はどうしてここまでしてくれるの?」

 考えてみれば、いくら小早川の気まぐれだったとしても、普通ここまでしてくれるのだろうか。大きな接点といえば、席が隣同士なことくらいである。

「……ただ、面白そうって思ったからかな。ほら、恋愛ドラマを一から作り上げたような、今はそんな気分なのよ」

「俺は、小早川の中の役者っていう事かな」

「そうだね」

 俺は知らず知らずのうちに、小早川にいいように操られていたということだ。なんてよくできた話なのだろうか。

「今度、この借りは返すよ」

「別にいいよ」

『まもなく、二番線を電車が通過します。ご注意ください』

 小早川と話していると、駅のアナウンスが響いた。特急電車の通過を注意するものだ。

「でも、必ず返すから」

「そう? じゃあ、お礼に何をしてもらおうかな」

「何でもいいよ」

 俺がそういうと、特急電車が近づいてくる音が聞こえてきた。しかし、その瞬間小早川は何を思ったのか、俺の両手を包むように握った。

特急電車が通過していくとともに、小早川は注意して聞かないと聞こえないくらいの声でこう言った。

「お礼なんていいよ。デート、頑張ってね」

 あまりにも一瞬の出来事に、俺はしばらく何が起きたのかが分からなかった。しかし、小早川はそんな俺を置いて、一番線の方へと消えていった。



「……あ、もしもし。桜葉さんのお宅でしょうか?」

「はい。どちら様?」

 家に帰り、桜葉さんと約束をしようと電話と掛けると、桜葉さんの母親につながった。

「桜葉真奈さんの友達の藤村努と申します」

「あら、そうですか。少し待っていてくださいね」

 しばらくすると、電話越しに階段から降りてくる足音が聞こえてきた。桜葉さんが来たようだ。

「すみません。お待たせしました」

「いえいえ、こっちこそご飯時にごめんね」

 俺はいつ桜葉さんに電話を掛けようかと悩んでいると、気が付いたら夜の七時を回っていたのだ。

「お昼休みのこと……ですよね」

「うん。今週の日曜日にしようと思っているのだけど、大丈夫かな?」

「はい。大丈夫ですよ」

 その言葉を聞いた瞬間、緊張がほぐれてしまった。昼休みには歓迎するような感じだったけれど、時間が経ったら気が変わってしまうのではないかと不安だったのである。大丈夫という言葉が聞けて、一安心である。

「それじゃあ、今週の日曜10時に津沢駅の改札口で待ち合わせでもいい?」

「分かりました。じゃあ、日曜日楽しみにしていますね」

「ありがとう。また明日」

「はい」

 俺は、とうとう桜葉さんとデートの約束をしてしまった。それも、明後日のことである。明日の授業をまともに受けることが出来るのか心配である。しかし、それ以上に桜葉さんとのデートが楽しみで仕方がなかった。



 桜葉さんとのデートの日がやってきた。今日が楽しみで、結局一睡もできなかった。しかし、不思議なことにあくびは出なかった。

 予定の15分前に集合すること、という小早川がよく使っていた言いつけを守り、俺は津沢駅に来ていた。この地域の主要駅とは言うものの、利用者は少ない。しかし、桜葉さんを見つけ出すとなると、話は別なのだ。

「あれ? 藤村君、もう来ていたのね」

「桜葉さん。気が付かなくてごめん」

 見つけ出すことは出来なかった。桜葉さんは、俺よりも早く津沢駅に来てくれていたようだ。複雑な気持ちにはなったが、とてもうれしかった。

「いいよ。今日はどこに行くの?」

「今日は、書店巡りをしようかと思うのだけど、それでいいかな?」

「本当に? もちろん大歓迎だよ」

 俺は、桜葉さんが読書好きだということを知っていたので、津沢近辺の本屋を大小関係なく調べていた。めったに行かない、図書室の司書係の人に聞いてみたのである。案外いろいろと教えてくれたので、とても助かったのだ。

「それじゃあ、行きましょうか」

「そうですね」

 今しかないと思い、俺はあくまでもさり気なく、桜葉さんの手を握った。


「今日は、本当にありがとうございました。行ったことのない本屋ばかりで、とても楽しかったです」

「そんなお礼なんていらないですよ。良かったら、またお出かけしませんか」

「いいですよ。また、行きましょうね」

 桜葉さんは、少し用事があるのでと言って、目の前からいなくなっていった。

 せっかくだからと、本についていろいろなことを教えてもらったけれど、その時の桜葉さんの楽しそうな顔が忘れられない。

 ここにいるのも寒いので、俺は家に帰ることにした。



 それからは、ほとんどの時間を桜葉さんと過ごした。初デートから数日後には登下校を一緒にするようになり、休み時間に二人で会うことも増えていった。学校の定期テストの時期と重なり、デートをすることは出来なかったが、お互いの家に行き、勉強会をすることもあった。

 時間はあっという間に過ぎていき、気付くと雪が降り始めるようになっていた。もう12月だった。

 そんなある日のこと、俺は桜葉さんと再びデートに誘うことにした。そして、自分の今の気持ちを伝えることに決めた。

「桜葉さん、24日って空いていますか?」

「はい。あ、もしかしてデートですか?」

「うん。いいかな」

「もちろんですよ。待っていました」

 俺は思った。惚れ直すというのは、きっと今の状況を指して使う言葉なのだと。



 待ち合わせ場所は前回と同じ、時間は夜の6時に変えた。今度は、あえて夜にしたかったのである。

 俺には、どうしても桜葉さんに見せたい景色があった。そのためには、どうしても夜でないといけない理由があったのである。


 それは、2か月前の話だった。突然、小早川にこんな話を聞かされたのである。

「藤村君は、津沢の冬の伝説って知っているかな? このあたりの女子高校生ならほとんどの子が知っているのだけれど」

「冬の伝説? そんなこと聞いたことがない」

「それじゃあ、教えてあげる。津沢にはね、御宮山という山があるの。これは、知っているよね」

「うん」

「そこにね、クリスマスイヴに好きな人同士で登るの。もちろん、歩いてね。そして、夜の10時を回るときに、頂上にある展望台が特別にライトアップされるの。その横で、好きな人に想いを伝えると叶うっていう伝説があるの」

「全然知らなかった」


 そう。今の俺は、まさにこれを実行に移している最中なのである。街中を二人で歩くことも考えたが、せっかく桜葉さんと二人でいるのだから、出来るだけ二人だけで過ごしたいと思ったのだ。

「ごめん、遅くなっちゃった」

「いいですよ。早速行きましょうか」

 だが、いきなり山を登るというのも変な話なので、まずは津沢駅周辺のお店を回ることにした。桜葉さんは、このあたりにはあまり来ないらしく、とても楽しそうに店を渡り歩いていた。

 途中、レストランで食事をとった。それなりに値は張ったが、桜葉さんが喜んでくれるなら、何ら問題はない。

「じゃあ、桜葉さん。そろそろ移動しましょうか」

「そうですね」

 まだまだお店巡りをしてもよかったのだが、時刻はもう9時を回っており、そろそろ御宮山へ向かわなければいけなかったのだ。

「どこへ行くのですか? 駅からは離れていきますけど」

「まだ秘密です」

 俺は、桜葉さんに山へ登るということは伝えていなかった。伝えてしまうと、調べられてしまうと思ったからだ。


 他愛のない話を続けながら、しばらく歩いていると、御宮山の入口へとたどり着いた。

御宮山は141メートルある山で、歴史的な背景もあり、小学校の遠足などにも使われている。しかし、この山で今日だけライトアップされるなどという話は、小早川がいなければ知らずに過ごしていたかもしれない。

「では、桜葉さん。登りましょうか」

「え? 今から……ですか?」

 桜葉さんは、とても驚いた顔をしていた。それもそのはずだ。デート中に山登りをしようなどと、誰が言うのだろうか。


 運動が苦手な桜葉さんだったが、ゆっくりと登ったおかげか、10時前には、頂上に着くことが出来た。

「桜葉さん、着きましたよ」

「そうですか……すごい! 津沢の夜景が一面に見えますよ!」

 桜葉さんは、展望台の下にあるウッドデッキに体を乗せるようにして見ていた。あまりの綺麗さに、疲れがどこかへ飛んでしまったのだろうか。桜葉さんは、夜景にくぎ付けだった。

 時計を見ると、もうすぐ10時になろうとしていた。タイミングは今しかなかった。

「桜葉さん、ちょっと来てもらえますか?」

「どうしました?」

 可愛らしくマフラーを巻いている桜葉さんが、俺の方へと近づいてきた。緊張の度合いは、今まで経験した中で一番のものだった。俺は、桜葉さんと目を合わせた。

ここまでのことは、ほんの一瞬の出来事だったが、永遠に続くような、不思議な感覚を持っていた。

「お話があります」

「はい」

「実は、桜葉さんとこうして話すようになる前から、好きでした。そのことを、自分でも認められるようになったのは、本当に最近だけれど、俺は桜葉さんのことが好きです」

 それから、しばらく静かな時間が流れ、やがて10時になった。小早川の話の通りに、御宮山展望台はライトアップされた。

 そのことを確認した俺は、勇気を振り絞り、最後の一言を伝えた。

「俺と付き合ってくれませんか」

 そういって手を出すと、桜葉さんはすぐに握り返してくれた。

「いいですよ。私も藤村君のことが、好きです」

 ライトアップのせいだろうか、桜葉さんの目からは涙が流れているように見えた。

「これからは、敬語はなしだから」

「わかったよ。じゃあ、上の名前で呼ぶのもなしだからね」

 俺たちは、互いの存在を確かめ合うかのように、優しく抱き合った。

 桜葉さん―いや、真奈は少しだけ涙声で答えた。やはり、泣いていたのである。

「これからもずっと、よろしくね」

「こちらこそ」


 今までで、一番のクリスマスイヴを過ごすことが出来た。俺は、そう確信した。

 これからも彼女のことを幸せにできるように、頑張ろうと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言]  小早川さんが主人公のことをどう思っていたのかを想像しました。
2019/02/15 22:29 退会済み
管理
[良い点] 主人公気づいていて受け入れてのハッピーエンド。 [気になる点] 小早川=桜葉トリックの粗さ。入れ替わりか代役か、主人公の認識を伏せた叙述トリックだったのかはっきりしなかった。どれでも話が通…
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