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裏小道  作者: miya
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二. 空き巣





             1




 小雪の家政婦としての仕事の基本は、藤ノ目の身の回りの世話が中心だ。炊事、洗濯はもちろんのこと、屋敷へやってくる客人をもてなすのも業務の一つ。といっても、客人らしい客人など今の今まで来たことはなく、ほとんどが近所に住む老夫婦だったり行きつけの店のものだったりと、大抵が顔なじみだ。あとは、週に一度、都市部の方の出版社から藤ノ目の担当編集者である亀山という三十路過ぎの男が原稿の進み具合を確認しにやってくるが、この男がどうにも面倒で、藤ノ目はもちろんのこと小雪も、そして屋敷に住む妖たちからも毛嫌いされていた。身に付けている洋服はいつでも有名どころの一張羅で、足は先端のとがった今流行りの革靴、仕事に関する書類やらなにやらを詰めた鞄は洋服と同じ銘柄のこれまたお高いもので、それをこれ見よがしに手にしながら屋敷までの道のりを歩いて来るのだ。都心から遠く離れた田舎町では大層目立つことだし、嫌味に思われているだろう。

 そんな亀山が来訪することを前日、電話にて知らされていた小雪は茶菓子を用意しながらため息をついた。彼は存在だけでなく、口を開いても余計なことを口走ったり、仕事とは関係のない自慢話を延々と続ける癖があった。どうせ今日も長く居座るに違いない、そう考えるとこの時ばかりは家政婦を辞めたい、と思わざるを得ないのだ。


「げぇっ、嫌な臭いが近づいてきやがった」


 小雪を手伝い、玄関先の掃除をしていた雷蔵が鼻をひくつかせるとその顔を思い切り歪ませた。作業を終え外の物置に清掃用具をしまい、その足で屋敷の門から半身を乗り出すと数百メートル先に見える人影を見据えまた鼻を利かせる。さすがは山犬、と言ったところだろうか、こちらへ歩いて来るその人物が誰か、わざわざ顔を確認せずとも分かった。


「お嬢。亀川の野郎すぐそこまで来てるぜ」

「もう雷蔵、亀川じゃなくて亀山だよ。それと一応お客さんなんだから敬わないと」


 台所へ駈け込むや否や不機嫌さを丸出しにする雷蔵に苦笑いを向けるも小雪も思いは同じであった。だが客を出迎える立場の人間がこれではいけない、首を振っては邪念を払い脳を切り替えるために一つ深呼吸をする。お茶は昨日の昼に買った新しい茶葉がある、一緒に出す菓子も藤ノ目が好んで食べる最中を用意したし、準備は万端だ。亀山がやってきたらそれを出迎え、藤ノ目の部屋へと通し二人分の茶菓子をもっていく。その後は長いだろうが、呼ばれるまではこちらがすることはなにもない。亀山が帰るまでに他の雑務をこなしていよう。一通りの流れを脳内で想定すると、心なしか少しの余裕が出た。


 と、その時。玄関の引き戸が音を立てた。どうやら来たようだ。


「御免ください、呉羽くれは出版の亀山ですが」

「はーい、ただいま!」


 出迎える間際、小雪は思い出した様にくるりと雷蔵を振り返ると「大人しくしててね」と釘を刺した。子供扱いはよせと彼が反論する間もなく台所から出ていくと、玄関へと足を進める。入口で手を揃えて待つ男は今日もよく手入れのされた一張羅を見に纏い、これまた綺麗に分けられた七三を整髪料で輝かせていた。亀山は現れた小雪を見るなり、つり目がちの瞳を細め綺麗にお辞儀する。


「これはこれは小雪さん、今日も本当にお綺麗で」

「え? あ……はぁ、どうも」

「私がもう少し、あと五つ六つ若かったら堂々と食事に誘えたでしょうねぇ、なんて。あっはっは!」


 年が近かろうが遠かろうが、あんたとの食事なんか心底ごめんだ。勿論そんな事は口が裂けても言えるわけがなく、肩を揺らし豪快に笑う亀山に小雪はひとまず愛想笑いを返しその場をごまかす。するとそこへ、笑い声を聞きつけて部屋を出てきたらしい藤ノ目がやってくると亀山へと会釈した。こちらはこちらで、相変わらず寝癖頭に無精ひげの貧乏姿だ。


「やぁ亀山くん。今日も時間ぴったりだね」

「先生、もしかして今起きたばかりってことはないですよね?」


 嫌味ったらしく亀山が問う。普段小雪から見た目に関して特に指摘されることはない(というよりも幼い頃から見慣れているからだろう)藤ノ目も流石に直球で言われると気にするのか、苦笑いを浮かべつつ毛先が跳ねている箇所を手で押さえた。


「私は亀山くんのように若くないし……あまり外にも出ないからね」

「先生、そんなんじゃあいけませんよ。たまには散歩でもして陽の光を浴びないと、見た目も老けるどころか執筆にも支障が出ます。毎度毎度締め切りを伸ばされるようじゃあ私の懐にも影響するってもんで……」

「……やれやれ、普通担当というものは作家の筆が進むように手助けするもんなんじゃないのかな」


 ぼそり、と小言を漏らす藤ノ目を小雪は見逃さなかった。どうでもいいがここで立ち話を続けられると困る、「とりあえず続きは先生のお部屋で」と笑顔を向ければ亀山は頷き、藤ノ目と共に彼の部屋へと向かっていった。第一難関はひとまず突破だ、既に疲れの色を滲ませながら小雪が台所へ向かうと、そこには黒坊主がいた。片手には湯気を上げる淹れたてのお茶と、もう片手には食べかけの最中がある。


 ──小雪の大きな目が、一際大きく見開かれた。


「あぁーっ!黒坊主さんそのお菓子!」

「ん?ああこれか? そこにあったから貰ったぞ」

「それ先生と亀山さんにお出しするものですよ!二つとも食べちゃったんですか?!」

「そこにあったからな。なんだまたあの人間が来ているのか、毎度毎度(こう)が強くてたまったもんじゃない」


 どうやら黒坊主にも好かれていないらしい亀山だった。しかし小雪はそれどころではない、折角用意した茶菓子を二つとも食べられてしまったのだ。雷蔵がいたならば、こんなことには……。


「雷蔵……どこ行っちゃったのよ……」

「なにを言っておる、御前が大人しくしていろと奴に言ったんだろう?」

「それはそうですけど……。って、さっきからここにいたんですね?!」


 ……となると、茶菓子がなぜここに用意してあったか。その理由ももちろん知っているはずだ、なのに食べたという事はまたいつもの「いたずら」のつもりなのだろう。実際のところ、黒坊主の顔には反省の色など微塵も伺えず、むしろ楽しそうに口元は吊り上がっている。


「もう!何もこんな時にまで意地悪する事ないじゃないですか!」

「仕方ないだろう、あの人間はどうにもいけ好かないんだ」

「それは私だっておんなじですよ……!」

「まぁ落ち着け。茶菓子が出なければあやつも長居はせんだろう、追い出すきっかけを作ってやったまでさ」


 そう言い残すと黒坊主はその身を黒煙とし、逃げるようにその場から消え去る。煙が小雪の耳元を通り過ぎる際、してやったり、と聞こえたのは空耳ではないだろう。……また負けた。押し寄せる怒りを声にする事は出来ず、小雪は自らの服の裾を強く強く握り締めた。


 ──と、その一方で、藤ノ目の部屋でもひと問題起きていた。


「えぇっ、まだこれだけしか進んでないんですか?」


 締め切り間近の原稿を確認するためにやってきた亀山は、藤ノ目から渡された原稿用紙の束を見るなり目を丸くしがっくりと肩を落とした。元々筆の進みが遅いのは理解しているつもりだったが、差し出された量があまりにも少なく、内容も全くといっていいほど進んでいなかったのだ。担当の口から重いため息が続いて吐き出されると、藤ノ目はいたたまれず丸眼鏡の奥の瞳を宙へと逸らす。


「いやぁ、なんていうかその……」

「……先週来た時から数ページ、たったの数ページしか進んでいないんですよ!それとも、それ相応の言い訳があるって言うんですか?」


 きっ、と切れ長の瞳が細まると流石に威圧感が増すもので、藤ノ目は思わず背を逸らす。


「大体先生は作家としての自覚がなさすぎなんですよ!藤ノ目という名だけで作品の価値が上がると言うのに……その作品が出来上がらないんじゃ元も子もないじゃないですか!」


(どうしてこうにも文句を言う口ばかり達者なのか……)


 元はと言えば自分の怠慢のせいではあるが、こうもまくし立てられては進むものも進まなくなる。理不尽な思いを抱きながら視線を落とすと、正座をする亀山の足元に赤い小鬼の姿があった。小さなそれは藤ノ目がいじめられているとでも思ったのだろう、こちらもこちらで大きな一つ目を鋭くさせ亀山を睨みつけている。そして次の瞬間、鋭い歯が亀山の太ももにがぶり、と噛みつくと同時に「あいたっ」と小さな悲鳴が上がった。姿は見えないものの、痛みは感じるらしい。思わぬ援軍に藤ノ目は笑みをこぼす。


「おや、大丈夫かい?申し訳ないね、古い屋敷だからあちこちガタがきていて……畳が棘のように立っていて足に刺さったり、古びた柱が音を立てたり。これじゃあ集中して筆が進まないってもんで」

「……それが、毎度毎度締め切りを伸ばす理由、だと?」


 言い訳にもならない言葉だったらしい。亀山の表情は更に険しくなり、まさに鬼の形相だ。


 と、その時。扉の向こうから小雪の声がした。


「先生、お話中失礼します。お茶を出すのが遅れてしまって……」

「ああ小雪、良いところに来てくれた。亀山くん、少し休憩といこう」

「はぁ……」


 藤ノ目にとって天の救いだっただろう。亀山は若い小雪を気に入っているし、彼女と話すことで少しでも機嫌がよくなってくれればこれ以上の説教を聞くこともなくなる。それに昨日、小雪がお茶と共に出す最中を買っていたのを知っている。疲れた体には甘いものが一番と彼女のもつ盆を見上げると、そこは二人分の最中……ではなく、香ばしい匂いを放つ煎餅が用意されていた。一体どういうことだ、明らかに動揺の色を滲ませる瞳を小雪に向けると、彼女は申し訳なさそうに眉を落とした。


「すみません……もんなものしかなくて。その、近所のいたずらっ子にお菓子を盗まれてしまって」


 ──また黒坊主のしわざか。


 即座にそう理解した藤ノ目の表情が、先の亀山のように険しくなる。

 一方の亀山はというと、しおらしく肩を落とす小雪を気遣うように表情を崩しながら出された煎餅へ早速手を伸ばしていた。


「いや、この煎餅も中々美味いですよ小雪さん!」

「そうですか?なら良かったです」

「それにしても、どこの悪戯坊主ですかね。ここへ来る前も、近所で空き巣が入ったとかで、なんだか騒がしかったですよ」

「……空き巣?」


 初めて聞いた事柄に、藤ノ目と小雪は互いの顔を見合わせた。



 

             2




「君がここへ来る前ってことは……」


 事件の詳しい内容を聞こうと藤ノ目が口を開くと、亀山は記憶を辿りつつ言葉を続けた。


「ええ、ほんとについさっきのことで。ほら、立派な青果店があるでしょう?」

「ああ、久留米くるめさんか」


 藤ノ目邸から徒歩で十数分ほどの距離にあるその店は、ここ天華てんげ町で一番大きな直売農家の家庭だった。久留米という名は藤ノ目の家系と並ぶほどこの地域では知れた存在で、江戸時代の頃から多くの土地を持っており、豊かな自然の中で育てられた農作物は実も大きく味もしっかりとしていて住民から大変好かれていた。

 そんな店で突如起きた空き巣事件。時々酔っ払いの同士の喧嘩だ、どこどこのお宅の子供が帰ってこないなどの問題は起きる事はあるが、どれもすぐに解決するような事柄ばかりだった故に、今回のように犯罪の匂いがする案件はここ近年で初めてのようにも思える。


「それで犯人は見つかったのかい?」と藤ノ目。

「そこまでは私も……でも気になって、少し立ち止まって話を聞いてみたんですがね。どうやらその犯人、金品は盗まずに店の裏にあった野菜と果物全部もっていったらしいんですよ」

「全部?それって、仕入れていたもの……ってことですよね?」


 目を丸くする小雪に、亀山は小さく頷く。あれだけ大きな店だ、一日の仕入れ量にしたってかなりの量がある。それを全て盗んでいくなんて、どう考えても子供にできることではない。


「金を盗まず野菜を盗むなんて、よっぽど腹でも空かせていたんですかね?」

「転売目的、とか」


 冗談を口にする亀山に苦笑いをしつつ小雪が言うと、藤ノ目は「ありえるね」と続いた。自然災害や不安定な気象が当たり前のように起こる近年では、農家が痛手を喰らう事も少なくはなく、報道番組で野菜の価格高騰が報じられればよからぬ事を企む者が現れてもおかしくはないだろう。


「と、なると犯人は近隣の住民ですかね?」

「それを調べるのは警察の仕事だよ。我々が勝手な思い込みをしたところで騒ぎは収まらないし、むしろ悪くなる一方だろう」


 小さな田舎町では近所同士が助け合うことが言わずとも基本となっている。そんな中で互いが互いに不信感を抱いては状況は悪くなるばかり、それならば余計な関心を持たないのが一番だと、藤ノ目が言えば小雪は強く頷いた。一方で亀山はというと、知りたがりな性格からかその表情は何処か腑に落ちない様子が伺える。そんな彼を見た藤ノ目は、手を叩き強制的に話に区切りを付け、執筆に集中しなければ、との理由をつけて亀山をそそくさと追い返した。


「それにしても、犯人が分からないんじゃ少し怖いですね」


 煎餅の残りを手にしながら小雪が言うと、藤ノ目は「うーん……」と無精ひげを指でなぞった。


「でもうちには盗むようなものはないし、心配はいらないさ」

「それもそうですね、私がいなかったら今にここは廃屋になってるでしょうし」

「っおいおい、君ねぇ……」

「ふふ、すみません。冗談です」


 とはいえ、怠慢な藤ノ目が屋敷の掃除を毎日続けられるかと聞かれたら答えは「いいえ」だろう。小雪は家政婦としてここへやってきた頃の屋敷の中の景色を思い出すと一人くすくすと笑みをこぼす。


「……でもしばらくは、戸締りに気を付けるとしようか。いくらうちに妖怪が棲んでいるからといって、頼りになる奴ばかりじゃあないしね」


(人の好物を勝手に取っていくような奴がいるほどだし)


 声には出さないものの、いまだに黒坊主に茶菓子を喰われたことを根に持つ四十半ばの男であった。

 そして小雪は彼の言葉で先の台所事件を思い出したのか、すくっと立ち上がると壁に掛けてあった買い物袋を手にする。


「そうだ最中!先生、食べたかったですよね?」

「え?あ、あぁ……まぁね。もしかして買って来てくれるのかい?」

「だって、今日はただでさえ来客で疲れただろうし……あと、実家の方に顔を出して来ようかなって」


 小雪の実家は歩いて二、三十分のところにある。未解決の空き巣騒ぎが起きたとなると、多少なりとも家の者が心配になるのだろう。そんな彼女の胸中を察すれば、藤ノ目は頷かずにはいられなかった。


「そうだね、行っておいで。あぁ、でも一人は駄目だ。雷蔵をつれて行きなさい」

「雷蔵ならお昼から姿が見えないんですよ。だから黒坊主さんを見張る人もいなかったわけで……」

「なに?やれやれ、全くもって困った用心棒だよ」


 そう言いながらも、未だに姿の見えない雷蔵を二人は心の隅で心配する。亀山の事をよく思っていない雷蔵だが、いつもならうるさい存在が消えればすぐに戻ってくると言うのに。

 藤ノ目は湯のみの茶を全て飲み干すと、「なら私が一緒に行こう」と腰を上げた。先生が外に出るなんて、と驚く小雪であったが、一人で出歩くよりは心強いと思ったのか、すぐさま彼の上着を取りに向かった。


 しっかりと屋敷の門に錠を掛けてから歩くこと数分、日没近い商店街に夕日が差し込んでいた。いつもならば夕飯時の買い物客で賑わう様子が見て取れるものの、さすがに騒ぎがあった直後だからか、人通りが少なく活気もなかった。よく見れば聞き込みに勤しむ制服姿の警官の姿も見える。


「まだまだ捜査は初期段階、といったところか」

「そうですね、……雷蔵、ここにもいないなぁ」


 きょろきょろと周囲を見渡すが、見慣れた大きな体はどこにもいない。犬の姿さえ見えないことから、ここではない別の場所にいるのだろう。

 小さなため息をもらす小雪の背後から、エンジンの音が近づく。二人がゆっくりと振り返るとそこには運転席の後ろに荷台を付けた、四輪のオートバイがいた。それは横まで来ると動きを止める。


「小雪。珍しいな、先生とそろって外出か?」

藤次とうじくん」

「やぁ、こんにちは」


 ヘルメットを脱ぐとその下には小雪の幼なじみである秋吉藤次(あきよしとうじ)の顔があった。彼は小雪とは六つ離れた二七歳で、藤ノ目が愛してやまない最中を販売する老舗の和菓子屋の一人息子だ。栗毛色の短髪に白い鉢巻を巻き、「あきよし」と書かれた紺の法被を身に纏った姿を見ると、仕事中といったところだろう。


「藤次くんは配達中?」

「ああ。昼過ぎに久留米青果に空き巣が入ったらしくて、みんな外に出んのが嫌なんだろうな、いつにも増して配達の量が多くてさ」


 今ようやく最後の一軒に届けてきたところ、と当時は後ろの荷台を手でたたく。やはり噂が広まるのは早いらしい。


「それはご苦労様、うちも配達をお願いするべきだったかな」

「へへっ、お袋の言った通りだったな。これ、配達が終わったら最後に届けてこいって頼まれてたんですよ」


 笑いながらそう返す藤次は、バイクを降り荷台の上の収納箱を開ける。そこには包装紙に包まれた最中の箱があったのだ。藤ノ目の最中好きなもはや熟知されていることで、気を利かせたあきよしの女将が息子に持たせたらしい。

 紙袋に入れられたそれを受け取ると、先までいささか暗かった藤ノ目の表情が幼い子供のようにぱっと明るくなる。


「これは……なんとお礼を言ったらいいか。ああっとそうだ、代金を払わないと」

「いえ、これは日頃ご贔屓にしてもらってる感謝の気持ちってことでお袋が。新しくさくら餡を入れたのがあるんで、一番に先生に食べて欲しいって」

「良かったですね、先生」

「ああ、今度改めてお礼をさせてもらうよ。藤次くん、女将さんに宜しく伝えてくれるかい」

「もちろん、伝えておきますよ。それで……二人はどこまで?」

「私の実家に。空き巣があったこと、おばあちゃんの耳にも入れとかないとって思って」


 そう告げると藤次は心配そうに頷く。というのも、小雪の実家に暮らすのは彼女の祖母である千代、一人だけだ。両親である猛と麗子は小雪が中学に上がる頃、不慮の事故で他界。それからというもの、千代は女手ひとつで小雪を立派に育て上げてきたという。その傍らには藤ノ目はもちろん、同じく一人で藤次を育て上げた彼の母・美知みちの存在があったらしく、昔から強い結びつきがあった「家族」のような存在だ。こうしてお互いの近況を伝えることでいつでも駆けつけられるのだ。

 藤次と別れた後、あきよしに立ち寄る手間が省けた二人はまっすぐに雨木家へと向かった。商店街からまた十数分ほど歩くと、景色はがらりと変わり田舎町らしい木々や田んぼに囲まれた風景が広がる。その中に、小雪の実家はあった。

 到着するなり玄関の扉に手を掛けると、錠が開いていた。「ただいま」と小雪が声を上げると、すぐ脇の襖が開いて椿の刺繍が入った黒い着物を身に纏った千代が顔を覗かせる。


「小雪、先生も揃ってどうしたの?」

「ちょっと寄っただけ。そっか、今日お教室の日だったね」

「間が悪かったでしょうか」


 申し訳なさそうに藤ノ目が問うと、千代は首を振り「いいんですよ、もう終わったところだから」と二人に上がるよう手招きをする。週に一度はこうして顔を覗かせる小雪だが、藤ノ目は幾月かぶりに訪れる雨木家だった。どこか懐かしい空気を鼻から吸い込むと、心が落ち着く気がした。

 居間に入るなり小雪は昼間の空き巣事件のことを千代に話した。


「まぁ、久留米さんのお宅に?物騒になったもんだね」

「うん、それでまだ犯人は見つかっていないっていうから心配になって」

「あらあら、それはありがとうね。でも平気よ、うちは農家でもなんでもないし盗む価値のあるものなんてないじゃない」


 小雪が困った様に笑い藤ノ目を見ると、「みんな同じことを言うものさ」と彼は穏やかな笑みを返す。


「それよりも先生、小雪はご迷惑を掛けてないでしょうか」

「迷惑だなんてとんでもない。千代さんのご厚意がなかったら今頃うちの屋敷はごみ屋敷と化してますよ」

「もうおばあちゃん、私はちゃんとやってるっていつも言ってるのに」


 普段ならば年よりも幾分か大人びて見える小雪だが、実家に帰り親代わりの祖母と話せば自然とその言動は子供らしいものへと戻る。今もこうしてお節介だと言わんばかりに頬を膨らませる姿が垣間見え、藤ノ目の笑みは深まる一方だ。


「だって、ねぇ?あんたは昔っから勉強が出来たわけでもないし、これといった取り柄があるわけでもないし……」

「いいえ千代さん。小雪さんはよくやってくれてますよ、私にはない社交性が彼女にはあるし、家事を任せたら一人前だ。何より、飽きずに私の相手をしてくれる」


 こんなに立派に出来ているのは、千代さんのお陰なんですよ。そう言われて嬉しくない親はいないだろう、千代は言葉の代わりに満面の笑みを二人に向けた。小雪も小雪で、藤ノ目の言ってくれた言葉がほんの小さな恩返しになった気がして、胸元がぽかぽかと温かくなるようで、照れ臭そうに視線を庭へと向ける。


 ──……幼少の頃、よく遊んでいた庭だ。


 ふと脳裏に過る思い出にぼぅっとしていると、視界に一匹の犬が飛び込んできた。すると一気に目が覚め、あっと立ち上がる。


「雷蔵!こんなところにいたの!?」

「あら、知らなかったの?雷蔵ちゃん昼からずぅっとここにいたのよ」


 両親を亡くした直後から小雪の傍に付くようになった雷蔵は千代にとっても見慣れた存在だ(もちろん、犬の姿でしか会ったことは無いが)。それが当たり前のように雨木家へと来るもので、特に連絡もしなかったという。まさかこんなところで油を売っていたとは、安心した半面、なぜ一言も残さず出かけていったんだというわだかまりが小雪の中に生れると、庭の方へとずんずん歩いていき、両手で雷蔵の顔を包む。


「……もう、心配したんだよ雷蔵」


 雷蔵は何かを言いたげだったが、鳴き声ひとつ上げることなく固く口を閉ざしていた。


 雨木家で話しているうちに、すっかり辺りは暗くなっていた。今日はこっちに泊まっていくと良い、千代の言葉に先に応えたのは藤ノ目の方だった。普段は彼の屋敷に住み込みで働いている小雪を思ってのことだろう、彼女も空き巣があった日に祖母を一人残して帰るのは不安だったらしく、素直に頷いた。

 久々に口にする祖母の手料理、家の風呂、自分の部屋。全てに心を洗われた小雪は、藤次から貰った最中に舌鼓を打つ藤ノ目と千代を尻目に一人庭へと出た。蔵がある奥の方へ足を進めれば、死角となり居間から姿を見られることはない。


「お嬢」


 蔵の裏にある柿の木の下に雷蔵の姿があった、今は人の姿をしている。彼はちょいちょい、と小雪を手招きし木の下へと彼女を呼び寄せる。


「雷蔵、なんで一言も言わずに出かけたりしたのよ。あのあと黒坊主さんがまたいたずらして大変だったんだから」

「でも大人しくしてろって言ったのはお嬢だぜ、俺はそれに従ったまでだ」

「う……それは、そうだけど」

「だろ?でも心配かけたのは悪かったよ。こっちに来たのは、変な匂いがしたもんだったから」

「匂い?」


 やけに神妙な面持ちの雷蔵に、小雪の表情も曇る。

 ふと、雷蔵が着ていた着物の袂に手を入れると、そこからは大きく実を削り取られたと見える青林檎が取り出され、小雪は目を丸くした。それもおかしくはない、その林檎は昼間空き巣事件が起きた久留米青果店で売られているものだったのだから。





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