4話 反省と笑顔
「リリー、君がジーグルについて知っていることを教えてくれないか?」
「いいわ、教えてあげる。あの男の所業をね」
そう言って、リリーはジーグルについて語りだす。
それによると、リリーはジーグルから誘われて冒険者として臨時のチームを組んだらしい。
そして一度目は何事もなく依頼をこなし、ジーグルを信用しかけたところで、魔物との戦闘中に背後から突然押されたという。
魔物に襲われながらリリーが最後に見た光景は、口元に手を置いて笑いをかみ殺すジーグルの姿だった……ということだ。
「これがあの男のしたことよ。あたしはあいつの玩具にされたの……絶対に許さないわ」
そう語るリリーの目には、ジーグルへの抑えきれない激情がありありと窺えた。
話を聞き終えた僕は所見を述べる。
「人を裏切ることの快感に脳髄まで支配された男だね。心底哀れだ」
「そんな哀れな男に殺されたあたしはもっと哀れだけどね」
「それはその通りだろうね。……彼は色々と黒い噂が多い男だが、どうしてチームを組んだんだい?」
「他の町から来たばかりで、そんな噂を知らなかったのよ……。知っていたら絶対に組まなかったわ」
ふむ、情報収集不足だったということか。
「それで、エディルはどんな恨みがあるの?」
「ああ、僕の場合は森の中で偶然彼にあってね。『一人か?』と聞かれたから『ああ』と答えたら、ニヤリと笑って僕を殺しに来たよ。あれは驚いた。逃げ切れたのは運が良かったね」
「な、なによそれ……。狂ってるわ……」
「そうだねぇ。でも、そんな人間も一定数いるのは事実だ」
リリーは絶句する。
世の中はもっと綺麗なもので構成されていると思っていたのだろう、気持ちはわかる。
だが実際はどろどろとした汚泥を煮詰めたようなものだ。この世で綺麗なものなんて、パンツくらいしか僕は知らない。
「とりあえず、これから数日間でジーグルが今どうしているのかを探ってみようか」
僕の提案にリリーは正気を取り戻し、グッと拳を握る。
「今のあたしは透明だし、壁も通過できるし、そういうことには適してるのよね。よし、がんば―ー」
「いや、仮契約中の霊魂は術士の半径百メートル以内にいなければならないからな。君が常にジーグルを見張っているといったようなことは出来ない」
「……本当にあたし、何も出来ないのね」
がっくりと項垂れしまうリリー。
そんなリリーの救いの手になれるかはわからないが、リリーにもできることはある。
「いや、そんなことは決してないよ。君は僕の身体に憑依できるのさ」
僕は説明を続ける。
「術士が許可している間、霊魂は術士の身体の操作権を得る。つまり、この身体を自由に使える。しかもその間、身体能力や魔力量は憑依する霊魂の能力が適用されるという親切仕様さ」
これこそが死霊術士しか持つことのできないアイデンティティーの内の一つである。
「自慢じゃないけれど、僕は戦闘はからっきしでね。ジーグルに復讐したくても一人ではできなかった。でも、冒険者であった君が僕の身体を使えば万事解決だ。そうは思わないかい?」
「なるほど……わかったわ」
「じゃあ、試しにやってみるよ」
僕はリリーの魂を受け入れる。
コツは心をなるべく無にすることと、体内に異物が入ってくる感覚を恐れないことだ。
それを忘れなければ――
「おお……すごいわね、これ」
――憑依は必ず成功する。
僕の身体の操作権を得たリリーは、ゆっくりと表を向けた自分の掌を見つめる。
「自分の身体じゃないのに自分の身体みたいというか、その逆というか……とにかく不思議な感覚ね」
『そうだろう? 誰しも最初はそう思うらしいよ。かくいう僕も少し不思議な感じがしている』
「うわっ!? ち、ちょっと、脳内に直接話しかけてこないでよね!」
『そうは言っても、これ以外に僕が君と意思疎通を図る方法はないからね』
今の僕の身体には僕とリリー、二つの人格が内包されているのだ。
一応僕も動かそうと思えば身体を動かすこともできるが、僕とリリーの二つの意思が同時に一つの身体を動かすことは著しく難しい故、基本的に僕は身体を動かさない。
しかしそれでも、意識下で思考を言語化することでリリーに意思を伝えることは可能である。
それからしばらくの間、リリーは僕の身体での動作確認を行った。
室内である以上あまり激しい運動は出来ないのだが、それでもやらないよりはましだろう。
憑依初日から飛ばしすぎると逆に拭うことのできない違和感がこびりついてしまうことも起こりうると聞くし、最初はこのくらいが丁度いいと僕自身は思っている。
「背があたしより頭一つ大きい分ちょっと勝手が違ったけど、もう大体分かったわ」
『おお、さすがだね』
僕は短く答える。
実際、彼女はほとんど素人な僕が見てもかなりの運動神経、敏捷性を兼ね備えているように思えた。
おそらく将来有望な冒険者であったことだろう。もっとも、その未来はジーグルによって奪われてしまったのだが。
そしてそれとは全く別で、僕は今少し考え事をしていた。
『……』
「何よ、何か気になる事でもあるの?」
無言でいる僕を気にしたのか、リリーが話しかけてくる。
リリーはまだ意思を飛ばすことになれないらしく口を使って直接喋っているが、一人きりの宿ではなんら問題はない。
『いや、些細なことなんだ。魚の小骨のようにすごく些細な。わざわざ君に話すようなことではないよ』
「それでもいいわ、話して頂戴。今のあたしたちは文字通り一心同体だもの。ね?」
リリーは優しいな……。
慈しみに溢れたその声色が自分の口から発されたものであるという妙な気持ち悪さはあるが、それを差し置いても僕は嬉しい心持ちになる。
僕がリリーと距離を縮めようと試行錯誤しているように、リリーもまた同じことをしてくれている。それに喜びを覚えたのだ。
僕は言う。
『リリー……ああ、わかった、話すよ。今この状態で僕がズボンを下ろしてパンツを見たとするだろ?』
「うんうん、ズボンを下ろしてパンツをみたとするのね。……うん?」
『そうするとそれは「君のパンツを見た」と言えるのだろうか、と悩んでしまってね』
「そ、そんなしょうもないことを一々伝えてこないでよ馬鹿!」
首をブンブンと振るリリー。
しかし僕は納得がいかない。
『君が伝えろと言ったのに、それは筋が通っていないだろう。僕は「些細なことだ」「君に話すようなことではない」と前もって伝えていたよ』
「そ、それはそうだけど……」
『僕は伝えるつもりはなかったんだ。それを無理やり聞き出して、いざ聞いたら怒る、というのは少し自己中心的にすぎると僕は思うね』
「わ、わかったわよ。謝ります、ごめんなさ――」
『いや、謝罪はいらないよ』
僕は憑依を解く。
すると、リリーの顔は絶望一色に染まった。
「ま、まさかあたしを捨てる気……なの? ご、ごめんなさい、調子に乗り過ぎました。だからそれだけは、あたしは何としてもあの男に復讐したいんです!」
身体の所有権を取り戻した僕は、ふぅ、と一つため息を吐く。
「謝罪はいらないと言っただろう? ……君はただ、そのスカートをめくって僕にパンツを見せてくれればいいんだ」
……どうだ、このボケは。怒った演技をしてからのこのボケ。
緊張と緩和をこれ以上なく活かしたんだ、どの要素を鑑みても爆笑間違いなしだろう。
そう思っていた僕だが、どうも様子がおかしいことに気が付く。
……うん?
全くウケていない……というより何故か、酷く深刻そうな顔をしているぞ?
「……わかり、ました。やります」
「!? ……す、すまない。今のは冗談だったんだが」
震える手でスカートに手をかけ始めたリリーに、さすがに焦った僕は制止を求める。
うら若き乙女にそんなことをさせるのはさすがに僕の良心が痛む。
「…………はぁあ!? わかり、わかりにくすぎるのよあなた! 表情筋死に過ぎなのよ! ばーか! ばーか! ばーーかっ!」
「すまない。……ごめんなさい」
冗談だとわかったリリーは顔を真っ赤にして声を張り上げる。
その目は赤く潤んでいた。
本気で捉えられることを考慮していなかった。
まともに捉えられたら、今の僕の発言は純度百パーセントの恐喝である。
「……怖かったんだから、ばか」
「……ごめんなさい」
いたたまれない。非常にいたたまれない。
僕はなんということをしてしまったんだ……。なにか、今からでも僕にできることはないのか……?
……非常に恥ずかしいが、あれしかないか。
「すまない。これが僕の誠意だ」
「……ちょっとエディル、あなたなんでズボンのベルトに手をかけてるのよ」
訝しげな顔をするリリー。
「僕がパンツ一枚になれば君の傷も少しは癒えるかと思って。僕にできることはそれくらいしかないから」
「それはあたしに新たな傷を作るだけなんだけど!?」
なんだと!?
「そ、それでは、僕はどうやって謝ればいいんだ。教えてくれ、リリー」
狼狽える僕をリリーはじっと見る。
そして少女とは思えぬほど目を座らせて言った。
「……復讐よ。復讐を絶対に成功させること。そうすればパンツでもなんでも見せてあげるわよ」
考えてみれば、それも当然だ。
リリーは死後も輪廻の輪に乗らず現世に留まり続けた霊魂、その恨みの強さは推して知るべし。
「復讐成就か、わかった。エディル・クリストファーの名において君の復讐を必ず成功に導く、約束しよう」
僕はそうリリーに約束した。
「それと、あと一つ言っておくわ」
人差し指をピンと立ててリリーは言う。
「エディルは不器用すぎて発言が冗談かどうか判断できないから、今度から冗談の時はもっと歯を見せて笑いながら言うこと。いいわね?」
歯を見せて笑う……そんなことはずっとしていないな。
「わかった。……こうか?」
「……っ」
出来うる限りの笑顔を浮かべリリーを見ると、リリーは目線を逸らしてしまった。
俯いたリリーの肩は小刻みに揺れている。
「なあリリー。どうだ、僕の笑顔は」
「い、いいんじゃ……ぷっ。い、いい感じだと思うわよ!」
絶対にお世辞だろうそれ。さすがの僕でもわかるぞ。
「もうすっかり夜も更けてしまった。今日はもう寝て、ジーグルの情報を集めるのは明日からだな」
「わかったわ」
「僕の身体と君の意思で、憎き宿敵を撃ち滅ぼそうじゃないか」
「ええ、絶対にね」
僕とリリーはお互いに触れられぬ拳を重ね合った。
「……リリー」
僕は渾身の笑顔を浮かべてみる。
もう二度目だ、先ほどよりは上達したのではなかろうか。
「ちょっとエディル、今その顔は止め――いひっ! いひひひひっ!」
……僕の満面の笑みはそんなに酷いものなのか。
今度鏡の前で確認してみよう。そう思う僕であった。