3話 死霊術というもの
借りている宿の扉を開け、僕は部屋へと入る。
扉をバタンと閉めると、外から「ちょっと!」という怒った声が聞こえてきた。
「ああ、扉は通過できる。君は霊体だからね」
僕がそう外に向かって声をかけると、少ししてリリーの脚がゆっくりと入ってくる。
初めての壁抜けということで、少し震えているのが目にとれた。
全身を通過させたリリーは自分の両手を見て、驚いた顔を浮かべる。
「ほ、本当に通れた……」
「壁も床も、君の前では無力だよ」
僕はそう言いながらコートをハンガーにかけた。
すると、後ろから声がかかる。
「あれ、そういえばなんであなた全然濡れてないの? 今は晴れているけど、さっきまですごい雨だったのに」
「僕のコートとハットは特別性でね。撥水性が抜群なんだ」
不必要にひけらかすのは好きではないけれど、興味を持たれるのは嫌いではない。
それに、この黒いコートと黒いハットは僕のお気に入りだ。
僕はコートをハンガーから外してリリーに近づけてやる。
リリーは興味津々といった表情でコートに触れようとして――指がコートを通り抜けた。
「……これも触れないのね」
「ああ、仮契約中の君はまだ霊体だからね」
そう言うと、リリーは怪訝そうな顔をする。
「あれ? でもこのパ……いや、やっぱり何でもない」
ふるふると首を横に振るリリー。
何を言いかけたのだろうか。……ぱ、といえばやはりパンツだな。
とすると、パンツのこと……。
「ああ、パンツには何で触れられるのか、ということかな?」
リリーは恥ずかしそうにコクンと頷く。
たしかにリリーは僕が履かせた白と水色のしましまパンツを今も身に付けている。
何にも触れられないのに、それを履けることを不思議に思うのはある種当然だろう。
「それについては、死霊術について少し説明しなければならないかもしれないね。死霊術とは死後も強い念を持ち、この世に留まり続ける霊魂をこの世に呼び寄せる術のことだ。さて、リリー。君は死霊術を行使するために必要なものが何かを知っているかい?」
「いいえ、知らないわ」
まあそうだろうね、と僕は思う。
知っていればパンツに触れる理由にも見当がつくはずだ。
僕は説明を続ける。人差し指を一本立てた。
「まず一つ目に、彷徨っている霊魂の骨。これは霊魂を術士の元に呼ぶための目印のようなものだね。これがないとまずそもそも霊魂を呼び寄せることができない」
次に、中指を立てる。
「二つ目に、術士が強い思い入れがある物。もしくは長く身に付けていた物。これによって呼び出した霊魂の所有をはっきりさせるんだ。……言い方は悪いが、愛玩動物につける『首輪』のようなものだ。術士の間でも首輪と呼ぶ人が多い。顕現する前の骨にその首輪を身に付けさせることで、死霊術を行使することが可能になるのさ」
「首輪……」
リリーは複雑そうな顔をする。
その顔には確かに僕に対する恐怖がみてとれた。
彼女の置かれた境遇を考えれば無理もない、と僕はリリーに同情を覚える。
今日会ったばかりのほとんど見ず知らずの男性――しかも見た目は若い盛りの――に首輪をつけられたなんて、恐怖しない方がどうかしている。
「大丈夫、僕は君に危害を加える気はないよ。信用してもらうのは難しいだろうけど、それでも約束する」
「……わかったわ。……それで、あとは?」
「うん? あと、とは?」
「何で、そのー……ぱ、パンツに触れるかを聞いたつもりなんだけど」
おっと、僕としたことがうっかりしていたな。
「ああすまない、説明し忘れた。いわゆる『首輪』には、霊魂も触れるんだ」
そう伝えると、リリーは眉をひそめる。
そして数瞬の間何かを言いよどみ、やがて決心したように口を開いた。
「……えっと、それは……パンツが首輪ってことで、つまりあなたにとって思い入れのある物はパンツってこと?」
「ああ、その通りだ」
僕は笑って頷く。
するとリリーが一歩退いた。なぜだ?
「あれはとても素晴らしいものだよ。しましま、水玉、リボン付きにくまさんと模様も多種多様、その上フルバックやバックレース、ローライズのようにパンツ自体の種類もまた多種多様。まさに無限に広がる神秘の世界だ。パンツはその歴史も古く――」
「今あたしドン引きしてるから、語り始めるのは止めて欲しいんだけど」
「ドン引き? 何にだい?」
「あなたによ」
おや、どこに引かれる要素があったのだろうか。
心当たりを探ってみるが、特に思い当たらない。
「あ、ちなみに今君が履いているのはローライズの白と水色のしましまパンツだよ」
「わざわざ声に出さなくていいのよ! もう知ってるし!」
たしかに、あまり上品とは言い難い行為だったかもしれない。
秘されているからこそ追い求めるのだ。僕は少し反省する。
「どうやら引かれてしまったようだけれど、僕は君を気に入っているよ。パンツが似合う女性は好きさ」
「パンツに似合うも似合わないもないわよ……というかエディル。スカートを凝視するの、やめてくれない?」
おお、初めて名前を呼んでくれた。
僕はそれに少し喜びを覚えながら、リリーに言葉を返す。
「スカートを見てるんじゃない、その奥のパンツを見ているんだ」
「死ねばいいのに」
リリーはすでに冷え切った眼だ。
どうやら僕はどこがでミスをしてしまったらしい。
これだから人との会話というものは難しい。正解がないなんて、魔術の構造式を演繹するよりもよほど難しいよ。
ともかく、してしまったことは取り返しがつかない。ならばここで見せるべきは誠意だろう。
僕はリリーに頭を下げた。
「すまない、嫌わないでくれ。久しぶりに気兼ねなく人と話せたものだから、つい気持ちが舞い上がってしまっているんだ。謝れと言うなら謝るよ」
リリーは黙って僕を見る。
彼女はじとっとした目で数秒ほどそうしたあと、頬を空気で膨らませ、そしてパッと息を吐き出した。
どうやらそれが許すという意味らしいが、随分と可愛らしい仕草だ。
少し態度が軟化したリリーは口を尖らせながら言う。
「……ならさ、謝らなくてもいいからこのパンツ脱がせてよ」
パンツを脱がせてほしい? ……僕に?
「……君、いくらそちら方面に寛容な僕でもそれは引くぞ?」
「は? ……あ、ち、違うわよ!? 自分で想像して、その、き、気に入ったの履くからあなたのはいらないって言ってるの!」
なるほどそういうことか。
僕にパンツを脱がせてほしいと突然懇願してきたのかと思った。どうやらとんだ勘違いだったようである。
僕は首を横に振る。
「残念ながらそれは無理だ。術士の首輪がないとまた彷徨える霊魂に逆戻りだからな」
「なによそれ……じゃあこれ、脱げないじゃない」
「そうだ、脱げない」
そう答えると、リリーは黙り込んでしまった。
ここは僕が慰めてあげるべきだろう。今それができるのは僕だけなのだから。
「そう落ち込まないでくれ。君の身体にしましまパンツはとても良く似合っていたよ」
「……あなた、慰める気ないでしょ」
むぅ、と僕を睨みつけるリリー。
「? 女性は褒めるべきだと聞いたのだが、違うのかい?」
「褒めるところを致命的に間違えてると思うわよ、絶対。……エディルって顔はいいのに、中身は残念ね」
「人は見た目に寄らないのさ」
「それ、自分で言う?」
リリーは僕を呆れた顔で見てくる。
睨んだ次は呆れるのか。中々せわしないな。
だが、事実として見た目が良いんだから仕方がない。
性格も自分ではいいと思っているのだが、今までまともに友情や愛情というのを感じることがなく生きてきたことを思うと、それほど良くはないのは残念ながらほぼ確実であるようだ。
まあ、気にすることはない。僕は僕、人は人だからね。
それに、なんとなくリリーとは上手くやって行ける予感がしている。
「さて、そろそろ情報の擦り合わせでもするとしようか」
僕は椅子に腰かけ、肘置きに肘を立てる。
そして足を組み、言った。
「リリー、君がジーグルについて知っていることを教えてくれないか?」