29話 別れと旅立ち
それから数日後。
俺とリリー、ルシカ、それにアガタの四人は街の入り口に集まっていた。
その前には僕が手配した、御者を乗せた地竜車が一台止まっている。
「エディルさん、リリーさん。今まで本当にありがとうございました」
そう言ってルシカは頭を大きく下げる。
アガタもそれに続いて俺たちに頭を下げた。
俺とリリーはそれを黙って見守る。
「しばらくはここで、今まで止まっていた兄妹としての時計の針を進めたいんです。今までわたしがどうやって過ごしてきたかを知ってもらって、お兄ちゃんがどうやって過ごしてきたのかを知りたいんです」
「それからは二人で色々な街を回ってみたいと思ってるんだけど、それはおいおいかな」
「だから、お二人とはここでお別れです」
この数日間で考えたのだろう、ルシカとアガタは自分たちの思いの丈を僕たちに伝えた。
幼い頃から今まで全く会っていなかったのだ。色々と積もる話もあるだろう。
二人が納得してだした結論ならば、俺が口を挟めることはない。
二人が笑顔なのを確認して、僕はルシカに言う。
「元気で暮らすと良い。半年に一度くらいは魔力供給のために会いに来るように。でないと実態を保てなくなってしまうからね。わかったかい、ルシカ?」
ルシカはそれにコクンと頷いた。
それを見たリリーは、堪えきれないという様にルシカの肩をガッと掴む。
「ルシカ、元気でね。何かあったらすぐあたしに連絡するのよ。あたしはいつでもあなたの味方なんだから!」
「はい、リリーさん……っ」
リリーとルシカは抱擁を交わす。
ルシカの目もとには、僅かに雫が煌めいていた。
僕とリリーの二人は地竜車に乗り、横に並んで座りこむ。
乗車を確認した御者が地竜に鞭を叩くと、地竜はのそりと一歩を踏み出し、車を引きだした。
竜車は滑らかな動きでスピードを増していく。
ほんの少し前まで並んでいたルシカは、今はもう後方だ。
物理的な距離と心理的な距離は違うものだ。
そう知ってはいても、じわじわと引き離されていく光景というものは……少々心に来るものがある。
今生の別れではないということがわかっていても尚これだ。……まったく、僕も存外弱いじゃないか。
「エディルさん! リリーさん!」
自嘲しかけた僕の耳に、ルシカの声が届く。
竜車に備え付けられた窓からルシカのいる後方を覗き込んだ。
ルシカは小さな腕を僕たちに懸命に振っていた。
「わたしはお二人に会うことが出来て幸せでした……救われました。本当にっ、ありがとうございました!」
一緒にいた期間の中でも、一番大きな声だったんじゃないだろうか。
今までのルシカの声は、良く言えば涼しげだが、悪く言えば芯のないものだったはずなのだけれど。
僕とリリーはその声量に少し目を丸くし、すぐにルシカに手を振りかえす。
自嘲するなど、僕は馬鹿か。
友人が勇気ある決断をしたのだ。寂しがるよりも、応援するべきだろう。
僕たちが手を振りかえしたのを見て、ルシカは一層手を大きく振った。
それを見て、僕たちもさらに大きく手を振った。
ルシカとアガタの姿が、段々と小さくなっていく。
瞬きをして再び目を開くと、すでに二人は見えなくなっていた。
こうして、俺とリリーはルシカと別れた。
僕たちを乗せた竜車は、舗装された道を進んでいく。
とりあえずの目的地は最寄りの街だ。
運転席に座る御者は自らの仕事に集中している様子で、僕たちのことを気にする素振りはない。
御者の態度は今の僕たちには有難かった。
取り繕った会話に神経をすり減らすことは、今はしたくなかった。
「また二人きりになっちゃったわね」
隣に座るリリーがそう呟くので、僕は「そうだね」と返す。
「でも、寂しくはないよ。これが僕のしたいことなんだから。ルシカもお兄さんに会えたし、幸せそうだった。僕は幸せを感じているよ」
感じていた寂しさは、最後にルシカに消してもらった。
彼女は出会った時よりも成長したのだろう。
僕が何かできたわけではないけれど、成長の過程の傍に居れたことは嬉しいと思う。
今のルシカならきっと、幸せに生きていけるはずだ。
僕と同じくらい性格の良いお兄さんもいることだしね。
「……そうよね。幸せなこと、なんだよね。それはあたしもわかってるの、本当に。だけど……」
リリーは伏し目がちに俯く。
理屈ではわかっていても、ルシカと離れることがどうしようもなく寂しいようだ。
心と頭が違う答えを出すことは間々ある。
今のリリーはきっとそういう状態なのだろうと、僕は彼女を見て感じた。
「ルシカが選んだ事なのに、納得しているはずなのに、涙が出てきちゃう……」
「不思議なことじゃないさ。それほどルシカのことを思っていたということだ」
リリーの瞳からじわじわと透明な液体が溢れだす。
唇を強く噛みしめているけれど、それでも勝手に溢れてきてしまうようだ。
でもリリー、それを我慢する必要はないよ。
「泣きたいときは泣けばいい。その涙がきっと、君を成長させてくれるからね」
友人との別れに涙するのは、決して恥ずべきことではない。
むしろ友人を思っていることの証明だ。
無理やり抑え込むのは体にも心にもよくない。
「泣き場所が必要なら、僕がなるよ」
「うぅぅ……っ!」
感極まって抱き着いてきたリリーを、僕は黙って受け入れる。
そして背中を優しくポンポンと叩いてあげるのだった。
それから一時間ほどたっただろうか。
僕は泣き疲れた様子のリリーを膝枕していた。
「……ねえエディル」
リリーは少し恥ずかしそうに僕を見上げる。
「なんだい?」
一瞬ためらったリリーは、しかし続ける。
「……あなたはさ、あたしの前からいなくなったりしないわよね?」
「しないさ」
僕は即答した。
確かに僕は長年ずっと一人でこの世を彷徨い続けてきた。
けれど、だからこそわかったことがある。
――一人は寂しいってことだ。
「もう一人は耐えられないよ。人といることの喜びを知ってしまったからね」
多分きっと、今の僕には気の遠くなる時間を一人で過ごして死霊術を習得するなんてことは不可能だろうと思う。
もしかしたら僕は昔より精神的に弱くなってしまったのかもしれないなぁ。
でも、不思議と悪い気はしない。妙な気分だ、と思った。
「君がいなくなったら、僕は寂しくて死んでしまうよ」
「あなたが?」
「僕がさ」
「そっか。……膝枕、ありがと」
リリーはそう告げ、僕の膝から起き上がって元の席に座りなおした。
そんなリリーに、僕は言う。
「それに、そのパンツを履いている人から離れるなんて考えられない」
「……ねえ、あたし今ちょっと感動してるところだったんだけど?」
「覗き込んでもいいかな?」
「いいわけないわよね?」
身を乗り出した僕の頭を、ハットごと両手で押さえつけるリリー。
やれやれ、折角のチャンスだと思ったのだけれど、現実はそう甘くはないらしい。
僕は一度大きく息を吸い込み、気持ちを入れ替えた。
「さあ、まだパンツはこんなにあるんだ。助けを求めている霊魂は、それこそパンツの数ほどいる。そろそろ僕たちも、再スタートを切ろうじゃないか」
「そうよね。いつまでも凹んでたんじゃあたしらしくないわ。……それに、ルシカに負けてられないもんね!」
「そういうことだね」
リリーの笑顔に釣られるように、僕も笑顔を浮かべる。
やっぱりリリーは凄いなぁ。
君の笑顔を見るだけで、僕は元気が出てくるんだ。
「エディル、これからどこに行きましょうか」
「リリー、君が行きたいところに行こう。どこにでも助けを求めている霊魂はいるからね」
「うーん、そうねぇ……」
リリーは地図を広げて悩むそぶりを見せる。
そして少しの逡巡のあと、リリーは地図の一か所を指差した。
「じゃあ、ここなんてどうかしら!」
「うん、いいんじゃないかな」
僕はリリーに首肯する。
「そうと決まれば早速行こうか」
「うん、行きましょう」
「御者さん。悪いけれど、方向を変えてくれないかな。行きたい場所ができたんだ――」
竜車は進み続ける。二人を乗せて、新たな街を目指して。
これにて完結です!
今までお付き合いいただきありがとうございました!
よろしければ現行作の『魔法? そんなことより筋肉だ!』もよろしくお願いします。




