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28話 ことの顛末

「わたし、成仏します」


 そう告げたルシカの目に、もう迷いはなかった。

 ルシカは語りだす。

 僕たちはルシカの言葉に黙って耳を傾けた。


「わたしは元々この世界に未練なんてありませんでした。別に死んだら死んだで良かったんです。……ただ、兄だけは。お兄ちゃんだけは、元気でいて欲しかった。いつもわたしのことを優しく励ましてくれたお兄ちゃんに会いたいという気持ちが、わたしの魂を現世に留めたんでしょう。だから、お兄ちゃんに会えないとわかったらすぐに成仏する……と、決めてたつもりだったんですけどね」


 ルシカの目が僕とリリーを捉える。

 胸に手を当てながら発されるルシカの言葉は、紛れもなく本心なのだろう。本心だからこそ、痛いほどこちらの心に届くのだ。


「女々しく一日の猶予を貰ってしまったのは、エディルさんとリリーさんの存在がわたしの中でとても大きなものになっていることに気づいたからです。お二人はわたしなんかのために一生懸命になってくれて。盗賊団の根城に迷い込んでしまった時もわたしのせいには絶対しないでくれたし、さらにあろうことか迷宮にまで潜ってくれました。色んなことを三人で経験する間にわたしは自分が思っている以上にお二人に心を許していたんだなぁって、今更気が付いたんです」


「遅いですよね」とルシカは軽く自嘲するように苦笑する。

 ただ、その顔には負の感情は全くなく、むしろ晴れ晴れとした、吹っ切れたような顔をしていた。


「本当に、本当にお二人にはとても優しくしてもらって、仲良くなれて……これからも一緒にいたら、もっと楽しいこともあるのかもしれません。でもわたしはやっぱり、お兄ちゃんが大事なんです。お兄ちゃんがいない世界で生きていくのは、やっぱり違うかなって」


 そう言って、ルシカは口を閉じた。

 伝えたいことを全て伝えてくれたのだろう。


「……そっか。わかったよ、ルシカ」


 僕は首を何度も縦に振る。

 赤裸々に気持ちを打ち明けてくれたことに感謝したかった。


「……」


 リリーは無言で唇を噛んでいる。

 そうしないと涙が溢れてきてしまうのだろう。


 風になびくコートを翻す。

 ルシカがどんな決断をしても、それを受け入れると決めた。

 だから僕は、今から彼女を成仏させる。


「さようなら、エディルさん、リリーさん……」

「さよなら、ルシ……いや」


 僕は途中で言葉を途切れさせる。

 ……違うな。別れの言葉はこれではない。

 僕たちとルシカが、最後に交わす言葉はこれではない。

 一度口を閉じ、言葉を探す。


 成仏した魂は、再び輪廻の輪に戻る。そして他の数多の魂と溶け合い、新たな魂が生まれゆくのだ。

 いつになるかはわからない。わからないけれど、いつかきっとまた会える。

 ルシカとしての意識、僕としての意識。どちらも残っていなかったとしても、何かが残っていると信じたい。

 だから――


「……また会おう、ルシカ。生まれ変わった君といつの日か、またどこかで出会えることを願っている」


 ――だから「さよなら」じゃなくて、「また会おう」なんだ。


 僕の言葉に、リリーも続く。


「また会いましょう、ルシカ。……あなたと一緒にいた日々、絶対に忘れないんだから……っ」


 僕たちの言葉を聞いたルシカは目を潤ませる。

 ルシカはそれでもなんとか笑顔を浮かべた。


「っ! はいっ。わたしも、わたしもそう願っています……っ。……また会いましょう、エディルさん、リリーさん……!」


 別れの挨拶――いや、再会の約束を交わした僕は、成仏させる準備へと入る。

 仮契約を解き成仏させることにより、ルシカの魂は輪廻の輪の中、正常な魂の流れへと戻ってゆくのだ。


「ルシカ、いいかい?」


 僕はルシカに尋ねる。

 ルシカはコクンと頷いた。


「はい、エディルさ――!?」


 しかし、土壇場でその表情が一変する。

 丸い目をこれでもかと見開き、食い入るように一点を見つめている。


「……どうしたんだい、ルシカ?」

「人? ……あの人がどうかしたの?」


 リリーの言葉に僕は振り向く。

 ルシカの視線は、いつの間にか墓地にやってきていた一人の男性に向けられていた。

 冒険者然とした格好の、橙色の髪をした二十代くらいの男だ。

 その顔を見て、僕は軽く眉をひそめる。

 あの顔……どこか見覚えがある気がするのだけれど。


「……なあリリー。君は彼を知っているかい?」

「あたしは知らないけど……ただ、ルシカの描いた似顔絵に似ているわね」


 ああ、そうか。

 見覚えがあるのに会った記憶がないからおかしいと思ったんだ。

 そうか、ルシカの描いた兄の似顔絵に似ていたのか。

 ……ん? それはつまり……?

 再びルシカの方を見る。

 ルシカは信じられないといった顔で、言葉を言い放った。


「お、お兄ちゃん!? お兄ちゃんっ、お兄ちゃんだっ!」


 ……んん?

 ど、どういうことだろうか……?


「すまないルシカ、僕にはよく状況が呑みこめていないのだけれど……」

「わ、わたしにもわかりませんけど、あれはお兄ちゃんです! 間違えるわけがありません!」


 ルシカはそう息巻いて男に近づく。

 たしかにこれほどまでに思っている相手を間違えるということは考えづらいし、その上ルシカが描いた似顔絵にもそっくりだ。


「お兄ちゃん! お兄ちゃんっ!」


 ルシカは男の目の前でピョンピョンと飛び跳ねるが、霊体であるルシカに男が気づく様子はない。

 だが、この喜びようからすると本当に間違いないようだ。


「ってことは、本当にこの人がルシカの……?」

「ああ、そうらしいね」


 僕とリリーはルシカを見ながら言いあう。


「あのー……今、ルシカって言いませんでしたか?」


 そんな僕たちに、男の方が話しかけてきた。


「あっ、突然すみません。聞こえてきたのが妹の名前と同じだったものでつい」


「誰かのお墓……アガタ・ウィット……って、俺!? ……もしかして、俺っていつの間にか死んでたのか!?」


 自分の名前が墓に刻まれているのを見たアガタはかなり混乱している様子である。

 名前まで一致しているということは、やっぱりルシカのお兄さんで間違いないんだな。

 色々とまだわからないことはあるが……。


「アガタさん。少し話をしたいのだけれど、時間はありますか?」


 ――とにかく、まずは話をするのが第一だろう。

 事態が呑みこめていないながらも首を縦に振ったアガタに、僕は自らの持つ情報を開示していった。




「なるほど……」


 墓地から少し歩いたところ。

 人気のない丘で、僕はそう呟きながら情報を整理する。


 アガタの話を纏めると次のようになる。

 まず初めに、彼はやはりこの迷宮に挑んでいたようだ。

 父を病で亡くした彼は、金銭を目的に迷宮に挑み始めたらしい。

 そしてそこで才を開花させ、瞬く間にこの町の迷宮探索のトップにまで上り詰める。

 しかし、ある日『女王』との戦闘中とのこと。気の緩みか、精神の摩耗か――彼はいずれにせよ迷宮内の罠にひっかかってしまった。

 その罠は転移系のもので、気づくと彼は別の迷宮に飛ばされていた。

 全く違う環境と魔物にてこずりながらもなんとか迷宮から抜け出したアガタは、この街の迷宮がどうなったのかを知るためにこの街に帰ってきた。

 しかしすでに迷宮は踏破されていたので、特にあてもなくフラフラと歩いていると、僕たちを見つけた――これが真相らしい。


 全てを聞き終えた僕がアガタにペンダントを返すと、アガタは深く頭を下げてそれを受け取った。

 何度もお礼を言われて少し困ってしまったけれど、彼にとってはそれほど大切なものだということなのだろう。


「ペンダントは『女王』と戦っている時に落ちたのか、それとも罠にかかったときか……そのどちらかで落ちたのだと思う」


 アガタの分析は的を射ているように思えた。

 つまり、あの白骨は全く別の冒険者だったという訳だ。

 それを見抜けなかったのは死霊術師として些か情けなくはあるけれど、僕はあくまで「死霊術」の専門家であって、骨の専門家ではないからね。仕方ない。


「……エディル君。ルシカはまだこの辺りにいるのか?」


 そう問うアガタに、僕はルシカの今の様子を伝える。


「当然いるさ。今も君に抱き着こうとしてはすり抜けて、悔しそうな顔をしているよ」

「ぐぬぬぬぬ! お、お兄ちゃんに触れません!」

「ははは、見えないのが残念だ」


 アガタは妹から好かれていることに、とても嬉しそうに人の好い笑顔を見せた。

 僕と同じように人間的にも優れているようだ。

 と、リリーが僕に耳打ちする。


「どこかの誰かさんとは違って、アガタさんはすごく良い人ね」

「どこかの誰かさんかぁ。誰のことだろう?」

「ヒントをあげる。隣のエディルさんよ」

「それはもう確実に一人しかいないよね。ヒントじゃなくて答えだよね」


 僕が苦々しく笑うと、リリーは「冗談冗談。あなたもまあまあ良い人よ」と笑った。

 まったく、リリーというやつは。


「……で、だ。ルシカ、念のためにもう一度聞いておきたい」


 僕はリリーからルシカへと向き直る。


「成仏するか、実体化す――」

「実体化します!」


 早い。

 ……まあ、そうだろう。

 ルシカが成仏しようとしていたのはアガタが死んでしまっていると思っていたからで、生きているとわかればこういう反応になるのはごく自然なことだ。


「……一度成仏するって言っておいて、すごく図々しいことを言っているという自覚はあります。でも、わたしはまだお兄ちゃんと一緒にいたいんです。お願いします、エディルさん!」

「わかったよ」


 ルシカの訴えを、僕は間を開けることもなく聞き入れた。

 何日間も一緒に過ごしてきて、ルシカに対して情が移っていないと言えば嘘になる。

 彼女が現世に留まりたいと願うのならば、僕がそれを後押しするのは当然だ。


「エディルさんっ……!」


 ルシカが感極まった顔で僕を見る。

 今にも泣き出しそうな表情で、ワンピースの裾をぎゅうううっと握っている。


「どんなお返しをすればいいか、わたし……わたし……っ」

「お返しなんていらないさ。君と過ごした日々は、どんなものにも変えられないほど素晴らしいものだったからね」

「エディルさぁん……っ!」

「良いこと言うわねエディル、見直したわ」


 ひゅうう、と丘に風が吹いた。

 僕は黒ハットを手で押さえながら、ついに涙を零してしまったルシカと、微笑みながら僕を見るリリーに言う。


「それに、素晴らしい景色も見せてもらった」


 ルシカは裾を握りすぎて、パンツがかすかに見えていた。

 僕はそれを見逃さないのだ。

 内気な彼女がまるで自分からパンツを見せているかのような光景、それを見た僕の頬をとても温かな液体が濡らす。

 感動したよルシカ、ありがとう。この世にこんな絶景があったんだね。


 だが、ルシカはやはりと言うべきか、自ら率先してワンピースの中を見せていたわけではなかったらしい。

 白く透き通るような頬に瞬く間に赤みが差し、ルシカはワンピースのスカート部分を両手で押さえつけた。


「ひっ……ひぇぇぇぇぇぇっ!」


 それを見たリリーは僕に冷たく言う。


「エディル、さっき褒めたのは撤回させてもらうわね?」

「残念だったねリリー。パンツガードにより撤回不可だよ」

「何よそれ!?」


 パンツガードは最強の盾。何者にも破ることは叶わぬ盾さ。


「あ、あはは……君たちは変わってるなぁ……」


 僕たちのやりとりを見ていたアガタは、ピクピクと頬を引くつかせながら無理やり笑顔を浮かべていた。


「ちょっと、エディルのせいであたしまでアガタさんに変な人に見られてるじゃない!」

「馬鹿を言わないでくれたまえ。僕のせいではなく、リリーのせいだろう」


 僕の品行方正な振る舞いの中に、他人からみて奇異に映る箇所があったとは到底思えない。

 僕が原因ではないとなると、犯人はやはりリリーしかいない。

 至極簡単な論理だ。


「そうだろう? なあ、アガタ?」

「いや、エディル君だが……」


 僕だったらしい。


「僕が変わっている……? そんなことを言うなんて変わってるなぁ、君」

「その無敵のメンタルをあたしに寄越しなさいよ」


 そんな話を交わしたのち、僕はルシカを実体化させた。

 しかしリリーの小賢しき策略により、僕の前には常にリリーとアガタが立ちふさがり、ルシカの実体化する最中の姿を見ることは叶わずに終わった。

 とても悲しい。


「本当にありがとうございます、エディルさん!」

「ああ、どういたしまして」


 ……だけれどこれ程までの笑顔を見せつけられてしまったら、僕も笑顔にならざるを得なかった。

本日19時に最終話を投稿します。

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