26話 グランドアントの女王
俺たちは奥の部屋へと進んでいた。
壁に身を隠した僕たちの前に、ずんぐりとした黒い体躯の魔物が寝そべっている。
「いたね。あれが『女王』か」
グランドアントの群れのボス、それは通常のグランドアントとは区別され、『女王』と呼ばれる。
もちろん、わざわざ名前を分けるに足る理由がある。
「大きいわね……」
「あっ、き、来ますっ!」
「ギイイィィィィッ!」
まずは大きさ。
女王の身体は通常のグランドアントのおよそ十倍。それに比例して、攻撃力も耐久力も十倍。
「おいおい、タックル一つで壁が崩れたぞ。恐ろしいな……」
「ちょっとエディル、ボーっとしないで! 来るわよ! あれが!」
そして、女王の特徴がもう一つ。
女王は、触れた物を一瞬で溶かす酸を飛ばしてくるのだ。
「ギイイイイイイィィィィッ!」
巨大な体躯に似合わぬ小さな口から、薄黄色い液体が発射される。
シュワシュワと不気味な音を発しながら飛来するそれに対して、俺は避ける術を持たなかった。
「ぐうっ……!」
咄嗟に白骨を盾にする。
すでに満身創痍だった白骨は、酸を浴びて無残にもその姿を散らした。
限界がなくドロドロと溶けてしまった骨は、さしもの僕も操ることはできない。
「ルシカ、近くに骨は無いか? 探してくれ!」
「は、はいっ!」
ルシカに頼みながら、自信でも白骨を探す。
不味いな……白骨が無ければ、再びリリーの足手まといになってしまう。
「あたしが女王を引きつけるわ! だからその間にエディルは骨を見つけてきて!」
「わかった!」
リリーがわざとヘイトを高め、女王に自身を狙わせるよう画策する。
女王はゴロゴロと転がりながらリリーをつけ狙う。
リリーを狙っていても、その巨体ではついでに僕も巻き込みかねない。
中々白骨を探しに行くのは難しかった。
「くっ……!」
焦る僕の耳に、ルシカの声が聞こえる。
「エディルさん、ありました! こっちです!」
その声の聞こえる先は……
「女王の向こう側……か」
ルシカと僕の間には、女王が鎮座していた。
まるで本物の王のように、僕を見下ろす女王。
「どうするの、エディル」
隣に並ぶリリーの肩は荒く上下している。
ポーションで無理やり回復したものの、度重なる連戦でリリーの体力も残り少ない。
この事態を突破するだけの力は残っていないだろう。
残された道は、僕が白骨でこの女王を倒すことのみだ。
そのためには、なんとかして白骨を死霊術の支配下に置かねばならない。
しかし、女王には近づけない。
ならばどうするか。
「ここから魔力を飛ばして白骨を操る」
とれる策はそれしかなかった。
「その間少し無防備になる。……頼めるかな?」
「当然っ!」
距離が遠ければ遠いほど、二次関数的に難易度と魔力消費は上昇していく。
ここからルシカのいるところまでは目測およそ五十メートル。到底魔力を送り込むことなど無理な距離だ――普通ならね。
僕なら、届かない距離じゃない。
魔力を地面を通して送り込む。
女王が邪魔して白骨は視認できず、本当にそこにあるのか、僕には確認することはできない。
しかし怪しむことはなかった。
ルシカは僕の仲間だ。ここまで共に旅してきて、ここで裏切られることはないだろうという確信があった。
要は、ルシカを信じていたのだ。
「ギィィィッッ!」
「ふうっ!」
そして、リリーも信じている。
僕が無防備になれたのは、リリーなら僕を守ってくれるという確信からだ。
僕は魔力をひたすらに白骨の元へと伸ばす。
「エディル、まだ……? そ、そろそろ限界……」
女王と渡り合っていたリリーが白旗を上げかけたのと、ほとんど同時だった。
白骨と、魔力が繋がる。
「力を貸してくれ。名も知れぬ白骨よ」
白骨を行使するや否や、僕は白骨に命じた。
すなわち――女王を倒せと。
「ギィィィ……ッ!?」
不意に女王の脇腹が膨らむ。……いや、膨らんだのではない。
裏側から殴りつけられた衝撃が、こちら側にまで伝わったのだ。
「ふぅ……ようやくだ。もう心配いらないよ、リリー」
「し、死ぬかと思った……。力強すぎなのよあの魔物……」
リリーは戦闘中にも関わらずその場に座り込んでしまう。相当限界が近かったようだ。
それもそうだろう、この華奢な身体であの巨体と対抗していたのだから。
むしろここまで良く持った方だ。
「ごめんごめん。……さあ、革命の時といこうか」
新たな白骨を行使した僕は、すでに負ける気がしていなかった。
この白骨……かなり強い。
僕は白骨の持つ力を限界まで引き出すことが出来るのだが、この白骨の限界値は相当なレベルにあった。
この分だと生前はリリーよりも強かったかもしれない……いや、おそらく強かったのだろう。
操作感が並のそれとはまるで異なる。
まるで僕の命令を先取りするかのように動く。動く。
一か所にとどまることなく絶えず動き続けるその姿は、まるで一本の白い線のようだった。
白骨の拳が唸りを上げ、女王の脇腹に刺さる。
「ギィィ!?」
狼狽える女王に、お構いなしにラッシュをお見舞いする。
しかし、女王も負けてはいない。
最後の力を振り絞り、酸を吐く際の予備動作を見せた。
そして顔を疲労困憊のリリーと僕の方に向ける。
さすがは群れのボスというべきか、最後まで生にあがく姿勢は素直に尊敬したい。
だが、もう勝負はついている。
「白骨」
その黄色い液体が溢れだそうとする瞬間に、白骨が顎を打ち抜く。
女王の目がぐりんと反転し、その巨体が墜つ。
こうして僕たちとグランドアントの女王との戦いは、僕たちの勝利で終わりを告げたのだった。
部屋を見渡してみる。
女王の骸と、壁。それに壁際には丈の短い草が幾本か。
巨体の女王が住処としていた部屋だけあって、部屋の中はかなり広い。
四方を壁に囲まれていてこれ以上先はなさそうだけれど、壁際やなにかを探してみれば何かがありそうな気はした。
「捜索してみようか。ここはまだ知られていなかった場所のようだし、何かルシカのお兄さんに繋がる物があるかもしれない」
「ちょっと待って。あたし、今、動けないかも……」
リリーは腰が抜けたように、その場から立ち上がることができない。
僕を守るために全ての力を使い果たしてしまったのだろう。
「一応まだ魔物が出る危険もあるし……じゃあ白骨を置いておくよ。僕とルシカはルシカのお兄さんを探そう」
リリーがいる場所は部屋の真ん中。
危険は少ないだろうけれど、いきなり頭上から魔物が降ってくる……なんて可能性もなくはない。ここは迷宮、何があるかわからないからね。
僕は動けないほどではないし、リリーが休んでいる間に僕とルシカでこの部屋を探索してみるのが最善のように思えた。
「それでいいかな、ルシカ」
僕はルシカに尋ねる。
しかしルシカの返事はない。
なぜかぼーっと、白骨の方を見ていた。
「ルシカ? ……どうかしたのかい?」
「……お兄ちゃん? お兄ちゃんなの……?」
ルシカがよろよろと白骨に抱き着こうとして――すり抜ける。
「え……? ちょ、ちょっと待ってよルシカ。この骨があなたのお兄さんなの!?」
「……リリー、あそこ」
僕はリリーにさきほどまでルシカがいたところを指差した。ルシカが白骨を見つけたところだ。よくみると、その一か所が鈍く銀に光っている。
近づいてみると、それはルシカが見せてくれたものと同じペンダントだった。
きっとルシカは、僕に白骨のことを知らせた後、どこかのタイミングでこのペンダントに気が付いたのだろう。
白骨の周りに落ちていたペンダント。それが意味するところはつまり、そういうことである。
白骨をすり抜けたルシカはそのことについては気にも留めていないようで、必死の形相で僕に駆け寄って来る。
「え、エディルさん、顕現! 顕現とか、できないんですか!? 兄を! お兄ちゃんを!」
「落ち着いてくれルシカ、今やってみる」
慌てるなと言っても無理だろう。
僕は一旦白骨の行使を解き、今度は顕現させてみることにした。
「エディル・クリストファーの名において命ずる。現世に留まる霊魂よ、我が元に顕現せよ!」
声高に宣言する。
しかし、周囲に変わった様子はない。
「エディルさん、どうなったんですか!? お兄ちゃんは!?」
「……駄目だね。もう思念は残っていない。おそらく成仏したんだろう」
霊魂がこの世に留まっていなければ、いくら死霊魔術でも顕現させることはできない。
つまりルシカの兄はすでに成仏し、輪廻転生の輪の中へと戻って行ったのだ。
「そう……ですか」
それを聞いたルシカはしゃがみこむ。
その顔には何の感情も灯っておらず、呆然自失という言葉通りの顔をしていた。
「成仏といっても、その仕方には様々な種類がある。死んですぐに成仏する者もいれば、死後しばらく現世を彷徨ううちに、段々と成仏していく者もいる。強い思いがある者全てがずっとこの世に留まれるわけではないんだ。お兄さんが君を思っていなかったわけではないと思うよ」
僕はそうルシカに告げる。
ペンダントがその証だ。
ルシカのことを想っているからこそ、迷宮を探索するときも肌身離さず身に付けていたのだろう。
「はい……」
ルシカは僅かに頷くと、小さな掌を白くなるほど強く握った。
「でも、最後にお兄ちゃんと、喋りたかったぁ……うぐっ……うぁ……っ」
ようやく感情に身体が追いついたのだろう。
ぽろぽろと堰を切ったように涙がこぼれ出す。
今までため込んできた感情が、思い出が、やり場をなくした思いが全て涙に形を変えたかのように、ルシカは泣きじゃくる。
僕とリリーにしか聞こえない泣き声が、しばらく迷宮に響き続けた。
「……帰りましょう。お時間とらせてすみません」
泣き腫らした顔でルシカは言う。
「お墓を作りたいので、地上まで連れて行ってもらってもいいですか?」と言うので「もちろん」と答えた。
四人での帰り道、迷宮を進みながらリリーがルシカの背中に手を当てる。
無論霊体のルシカには本当に当たっているわけではないのだが、その温かさを感じたようにルシカは少し表情を柔らかくした。
「……でも、ルシカのお兄さんがあそこにいなければ、あたしたちは女王に勝てていたかわからないわ。もしあたしたちが負けていたら、ルシカも無事では済まなかったかもしれない」
その通りだ。
僕はリリーに補足する。
「確かにね。いくら僕が死んでから生き返れると言っても、それは魔力がある間だけだ。魔力が無くなるまで繰り返し殺されれば死んでしまう。そうなったらルシカも、再び現世を彷徨う霊魂に逆戻りするところだっただろう」
「死んだ後もルシカを助けてくれるなんて、ルシカのお兄さんは凄い人ね」
「……はい。わたしのお兄ちゃんはやっぱり凄い人です……!」
涙目になりながらも、自慢げに笑うルシカ。
その前を、ルシカの兄の白骨が無機質な音を立てながら守るように歩き続ける。
そして僕たちは迷宮を脱出した。
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