25話 最後の部屋
「この部屋で最後、だね」
僕は呟く。
迷宮に入ってからはや六時間。
ほとんど完璧な地図のおかげで、僕たちは最深部までたどり着いていた。
無駄な回り道をせずに済み、なおかつ踏破されたことで魔物が格段に出にくくなったからこその速度である。
しかし最後の部屋を訪れてもなお、肝心のルシカの兄については未だ見つかっていない。
「ここまで見つかっていない以上、行きには通っていない道を探してみるしかないかしらね」
「お兄ちゃん……」
ルシカの顔にも憔悴が浮かび始める。
しかし、どれだけ焦っても事態は好転しない。
「ルシカ、少し周りを見てきてくれないか?」
僕はルシカに頼む。
今は何か身体を動かさせることで、頭を働かせる暇を失くした方がいいと考えた。
「は、はい」
ルシカは壁を通過し、部屋の外側へと消えていく。
それを確認してから、リリーは小声で僕に言う。
「ここまで見つかってないとなると、正直見つけるのは困難よ」
「だろうね。……困った」
リリーの言う通りだ。
最短経路で最深部までたどり着いた僕たちだが、ここに至るまでには数十の分かれ道があった。その分かれ道はさらに分かれ道へとつながっているはずで、その全てを探索するなどということは現実的に考えるとまず無理である。
「……」
このまま見つからないかもしれない、と思い始めた、その時だった。
「エディルさん、リリーさんっ!」
ルシカが慌てた表情で、壁の向こうから出てきた。
「砦の時と同じ、どうやっても入れない部屋がまたあったんです! もしかしたらそこに……!」
「とりあえず行ってみましょう。場所はどのあたり?」
リリーの質問に、ルシカは指をさす。
どうやらこの壁の数メートル先に、ルシカも入ることができない謎の部屋があるようだ。
「エディル、頼んでいい?」
「もちろんさ」
僕は白骨に壁の破壊を命じる。
限界まで性能を引き出された白骨は、厚く固い壁をものともせずに削り取っていく。
「そのままの方向です!」
ルシカの言う通りに白骨を操作し、ついに壁を貫通させた。
ボロボロと崩れ落ちた壁の先に、新たな部屋が現れる。
最深部の隣にある部屋だけあって、何か雰囲気を感じる部屋だった。
「ここか……」
「地図には乗ってない。となると……隠し部屋ね」
「隠し部屋……ですか?」
「迷宮にはたまにあるのよ。大抵は罠から飛んでくるようになってるんだけど」
そう言ってリリーは周囲を探る。
「とにかく、いつも以上に気を引き締めた方がいいわ。隠し部屋には何があるかわからない」
「わかった。じゃあ、先に進もうか」
僕たちが一歩を踏み出した瞬間だった。
「キィィーーッッ!」
甲高い音が部屋に響く。
耳障りな音に思わず耳を塞いだ僕の視線の先に、道の先からわらわらと魔物がやって来るのが見て取れた。
ここまで両の手で数えられるくらいの魔物としか接敵してこなかったのが嘘のように、泉から湧き出る水が如く湧くその魔物の名はグランドアント。
迷宮に潜むアリの魔物……僕が知る情報はそれだけだ。
「リリー、彼らへの対処法は?」
こういう時は驕らずに専門家に尋ねるのが一番だ。
「巣に入らない限りは完全に無害……だけど巣に入ったが最後、骨の髄までしゃぶりつくされるわ。一応ボスである女王を倒せば収まるとは思うけど……」
なるほどね。
そんな会話を交わす間にも、グランドアントはその数を増していく。
僕たちを囲んだグランドアントは、一匹一匹が鋭い歯を剥き出しにして喉から甲高い音を出す。
「キィィーーッッ!」
……どう考えても無害には見えない。
「つまりこれは、すでに僕たちは巣に入ってしまった……ということでいいのかな?」
「目の前を見ればわかるでしょ?」
ああ、とても現実逃避したい気分だよ。
しかし、魔物はそんな僕の情動など理解してはくれない。
鋭い歯をガチガチと鳴らしながら、僕たちに飛びかかってきた。
「白骨!」
僕は白骨に命じてグランドアントを薙ぎ払わせる。
リリーは……うん、リリーも無事だ。
五匹ほどを同時に相手し、見事な足技で頭を蹴り落としていた。
軽妙だなぁ、僕とは大違いだ。
「うわっ!」
僕の腕にアントの一匹がしがみつく。
力が強いな……僕じゃとても対抗できない。
僕の身体はグランドアントの蠢く方へと引っ張られていく。
白骨は……間に合わないな。
ああ、これはもう――
「ちょっと!」
抵抗を止めかけた僕を救ってくれたのは、リリーだった。
俺の手をがっしりと掴んで自分の後ろに隠してくれる。
「しっかりしなさいよっ、諦めたら承知しないんだからね!」
「……ごめんごめん、どうも集団戦は苦手でね」
白骨を操っても、僕が狙われると弱い。
足を引っ張らないようにとあれほど決めていたはずなのに、やはり引っ張ってしまった。
でも、せめてこれ以上は。
白骨が薙ぎ払ってアントたちが吹き飛んだ一瞬を狙い、僕は駆ける。
そして部屋の端に移動し、その前に白骨を立たせた。
「邪魔にならないように、隅にいるとするよ」
「そうして! やぁぁぁっ!」
リリーは返事をしながらアントたちに果敢に立ち向かっていった。
僕はそれを見ていることしかできない。
白骨を操ってリリーと同数の魔物を倒してはいるけれど、自分の身を危険に晒しているわけじゃない。
「……なあルシカ」
できることもなく、同じように隅にやってきていたルシカに声をかける。
「な、なんでしょう」
「リリーは強いな」
跳びながらアントに蹴りを入れ、着地した瞬間を襲われたところを再び跳んで避ける。
バク転しながらアントを蹴り上げ、落ちてきたところに拳で一発。
僕が操る白骨と同程度の戦果を上げる人間など初めて見た。
魔物相手だとこうも強いとは……。
まるで超人だ。
肉体的にも、そして精神的にも。
この死地で……いや、死地だからこそ、リリーは自信が出せる力を忌憚なく発揮しているように思えた。
そのあまりの強さに、僕は出会ってから初めて彼女に少し恐怖を覚える。
「エディルさん」
そんな僕の視線に気づいたのか、ルシカは僕の前にずいっとでてくる。
「たしかにすっごく強いですけど……リリーさんも女の子です。それを忘れないでくださいね?」
女の子……そうだ。
たしかにリリーは可愛いものが好きなだけの、しましまパンツの女の子だった。
とても大事なことを忘れそうになっていたのだと、ルシカの一言で気付かされた。
「ああ、そうだね。ありがとうルシカ、気を付けるよ」
白骨をさらに酷使する。
これ以上は骨の寿命を縮めてしまうのだけれど、この骨の持ち主には許してほしい。
……いや、許されなくてもいい。僕はそれでも行使する。
生きている者は、死者よりも優先されてしかるべきだ。
白骨が、自身の骨を砕きながら、グランドアントを三匹同時に握りつぶした。
「リリー、頑張れ!」
リリーに声援を送る。
良く見ると、リリーはすでに息が上がっていた。
彼女が今華奢な肩を荒く上下させているのは、僕たちの安全のためなのだ。
何もできないけれど、せめて声だけは届けたいと思った。
「リリーさん、頑張ってくださいっ!」
「リリー、頑張れ!」
「そんな大声出さなくても聞こえてるわよ。……やぁあっ!」
部屋の隅から声を送る僕たちをリリーは一瞥し、もう何匹目かのアントを蹴り飛ばした。
それから数十分後。
「あ、粗方片づけたわよ」
リリーは僕たちの元へとやってくる。
その四肢は魔物の体液が飛散しているが、気にするそぶりもない。
いや、もう気にする体力もないのだろう。
「ありがとう。君には感謝してもし足りないよ。疲れただろう、肩でも持たせてくれ」
僕はリリーの肩を支える。
そして横を見ると、リリーは身体を固めて僕を見ていた。
「えっ……何よエディル、そんな突然優しくなって。なんか気持ち悪い」
そんな嫌そうな顔をしなくてもいいだろうに。
僕はただ、女性には優しくあろうとしただけなんだぞ?
「だ、駄目ですよリリーさんっ。今の的外れな言葉がエディルさんの精一杯の優しさなんですから!」
「ルシカ、君は的確に僕の心を抉るよね」
「へ? ……あ、ご、ごめんなさい!」
悪気がないのが逆に辛い……。
なにはともあれ、無事だったリリーにポーションを全て渡す。
幸いここまで大した戦闘もなくポーションの温存が出来ていたので、五本ほど飲んだところでリリーの傷と疲労は粗方消えたようだ。
「ぽ、ポーションって凄いんですね」
その効果を目の当たりにしたルシカは目を大きくして驚く。
「まあ、そんなに万能なものでもないけどね。傷も疲労も治るけど、無理やり生命力を引き出してるだけだから、翌日に凄い反動が来るし」
身体を軽くストレッチしながら平然と語るリリー。
「え、そ、そうなんですか? それそんなに飲んじゃって、大丈夫なんですか!?」
「うん、だから明日が怖いわあたし」
「大丈夫だ。もし君が反動で一歩も動けなくなったとしたら、僕が君の世話をする」
「本当? ……頼ってもいいの?」
尋ねてくるリリーに、僕はハットを押さえて大きく頷いた。
「ああ。着替えや着替え、果ては着替えに至るまで、すべて僕に任せると良い」
「絶対任せたくないわね」
なぜか拒否されてしまった。
悲しいけれど、仕方ない。
振られてしまった僕は、思考を迷宮のことへと切り替える。
「ここから先は未知の領域だ。どうする、道しるべでもつけていくかい?」
僕はコートのポケットから色とりどりのパンツを取り出した。
本当は道しるべなんかにしてこんなところに置いていくような真似はしたくないのだけれど、いくらパンツでも命には代えられないからね。
「……なんでパンツなの?」
「パンツなら僕のコートのポケットに無限に入っているからさ」
僕はポケットから次々にパンツを取り出していく。
地面には軽いパンツの山が出来た。
「どういう構造になってるのよ……」
「さあ、僕もわからない。ただパンツだけは無限に収納できるんだ」
「か、軽いホラーじゃないですかそれ?」
ポケットにパンツが入って喜ぶことはあっても、恐怖することなど何もないだろう。
二人ともおかしな感性を持っているものだ。
「じゃあ、道しるべはパンツでするとして……この先に、女王がいると思うわ」
リリーは先の通路を睨む。
たしかにグランドアントが群れなのだとしたら、ボスがいるはずだ。
「わたし、向こうを見てきます!」
「お願いできる?」
ルシカは通路の向こうへと消えていき、すぐに帰ってくる。
「い、いましたっ! さっきの魔物の十倍くらい大きな、もうなんかものすごい魔物がっ!」
どうやらリリーの睨んだ通り、群れのボスである女王がこの先にいるらしい。
……とすると、そこでリリーの兄が亡くなった可能性もある。
口には出さないまでも、全員がその推測に辿り着いていた。
「……じゃあ、行こうか」
僕は白骨に前を歩かせ、通路を進み始める。
おそらくこれが最後の戦いになるだろうという予感を感じながら。
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