24話 ルシカの思い
迷宮の中は、じめじめとした湿気で満たされていた。
こんなところに長い間いたら、喉の奥に苔でも生えてしまいそうだ。
一滴ずつ垂れ落ちる水音がどこかから規則的に聞こえてくる中、僕たちは迷宮を進む。
ちなみに陣形は先頭がルシカ、真ん中にリリー、最後尾が僕だ。
「こっちは問題ないですよ!」
少し離れて先頭を行くルシカが僕たちに告げる。
他の誰にも姿と声を知覚できないルシカは偵察にはぴったりだ。
それを聞いた僕とリリーはそちらへと向かう。
とはいえルシカは迷宮探索に関しては完全な素人、彼女の言葉を信用しきる訳にもいかない。罠は一見してわかる物ばかりではないからだ。
踏破済みの地図だからといって、全ての罠が記載してあるわけではない。
迷宮を探索するのには、罠と魔物、両方に気を付けなければいけないのだ。
迷宮に入って体感で二十分ほどが過ぎた。
そこで、道の端に初めて白骨を見つける。
かなり損傷が激しく、触れただけでほろほろと崩れていきそうに見える。
「あ、あの、埋めてあげたりは……」
「気持ちはわかるけど、一々してたらキリがないわ。同じような人たちはここから先何百っているでしょうからね」
ルシカの提案を、リリーが却下する。
冒険者というと華やかな世界を思い浮かべる人間が多いが、必ずしもそういう世界ではない。一握りの栄光は、数多の屍の上にあるのだ。
「操るのは……さすがに無理そうだ」
自分たちが無事に迷宮を出るためには、死者の冒涜などと言っている余裕はない。
使えるものは全て使う、後で後悔しても遅いからね。
ただし、ここまで痛んでいると、魔力を流し込んだ瞬間に跡形もなくなってしまうだろう。
僕は白骨を行使するのを諦めた。
物言わぬ骸の横を通り過ぎ、僕たちは迷宮のさらに奥へと進んでいく。
それから三時間ほどが過ぎただろうか。
何本かの分かれ道を地図に従って進んでいくと、少し開けた中部屋に出た。
「この辺りで一旦休憩をとりましょう」
リリーがそう言うので、僕は地べたに座り込む。
そうした瞬間に、ドッと疲れが押し寄せてきた。
自分でも気づかぬ間に、予想以上に精神を摩耗していたらしいと気付く。
「二人とも疲れたでしょ? ずっと気を張り続けるって言葉で言うよりずっと疲れるのよ」
「リリーは平気そうだね」
へばりきったルシカや座り込む僕に比べて、リリーは未だ立ったまま部屋の出入り口を警戒している。警戒、そうか、警戒は行わなければならないよね。
恥ずかしながら、休憩していいと言われた途端に頭から飛んでしまっていた。
冒険者行は経験不足だとはいえ、なんとも情けないなぁ。
「まあ、あたしは慣れてるからね。踏んできた場数はそんなに多くないけど、それでもあなたたちよりは平気よ」
僕が気負わないよう、明るいトーンで励ましてくれるリリー。
その言葉を素直に受け入れることにする。
「頼もしいことだ」
「そうでしょうそうでしょう、リリーさんに任せておきなさい」
リリーは胸を張り、手で誇らしげにトンと叩く。
それを見たルシカが、地面に横たわりながら顔だけ上げる。
「リリーさん、すごいです……!」
尊敬の目を向けられたリリーは照れたように苦笑した。
「いいからルシカは休んどきなさい。気を張り過ぎよ」
「め、めんぼくありません……」
そんな会話中も、リリーは外への警戒は怠らない。
それは素直に称賛したいけれど、僕たちの中で唯一戦闘できるリリーにこんなところで消耗してほしくはない。
「ああ、見張りは僕がやるよ」
僕は白骨に出入り口を見張らせに行くことにした。
迷宮中で出会った死体の中で、一番頑丈な骨をしていた白骨だ。
ここまでの道のりで、行使できそうな白骨は何体も見つかったが、迷宮の道幅からしてあまり大人数で歩くのは得策ではない。
ルシカが霊体であることを考慮しても、白骨は一人で充分だろうという判断だった。
「ありがと。じゃあ、あたしも休憩させてもらうわ」
そう言うとリリーは足を延ばして座り込み、ふぅーと長い息を吐く。
リリーにとっては自分より技量の劣る者二人を連れての迷宮探索だ。
僕たちが感じている疲労感とは別種の疲れも感じているのだろう。
それでも気持ちを切らさずに、その上僕たちを気遣ってくれるのだから、人間が出来ている。
ルシカも地べたに寝転がったままだ。霊体だから正確に言うと地べたには寝転がっているわけではないのだけれど、とにかくぐてんと身体から力を抜いている。
全くの初心者が突然迷宮に入ったなりに、ルシカはとても良くやってくれている。
三時間で二度ほど魔物との遭遇があったが、いずれもルシカがいち早く索敵してくれたおかげで問題なく対処できた。
「今はゆっくり休んでくれ」
二人を見て僕は言う。
ここまでは二人ほど貢献できていなかった分、ここで役に立っておきたい。
なぜなら、二人が二人の特徴を活かして役に立ってくれたのと同じように、白骨を行使しての見張りは僕にしかできない芸当だからだ。
白骨には異変に気づいたらすぐに知らせるように命じてあるから、無駄な労力を使わずに憂いなく休憩することができる。
それに、ここから先は戦闘になっても白骨を操作して戦える。
……僕というより白骨が役に立っているような気がするけれど、そこは考えないでおこう。
死霊魔術も僕自身の力だしね。うん、そうだ。絶対そうだ。
自分に必死でそう言い聞かせ、僕は二人と共に休憩をとった。
そして数十分ほど休息をとった。
リリーと僕はもう快調、ルシカももう少し休めば万全といったところだろう。
「……ルシカ。少し良いかな」
「はい、なんですか?」
「もし君のお兄さんが白骨になっていたとして、何かお兄さんを見分ける方法はあるかい?」
迷宮に入る前は、二年前の身体ならまだ残っているとばかり思っていたのだが、迷宮の中に入ってみるとその考えを変えざるをえなかった。
ここまで見つけた死体の数は数十、しかし未だ肉体の残った死体は一つも見ていない。
考えてみれば当たり前の話だ。魔物が栄養を求めて、死者の肉体を食してしまったのだろう。
そうなると、骨と身の回りの荷物だけでルシカの兄を見分けなければならなくなる。
ギルドで発行される冒険者カードを持っていればいいが、持っていなかった場合は特定が困難だ。
まさか踏破に最も近いと言われた男が今までのところで死んでいるはずはないだろうけれど、ここから先は段々可能性も上がっていく。路傍の白骨が、ルシカの兄であるアガタの物でないとも限らない。
何か目印のようなものがあれば、と僕はルシカに尋ねる。
「もしかしたらですけど……わたしとお揃いのペンダントを、まだつけていてくれているかもしれません」
ルシカは首元を広げ、僕とリリーにペンダントを見せてくる。
小指の爪ほどの小さな丸石に、蒼い六芒星が彫り込まれたものだった。
霊体となった彼女は、顕現した時点ではペンダントは身に付けていなかったはずだ。
霊体は淵源されるまで、自らの身体以外のものを身に付けていることはない。
つまり今ルシカが僕に見せているペンダントは、意識してか無意識かはわからないが、服を作った時に自分で創りだしたということだろう。
自分の一部となっていたんだろうな、と僕は思う。
「……わかった。教えてくれてありがとう」
「いえいえ。わたしなんてそんなところまで頭が回っていませんでしたから」
それを見ていたリリーが、思い出したように口を開く。
「あっ、あと隊列はどうしようかしら?」
ああ、骨を隊列のどこに加えるかという話かな。
たしかにそれも大事な話だ。
「あの骨を先頭にして、索敵を任せることもできると思うけど――」
「それはわたしがやります!」
リリーの言葉を遮ったルシカに、僕たちの視線は集中する。
あまり主張をしないルシカがここまで強く言葉を発したのが驚きだったからだ。
「あ、あの……や、やりたいです。少しでも役に立ちたいので……」
凝視されたルシカは軽く萎縮しながらも、再度同じことを主張する。
僕はそれを、自分の手で兄を見つけたいということなのだろう、と理解した。
「それがいいだろうね。白骨は戦闘面では頼りになるけれど、いかんせん音が立つ」
白骨を数歩歩かせてみる。
骨だけの身体は、一歩歩くごとにガシャガシャと乱雑な音を奏でた。
「やはりルシカが適任だと、僕は思うよ」
「そうね。じゃあルシカ、任せたわよ!」
「は、はい! 頑張ります!」
そういうわけで、僕たちは白骨を最後尾に据え、再び迷宮を歩き出したのだった。
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