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23話 下準備

 翌日。


「き、昨日はご迷惑おかけしました」

「いやいや、そんなことはないさ」


 泣き腫らした痛々しい顔をしながらも、ルシカの表情自体はそこまで暗くない。

 一夜明けたことで、自分なりに気持ちの整理が出来たのだろうか。

 それならばいいのだけれど。


 僕たちは宿の外へと出る。

 迷宮へと潜るにあたって、色々と事前に準備しておかなければならないものがあるからだ。


「具体的には何が必要なんですか?」


 ルシカが僕に尋ねてくる。


「そのあたりは僕よりもリリーの方が知っているんじゃないかな。リリーはきちんとした冒険者なわけだしね」


 僕も齧った程度の知識はあるけれど、こういうのは本職の人間から聞いた方が正しい知識が身に付きやすいだろう。

 ましてルシカは単なる一般人だったようだから、こういったことに関わること自体初めてだろうし。


「じゃあ、あたしが説明してあげるわね」


 リリーは心なしか鼻を高くしつつ、説明を始めようとする。


「説明できるからって随分と嬉しそうだね」

「ち、違うわよ!? からかわないでよね!」

「あ、あはは……」


 ゴホン、と恥ずかしさを紛らわすための咳をして、リリーはルシカへの説明を始めた。

 僕も自分の知識が間違っているといけないので、道具屋へ歩きがてらリリーの説明を聞くことにする。


「まず何に置いても大事なのは、ポーションの類ね。回復魔術師がいる場合を除いて、迷宮に入る場合にはまず間違いなく必要になるわ」

「それは、途中で休憩がしにくいからですか?」

「その通りよ。迷宮では安全な場所なんてものはないの。どこからでも襲われる可能性があるから、即時回復できるポーションが必須って訳。パーティーに魔術師がいるなら、通常のポーションに加えて魔力ポーションも買っておくのが基本よ」


 今のところ、リリーの説明に不備はない。

 だけど、一応口を出しておこうかな。


「まあ、僕の場合は魔力が有り余っているからいらないんだけどね」

「あんたの場合はそうでしょうね。あたしの戦い方は素手だし……一応確認だけど、ルシカは戦ったりはできないのよね?」

「す、すみません、そういうのはできないです」

「全然いいのよ? ということで、この場合は魔力ポーションだけ買えばいいってことね」

「なるほど……」


 その後もリリーの説明は続く。

 長いので要約すると、迷宮探索に必要なものは各種ポーション、解毒薬、地図、コンパス、魔物避けの護符、その他適宜必要となる物、といったところだ。


 説明を終えたリリーはふぅ、と息を吐いてルシカを見た。


「わかったかしら? 人に教えるのとか初めてだから、上手く伝わったかどうか不安なんだけど……」

「と、とってもわかりやすかったです!」

「……そうかな? そう言ってもらえるとあたしも解説した甲斐があったわ」


 リリーは照れくさそうに頬に軽く触れる。

 なんだか嬉しそうだ。ここは僕もリリーを褒めてやるべきなんじゃないだろうか。

 良いと思ったところは素直に褒める、それが長く人と付き合っていくコツだと聞いたことがある。


「リリーには人を教える才能があるんじゃないか? 冒険者になるよりも、講師の方が向いていたんじゃないかと思えたよ。今まで人から聞いた中で、ダントツで一番わかりやすい説明だった」


 ……ちょっと言い過ぎたかもしれない。

 喋っているとみるみるリリーの機嫌がよくなってくるものだから、どんどん思ったこと以上の言葉を盛ってしまった。


「あ、それわたしも思いました」


 ルシカ、君こっちに乗って来るのか!?

 これほどまでに褒めてしまうと、リリーはどうなってしまうのだろうか。

 恐る恐るリリーの顔を見てみる。


「ほ、本当に? ……なんか、照れるわね」


 リリーは満面の笑みでスキップしながら道を歩いていた。

 不味いなぁ……リリーがこれだけ喜んでいると、なんだか罪悪感が湧いてくるぞ。

 説明が分かりやすかったのは確かに事実なのだけれど、一番わかりやすいは確実に言い過ぎた。

 このままだと、なんだかリリーが道化に見えてきてしまう。

 ……やっぱり駄目だ、良心の呵責に耐えきれない。


「……悪いリリー。さすがにお世辞だ」

「ええ!? あ、あんたねぇ!」

「わ、わたしは本気でそう思いましたよ! とっても教えるのが上手くて、それで、講師に向いてるって、思って……すみません、お世辞です!」

「ちょっと!?」


 二人から同時に裏切られたリリーは、酷く傷ついた顔をしていた。

 すまない……。


「で、でもリリー。説明が上手かったのは本当だよ? 普通の人の説明のわかりやすさを百だとしたら、リリーの説明は百十三くらいだった」

「なによその微妙な上手さ……」

「わ、わたしは百十四くらいに感じましたよ、リリーさん!」

「変わんないわよ……」


 人を励ますことの難しさを身に染みて感じた僕とルシカだった。





 それから五分ほど歩き、リリーの機嫌が戻った頃に目的の道具屋に到着した。

 迷宮が攻略されると共に訪れた不況の煽りを受けて撤退した道具屋がほとんどな中、この街に残っている数少ない道具屋の一つである。

 中へと入ってみる。


 お世辞にも広いとは言えない店だが、品ぞろえは悪くはない。

 ポーションの質などは、むしろ高い方に思えた。

 ポーションはしっかり管理すれば数年は持つから、おそらくは迷宮バブルの頃の売れ残りが未だに並んでいるのだろう。


「ポーションと魔物避けの護符、それに迷宮内の地図をくれ」


 コンパスと解毒薬はすでに僕とリリーが持っているので、それ以外に必要となる物を購入することにする。

 迷宮内の地図については道具屋によって持っている情報がマチマチであり、どこで購入するかによって成否が決まるとも言われているほど大事なものだ。それ故本来ならば購入する店を慎重に選ぶべきなのだが、情報が出尽くした踏破済みの迷宮の地図ならどこでも品ぞろえは同じである。


 道具屋の店主の年老いた女性は、その注文を聞いて、糸のように細い目でチラリとこちらを見た。


「はいよ。……あそこの迷宮に入るのかい?」

「ああ、そうだよ」


 まあ、わざわざ迷宮の地図を買っているのだから、そういう推測が成り立つのも当然であろう。


「あの迷宮にわざわざ入るなんて、あんたら物好きだねえ。知ってるとは思うが、あそこはもう踏破済みだよ?」

「知っているけれど、少し用があるんだ」

「ふぅん? まあ、わたしゃ止めやしないさ。せいぜい死なないようにね」

「ああ、ありがとう。これも、感謝するよ」


 そう言って買った物を受け取る。

 老人はふん、と息を吐いたが最後、もう僕たちにさして興味もなくなったのか、目を閉じて微動だにしなくなった。

 僕たちは店を出た。





 迷宮の前。

 岩にぽっかりと黒い穴が開いているその場所が、迷宮への入り口だということだ。


「……うん、ちゃんとした物ね」


 その前でリリーがポーションを一つ開け、実際に使って効果を確認する。

 匂いなどである程度正規品か否かは判断できるが、一番確実なのは余計に買っておいて実際に使って確かめることだ。


「でも、偽物とかなんてあり得るんですか? 信用商売じゃ……」

「いや、少なくとも百年前は随分あったよ。しかも偽物の多くは高品質なポーションを偽っていて、多くは長い間バレなかったね」

「な、なんでですか?」

「そうだな……ルシカ、君はそんなポーションを使うのはいつだと思う?」


 僕の質問に少し悩んで、ルシカは答える。


「窮地に陥った時、もう少しで死んでしまう時……ですか?」

「そう、そんな時にそれが偽物だったら?」

「し、死んでしまいます。……え、そういうことなんですか!?」

「まあ、死人に口なしってことだね」


 ルシカが思っている通りだ。

 偽物だとわかった時にはもう死んでいるから、その店の評判は下がらない。

 まして高級ポーションなんて本物かどうかの確認のために余分に買うなんてことがしにくいから、余計に性質が悪かった。


「今の時代は少なくなったけど、水で効果を薄める程度は結構ありふれてるわ。信用できる道具屋を見極めることも冒険者の能力の一つと言われるくらいよ」


 リリーが僕に補足する。

 僕たちの話を聞いたルシカは心底感心したような声を出した。


「はへぇ……凄い世界なんですね、冒険者って」

「今からルシカも冒険者みたいなことするのよ? 特に今のあなたは誰にも見えない触れない、だからこそ迷宮内においては索敵というとても重要な役割をこなせるわ。気持ちの準備は大丈夫?」

「は、はいっ! お兄ちゃんを見つけるためですから、精一杯頑張ります!」

「よし、いい返事! 大丈夫、あたしはそれなりに腕に自信があるし、エディルは死なないらしいから、気負い過ぎずに行きましょ?」

「ありがとうございます、リリーさん!」


 さすがはリリーだなぁ。

 声掛けでメンタル面まで調整してあげるなんて、僕にはできない。


「エディル、荷物に不備はないわよね?」


 感心してると、リリーが僕に問うてくる。


「ああ、大丈夫だ」


 チラリとルシカを見る。先ほどリリーに声をかけられたおかげか、かなりやる気に満ち溢れているようだ。この分ならルシカは心配いらないだろう。となると、あとは僕……か。

 本職のリリーの脚を引っ張らないように、僕も精一杯努力するとしよう。


 迷宮の入り口を見つめる。

 すでに踏破済みとはいえ、迷宮は迷宮。

 その真っ暗な道の先には、数多の危険が待っているのだろう。


「……さて、じゃあ行こうか」


 だけれど、ルシカの未練を晴らすためには避けては通れない道だ。

 僕は迷宮へと足を踏み入れた。

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