2話 止まない雨はない
「……さあ、君の未練はなんだい? リリー・エーレンフェルス」
僕の問いに、リリーは数秒黙り込む。
頭の中で話すべきか話さぬべきかを考えているのだろう。
それを見て僕はひとまず安心する。
その時点で話すことは決定したようなものだからだ。
考えるという行為をおこしたということは、彼女には理性と知能がある。
ならば、たとえすぐには話してくれないとしても、いずれ結論付けるものだ。
『僕の説明には何一つ嘘はなく、未練を絶つこと以外には仮契約を終える方法はない』と。
なぜならそれは事実であるから。
ならば、僕はその時を待てばいい。彼女がその結論に至る時を待てばいい。
よしんば十年や二十年待たされたとしても、そのくらいの対価は安いものだ。
僕にとって、こんなチャンスは早々ないのだから。
「……わかった。話すわ」
数分の間逡巡していたリリーは、意を決した眼で僕を見る。
「それはよかった」
僕はそう返した。
リリーは唇を噛みながら、自身の未練を語りだす。
「あたしは親ももう死んじゃってるし、未練と言われて思い当たることは一つよ。……憎い。あの男が、憎いの」
「あの男とは?」
「ジーグル・ベールヴァルド。あたしを殺したクソ野郎よ」
「そうか。……リリー、唇が切れているよ」
僕はリリーの唇から流れ落ちた血を親指で拭う。
「感情的になってしまうのはわかるけれど、自分を傷つけてしまうのはよくない。その男は君が血を流す価値すらない人間だ。そうは思わないかい?」
「……そうね、その通りだわ」
リリーも納得してくれたようだ。よかった。
こんなに可憐な女性が自分を傷つけるような姿を見ると、心が痛むからね。
「それで、どうなの? あなたに付いていないといけない以上、あなたが了承しないとあたしは未練を晴らせないんでしょ?」
そう尋ねてくるリリー。
彼女からすれば当然の疑問だ。
僕はそれに笑って答える。
「大丈夫。その人間には僕も色々と思うところがあってね。喜んで協力させてもらうよ」
「それは……凄い偶然ね」
「そうだね、この偶然にはさすがに僕も驚いたよ」
そこで一瞬の沈黙。
そしてぽつりと彼女は言う。
「……そんな偶然、あり得ないわよね?」
「あり得ないってことはないんじゃないかな。人の世はいつもの奇怪な偶然で満ち溢れている」
「でも要は、適当に選ばれたあたしが、偶然あなたと同じ相手に恨みを持っていたってことでしょ? どれだけ低い確率よそれ」
「……もしかして君は、僕が君の死を仕組んだと言いたいのかい?」
僕の質問にリリーは首を横に振る。
「いいえ、そこまでは言わないわ。アイツが誰かと組むなんて考えられないし。……ただ、『あたしを死霊術で利用するために、殺されそうなのを知っていても助けてくれなかった』なんてことくらいはあり得そうだなと思っただけ」
リリーはそう疑いの目を向けてきた。
その嘘を許さない眼力の強さに、中々の胆力だ、と僕は舌を巻く。
この辺りは冒険者の面目躍如といったところだろうか。
僕は簡潔に答えを返す。
「正解。勘が鋭いね。そういう人は好みだよ」
答えは簡潔に。余計なことを言うと、色々と面倒なことになるからね。
するとリリーは気勢を削がれたように、すこし間抜けな顔を浮かべた。
「……ねえ、それあたしに言っていいの? 普通当人に伝えないでしょ、そういうのって」
「さあ? ……でも、そうだねぇ。例えば今ので君が僕に愛想を尽かしたとして、君には僕を許す以外にとれる手段はあるのかな?」
仮契約中の霊魂は行動範囲も著しく制限される上、物に触ることもできない。
できることといえば死霊術士との会話くらいなものなのだ。
僕の言葉の意味を理解したのか、リリーの表情が固まる。
「……あなた、優しそうな顔に似合わず中々黒いのね」
「そうかな? 自分ではよくわからないけど。あ、それとね。君を選んだ理由はもう一つあるよ」
「へぇ、何よ」
「生前の君を見て、しましまパンツが似合いそうだと思ったからだ」
「黒い上に変態とか救いようがないわ」
「君に救ってもらう必要はないよ。僕は君を救う側だからね」
「言うじゃない」
「事実だろう?」
ニヤリと笑って首を僅かに傾ける。
リリーはそれに対して何も答えはしなかった。ただ、軽く呆れたような笑いを浮かべた。
振っていた雨はいつの間にかその勢いを落とし、太陽が再び顔を出した。
僕は手の平を天に向ける。いつまで待っても手の平に雨粒は振ってこない。
「止んだみたいだね。……じゃあ、そろそろ行こうか」
僕はそう言って一歩目を踏み出し、そしてすぐにくるりとリリーの方を振り返った。
「ああ、僕のことは気軽にエディルと呼んでくれて構わないよ。堅苦しいのは嫌いなんだ。ちなみに好きなものはパンツだよ」
「……あたしあなたと上手くやって行ける気がしないんだけど、大丈夫かしら……」
「大丈夫だよ。僕は平気だ」
「あなたじゃなくって、あたしが・・・・大丈夫か不安なのよ」
「それも大丈夫さ。ただ、もし何か困ったことがあったらすぐに僕に言うと良い。出来る限り協力させてもらうから」
そう伝えると、リリーは意外そうな顔をする。
「いいところもあるのね、あなた」
「僕があげたパンツを履いてくれているんだ、このくらいはね」
「……そういうこと、あんまり言わない方がいいわよ? 関わる女の子全員に嫌われたいなら話は別だけど」
「嫌われたくない」
「……ぷっ。ちょっと、急に素直にならないでよ」
初めて見たな、彼女の笑顔。
無垢な少女の笑顔は、僕には決してできない表情をしていた。
それを少し羨ましく思いながら、僕は口を開く。
「僕は最初から素直だよ。これでも性格がいいと自負しているからね」
「それはないと思うけど……まあともかく、あなたとも上手くいくよう努力はしてみるわ」
「ああ、それはありがたい」
そんな会話をしながら、僕とリリーは墓地を後にするのだった。