11話 新たな霊魂
「それで、これからどうするの?」
数日後。
服を買い揃え、ベッドももう一つ買い、日用品も粗方そろえたところで、リリーは僕に尋ねる。
「次の仲間を探すよ。僕の目標はね、一人でも多くの霊を顕現して、その未練を絶ってあげることなんだ」
「へぇ、なんで?」
「困っている人を助けたいというのが人の良心というものだろう?」
「……あなたが?」
「僕がだよ、リリー」
僕は微笑みをリリーへと送る。
「似合わないわよ、そういう臭い言葉」
「手厳しいなぁ」
そう言いながらも、僕は口角を僅かに上げる。
こういう何の変哲もない会話というのは、これまで僕がいくら望んでも手に入らなかったものだからだ。
普通のことが普通にできるということの、なんと幸せであることか。
僕はひそかにリリーに感謝した。
「実はもう、次の候補にはアタリをつけているんだよね」
僕は言う。
「へえ、そうなんだ。どんな子なの?」
「それは会ってみてのお楽しみってね。あそこにいるよ」
僕は灰色の建物を指差す。
なんとなく辛気臭い、暗い雰囲気の建物だ。
「あそこって何の建物?」
「霊安所さ」
「なるほど……まあ、死んだ人間が多く集まる場所ではあるわよね」
「骨もあるしね。あそこに運ばれたばかりの子が、次の顕現候補だよ」
僕の言葉に納得の顔をしていたリリーだが、数拍遅れてふと眉をひそめた。
「でも、そもそもあの中って入れるものなの? あたしもあなたも、関係者でもなんでもないわよね」
「ああ、それは心配いらないよ」
僕はそう言って、陰鬱な雰囲気の漂う霊安所へと向かった。
「お疲れ様です」
「そちらも」
職員と軽い挨拶を交わし、中へと入る。
そんな僕に、リリーはより猜疑を深めたようだ。
「……ねえ、なんで顔パスで入れるのよ。もしかしてエディルって、ここの職員?」
「違うよ。理由は……そうだね。『僕が死霊術士だから』かな」
「死霊術士だから? どういうこと?」
僕は死霊術について、リリーに少し詳しく説明することにした。
「死霊術が未だ多くの国で禁止され、人々に忌み嫌われているというのは前に話しただろう? 国としても人の目がある限り、死霊術士という存在はおおっぴらに支援したくはない存在だ。ただし冷たくしすぎて他国に逃げられるとそれは大きな損失になりうる。特に戦争が始まれば、死霊術士の需要は急騰するよ。魂なんていくらでも顕現させられるようになるからね」
リリーはうんうんと頷きながら聞いている。
理解力があってよろしい。
「そういう訳で折衷案として、死霊術士には極秘裏に霊安所での死体の吟味が認められているのさ。この国ではね」
「ふーん……まあ、色々あるってことね。あなたたち死霊術士にも」
「まあ、人の生き死にと深くかかわる魔術だからね。どうしても制約やしがらみは付きまとうものだよ」
その一つとして、霊魂は家族の許可がないと顕現させることはできない。
しかしそれは今の死霊術が忌避される社会では現実的ではないため、基本的に死霊術士が顕現させるのは親族のいない、もしくは親族から見放された人々だ。
リリーもその一人であるし、今から僕が顕現させようとしている子もまたそうである。
「それなのに、なんで死霊術士になろうと思ったの?」
リリーが聞いてくる。
話の流れから言えば当然の質問だろう。
しかし僕は一瞬言い淀んでしまう。
言うべきか、言わざるべきか。それを悩んだがゆえの一瞬の空白だった。
「……生き返らせたい人がいて、というところかな」
「……そっか」
その逡巡を、リリーはどうやら別の意味で捉えたようだ。
「ああ、もしかしてリリーは僕の周りに君以外の霊がいないことからそれが失敗したと考えているかもしれないけど、僕の試みはちゃんと成功したよ。まあ、少し昔の話だけどね」
僕は当時を振り返る。あのころは、僕も若かった。
「何年くらい前の話なの?」
「うーん……それは秘密にしておこうかな。男はミステリアスな方がモテるというからね」
別に異性にモテることに興味はないけれど、異性のパンツには大いに興味がある。
モテることはパンツに繋がっているのだ。
「……まあ、話したくないなら無理には聞かないわ」
そんなリリーの言葉は正直ありがたい。
いくら心を許し始めているといっても、まだ出会って一か月も経っていないのだ。
互いに全てを曝け出せるほどの信頼関係はそう簡単に構築できるものではない。
そして、僕はそれで構わないと思っている。
信頼というのはゆっくりと時間をかけて積み上げていけばいいのだ。焦ることはない。
「助かるよ、さすがは僕のパートナーだ」
僕は心からの本音を口にした。
リリーは少し照れたような顔をする。
「もう……褒めても何もでないわよ?」
「パンツは見せてくれるだろう?」
「見せないに決まってるわよね?」
ウィンクを飛ばす僕のお願いをリリーは当然のように断る。
「ちぇっ」
リリーはけちんぼだ。
僕は口を尖らせた。
カツカツと革靴の音を響かせながら、気が滅入るような全面灰色の壁と床の建物を進む。
数分も歩けば、目的の子の場所までたどり着くことができた。
その子の身体は全身を上から布で覆われていた。
僕とリリーはその子の前で手を合わせ、黙祷をささげる。
十秒ほどそうした後、僕は顔の部分の布を剥いだ。
「この子だよ」
顔が外気に晒される。
大人しそうな印象の十四、五歳の少女だ。
肩のあたりまでの純白な髪を柔らかくカールさせている。
全体的に色素が薄いようで、肌も心なしか白っぽい。
「死んでるとは思えないほど綺麗な顔してるのね」
「そうだね。僕もそう思う」
その顔はとても安らかで、未練などなさそうに見える。
しかし僕は知っている。彼女が生前に強い思いを抱いていたことを。
それが僕の勘違いではないのならば、きっとこの子の魂もまだ成仏していないはずだ。
「では早速……」
僕は自分の予想があっていることを願いつつ、下半身の布を剥ごうとする。
「ちょ、ちょっと! なんで当然のように布をとろうとしてるのよ! その下は裸なのよ!?」
リリーの言う様なことなど、僕は当然百も承知だ。
しかし……。
「パンツを履かせないと魔術を使えないんだから、仕方ないだろう。……それとも君はもしかして、死霊術に対してやましい気持ちがあるのかい? だとしたら君には失望したよ」
「うっ……い、いや、そういう訳じゃないけど……」
僕の視線に狼狽えるリリー。
続けて僕は畳みかける。
「じゃあいいじゃないか。ちなみに僕はやましい気持ちが大いにある」
「なら駄目に決まってるでしょうが! あたしに対して失望する権利なんてあなたには微塵もないじゃないの!」
「ふむふむ、君の言う通り過ぎて言い返すことができないね。……でも履かせたい! 僕はこの子にパンツを履かせたい!」
「なんて正直なの……。でも駄目よ、あたしが履かせるわ。エディルは向こうを向いてなさい」
「わかったよ……」
そう言ってわたしはリリーにこの子のためのパンツを受け渡す。
ちなみに一段だけフリルが付いているタイプの白のパンツだ。髪と合わせたのである。
そんな工夫を施したというのに、僕は自らの手でパンツを履かせることもできないというのか……。
後ろを向いた僕は、がっくりと肩を落とさざるを得ない。
「どれだけ落ち込んでるのよエディル……」
「ぐすっ……」
「え、な、泣くほど!? で、でもこの子のことを考えたら、やっぱりエディルに履かせるわけには……。じゃああたしのパンツを見せる……? いや、いやいやそれはいくらなんでも! でもエディルがこんなに落ち込んでるし……」
「安心してくれリリー。嘘泣きだよ」
「あなた本当一発殴るわよ?」
怖いことを言わないでくれよ、まったく。
観念した僕は大人しく後ろを向いていることにした。
衣擦れの音だけで想像するというのもまた乙なものだ、そう思うしかない。
「履かせたわ」
「ご苦労。では、顕現といこうか」
僕は覆いかぶさる布から少女の腕をだし、そこに触れる。
術の行使の為には身体のどこかに触れていなければならないからね。……さて、と。
「エディル・クリストファーの名において命ずる。現世に留まる霊魂よ、我が元に顕現せよ!」
僕がそう唱えると、少女の身体を淡い光が包んだ。
どこからか生じた風で布ははじけ飛ぶ。
そしてその顔に生気が宿った。
少女はパッと目を開く。眼を見ただけで純粋だとわかるような、穢れを知らない目だ。
「え、え? こ、ここは……?」
「初めまして、ルシカ・ウィット。僕はエディル・クリストファー、死霊術士だ。戸惑っていると思うけれど、まずは話をしようじゃないか。なに、君にとっても悪い話じゃないよ」
事情の呑み込めていない様子の少女――ルシカに、僕はそう優しく声をかけた。




