10話 実体化
四話目です。
「じゃあ、実体化するよ。準備はいいね?」
「ええ、いいわ」
準備は万全。
僕はリリーを顕現させたのと同じように、魔力を練り上げはじめる。
そして体内で練り上げた魔力を地面へと流し込み、リリーの足元に六芒星の魔法陣を書き上げた。
すると、リリーの身体に劇的な変化が訪れる。
その身体が光を纏いだす……というか、リリーの身体そのものが発光し始めたのだ。
夕暮れを裂くほどの眩い白光が、辺りを包む。
僕は息をするのも忘れてそれを見ていた。
美しい光景だった。おそらく今まで僕が見てきたものの中でも断トツに。
この世のものとは思えないほど美しいリリーの身体は、美術品を超えるほどの圧倒的な美を備えていた。
そして次の瞬間、実在化への移行に伴い全ての衣服が一瞬消滅する。例外は首輪の役割を持つ白と水色のしましまぱんつだけだ。
僕がその光景を永久に心に留めておこうと決意したのは、なんら不思議でもないことだった。
それから数秒後。
無事に服までの実在化が完了したリリーは、呆気にとられた顔をする。
「……これであたしは実体化できた、の?」
「ああ。地面にも触れられるし、木々にも触れられる。もちろん僕にも触れられるよ」
僕はそう言ってリリーの手に触れた。
するとリリーは、まるで静電気でも起こったかのようにビクッと肩を跳ねさせる。
「うわっ!? な、なんかすごいビリッってきた!」
長い間何にも触れていなかったから、神経が休止状態にでもなっていたのだろうか。
その感覚がよほど衝撃的だったようで、リリーはつんつんと俺の手に何度も触れた。
そしてそれを繰り返しながら、段々と目に涙を溜めていく。
「……あたし、本当に、触れてる。あたし今、エディルに触れてる……っ!」
「そうだよ。君はもう実体だ。何にでも触れるし、お風呂も入れるし、食事もとれるし、他人からも見える。君は生き返ったんだよ、リリー」
「ううぅ……うわあああんっ!」
感情が抑えきれずに、リリーはその感情を僕にぶつけてきた。
リリーに抱き着かれ、今までは感じられなかった甘い匂いが鼻に入り、僕もまたリリーが実体化したことを改めて実感する。
「泣きたいだけ泣けばいいさ。今はそういう時だ」
僕は抱き着いてわんわんと泣くリリーの頭を優しく撫でた。
その赤髪のさらさらとした感触もまた、おそらく僕は一生忘れることはないだろう。
「恥ずかしいところをお見せしました……」
平静を取り戻し、僕に深々と頭を下げるリリー。
その目元はまだ赤い。
「いいや、全然恥ずかしくなんかないさ。むしろ当然の反応だと思うよ」
「そう言ってもらえると、ありがたいです……」
借りてきた猫のように大人しくなってしまったリリーに、僕は話を振ってみる。
「ああ、それとも君が言う『恥ずかしいところ』というのはもしかして、実体化の最中の話かな? ほんの一瞬だけパンツになったよね、君」
「ちょっ!? 何で言うのそれ! 普通そっとしとくよね!? あたしも思ったけど! 『あ、これ一瞬パンツだけになっちゃってる』って自分でも思ったけど! それでも普通はそっとしとくわよね!?」
どうやらよっぽど触れて欲しくないところだったらしい。
借りてきた猫のような雰囲気はどこへやら、とにかくすごい剣幕だ。
「ごめんごめん。嬉しくてつい。……あの美しい光景を、僕は一生忘れないよ」
「早急に忘れて! 忘れなさいったら! ねえエディル!」
遠い目をする僕の肩をリリーが揺すって来る。
それでも反応をしないと、次はぽこぽこと肩を叩いてくるが、そんなことはおかまいなしだ。
僕はあの光景を絶対に忘れないのである。
翌日。
宿で朝を迎えた僕は、もぞもぞとソファから身体を起こす。
なぜソファで寝ているかといえば、リリーが実体化してしまったので、寝るのにベッドが必要になったからだ。
「あの……ベッド、ありがと」
「いやいや、礼は不要だよ。男として当然さ」
リリーは申し訳なさそうに感謝を述べてくるが、その必要はない。
女性を差し置いて男の僕がベッドを使うなんてことは、僕の目指す紳士的な振る舞いには程遠いからね。
それはともかくとして、今の僕たちは、なるべく早くやっておかねばならないことを抱えていた。
「一緒に暮らすことになったことだし、買い物に行こう。実体になったからには、自由に服を作ったりもできないから」
「あーそっか、そうよね。一旦あの手軽さに慣れちゃうと、なんだか不便だなぁ……」
少し残念そうな顔のリリー。
「なら霊体に戻るかい?」
「そ、それは勘弁だけど」
まあさすがの僕も、一旦実体化した霊魂の霊体への戻し方なんて知らないんだけれどね。
街で一番大きな服屋を訪れた僕は、開口一番言った。
「今彼女が着ているのと全く同じ服を繕ってくれ。オーダーメイドでね」
店員にそう告げると、店員は用意のために一度店の奥に下がっていく。
その間に、僕は横のリリーに言う。
「他の服を買うのは君の採寸が終わってからにしよう。いいかな?」
「い、いいの? オーダーメイドってすごく高いんじゃ……」
「大丈夫、必要な投資さ。これから先きっと危険なことも多いはずだ。そんな時、お気に入りの服がもう着れなくなってしまうのは辛いだろう? それでモチベーションが下がってしまうのはいただけない。だから買う。それだけの話だよ」
僕の説明に、リリーはまだ申し訳なさそうな表情を浮かべる。
そこまで僕に対して引け目を感じる必要はないのだが……。
「……ただ、そうだな。もしも君が僕に恩を返したいと望むのならば、小さく柔らかいその手で今すぐスカートをめくってパンツを見せ――」
「今この瞬間、あたしがエディルに感じていた恩は綺麗さっぱり消え失せたわ」
「そりゃあ残念だ」
折角見せてもらえるかと思ったのだけど。
「……でも、ありがと」
「どういたしまして」
照れながらもそう告げられたことに、僕は悪い気はしなかった。
パンツを見ることができなかったというのに、不思議なこともあるものだ。
採寸を終え、服も粗方買い終わる。
元々僕は白いシャツと黒いコートに黒いズボン、それに黒いハットしか必要がないから、悩む時間がほとんどないのだ。
そしてリリーも、女性にありがちな、決断に悩みこむようなことはあまりなかった。
そういうわけで、下着売り場にやってきたのである。
もちろん女性用のだ。
「ふむ、これもいいな……」
僕は一着一着を真剣に見つめる。
これが将来誰かの『首輪』となるかもしれないのだ。僕に妥協は許されない。
「よくあなた真面目な顔で女性物のパンツを吟味できるわね……。今はあたしがいるからまだいいとして、一人の時も同じことやってたんでしょ? 周囲の視線とか、恥ずかしいと思わなかったの……?」
そう問うてくるリリー。
ふぅ、それこそ愚問中の愚問だな。
「万が一周囲の視線を気にしてパンツに真摯に向き合わないなんてことになったら、僕はそれこそがこの世で最も恥ずべき行為だと思うよ」
「……一応聞くけど、パンツの話よね?」
「パンツの話だね」
リリーは呆れた表情へと変わり、肩をすくめる。
「エディルってパンツの話になると一々大げさになるわよね」
「そう思うなら、君がパンツを見せればいいじゃないか」
「意味が全く分からないわ……」
ただパンツを見せてくれるだけで僕は喜ぶというのに。
まったく、厳しい女性をパートナーに選んでしまったよ。……自分の選択が間違いだったとは思っていないけれどね。
その後も下着コーナーの物色を続ける僕。
しばらくして、幸運にもピンと来るものに出会うことができた。
「白地に小さな赤のリボン。なるほど、こういうのもアリか……」
おそらく幼い子供用のものなのだろうが、とてもいいフォルムをしている。
これは実力のあるデザイナーが関わっていると見て間違いないな。一目見て買うと即決したのは久しぶりだ。
「よし」
「!? ちょ、ちょっと!?」
意気揚々とりぼんパンツを会計へと持っていこうとする僕を見て、リリーは何故か酷く狼狽する。
「あ、あたし絶対そんな子供っぽいの履かないからね!? 買っても無駄だから!」
「……」
「……な、何よ」
「いや……。ただ、元から君ではなく新しい子を顕現させる時のために色々と探していたのに、自分が履くのを想像してくれているとは思わなかったから」
「え……?」
「今の言葉で僕は君に強い好感を持ったよ。……なんというか、ありがとう」
君がりぼんのパンツを履くのを想像してくれていたなんて、それだけで鼻血が出てきそうだ。
充分に成長しているリリーと幼い印象のりぼんパンツの対比が実に素晴らしい。
「……それをもっと早く言いなさいよ! ばかっ!」
リリーに叱責を飛ばされてもなお、僕はもうしばらく妄想の世界でその素晴らしさに酔いしれ続けるのだった。
これにて一章『リリー・エーレンフェルス編』終了です!
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