シュールレアリスティック・ガール/四
BGMはオアシスのソング・バード。
梅雨は居眠りをしている。そんな六月も終わりに近い、晴れた日曜日だった。私は枕木ユウと以前訪れた、90年代のロック・ミュージックが流れる喫茶店に来ていた。そしてあの雨の土曜日と同じテーブルに座り、同じようにバニラのアイスクリームを注文した。対面に座るのは枕木ユウではなく、小学校時代からの親友の二人だった。窓側に座っているのがちーちゃんで、通路側に座るのが木間ちゃん。三人とも高校はそれぞれ違うところに進学したけれど、今でも二人とは遊びに出かけたりする仲だった。三人の性格はそれぞれ違っていて、簡単に言えば、ちーちゃんは楽観主義者で、木間ちゃんは悲観主義者、そして私はその中間派だった。ちーちゃんはアイスクリームをとても美味そうに食べる。木間ちゃんは冷たいものにきーんとなるのが嫌で恐る恐るアイスクリームを掬い上げたスプーンを口に運ぶ。そして私は黒板に並んだ文字をノートに書き写す時と同じような表情に顔を固定して、黙々とアイスクリームの甘みを感じる。決まってちーちゃんはストロベリィ、木間ちゃんはチョコレート、私はバニラ。ちーちゃんはショートヘア、木間ちゃんはロングヘア、そして私はセミロングヘア。要するに、私たちの人間関係は正三角形なのだ。それぞれが偏りなく、同じ角度に扇を開いた先にきちんと立っている。限りなく安定している。だから私は三人でいるのが好きなのだと思う。
ちーちゃんは自身が所属している吹奏楽部のことについて話す。ちーちゃんの高校は吹奏楽部の強豪校で、練習が厳し過ぎて毎日死にそう、ととびきりの笑顔で言う。ちーちゃんはクラリネット奏者で、私は何度か彼女の演奏を聞いたことがあるが、その腕前は本物だった。ちーちゃんは吹奏楽部の部長の選曲のセンスのなさ加減に明るく愚痴をいい、副部長の統率力のなさ加減を明るく批判し、下級生の正義のなさ加減を明るく嘆く。ちーちゃんのたまに跳び出す冗談に私は手を叩いて笑い、木間ちゃんはふふっと静かに笑う。ちーちゃんの吹奏楽部の話が一段落したところで、木間ちゃんが最近どっぷり浸かっているというゲームについて話す。木間ちゃんがゲームの話をするときには表情に陰影を付く。それから激しく猫背になり、軽く早口になった。木間ちゃんは任天堂フリークで、特にマリオが好きだった。
「というわけで私はいつまでもスーパーマリオ・ギャラクシィの続編について期待しないわけにはいかないわけなのだよ、……ふう、それにしても、いい場所だね、レトロチックで、静かで、ここ気に入った、」木間ちゃんはひとしきりスーパーマリオ・ギャラクシィについて話し終えると控えめに微笑み、チョコレートで汚れた口元をハンカチで拭い、店内を見回しながらそう言った。「でも意外だ、ハルがこんなお店を知っているなんて」
「そうそう、」ちーちゃんが腕を組み首を縦に大きく振って頷く。「待ち合わせがマクドナルドじゃないなんて、初めてじゃない?」
「そうでもなくない?」私は少しテーブルから身を引き背筋を軽く伸ばして首を竦める。そして笑顔を作り「……実はね、」と、私は一度唇を舐めて、このタイミングで、私が二人に話しておきたかったことを切り出した。私は二人に話を聞いてもらいたくて、二人をこの喫茶店に召集したのだ。「私がこんなレトロチックな喫茶店のことを知っているのには、まあ、理由というか、変な経緯があってね」
そして私は枕木ユウという、突然私の前に現れた変な人について話した。枕木ユウが土曜日の雨の美術室に突然現れたことについて。枕木ユウの人となりについて。枕木ユウは緑色のミニクーパの助手席に私を乗せてここに連れて来たことについて。枕木ユウは仕事で旅人のようなことをしていると言ったことについて。私にアイスクリームを食べさせて、私の青い天使と真紅色の薔薇と公園の絵が好きだと言ったことについて。もちろん、私が枕木ユウと初めて遭遇したそのときに、カレンダー・ガールを陽気に踊っていたということは内緒にした。いくら気心が知れている二人にも、さすがに誰もいない美術室でカレンダー・ガールに合わせて踊っていたなんて恥ずかしくて言えなかった。私は恥ずかしがり屋で、なるべくなら顔を赤くしたくないタイプなのだ。それはともかくとして、ちーちゃんと木間ちゃんは私の話を遮ることなく黙って聞いていた。
「……そしてね、最後に枕木ユウは私に何か用があれば電話して来いって名刺をくれたの、それがこれ、」枕木ユウの名刺を私はベイマックスのパスケースの中に入れていた。それを取り出し、枕木ユウが以前そうしたように、私は名刺をテーブルの上で滑らせて二人に見せた。「ザ・シークレット・アフェア、それが枕木ユウの秘密の職業なんだって」
二人はじっと、枕木ユウの名刺に視線を落としていた。
「……で、どう思う? ザ・シークレット・アフェアってなんだと思う?」
私が聞くと、ちーちゃんと木間ちゃんは同時に視線を持ち上げ、今度は私の顔をまじまじと見て、それから二人は示し合せたように顔を見合わせた。そして大きく溜息を吐いた。
「……え?」私は二人のことを目だけ動かして交互に見る。「その大きな溜息はなんなのよ」
「ペテン師?」と、ちーちゃんが彼女にしてはいつになく冷ややかな目をして言う。
「いや、ネズミ講かも、」と、木間ちゃんが陰のある笑顔で言う。「もしくは宗教の勧誘?」
「……ちゃ、ちょ、二人とも、何言ってんの? 枕木ユウはそういうんじゃないんだって」
「何言ってんのって、ねぇ?」と、ちーちゃんは呆れたという風な視線を私に向けて煩わしそうに木間ちゃんに振る。「木間ちゃん」
「怪し過ぎるだろーが、」木間ちゃんはぶっきらぼうに言ってテーブルの下で私の足を軽く蹴る。「この枕木ユウってやつ、ペテン師にしろ、ネズミ講にしろ、宗教の勧誘にしろ、いずれにせよ、怪し過ぎるだろーが、最初の登場から普通じゃないだろーが、美術室に現れたぁ? もう完全に不審者じゃねーか、ただの不審者じゃねーか」
「だからそうじゃないって、枕木ユウは不審者なんかじゃないって、枕木ユウは、」
「不審者じゃなかったらなんなの?」ちーちゃんは私の声を遮って言う。「話を聞く限りでは、不審者以外の何者でもないと思うんだけど、不審者じゃなかったら何なの?」
「なんなのって、そりゃ、シークレット・アフェアで、旅人のようなことをしている人だよ、確かに変っていうか、ちょっと変わっている人かもしれないけど、不審者とか、そういうんじゃないんだって、とにかく枕木ユウはそういうんじゃないんだって、確かに変だけどちゃんとしている人なんだって、清潔感もあったし、ちゃんとスーツも着ていたし、私には不審者には見えなかったな、騙してやろうっていう威圧的な雰囲気もなかったし、それに、なんていうか……、優しかった」
二人はそこで再度、大きな溜息を吐く。
「そういう奴に限ってやべぇ奴なんだって、」木間ちゃんは人差し指を私の方に向け、それを手首のスナップで上下に動かしながら言う。「いいか、ハル、その優しさは演技だよ、奴は優しさっていう着ぐるみにすっぽり本当の姿を隠してよく見せているだけなんだ、十七歳の女子高生に好意を持たれるマニュアルみたいのがあってそれを完璧に実践しているだけなんだよ、ハルが枕木ユウから感じた清潔感や優しさといったものは全て見事な偽物なんだって、ハルの心の奥の方まですっかり騙すためのね、そしてハルはすっかり心の奥の方まで騙されちゃっているわけだ」
「だ、だからぁ、そうじゃないってば、枕木ユウは私を騙そうだなんて考えていないし、演技なんてしてない、っていうか、そもそも私を騙してどうしようって? 私を騙したって何にもないでしょうに」
「ハル、お前は莫迦か?」木間ちゃんは私のことを睨むように見る。
「ば、莫迦ぁ?」私は珍しく、木間ちゃんに対してむっとする。「莫迦って何よぉ」
「お前は社長令嬢、狙いを付けるには充分過ぎる動機だと思うがね」
「確かに一応はそうだけど、」木間ちゃんが言う通り、私の父は社長だった。だから私は社長令嬢ということになる。社名はイナニ・インダストリィ。印刷に関連する部品を製造しているみたいだけど、私は会社について詳しいことを全く知らない。「小さな会社だよ、小さな会社の社長過ぎて高校生になるまでお父さんが社長だなんて知らなかったレベルだよ、お小遣いだって月五千円、そんな社長令嬢を狙ってなんになるのさ、リスクが高い割に見返りが少ないように思うんだけど」
「大企業の社長のご令嬢を狙うよりはリスクは格段に少ない、」木間ちゃんは断定的に言う。「リスクは少ない方がいい、ハル、お前の口癖だよ」
「……まあ、そうかもしれないけど」私は口を尖らせる。
「……もしかして枕木ユウって人のことを好きになった?」木間ちゃんは私を探るような目をして言う。「ハルって意外と惚れっぽいんだ、知らなかったな」
「は、はあ!?」私は急に跳んできた思いも寄らぬ質問にテーブルを両手で叩いて立ち上がって怒鳴ってしまった。「そ、そんなわけないじゃん!? どうしてそんなこと言うの!?」
「冗談だよ、落ち着きなって、」木間ちゃんは片方の口角を持ち上げて言う。「とにかく座りなって、注目されてるよ」
言われて私ははっとなり、店内を見回す。確かに視線が私に集まっていた。瞬間的に私の顔は赤くなり、体は熱くなる。汗が噴き出るのを感じる。慌てて座って水を飲む。そして木間ちゃんを睨み見て言う。「……最低の冗談、私が枕木ユウのことを好きになるなんて有り得ないでしょうに」
木間ちゃんは私の睨みを躱すように頬杖付き窓の外に視線をやった。そして黙り込む。
「……ハルナ、悪いことは言わないよ、」ちーちゃんは木間ちゃんを一瞥してから、私を宥める様に、優しい口調で言う。「枕木ユウって人は限りなく怪しい、そうは思えなくても何か企んでいるはずだよ、話を聞く限り、ちょっと普通じゃないもの、枕木ユウって人に近づいちゃいけないと思う、近寄って巻き込まれちゃいけない、ブラックホールみたいに吸い込まれて抜け出せなくなっちゃうってことになりかねない、そういう危うさが漂っている気がする、ハルナ、冷静に考えてみて、そうすればきっと私たちと同じ結論に辿り着くと思う、枕木ユウには近づいちゃいけない」
「私が冷静さを失っているって言いたいの?」
「はあ、まったく、剛情な時は剛情なんだから、」と、ちーちゃんは鼻から大きく息を吐き出す。そして名刺に人差し指を置く。「とにかくこの番号に掛けちゃいけないよ、絶対にね、いい?」
私は返事をせず、枕木ユウの名刺をベイマックスのパスケースに戻す。「枕木ユウは二人が思っているような人じゃないから」