走馬灯
アレから二週間が過ぎた。
もうすっかり雪が降っており、今でもパラパラ降っている。油断して歩くと滑りこけそうになるくらいだ。
与謝野佳志が現れる気配はなく、人体実験のフィルモットの情報もほとんど来ない。
千春は毎日俺にそういう話をし続けていた。故郷の俺の思い出や、その家族の思い出のこと。
だが、内心俺はそういう思い出から振り切って今の俺としっかりと振り向いてほしいと思っている。
それを伝えれるのはいつだろうか。
店のベッドで暇を潰していると、その部屋のドアが勢いよく開いた。
「真、デートしよ」
珍しく千春がそんなアグレッシブな発言をした。
ストレートに言いすぎるんだよお前……。
でもまぁ、何だかんだやっている事はいつもとそう変わらない。一緒に歩いて、ブラブラして、どっか行って楽しむってだけだ。
ジャケットを着て、千春と一緒に外へ出た。
歩いている途中、こんな話をした。
「ねぇ真。今の私で満足かい?」
「いきなり何だよ。満足できる訳ねぇだろうが。お前をまだ守ってねぇんだからよ。だから、死ぬなよ」
「………そうかい。私が死ななかったら、満足するのかい?」
「そりゃそうだ。俺が守れたらな。でもまぁ、今のお前でも良いと思うぜ俺は」
「故郷にいた真には、こんな接し方一回もしなかった。だからちょっと心配だったけれど」
やはりこの話だ。
………言うべきか、あえて言わないべきか。
その心の葛藤は怒涛に彷徨った。
しかし、俺は結局言えなかった。その故郷の自分がどんな人間だったかが少し気になっていたからだ。
でも、やはり今の俺とちゃんと向き合ってほしい。そんな気持ちもあった。
「真、いつから私の事を好きになったの?」
「知らない。もしかしたらお前が『御手洗千春でーす。赤星地区にいましたー、ゲプッ……。おっと失礼、えーっと……、まぁ、夜露死苦』て黒板の前で言った時からかもしれないし、もしかしたらお前といた時間を振り返ってからかもしれないし」
「そうかい。当初の君を見た時は、少し驚いたね」
「え、何でだ?」
「まさか本当に学校に来てるとは思ってもいなかったし、相変わらずのダラしなさだったし、そもそも他の女の子と話していたこと自体が驚異的だったし」
「何だ? 他の時空の俺は学校にも行ってなくて女との関係も一切ない男だったって事なのか?」
「そうだね。ただのチンピラで終わってたのもあったから、それはさすがに諦めがついたけれどね。今の君を見ているとかなり安心するよ」
「そりゃどーも。最後の賭けがこんな俺で光栄だよまったく」
「そうだね。運が良かったのかもね」
「それが運命って奴なんじゃないでしょーか」
気が付くと商店街だ。
おぉ、相変わらずGSF集団の活動は変わんねぇな。慎からは、武闘派だけになったらしいがな。
その中に砺音も混じっていた。
「おー慎の兄貴じゃねぇか。彼女とデートか? お?」
「止めろよ、それ」
照れ臭そうに俺はニヤケ面の砺音を軽く叩いた。
「アンタには感謝するぜ、慎の兄貴」
「そうかよ。どうせなら『真』と呼んでくれた方がありがたいけどな」
「おう、これからもよろしくな、真」
改めて握手した。
砺音は元気のようだな。
「お前、最近悪さしてるかぁ?」
怒ったような、笑ったような表情で俺は彼に問いた。
「ま、まぁしてないと言ったら嘘になっちまうかもな。でもGグループは悪さばっかりしてる訳じゃねぇぞ?」
「ん? どういう事だ?」
「困ってる人を助ける活動にも走ってんだよちゃんと。最初はゴミゼロ運動からだ!」
「やればできるじゃねぇか。ま、やるならバレない程度に頑張れや」
俺は彼の背中をポンと叩いて過ぎ去った。
まぁ、何とかなるだろ。
次に千春は、バラードの元ヘッドの里宮純二を指差した。
アイツまたふて腐れてるよ。
「おい純二、大丈夫か?」
「………何だよ。またお前か。今度は何だ、女の自慢話か?」
「んな事話にきたんじゃねぇよ。お前住み場はあんのか?」
「あったら幸いだな。俺はバラードの酒場の裏で寝泊まりしてたからよ、破門されたらもうホームレスとそう変わりねぇよ」
「そうか。じゃあ頑張れよ」
俺はこれまでにないくらい冷たい対応をして行こうとした。
「お……おい!」
「……ん?」
「ちょっとは同情しろよ! 今俺が何て言ったか分かってんのかお前!? 『そうか頑張れよ』の一言でよく片付けようとするよなお前!?」
「あー、何も頼もうとしてなかったからつい」
「……はぁ? 頼んで何かなる問題じゃねぇだろ?」
「困ってんならそう言えよお前。俺はお前と友達じゃねぇんだ、敵なんだぞ? 何も頼まないんなら過ぎ去るに決まってんだろ」
俺はポケットから、店の広告を出した。
「これ、ココのネットカフェ店めっちゃくちゃ安い上に住み心地最高だから、空き缶売ってから来てみろよ」
「黄金美……ネットカフェ……店? 何だこれ? 空き缶売ったくらいで住めるところなのか?」
「一時間十円だからな。千円あれば何日か住めるだろ、それにバイトをちゃんとすれば一生住めるんだぞ。お前にもちゃんと未来があるだろ」
「……………」
里宮はその広告の紙を握り締め、涙目になった。
「俺がお前にしたこと、分かってんのかよ……? 何でこんな店……紹介してくれるんだよ」
「困ってるからだよ。困ってる奴を救うのに敵も味方もねぇだろ」
「さっき『敵だから』とか言ってた癖によ……」
横にいた千春も前に出た。
「真はこう見えても『ツンデレ』だから、放っておきたくても放っておけないんだよ。だから遠慮なく来て。私たちもココで移住しているから」
「ちょ……千春! 余計な事言ってんじゃねぇよ!」
「いいでしょ? 減ることじゃないし」
またしても照れ臭そうに頭をかいて、俺はそこを去った。
………はぁ、どんどん敵だった奴と仲間になってるな。
「千春、これからちょっと留置所行ってみるか?」
「………まぁ、それなりの覚悟があるのなら、別にいいんじゃないかな?」
「悪いな」
絶対に許されない奴、藤原大五郎と対面しようとした。
刑務所へ行き、警察にはちゃんと説明をして留置所へ行くことができた。
ドラマのように、窓が貼っていた。その中心に点々の円がかざされている。
そして扉からはドスドスとデカい図体をした男が来た。
「お前……」
「よ、久しぶりだな」
一時は驚いた表情でも、再び嫌な顔をして席についた。
「………何の用だ」
「ちょっと様子を見にきただけだ。お前、どんな裁き受けたんだ?」
「全部合わせて懲役十年以下ってところだよ。たく……オメェさんのせいでとんだ恥さらしになっちまった」
「は、そりゃどうも。だがコレだけは言っておく。世川は俺の友達だ。俺は相手がどんなに危険な奴だろうと、絶対に許さない。立ち向かうぞ」
「ふん………。それよりお前、どんな体の構造してんだ?」
「あん?」
「俺は確かに、お前のデコに弾を撃ったはずだ。なのになぜ生きてる?」
「さぁな。気持ちの問題じゃねぇのか?」
「気持ちだけで、そんな事が可能な訳ないだろ。今でも信じられないくらいだ」
「まぁそんな事より、釈放されたらどーすんだ?」
「知らん。藤原組は解雇だから、行先は分からんな」
「そうか……」
俺はこんな男にも黄金美ネットカフェ店の存在を教えた。隅から隅まで紹介した。
すると藤原は、里宮ほど感動する仕草は見せなかったが、最後に俺に「ありがとな」と一言言って行った。
留置所から出て、俺と千春は中央広間へ行った。
「本当に、良かったの?」
「まぁいいんじゃねぇの」
「やっぱり、他の時空の君とはまるで別人だね……」
「そんなにか?」
「うん。君は潰すことしか考えない人だったから、敵でも救える人ではなかったんだよ」
「ふーん、情けない奴だなそりゃ」
なんだか複雑な気分だよ、他の自分がどうとか、そんなの聞いて慣れる訳がない。
でも、それを聞けば聞くほど彼女を信じれる気がするんだ。
そう、まるで本当のことかのように話すのだから。
本当のことなんだよ、きっと。
それが試練なのだから。
だけど、やっぱり耐えれなかった。
アレから二週間、ずっとこの話だ。元彼の話をずっとされている感覚そのものだ。ずーっとだ。
この気持ちを伝えれるのは、今しかないだろう。
雪が降っている中、中央広間のベンチで俺と千春は座った。
「……なぁ千春」
「何だい?」
こんな我がままで申し訳ないが、言わせてもらうよ。
「今朝お前が俺に聞いた質問だが、逆に聞いていいか?」
「今朝?」
「お前は、今の俺に満足しているか?」
俺は満足していないと言った。それはお前をまだ守り切っていないからだ。お前はどうなんだ? お前の答えを聞きたい。
「満足、してないよ」
「………そうか。何でだ?」
「真が私を守り切っていないと同時に、私も真をまだ最後まで守れていないからだよ。リスクの高い今の現状で満足できる訳ない」
「……なるほどな」
――だが、俺は我がままなんだよ。ホント、情けないけどよ。
守りたいと思ったら絶対に守り抜こうとするし、それは友達にも対する。案外強欲なんだよな。
そう、お前もだ。
俺は、千春を抱きしめた。
「なぁ、頼むよ。俺だけを見ていてくれねぇか?」
「ま……真?」
こんな事をしたのは人生初だが、やるしかないだろ。
「好きなら俺だけを見ろよ、過去の事を振り返ったって、もう何もならないんだからよ」
「…………」
唖然としてきた千春も俺を抱きしめてくれた。
「ごめん。ごめんね、まさか真がそんな事を気にしていたとは、私は気付けなかった」
「いいよ。俺は今のお前が好きだから好きなんだよ。お前は、他の俺が好きだから今の俺が好きなのか?」
「……少しそうだったのかもしれない。けれど、君は私を本当に好きでいてくれたことに対して、私は今とても嬉しい。その真が一番好き。ありがとう」
「あぁ。俺からも感謝する。ありがとう」
そう、俺は本当に彼女の事が好きだったんだ。そうでなければこんな事を表で言える訳がない。
彼女も同じだと思う。
今の俺が最高だと、思わせたい。
そんな時、黒い影雲が現れた。まるで闇に囲まれたかのような、嫌気がさす雲だ。
嫌な予感がした。
そして、空全体に光が浴び、一つの雷が勢いよく落ちた。地面が真っ二つになったのかと思うくらいに強烈な。
空は一気に暗くなり、周りの人々はパニックで騒然としていた。
――一体何が起こったんだ!?
雷は地響きに影響し、ぶら下がっている看板は左右に揺れ、並べられていた箱の全て崩れ、カラスが鳴いた。
「爆発か!?」
商店にいた中年の男がそう叫んだ。
爆発……いや、これは何か違う。俺はその異変を察した。
「千春、これは何だ?」
「多分、奴が来たんだと思う……」
「与謝野佳志か!?」
「違う……。人体実験で行われたサンプルフィルモットだよ」
「!?」
何でだ? よりにもよってこんな時に……!
雷が落ちたのは、ここからかなり近い。煙があってよく見えない。
そして次第に煙が治まると同時に、一つの人影が見えた。
薄々と、その人影がハッキリ見えてきた。
しかし見えたのは、信じられない者だった。
――おいおいおいおい……どういう事だよ? 何がどうなったら、こうなるんだよ?
何でだ、この期に及んで、何でなんだ。
「千春、お前知ってたのか?」
「ごめん。先に言うと、君はショックに陥ってしまうかもしれなかったから」
「バカかお前……! 回りくどいヒントばっか出してんじゃねぇよ……」
バカは俺だ。
あんなにも分かりやすいヒントを出されてもなお、察していなかったのだから。
「何で……何でだ……」
できれば信じたくはなかった。見なかったことにしたかった。
だが、コレは現実だ。
そう、世界は理不尽極まりないのだから。
「友之、何でお前なんだよ?」
目、髪型、骨格、あらゆる箇所が当てはまっていた。
まさか……まさか、友之が行方不明になった原因って……!
「千春、どうすればいい? 残念ながら俺じゃアイツを、止められないかもしれん」
「そうかもしれないね、だけど戦わなければこの街が終わるだけだよ。相手は君の弟なのかもしれないけれど、君の事は一切頭には残っていないんだ」
「どうして……? どうしてだよ?」
「君の弟はフィルモット研究会に拉致されて、脳を隅まで解剖した。だから、もう記憶は残っていないんだよ」
「そ、そんな………!」
ふざけるな……! 友之を殺せるわけがない……!
記憶がなくとも、アイツはアイツなんだよ。殺したらそれでおしまいになってしまうじゃないか!
初めて「戦う事」に対して躊躇し始めた。
化け物となった友之を、殺せる覚悟はまだ決まっていないのだから。
そんな時、友之は人間では絶対に出せるわけがない悲鳴を上げた。何だ? 動物の遠吠えか?
「おい兄貴!」
慎が駆け寄った。
「何やってんだよ! こりゃどういう事だ!?」
「わ……分からん。何で友之が、フィルモット……?」
「フィルモット? どこかで聞いた単語だな。それはともかく、あの友之が目の前にいるってのに、どうすんだよ!?」
「アイツは、今じゃ化け物らしいんだ………。記憶もぶっ飛んで…、俺はどうすればいいんだ?」
「化け物……な。やっぱりそうか」
「慎、お前も知ってたのか?」
「あぁ。昔どっかでその話を聞いたことがある。もしかしたらと思ったから俺は友之の捜索に励んだんだよ。だがまさか本当にアイツがフィルモットって化け物にされてたとはな」
「先に言ってくれよそういうことはよ。俺は全く察しがつかなかったんだよ、何でこんな事に……」
もはや震え声になっている。何で俺はこんなにも恐れてんだ? 分からねぇのか? どうすればいいのかを。
「慎、他に何か心当たりはあるか?」
「うーん、特にはないなぁ。とにかく今の状況見てみろよ、周りは大騒ぎだぞ」
状況か。
まぁそれもそうか。目の前にいる弟を、ぶっ飛ばさなきゃいけないのか。
千春が声を掛けてきた。
「真、もしあれが君にとって大切な人なのだとすれば、殺したくはないよね」
「当たり前だ。でも、生きたままどうにかするっつー都合の良い結果にはできないだろ!」
「いや、一つだけ方法があるよ」
と千春が人差し指を立てた。
何だ? そんな都合の良い事ができるのか?
「な、何だ?」
「奴は半分人間、半分怪物となっているだけだから、その半分を取り除けば生きたまま取り戻せるかもしれない」
「どうやって取り除くんだよ!?」
「そうだね、割と難しい方法だよ。自分の命がかかるかもしれないけれど、それでもいいのかい?」
「命のリスクを考えてる暇なんてないだろ! 教えてくれ!」
「正気を保ったまま、人間の神経を保ったままで、思い切り顔を殴ればいい。ただそれだけだよ」
「……何が難しいってんだ?」
「君は力づくになると必ずと言っていいほどに例の力が繰り出されてしまう。つまり君にとってはかなり難しいことなんだよ。それに相手も同じ化け物。奴の攻撃を何度も受けたら、君は確実に覚醒してしまう」
「もし正気を失って殴っちまったら、アイツは何もかも死んじまうってかよ?」
「その通り。仮死状態だったはずが、完璧に死に追い込んでしまうよ。だから今の君がやれることは、今言ったことだけだよ」
やれるか? 俺にやれるのか?
千春が俺に託した理由は、普通の人間ではあの化け物の攻撃を一度でも食らったら即死だと思ったからだ。
――やるしかないよな。
一度、自分の拳を見つめ直した。
正気を、意識を保て。
――最大限、そして最小限の力で、アイツを殴る。いや、助ける。
俺は友之を救うんだ。自分を信じろ。
「なぁ、兄貴。お前本当にやんのか?」
慎は心配をかけているようだが、今そんな事を気にしている場合ではない。
「やるしかないだろ。これ以上何に躊躇するってんだよ」
「アンタ、友之の事知ってんのか?」
「……あ?」
周りは全員悲鳴、嘆きがあげられたパニック状態。蒼い煙で散乱されている騒然状態の中、慎は意外な事を口にした。
「アイツ、女だぞ?」
そう告げられた途端、血の気が引いた。
――いや、そんな訳ないだろ。女だったら『友之』って名前じゃねーだろ普通。コイツは何を言い出してんだこんな時に?
「おいおい、何言ってんだ慎?」
「やっぱり知らなかったんだな。何で友之がお前や俺から離れたかも、知らなかったのか」
「どういう事なんだよ……?」
「後で言う。今はこの状況を何とかするのが兄貴のやるべき事だろ今は」
腹の虫が治まらない。
友之が女? そんな訳がない。俺はいつもアイツと一緒にいた。幼い頃も、中学生のころも、ずっと。
だが、今そんな事を考えている場合ではないという事は、承知の上だ!
俺は、拳を再び見つめ、友之に立ち向かった。
蒼い煙で視界が少々困難だが、奴の姿はすぐ目の前だった。久しぶりに見る友之の顔だった。
真っ白く、サラサラとした髪。顔も大分白く、骨格は相変わらず美形。
まつ毛はまるで女の子の様に長く、体もまるで、美形――。
――納得した。
人は成長すればこうなる。何でもっと早く気付いてあげられなかったんだろう。
そうだ。間違いなく友之は女性だ。
思い出せば、こいつが俺から離れた理由なんてたくさんあった。
友之って名前を付けたのはそもそも俺だ。まだ幼い頃、養成施設で、俺と慎だけだった時、ある日係員が赤ん坊を抱えて俺らの元で話をした。
俺と慎はそれからいつもいつもその赤ん坊と遊んだ。もちろん俺と慎も2歳児だったから、同じくらいだったけれど。
そんなある日、係員が言った。
『この子には、親がいない』
誰にも引き取られない、とても可哀想な存在だった。
何年か経って、俺は決めた。その赤ん坊を育てる事に。
だが、性別もロクに見分けをつこうともしなかった俺は適当に男の子の名前を付けた。
養成施設から出たのは中学一年の頃で、三人だけで何とかアパートで暮らしてきた。
俺と慎と友之は三人で色んなところで遊んだ。とても、とても幸せな生活だった。
しかし、ある日友之は俺に相談をした。
『今日も虐められた』
もちろん相談には乗った。しかし友之は中々口には出そうとせず、俺も分かってあげられなかった。
その頃慎はよく夜遊びの癖があって、俺1人でしか世話ができなかった。
風呂も中学生になってから全然一緒に入ろうともせず、俺は反抗期だと思って仕方ないと確信していた。
俺が高校一年生になり、友之は中学三年生になった頃。
『何で僕にこんな名前を付けたの?』
泣き顔でそんな事を言われた。
意味が分からなかった。
本当に意味が分からなくて仕方がなかった。そんなに虐められるような名前を付けたつもりじゃない。逆に言えば、どうやったらその名前で虐められるというんだ? 全くもって理解できなかった。
だから最大限に励ますことしかできなかった。
しかしそれでも夜になったら、友之は一人で泣いていた。だが俺にはどうしようもない事だった、何も知らなかったのだから。
その頃、慎からしても何も分からなかったらしい。
たった二年差で、そうも文化が変わって行くのだろうか? としか思っていなかった。
そしてある日、友之を助けた日に、友之が家から出て行った時から、俺は学校を留年していくようになった。
――俺はバカだ。何て情けない男だ。兄失格だ。
そうか、俺は何年もの間、友之を苦しめていたのか。そりゃ嫌われるに決まってるわな。何、理不尽に考えてんだ俺は……。
何、自分を正当化させてんだよクソ野郎!
ふざけんな! 留年してったのは弟たちが出て行ったせい? 違うだろうが!
俺がアイツらの想いを気付けなかったのが全部発端なんだろ!
友之はいつもいつも、名前の事で虐めを受け、それは小学生、中学生の頃からずっと。
慎はそんな友之を何年もの間、長い時間をかけてあいつの行方を捜しつくしていた。
俺は、適当に学校を通ってる、だけ。
――笑えてくるよ、ホント。
ごめん、友之。
許してくれとは言わない。だけど、せめて俺の謝罪くらい聞いてくれ。
だから、俺はお前を人間のまま、救う。
相手が何だろうと、躊躇している暇なんてないんだ。
正気を保ったまま――ぶん殴る――。
散々苦しい思いさせといて、ごめんな。もしかしたらお前の顔にアザつけちまうかもしれない。女の子の顔によ……。
その接近戦で、俺は正気を保つことを肝に銘じた。しかし、やっぱり悲しかった。
自分の弟、いや、妹を全力で殴るなんて思うと、泣きたくなる。
涙を流し、自分でもうるさいと思うくらい大きな悲鳴を響かせながら、俺は友之の頬を満面なく思い切って、――殴った。
俺には、罪悪感しか残っていなかった。
相手が倒れた途端、大きな風と蒼い煙は治まり、一気に周りが静黙となった。
気が付くと、俺の身体には複数の傷が至る箇所にあり、それに気付いた途端に跪いた。
――全然気づいてなかったんだな。
俺は自分の命の心配より、友之の命の心配の方が何十倍と大きかったから、だと思う。だから全く気付いていなかったんだ。
不安を抱えながらも友之の元へ行った。慎と千春もそこへ駆け寄った。
「大丈夫? 真」
「俺は大丈夫だ。それより友之が……」
三人はその倒れているフィルモットの近くへ寄り、俺は友之の顔を見た。
「酷い傷た」
自分で殴ったにも関わらず、悲し気にそう悟った。
よく見ると本当に女体だった。ショートヘアだが、こんな美形だったら十分最高な環境にもいられたはずなんだが。
「兄貴、これはやっぱり…」
死んでいる、とでも言いたいのか慎は?
まだ分からないが、俺は信じたい。
「いや、脈はまだ動いてるよ」
首筋と手首の裏側を親指で抑えた千春がそう言った。
――良かった。
「意識はまだないけど、暖かいところに連れていけば次第に目を覚ますかもしれない」
千春はそうアドバイスをした。
暖かい場所、俺の部屋か千春の部屋しかないよな。
クソ、このままじゃマスコミや警察も黙ってはおけないな。後で何とかするか。
俺は友之を抱えた。
辺りを見てみると、やはり酷い荒れ地と化している。コンクリートは一部地割れになっているし、建物もまるで地震の跡かのように崩れていた。
たった数分でこんなにも酷くなるものなのか。フィルモットってのはとんだ怪物だな。
三人で店へ戻ろうとすると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「おい、与謝野」
振り向くと、里宮とその他の仲間達がいた。
「ここは俺らで任せろ。どーせ後で面倒な事になりかねんからな」
「お前、破門されたんじゃ……」
「コイツらは後から来たバラードのヘッドにクーデター起こした奴らだ。だから俺と本当に信じあえる仲だよ。お前の借りは、これから返す」
俺は親指を立ててその場を立ち去った。
店へ入り、俺の部屋にあるベッドに友之をそっと寝かせ、毛布を首までかぶせた。
「ねぇ真、この女の子は一体?」
千春が聞いた。
「弟……いや、妹だよ。お前何で知らないんだ? 元の時空でもそうだったろ?」
「いや、全然違うよ。そもそも元の時空では列記とした男の子だった。しかもこんなにも細身じゃなくて、体格が大きくて君よりもはるかに上回っていた」
「何でだよ…」
んな違いまであるんかよまったく。
「兄貴、さっき俺が言おうとしてたことだが」
「いや、気が付いたんだ」
「何?」
「俺は、友之の気持ちに気づけなかった。ずーっと苦しませてたんだよ。だから嫌われるのも当然だったんだよ」
慎は図星をつかれたのか、何も言わずにうつむいた。
「目が覚めるといいな」
健闘を祈るように俺は言った。
そう、もう幸運を祈るしかないんだよ。友之が生きてるのかどうかも。
俺と慎、そして千春はその圧倒された沈黙の中、友之が目を覚めるのをただひたすら待ち続けた。
三十分、一時間、それからまた三十分と、ずっと待っていた。
「なぁ、慎。本当にこの子は友之か?」
あまりにも時間が過ぎた中、最初に出した一言がこれだ。
「……そうだよ。この女の子が、友之だ」
「確信はあるのか?」
「絶対とは、言いきれない。俺だって信じたくない。目が覚めないなんて」
慎もそのような気持ちでいるか。俺もだよ。
俺がもっと早く気が付いていれば、そもそもこんな事にはならなかったんだ。
一方千春も少し心配そうにしていた。
「私も、まさか与謝野友之が女の子だったとは全く予測がつかなかった。もしこれで起きなかったら、真はどうする?」
縁起でもない事を、言われた。
――友之は生きてる。絶対に生きているはずだ。
もしも、という事を思った俺は咄嗟に血の気が引き、友之の冷たくて真っ白い手を握った。
「いい加減……目覚ませよ、友之」
もはや涙など耐える気にもなかった。
鼻水をすすりながら、目を真っ赤にしてその小さな手を両手で必死に握った。
「俺が今まで苦労したことを水の泡にするな、とは言わない。だけど、これから俺はお前にたくさんの事を謝り、そしてこれからも楽しく過ごしたい。俺はお前が男だろうが女だろうが、お前の全てを受け入れる覚悟がある。そういう『覚悟』や『権利』、『義務』を肝に銘じさせてくれたキッカケを作ったのは、友之、お前だからだ」
昔、俺は慎と友之を親の様に世話してきた。
だけど友之も十分な世話焼きで、俺に『学校は行ってよ』と毎日、何度も聞かされた。
その頃はまだ男の子と見ていたから、少し鬱陶しいという感情もあったのかもしれない。だけど三人で暮らしてきた中で俺はあらゆる事を友之から学んだ事もあった。
人を救う権利と義務。
お前が教えてくれたたった一つのモットーだ。お前がそれを教えてくれなかったら、俺は今でも美里やユリみたいな友人などいない。千春も今頃どこかへ行っていただろう。
「だから、『ありがとう』くらい言わせてくれよ……」
涙は頬からこぼれ落ち、その粒は友之の頬へと落ちた。
とその時。
握りしめていた小さな手に、わずかな感覚があった。
気のせい、か?
「とも……ゆき?」
俺が見た光景は、神様がくれたたった一つのチャンスだった。
それに驚いたのは俺だけではなく、慎も千春もだった。
――彼女の瞳が、開いたのだ。
「……お兄ちゃん?」
五年ぶりに、その可愛げのある声が耳に入った。
幻聴か? いや、友之はちゃんと目が開いている。
そして俺に首を傾げている。
「友之?」
自分が目にしているのが幻覚なのか、幻聴なのか、それは全く定かではなかった。しかしちゃんとその声は聞こえるし、その瞳はちゃんと見えていた。
「僕、何をしていたの? 何でお兄ちゃんがいるの? 何で慎もいるの?」
昔から友之は俺には兄貴呼ばわり、慎には名前で呼んでいた。
間違いない、彼女はちゃんと生きていた。
悔し泣きから、俺は嬉し泣きへと変わった。更に涙が零れ落ちた。
「お前は何もしてない。俺がいるのは、俺がお前に会いたかったからだ。慎も、お前に会いたかったからだ」
「何で? 僕はお兄ちゃんに酷い事を言ったのに」
『化け物』と言って立ち去った事は事実だ。しかし今となっては何も気にしてはいない。なぜならこうやって再会できたからだ。
「俺だって、お前に散々酷い事しちまっただろ。本当にすまなかった……」
その場で深く頭を下げた。
友之は俺を許してはいけない。
俺が彼女をどん底まで苦しめたから、それが報いなんだ。
「……頭上げてよお兄ちゃん。僕、もう気にしてないから」
「え?」
ゆっくりと頭を上げた。
彼女は、微笑んでいた。
「僕がお兄ちゃんを許さないのが、お兄ちゃんの報いなら、それはあまりにも甘いよ」
「な、何でだ?」
「僕はもう何も気にしてない。確かにあの時は、気付いてもらえなくて凄く辛かったけど、今はもう、気付いてるでしょ。僕が『妹』だって」
身体全体を改めて見渡すと、気づけない訳がない。充分に女子高生でいけるスタイルだ。何の誤魔化しもないくらいに。昔は子供だったから、気付きにくかった。友之は昔からショートヘアで一人称が男口調だからだ。
だがそれを言い訳にするとは満更思っていない。俺が気付けなかったのが悪いんだよ、ただ単に。
「逆に、謝るのは僕の方だよ。お兄ちゃんを受け入れずに逃げてしまった」
「んな事、俺だって気にしてないよもう。でも、できればそんな並外れの兄貴を受け入れてくれると、俺はありがたいよ」
「ごめんね。人を助ける事とかを言ってたのは僕なのに、助けられたら逃げるなんて……」
「自分を責めるな。もう何もかも治まったんだ。これから、人生を歩んでいけばいいだろう」
俺はもう、友之を苦しませるわけにはいかなかった。このチャンスを、踏みにじるわけには絶対にいかない。
――そう決した俺は、その小柄な身体を優しく抱きしめた。
*
真と友之は互いに和解し合い、慎も友之とバカ話をしていた。
この三人を見ていると、五十年前の事を思い出す。
故郷にいた真と、私、そして佳志との生活が。
でも、その真はどこかへ行ってしまい、佳志は私に恨みを買っている。その現実は今でも変わらない。
私、御手洗千春は五十年間、本物の化け物として生き、時空を彷徨っている間、次第にその細胞は排除されていった。
おかげで今では半分、人間の状態。身体にまつわる老朽も進行し始めるだろう。化け物が一体化していた時は、まるで歳をとらなかった。
だから今でも若い女の子として生きていられる。
まるで人生をやり直した感覚だね。
三人の幸せな時間に、首を突っ込み訳にもいかないと思った私は安心して外へ出て行った。
先ほどの怪物が現れた現場は案の定、たくさんの人々が集まっていた。露骨に出た地割れ、崩れたコンクリート、蒼い煙によって破壊された数々の建物。
そしてその人々の怒りをただひたすら留めていたのは、バラードの純二だった。
――そんな中、全部解決されて安心されていた自分が、バカらしい。
自分のリスクが未だに高いという事には、何ら変わりがないのに。なぜ私は真のそばにいてあげられなく、そして独りでのうのうと散歩などしているのだろうか。
またしても、嫌な雲が空を覆った。
今度は――私が戦う番だ。
中央広間の近くにある商店街。そこそこの人がすれ違う中、私は途端に足が止まった。
体中に寒気がした。
そして私の目の前には、ただそこに突っ立っている男が独り、ニヤニヤと睨みつけていた。
私は、油断していたのだ。
「……ココにいたのかよ」
まさかこんな人盛りのある場所でさり気なく、バッタリ会ってしまうとは想像もしていなかった。
もはや私は何も言えなかった。答える勇気がまるでなかったからだ。
「お袋」