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Dig me Dream  作者: 地藤零一
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scene6

 優と遊ぶようになった最初の記憶は曖昧だ。

 自然に忘れてしまうほど昔のことで、気が付けば公園の砂場で一緒に城を作っていた。完成が間近になるといつもそこを根城にしているガキ大将に蹴り崩されていたから、被害者意識の共感みたいなものから始まったのかもしれない。

 二ノ宮はひ弱な子供だった。今でも違うと言い切れないが、男としての矜持すら簡単には持てないくらい軟弱な子供だった。

 まず、他人と競い合うことが苦手だ。身長も低かったので小学校でのあだ名は「チョビ」。遠慮無くまくしたてる同級生にも苦手意識を持ち、友達があまりできず一人遊びが好きで体育の時間はいつも馬鹿にされる対象になった。小学校に入ってからは休みの日も家に篭もりきりで本を読んだりして過ごすことが多かった。子供心にもそれは寂しいと思っていて、だから度々外に連れ出してくれる友達の存在は、率先して何かをしたがらない二ノ宮にとって普通の子供がそう感じる以上に、やや過剰気味に大切に感じていた。そして、それを自覚もしていた。

 話が戻る。大人しく二人で遊ぶことが多かった二ノ宮と優は、近所のガキ大将という「敵」にほとほと困り果てていた。遊び場を変える算段もしたが、砂遊びを楽しむ齢の子供に行ける場所などたかが知れていて、そこいらはすべてガキ大将の縄張りであり、泣き寝入りして傘下に加わるか、若くして隠遁者に身をやつすか、二つに一つを選ぶしかなかった。

 しかし、そこへ救世主が現れる。

 名は狩野(かの)青葉(あおば)

 彼女は優の親友で、野生児かと思うくらい日に焼けていて、ショートパンツを履いたガリガリの脚にいくつも絆創膏をつけている、男勝りに活発な、優や二ノ宮とはまるで正反対の人種だった。

 親友の声に駆けつけた青葉は、みっつも上のガキ大将に真っ向から勝負を挑んだ。守りを固める取り巻きどもを電撃的に蹴散らして、敵の将に至るや否や五秒も待たずギタギタした。しゃくりを上げるガキ大将にその場で不可侵条約を突きつけ公園から追い出したのだ。

 二ノ宮には突風のような出来事だった。彼女の武勇はたちまち広がり、あの公園に生意気なヤサ荒らしがいるからと、袖まくりした腕自慢が青葉の前に死屍を築いて、名にし負う聞く狩野を倒し誉れを得ようとした輩はそのことごとくが露と消えた。

 青葉は、本来二ノ宮の苦手とする人物だ。

 いかにも好戦的で、野蛮な気性だと思っていたからだ。

 けれども不思議とそれからは、三人で、行動を共にするようになっていた。

 青葉の孤軍奮闘ぶりが後世まで語り継がれ、誰も 彼女に挑もうなどという気がなくなってきた頃ようやく二ノ宮は、青葉がそれほど争いを好まない性格だと知るようになった。彼女は人より正義感が強いだけで、根は優しい女の子だったのだ。

 青葉はよく二ノ宮と優を外に連れ出して遊んだ。外でする遊びのほとんどは、青葉から教わったようなものだった。虫の取り方も木の登り方も、釣りの仕方も雀の罠の嵌め方も、自転車の乗り方まで。

 自分にできないことをなんでもできる青葉を尊敬さえしていた。

 情けないことに、男としての二ノ宮は青葉に育てられたと言っていい。

 それでもまだ何かと遠慮がちだった。自分から遊びの約束を取り付けるにしても優が間に入らなければいちいち尻込みする始末だった。

 青葉はすごいやつなのだ。

 元気で明るくてスポーツ万能で、そのくせ成績も良いし面倒見も良くて、誰からも好かれる性格で、自分なんかが対等に付き合っていいか迷わせるくらい良く出来たやつなのだから。

 三人一緒に学校へ通い、一緒に遊んで、一緒に勉強して、食べて寝て、本を読んで、ずっと家族のように過ごしてきた。

 それは、数少なかった自慢のひとつ。

 自分の中に、他人へ誇れるようなことを何ひとつ持たなかった二ノ宮が、唯一鼻を高くできた思い出のひとつ。

 けれど、いつまでも子供のままではいられなかった。


 中学に入ってから、人付き合いの仕方が変わった。

 いくらなんでも二ノ宮だって、年中女子と一緒にいるのは人並みに恥ずかしいと思うようになっていたし、それぞれ部活に入ってからは会える機会もめっきり減った。他人にどう思われても平気だったのは、無邪気に遊んでこれた時だけで、次第に開いていく距離に寂しさを感じながらも、それが自然な変化なのだと受け入れられるくらいに二ノ宮は成長していた。

 だって、一生お別れになるわけじゃないのだから。会おうと思えばいつでも会えるのだから。それで一緒に過ごした時間が無くなるわけじゃないのだから。

 ──恐らく、ほかの二人は違ったのだろう。

 二年になって、優だけ別のクラスになった。

 それ以外の変化といえば、青葉が女子バレー部を辞めて文化系に転向したことだ。

 辞めたばかりの時こそ、その理由は話してくれなかったけれど、あるとき、なんでもないふうに、愚痴を漏らすように、練習試合中に盗難があって、その犯人が二年生のグループ全員だったから、と青葉は話した。当時は被害が報告されなかったせいで騒ぎにならなかったけれど、直接それを見てしまった青葉は、部には居られずに進級してすぐ辞めたのだという。顧問には事情を話してから辞めたが、二ノ宮の見聞きする範囲で不祥事の報はされていない。

 放課後自由になれる時間が増えたおかげで、また青葉とよく遊ぶようになった。

 テニス部の優はそんな二人を「ずるい」と評した。

 当の青葉は飄々としたもので、教室でも普通に話して、帰り道の歩も淀みなく、高架下で見つけた捨て犬に名前をつけては可愛がり、向かいのアパートのお姉さんとは相も変わらず剣呑な仲だ。

 二ノ宮は変化に敏感である。

 それぞれの変化について、三人の中の誰よりも意識していたつもりだ。

 だから、変化を認めて、受け入れたうえで、それまでの関係を続けようと努めてきた二ノ宮が、ただひとつ見落としてきたことは、自らの内面にあったのだろう。

 青葉はもう、二ノ宮が心底憧れていた人間ではなくなっていたのだ。

 一緒に出歩いて、冗談を言い合って、笑い合う身近な存在だったのだ。

 傍から見れば、それまでと同じ関係には違いないはずだ。それでもひしひしと感じていたのだ。前は同じでも、対等じゃなかった。上級生との対立を嫌い、部を辞めて放課後一緒に帰宅する青葉は、それまでの強い正義感をまとった青葉ではなくなっていたのだ。近づくことにいちいち恐れをなしていた彼女ではなくなっていた。

 それまで以上に、強固に「友達」であろうとしたのは、もはや意地と言うほかない。

 少し距離が開いても、近づいても、三人であることに変わりはない、そう思い込んでいた。

 絆が壊れてしまうことだけが、何よりも恐ろしかった。


 一度訪れてしまった変化は変えようがない。

 二ノ宮が固執していた「三人」という臨界点も、ただ一言で破られて先の手立てを失ってしまう。

「──どうやって、青葉と付き合えばいいか分からない……だよね?」

 優は言った。言い当てられて目眩がした。

「そうだよね。太助はわたしたちのこと、大切にしてくれてたものね。どちらとも離れたくないから、友達以上になろうだなんて考えたくなかったんだよね。だからわたしが居なくなったら、青葉と今まで通りの『友達』でいられない。そういうことなんだよね」

 もう、全部見抜かれている。

「わたしは太助の歯止めだったんだよね」

 意識しまいとしてきたことさえ、心の奥から掘り返されて、逃げ場はどこにもなくなった。優はずっと青葉が二ノ宮にとっての「友達」であることに、利用されていた自分の立場が耐えられなかったのだろう。

 だから、そのとき校舎裏で起こることはすべて彼女の計算済みで、自ら均衡を壊すことで、今の関係を終わらせようとしたのだろう。言いたいことも言えぬままひび割れていく枠組みを、さっさと壊してしまいたかったのだ。

「太助は、青葉のことが大好きだものね」

 背後で、それほど大きくない音がした。

 無視しても良かったのに、振り向いた。外側からは一段高い体育館の、よっつある非常口。コンクリートで出来たステップ。その陰に何かの間違いだと思いたい現実がある。

 この場所へ招かれたもう一人の登場人物。狩野青葉はそこにいて、追い詰められたような顔で身を引いていて、二ノ宮が見とめた瞬間、飛び退いて逃げ出していった。

「ほら、行っちゃえ」

 それは、あまりにも唐突な出来事で──

 身体が動くままに任せ、青葉の後を追いかけていた。


 それからどうなるか考えていなかったのは多分青葉も同じだろう。逃げてどうなるのか、追いかけてどうなるのか、捕まえて何をするのか、逃げ切って何を思うのか。

 何ひとつまともに頭を使った憶えはなかった。捕まえなくちゃいけない。二ノ宮はただそれだけの想いに捕らわれて、青葉も恐らく似たような理由で、実入りのない追いかけっこはどこまでも続いたようだ。

 そこから先の変化はまだない。


 誰が悪いとは言えず、行ってしまえば皆に責任はあり、恨むべき相手もおらず、そこから時間は止まったままだ。

「ここが、あなたの終点なのです」

 この夢の案内人は、一車線しかない道路の横断歩道に立っている。

 そのすぐ横にはバス停がある。垣根の植木が横一直線に続いていて、その切れ目から雑草の手入れが行き届いているとは言えない駐車場と、白い塗装がところどころめくれかけた、みすぼらしい歯科医院が建っている。

 二ノ宮の記憶はそこまでだ。

 この道で、停滞している。

 青葉が飛び出して、けたたましいブレーキ音と、目を見開いて止まった映像で──

「おめでとうございます。すべての夢を取り戻しましたね」

 皮肉のつもりじゃないのだろう。

 彼女の役目はそれまでなのだ。

 逃げ出して目を逸らしていた現実を突きつけるのが彼女の役目。そこから先は関知しない。だからこれ以上の何かを求めるのは筋違いな話なのだ。

 それでも訊ねてしまう。

「……これから、どうしたらいいのかな……どうすればみんなが、お互いを許せるようになるのかな……」

 助言を求めるのは間違いだ。彼女はありのままを知らせることしかできないのだから。辛いと感じていた記憶から、目を逸らすなと、痛烈な言葉を投げつけるだけなのだから。

「あなたが悩む必要はないのです」

 一点の曇りも無い声で、

「なぜなら、あなたは二ノ宮太助そのものではないのですから」

 意味の分からないことを言った。

「あなたは、二ノ宮太助が心の中に描いた肖像なのです。自分はこういう人間だから、こういった考えをする。そうした二ノ宮太助自身のイメージを複写した、この夢の中でしか生きられない存在ということです。騙していてごめんなさい、と一応謝っておくのです」

「え、ええ? じゃあ、現実の僕はどうなるんだよ?」

「今ここにいるあなたを使って、現実の二ノ宮太助に上書きします。この夢におけるあなたの役目は、治療法を記した処方箋のようなものなのです。悩んで決めるのは、現実の自分に任せておけばいいのです。それが夢というものですよ」

「そんな乱暴な……結局どっちも僕なら同じことじゃ」

「違います」

 断言するのだ。

「ここにいるあなたと、夢から覚めたあなたは違う。記憶を取り戻した今のあなたは自分で思うほど、確たる人間ではないのです。ここで感じた以上に曖昧で、自分の進むべき道を決められない、ウジウジと女々しいやつのはずです」

「余計悪いんだけど……」

「けれどそれゆえに、ここで思う以上に、潔癖でもないのですよ」

 どんな理屈だろう。

「具体的に言うと、昨日『いいえ』と言ったことが、今日は『はい』に覆るような節操無しなのです」

 夢の中の自分の方がいくらかマシに思えてくる。

「目が覚めればもう答えを持っているかもしれない。ずっと悩んでいたことが嘘のように晴れているかもしれない。理屈に縛られず、自分の思ったままにすることへ迷いを抱いていないかもしれない。現実の脳は頭が良いので、きっと折り合いをつけているのです」

 そこまで言われて──

 やっとそれが、下手な慰めや、励ましであることに気付いた。

 呆れて、馬鹿馬鹿しくなって、少し、救われた。

「もういいよ。わかったから」

「そうですか? それは結構なのです」

 その素っ気無い言い方がおかしくて、初めて夢見に少し興味が沸いた。

「ねえ、夢見は……どうしてこんなことをするの? 他人のことなんて放っておけばいいのに、どうしてこんな、余計なお節介を焼くの?」

「だから、慈善でやっているわけじゃないのですよ」

 人の目を真っ直ぐ見つめて、それでいて、どこを見ているか分からない瞳は、彼女の言葉が真意かどうかを読ませことを叶わせず、

「私は夢の住人ですから、夢を失くされると困るだけなのですよ」

 やはり夢のようなことを呟いて、すべての締めくくりとした。

「ではお別れです。良い夢の続きを──」

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