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Dig me Dream  作者: 地藤零一
5/7

scene5

 肩に重くのしかかるような憂鬱に見舞われる。ここはけっきょく自分の居場所ではないのだ。かといって他に行く当てがあるわけでもない。どうしたらいいか解らない。何もかもどうでもよくなり、昇降口戻って、虚ろな気持ちのまま靴を引っ張り出したとき、一緒に黄色い紙が落ちてきた。

 下駄箱の簀の子の上に、黄色い便箋が落ちていた。

 来るとき、こんなものは無かったはずだ。

 眠りに落ちる直前のように、意識が奥に沈んでいく。

 それは、昨日の出来事。

 放課後、帰宅部だった二ノ宮はこれといってすることもなく、すぐ家に帰ろうとした。家に帰ってすることといえば、漫画を読んだりテレビを観たりゲームをしたりする以外になく、だから、帰り際の下駄箱に、秘密の手紙が入るような事態はまず想定外だったし、あらぬ邪推をして怯え、混乱しては動揺していた。

 職員便所に引き篭もった。

 おそるおそる開帳した。

 丸い字で「放課後、体育館裏まで来てください。ずっと待ってます」と書いてあった。

 差出人不明。宛名は二ノ宮。生きた心地がしなかった。死刑執行直前まで処刑方を聞かされず生きる囚人のような気分だった。

 逃げ出す。という手もある。

 けれど二ノ宮は立ち向かった。イタズラなら心が傷つくけれど、覚悟していれば大丈夫。見知らぬ誰かのリンチなら、黙って殴られるのもよし。痛いのは嫌だけど、それで相手の気が済むのなら大いにすればいいと思う。

 二ノ宮は、体育館裏へ赴いた。

 裏の通りに面した場所で、垣根も柵のひとつもない、背だけが高い木に囲まれた薄暗い場所だった。人の通りも少なくなくて、密会にはあまり向かない開放的なロケーション。いじめはないなと胸を撫で下ろす。だからやっぱり告白もないな、と思った。

 ひとつだけ背の低い、シダレザクラの影に、女子が一人立っていた。

 改まって何の用だろうと、一気に緊張が抜けていった。

 知った顔だったからだ。


 矛盾が修正されていく。


 小学校に入った頃から、ずっと一緒のやつだった。

 改まった顔で、しかし何かが吹っ切れたように、冗談っ気の欠片もなく、告白された。

 彼女の名前は烏丸(からすま)(すぐる)。要領が悪くのんびり家で、けれど人が見てないところでは努力家で、一度何かを始めると最後までやり遂げなければ気が済まない影のムードメイカーで、六学年中三度同じクラスになった近所に住んでる幼馴染だ。今でも月に二回以上は遊ぶし、部活の無い日の放課後なんかは遅くまで話し込んだりしている。名前が男っぽいことを指摘されると、穏やかに流すのだけれど、内心かなり気にしている大人しい女の子だ。気が合って話しやすいので、ずっと友達付き合いが続いている。

 傍から見れば、やはり危ういバランスだったのだろう。

ずっと前から好きでした。もしこの気持ちを伝えたら、今までの関係が壊れてしまうと思っていたから、隠してきました。ごめんなさい。

 そう言って、悔しげに下を向いた。

 どんな言葉をかけたら良いか、まるで分からなかった。


 そこまで思い出して、夢から覚めるように意識が戻った。

 自分の靴以外が一足も見当たらない灰色の下駄箱。ひび割れだらけの、プラスチック製の簀の子。土臭い昇降口。足元にはまだ便箋が落ちている。それは逃れようのない現実で、どうしようもないくらい、おかしな夢の中だった。

 拾って、その場で開ける。素っ気ない字。「命が惜しくば体育館裏まで来なさい」。

 ──ふざけやがって。

 二ノ宮は体育館の裏まで向かう。いじめにも告白にも、決闘にさえ相応しくない、通りから丸見えの場所に、自分が思うよりも頭に血を上らせて。

 そこに夢見は優雅に待ち構えていた。

「本来、こんなやり方は私のポリシーに反するのですが、勝手に夢を掘り起こさせてもらいました。プライバシーは守る主義なのですが」

「嘘つけよ」

 彼女はその手に、籠に入った獏を持っていた。

「この子を見つけたのは、たまたまなのです。学校の周りを探していたら、たまたま見つけただけなのです。といっても、記憶がなくなる要因は身近にあるのが常ですから、あなたが特別見つけやすいわけではありません」

「それで、人の頭を勝手に覗いて、手紙?」

「許して欲しいのです」

 気勢が削がれた。頭こそ下げず、抑揚も無かったくせに、その声には真摯な響きがあったからだ。

「あなたが忘れたいと願い、他人に見られたくない記憶を、無理矢理覗いて掘り起こしたのは本意ではなかったのです。あなたが取り戻したいと願った夢でなければ、覚めたとしてもまた同じことの繰り返しですから」

「じゃあ……なんでこんなことしたんだよ」

「証明するために」

 間を置かず答えた。

「忘れたいと願う記憶ほど、心の壁にこびりついて離れないものなのです。それは変えがたい摂理なのです。無理にでも忘れたいなら、その記憶に関わるすべての物事も切り捨てなければなりません。獏が食べた夢の欠片は、すべてあなたが忘れたいと願うことに関連するはずですから、あなたが本当に忘れたかった記憶は、これまでに捕まえた三頭の獏に深く関わるものなのです」

 そんなのは解っている。もってまわった言い回しに少々イラつく。

「何が言いたいんだよ」

「ここまでで取り戻した記憶も、忘れたいと思いますか?」

 すぐに、口に出せなかった。

 たぶん、死ぬほど青臭くて、恥ずかしかったから。

 アパートのお姉さんとの距離感も、高架下の犬の名前も、忘れたいとは思わなかった。無理矢理掘り起こされた優との記憶さえ忘れていたのが恥ずかしい。それを利用されたのは、瞼の裏が熱くなるほど無軌道な憤りを覚える。彼女は大切な友達だったし、その思い出を傷付けたくはなかったのだ。

 忘れたくない。

 それは自分の、大切な一部だったから。

 けれど──

「……今日集めてきた記憶が、その『本当に忘れたかった記憶』の辻褄合わせなら、僕は忘れたままでもいい……。だって、あんな大事なことまで忘れなくちゃいけないくらい、それは、僕にとって守りたかったものだったんだろ? だったら、たとえここで思い出したとしても、現実に戻ってもそれは、良くなってるとは思えないから……」

「あなたにとっては無かったことでも、誰かにとっては在ったことです」

 カウンターをもらった。

 当たり前の事実を、今更ながら突きつけられた。

 自分だけが忘れても、起こったことは変えられない。

「彼女のこと、どう思っていたのですか?」

「……分からない。あの関係が壊れるくらいなら、守りたいって思ってたけど……」

「彼女の気持ちには応えられなかったのですね」

 あのとき首を縦に振っても何もおかしなことはなかった。返事を引き延ばすこともできたし、時間は山ほど欲しかった。でも、そうしなかったのだ。あの場で、はっきり、ごめん、無理、と言ったのだ。

「どうしてか、わかりますか?」

「わからない……けど、もう、わからないのはおかしいんだよね……」

 記憶の中にある出来事とそれに付随する感情は、否が応にも矛盾していた。好きだったのに、はっきり断ったのは、それが自分の求めた「好き」と違うものだったから。それが自分にとっての在るべき姿ではなかったから。その告白を断ることが、二ノ宮の中の「自然」だったから。

 優とは友達。

 あまりにも竹を割った結論だ。

 他のどんな理由もなくて、そんな危うい関係を続けられたとは思えない。

 俯いて、物思いにふける二ノ宮を、夢見は変わらない表情で見つめている。

「あなたの夢に招かれた獏は、全部で四頭いるのです」

 詰め寄ってきた。

「──なに……?」

「つまり、あとは最後の一頭です。その一頭が、すべての元凶である記憶を貪っているのですよ。あなたの『本当に忘れたかった記憶』を。もう、だいたい見当はついているのでしょうが、探す勇気はあるのですか?」

 最後通告に聞こえた。夢見にとってはこの世界から獏さえ取り除ければそれでいいのだから、わざわざ記憶を戻すのはおまけのようなものなのだろう。なぜだかそんなふうに思った。次の機会はもう与えない、そう言っている。

 後には引けない。

実はまだ、望んで思い出したいとも思っていない。

 でも、それはただ先を見るのが恐いだけで、

 理性はもう、思い出すしかないと告げていた。

「……僕の記憶が、望んで忘れられたものだとしたら、全部思い出したその先で、僕はそれを受け入れられるの……?」

 夢見は、どこまでも空っぽな表情で返した。

「私の知ったことではないのです」

 情け容赦なく言い捨てる。そりゃそうだという思いが残る。自分の心の弱さなんかを決め付けられる謂れは無いし、他人の、しかも先のことなんて、下手な励ましや慰め以外に期待される言葉は無いのだ。そしてこの少女が、そんな安易な言葉を言わないことは誰の目にも明らかだった。

「ただ、私に分かることは、目が覚めたとしてもあなたが、この夢の中で起こったことを忘れることはない、ただそれだけなのです。事実は受け入れるしかありませんが、納得するかしないかは、やっぱりあなた次第なのですよ」

 夢の中なのに、ありもしない幻想の中のくせに、夢も希望もない言葉。

 現実に、優しくして欲しいわけじゃなかった。

 夢の中に、逃げ場を求めていたわけでもなかった。

 ──なら、どうして?

 思い出そうとする。

 あのとき、青い葉をつけたシダレザクラの木の下で、振り向いた先にあったもの。

 四つある体育館の非常口。コンクリートのステップの陰。

 そこには、獏がいた。


「ごめんなさい……」

 謝らなければいけなかったのはどう考えても二ノ宮の方で、あまりに大きな居たたまれなさと動揺の極地な心は、そこから先の言い訳を継がせることを許さなかった。どうしようもなく重たい沈黙。何か言わなくちゃいけない、何を言えばいいか分からない、過ぎ去っていく時間の分だけ深みにはまる緊張感が、遠慮なく二ノ宮を苛んでいく。

 だから、初めに口火を切ったのは優の方だ。

「こんなことして……今までのままでいられないよね……」

 どうしてそうなるのか、十秒ほど悩んで気付いた。

 今までのままでいられない。それは今まで通り、友達のままではいられないという意味。相手の気持ちを知ってしまったら、良くも悪くも、今の関係は保てない。そして、二ノ宮ははっきりと断った。優の言葉は、決別を想起させるものだった。

 そんなのは嫌だった。

 そのときの二ノ宮は、清々しいほど考えなしだった。

「……一方的に、そんなの、納得できるわけない。ずっと友達だったのに、こんなことで終わりにしたくないよ」

 どれほど身勝手な言い分か、改めなければ気付かなかった。優の告白は確かに青天の霹靂で、断れば別れるしかない成り行きも分かるが、にわかには受け入れがたい。

けれど優にしてみれば、散々迷った挙句決めたことであり、その先で起こり得ることはすでに覚悟のうえだったのだ。

 それなのに。

「嫌だ、今までのままでいたい。友達のままでいたいよ……」

 どんなに、相手を傷付けるかも知らぬまま。

「だって……優がいなくなったら、どうやって──」

 その先は飲み込んだはずだ。言ってはならないことだった。

 けれど優にはお見通しだったのだ。

 瞬間、彼女の顔に浮かんだのは「ああ、やっぱり」という諦めの色だったから。

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