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Dig me Dream  作者: 地藤零一
3/7

scene3

 着替えて家を出ると、付いて来るがいいですと言う夢見に従い二ノ宮はその隣に並んだ。彼女の服装のせいで自分が普通の住宅街を歩いていることに場違いさを覚えながら、見慣れた風景を撫で回すように再確認した。そこは、紛れも無く自分が今まで眺めてきた景色だったが、どことなく作りが甘かった。解像度の低い写真を見せられているような、ポリゴンの少ないゲーム世界を歩いているような、定規で線を引いて描かれた絵画のような安っぽさが感じられたのだ。

 二ノ宮の知る現実と決定的に違うことは、人を一人も見かけないことである。

 やはりここは、二ノ宮の知る現実世界とは違った。

「……人気のない遊園地にいるみたいだ」

「周りの風景にリアリティが無いのは、あなた自身の現実に対する認識が甘いからです。まあ、たいていみんなこんなですけど。自分の家だけ作りが細かいのは年中見ているからですね」

「ふーん……そういえばさっき言ってたけど、色の濃い記憶から食べられていくって」

「獏の嗜好です。身近な記憶ほど色は濃く、特に何度も想いを馳せる類の思い出や夢は、彼らにとって大好物なのです。部屋の配置なんかは身近でもどうでも良い事柄なので手つかずでしたが、早く全部捕まえないと二度と思い出すことができなくなるのです」

「やだなぁ」

「通常はそうなる前に、私たちが見つけ出すか、彼らが満腹になるかするはずですけれど、一度に入られた数が多いと、あっというまに思考する能力も失われてしまうのですよ」

「なんか獏って言うより、脳の病気みたいに聞こえるね」

「現実に現れる疾患としてはまったく同じことです」

 じわじわと心の底に危機感が溜まっていった。

夢みたいなことばかり言われていたから、それが現実としての死に繋がった途端、身震いするほど不安になってくる。

「どこを探せばいいんだよ」

「それは、あなたにしかわからないです」

 素っ気なく言われて焦った。自分の記憶を頼りに、自分の記憶の欠けた箇所を見つけなくてはいけないのでは、それは大いなる矛盾だった。さっきの名前もそうだが、抜け落ちた箇所に穴が開いているのではなく、自動的に補修されているなら、自分で見つけることは難しい。

「どうせ人の記憶なんて、埋め合わせだらけの矛盾だらけなのです」

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

「あなたの性格を知っているのは、あなた自身が一番のはずです。あなたが今日このときまでどんなふうに生きてきたのか、どんな人間として構成されてきたのかを知っていれば、自分がどんなとき何を思って、どう動くのか解るはずです。そこに自分としてそぐわないものがあれば、それが抜け落ちた記憶の正体なのです」

 自分を一番良く知っているのは、自分自身。

 そんなふうに意識したことはなかった。

 自分自身について、明確なイメージを持って過ごしている人はごく少数だろうし、その中に自分が含まれているとは到底思えない。

 簡単な言い方をすればそれは自信というやつだ。

 自信なんて無い。明確な自分なんて無い。

 なんだか鬱な気分になる。

「……どうせ僕なんてちっぽけな人間だよ」

「しっかりするのです。卑屈になってるヒマがあったら少しは頭を動かすのです、このウジ虫」

 悩む権利もないようだった。しかし、考えて分かるものなら外を出歩く必要はないと思うのだけれど。

「どこに向かってるの?」

「ただの散策ですよ」

「え? なんで暢気に? 獏探しじゃないの?」

「あなたの抜け作ぶりにはほとほと呆れるばかりですね。いいですか、普段から目にしている風景の中を歩けば、そこから思い出が喚起されることはままあることです。そうすれば獏を見つけるヒントくらい得られるかもしれないじゃないですか。下らないこと気にしてないで、あなたは見慣れた町並みに目を向けてやがれです」

「ふぁい……」

 見慣れた町並み、と言われても一度気付いてしまうと違和感が付きまとうのだが、文句を言うとまた怒られそうなので、二ノ宮は沈黙を財産とした。

 辺りを見渡す。程よく拓きかけた田舎にある住宅街の境目を抜け、精米所を左に折れて酒屋と駄菓子屋のあいだを通り坂道に入った。二階建て家屋よりも低い勾配を登り切ると、視界が開け、そこから先には堤防があり、25メートルよりは幅の長い河川があって、白鳥が群れをなし川辺で会議を開いていた。その向こうに見えるのは地平線さえ見渡せる広大な田園地帯だ。

 堤防に沿って歩いた。

 散歩なんて久しぶりだ。

 二ノ宮だって小さな頃はもっと出歩いたりしていた。けれどそれも、友達の家に行ったり釣りに行ったり空き地で遊んだり、目的あって動いていたことなので、ただなんとなく外に出て景色をゆっくり眺めていたことはなかったのだ。それは、もっと昔のこと。小学校に入るよりも前、友達同士で外に出て遊ぶ習慣さえなかった頃。家の中より面白い場所を探して、自分の知らないものを探して、この町で冒険をした無垢なガキンチョだった頃。

「……あれ?」

 記憶がぐらついた。

 思い出せない。

「どうしたのですか?」

 既視感だった。前にもこんなふうなことがあった気がしたのだ。

 こんなふうなこと、とは、果たしてどんななことだろう。それさえも分からない。堤防沿いの道を歩いたことは、数え切れないほどあるはずなのに、何かの状況が、今の状況と似ていた。どうして似ていると思い至ったのか分からない。

「何か見えたのですね?」

「うん……だけど、なんだと、結びつかないんだ」

「なら放っておくのです」

「──え? なんで?」

「論理的思考は思いつきの妨げなのです」

 意味が良く分からないけど、それは論理的に考えるより思いつきの方が大事だということだろうか。

「さっきまで散々頭使え頭使えって言われてたんですけど」

「綺麗な町なのです」

「あれ、誤魔化した?」

 切り立った道からは、町の風景が遠くまで見渡せる。視界のずっと向こうには、繁華街の先から地平線まで、線路橋がひた走っている。河のこちら側には民家が集中していて、駅に近くなるほどその密度が増していった。二ノ宮が住んでいるすぐ手前の住宅街は、まだ開発中なので、空き地の部分かなり広い。三年前くらいにできた堤防沿いの屋内プールが視界の三割を遮っている。

 綺麗な町、なのだろうか。地元住民としては田舎なので景観よりも不便さが先立つ。

 ときどき思いついたように会話しながら、てくてく歩いていった。

 やがて車道に出くわした。向こう岸まで横切る橋だ。

「橋ですね」

「橋だね」

「この先の堤防沿いは舗装されていないのですね」

「うん。人家以外何も無いからね。あんまり行ったこともない」

「どうりで、ディティールが適当なはずです」

 よく見てみると、車道を渡った向こうの道には茶色い地面と草があるだけで、全体的にのっぺりとした印象。石ころのひとつも無い。

 夢見は懐に手を入れて、

「──取り出したるは日記帳」

「なに持ってきてんだよ!」

 しゃがみ込んでページをめくる。取り戻そうとすると、くるくると背を向ける。

「この! 返せよ!」

「ここの記述です。六月二〇日、『高架下の捨て犬』とはここの橋のことなのではないですか?」

 近所にある川はここしかないし、向こう側に行ったことがあまり無いなら高架下とはずばりこの橋のことだ。

 そこまでの推理は驚きに値しないが、彼女が指示するからにそれは記憶の欠落に関することであって、何故本人でもないのにそんなことが判るのだろうと二ノ宮は疑問に思う。

 顔に出たのか、夢見は視線を橋の下に向け、

「あなたの銘記に関する傾向は、存在を定義する名称からあると感じたのです。先の未空さんもそうでしたから、名前が無いのはおかしく思いました。勘ですけど」

「名前って、犬の名前?」

「そうです。犬に名前はつけてあげなかったのですか?」

 そういえばそうだ。

 物に名前が無いと落ち着かないし、クラス全員の名前だって学年が上がるたびすぐ覚えるようにしていたはず。

 うんうん唸る二ノ宮を置いて、夢見は堤防を下りていった。煮え切らぬものを感じながらも後に続いた。

 果たして橋の下には手付かずのダンボール小屋があり、その周りで獏が一匹鼻をうごめかせていたのである。

「二頭目ゲットなのです」

 むんずと捕まえる。背中を叩いて泡を吐かせる。

 なんだか、すごい地味な作業じゃないか。

「ずいぶん簡単に見つかったけど、こんなんでいいの?」

「なんですか。トラブル満載の捕縛劇でも期待してたのですか?」

「いや、嫌だけど。ぜんぜん簡単そうなんだもの。僕にもできそう」

「すこぶる心外なのです。それでちゃんと記憶は取り戻せたのですか?」

「あ……うん」

「犬の名前は?」

 黙った。

 気まずい沈黙。

 気まずいと思っているのは二ノ宮だけなので、夢見は構わず日記帳を開け記述を確認しようとすると、猛烈な勢いで奪い去られた。

「、残像」

「ペスだよ! ペス! すごい普通な犬の名前!」

 本当はヘンリエッタだけれど、また罵られるのが嫌なので懸命に誤魔化した。

「そうですか。なら名前はピスに改名することを薦めるのです」

「……なんでさ」

「六年生になるまで夜尿症が治らなかった御主人の犬にはぴったりなのです」

 ちなみにペスは猫のことです、と付け足して堤防を登っていった。あーもうそうですよ。最高学年に上がるまで寝小便してましたよ。でもなんでそんなこと知ってるんですかその日記帳は今年のですよ。寝てるあいだに他の日記も読んだでしょ。そうでしょ。ひどい。…さめざめと泣きながら成す術なく後を追う。こんな記憶なら忘れたいのに。

 夢であることが救いだった。


 次の目的地は学校だった。自転車通学するくらいなのではっきり言って歩きはしんどい。重ねて言うが、二ノ宮に散歩の趣味は無い。つまりは疲れる。夢のくせに体力値が反映されるなんて理不尽この上ないと訴えれば、呆れと蔑みと嘲りの言葉が陰湿に飛ぶ。もうやだ。おうち帰りたい。

「虐められてませんでした?」

 唐突に訊かれた。思い返してみてもそんな記憶は見当がなかった。

「それは変なのです。きっとあなたの中学生日記は泥沼だったに違いないのです」

「不吉なこと言うなよ! 不思議と……あれ、自分で不思議? なんか負けた気分なんだけど」

「運がいいのです。わからなくはないですけど」

 どういうことか問いただしたかったが、恐いのでやめておく。

 人家と商店が無秩序に並ぶ狭い通りを、二ノ宮は夢見と歩いている。陽気が心地良い日和、人の活気だけが無い町で、なんの大事もないふうに、いつもの町並みが通り過ぎていく。

「あのさ、気になったんだけど」

「なんですか?」

「獏が夢の中に入って、人の記憶を食べてしまう。夢見はそうさせないように夢の中に入って、獏を探して捕まえる。僕はその協力をする。……だいたいこんな感じだと思うけど、もうさ、そういうものは『ある』って納得したうえで訊くけどさ」

「何か不備がありますか?」

「どうして、そんなことが起きるの? 獏ってそんな、病原菌みたいなものなの?」

「良い質問なのです」

 何も変化の無い横顔で、前を真っ直ぐ見つめたまま、夢見は言った。

「人の記憶の欠落には、器質性のものと非器質性のものがあるらしいです。精神疾患における記憶障害のカテゴリで、医学的には健忘と呼ばれています。器質性のものは外的要因、つまり直接的な脳へのダメージ、薬物や外傷によって発生するもので、こちらはわりとポピュラーです。非器質性のものは心因性、重度のストレスや情緒の未成熟な人に見られる症状で、こちらは滅多に見られません。手術や投薬で回復可能な器質性健忘に対し、心因性健忘の方は治療法が確立していません。催眠療法やカウンセリングなどが主です」

 話がいきなり専門的になった。

「夢の話だよね?」

「夢の話ですが、あなた側の世界に表れる症状ですから」

 気を落ち着かせる。彼女が今言ったことが前置きであることは解る。それだけに、形のある危うさに二ノ宮は揺さぶられた。どうせ夢の中だからと捨て置くことができないところまで来ているのだ。

「心因性健忘──獏の働きはそれに類するものです」

「て……ことは?」

「あなたの忘れたいと思う気持ちが、夢の中に獏を招く」

 ──忘れたい?

 そんなのはおかしい。

 だって、ヘンリエッタの名前も、未空さんの名前も、二ノ宮は一度だって忘れたいと思ったことなど無いのだから。心の片隅にも、そんな願望を放置したことはないのだから。

「おかしいと思ってますか?」

「うん……だって、そんなこと僕は」

「言ったはずです。欠落は補完されるものなのです。心に矛盾が生じないよう、他の記憶から継ぎはぎするように、その逆もありうる。あなたに深く関わりのあることは、その矛盾を埋め合わせるために、他の記憶も巻き込んでしまう。あなたはとても大切な夢を食べられてしまった。だから、それを思い出させないように、関連する他の記憶も食べられてしまうのです」

 意味が分からない。

 大切なのに、忘れてしまう。

 大切なのに、自分から忘れたいと願うこと。

「そんなの……あるはずないじゃんか」

「ある。あなたには夢が崩れてしまう出来事があったのです。それはあなたの心そのものだったから、だから、心の平衡を保つために、それを忘れてしまえと願った。念入りに、思い出すことが無いよう、それ無しでも自らが成立するように」

 彼女の言い分は容赦が無かった。

「でも、所詮はその作業もあなたという人格が成立する基盤を侵してしまうものなのです。傷ついた内腑を切り捨てるようなものなのです。たとえ精神のかそせい可塑性に頼っても補いきれるものではないのです。欠落は欠落のまま、あなたの心に穴を空け、認識さえ巻き込んでしまう。あなたは心の動きを失い、それまでの『二ノ宮太助』でいられることができなくなる。それは、放置できない問題だと思いますが?」

 自分が自分でなくなるなんて感覚はわからない。

 いつのまにか歩みが止まっていた。三歩分前にいて、夢見は人の顔色を覗き見るように少しだけ身を屈めている。

 大切な記憶を、忘れてしまいたいと願った自分。

 もし、そんなものがあるとして、だ。


「思い出して、何になるんだ」

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