第9話 最初の逮捕、最初の反発
「――いたぞ!」
倉庫街の路地裏。
松明の灯りに照らされて、少年が一人、壁際に追い詰められていた。
「ま、待ってくれ!
返すつもりだったんだ!」
「動くな!」
佐津野圭の声が、夜気を切り裂く。
最初の“容疑者”。
倉庫街で魔導具を盗んだとされる、浮浪児の少年だった。
「逃走をやめろ。
これ以上走ると、転倒して怪我をするぞ」
「そんなの、知るか!」
少年は振り返り、走り出そうとする。
その瞬間。
「――セリーナ!」
「了解!」
影が跳んだ。
剣は抜かず、体当たり。
少年は地面に転がり、動きを止められる。
「は、離せ!」
「抵抗しないで。
怪我はさせない」
セリーナの声は、意外なほど優しかった。
佐津野は、ゆっくりと近づき、
少年の両手を取る。
カチリ。
異世界で初めて、
“市民に対して”手錠がかけられた。
「――何をするんだ!」
周囲から、怒号が飛ぶ。
集まってきたのは、
倉庫街の住民たちだった。
「子ども相手に手錠だと!?」
「剣も使わず、縛り上げるなんて!」
「それでも騎士か!」
「……警察です」
佐津野は、はっきり言った。
「この子は、
盗みを働いた」
「だからって、
見せしめかよ!」
佐津野は首を振った。
「いいえ。
守るためです」
「何を守るっていうんだ!」
「この子の未来を」
ざわめき。
「話を聞きます。
罰も、決めます。
でも――殺しません」
住民たちは、戸惑った表情を浮かべる。
だが、納得はしていない。
「そんな甘いことして、
また盗まれたらどうする!」
「責任を取る」
佐津野は、一歩前に出た。
「再犯したら、
俺が止める」
静まり返る路地。
「……連れていけ」
誰かが吐き捨てるように言った。
* * *
取調べ室。
少年は、俯いたまま座っていた。
「名前は?」
「……ルーク」
「年齢は?」
「わからない」
「住む場所は?」
「……ない」
沈黙。
佐津野は、記録を取りながら言った。
「盗んだ理由を、教えてくれ」
「……腹が減ってた」
「それだけ?」
「……それだけだよ」
嘘ではない。
だが、全部でもない。
「倉庫街で、
助けてくれる大人は?」
少年は、首を振った。
「……いない」
佐津野は、ペンを置いた。
「結論を言う」
少年が、びくっと肩を震わせる。
「今回の件、
正式な裁判にはしない」
「……え?」
「被害は回復可能。
動機は生存。
更生の余地あり」
セリーナが、静かに頷いた。
「代わりに――」
佐津野は、少年の目を見た。
「倉庫街の清掃と、
詰所での手伝いを命じる」
「……それが、罰?」
「罰であり、
チャンスだ」
少年の目に、
初めて感情が宿る。
「……逃げたら?」
「追うさ。――どこまでも」
即答。
* * *
翌日。
詰所の前に、人だかりができていた。
「盗人を甘やかすな!」
「警察なんて、余計なことを!」
「今まで通りでよかったんだ!」
抗議だった。
石が一つ、投げられる。
壁に当たり、音を立てる。
セリーナが、一歩前に出る。
「剣を抜く?」
「いいえ」
佐津野は、前に立った。
「話をします」
扉を開け、
詰所の中を見せる。
「見てください」
掲げるのは、
昨日の記録。
「誰が、何をし、
なぜ、こうなったか」
「全部、ここに書いてあります」
人々は、黙って見つめる。
「不満は、正しいです」
佐津野は、頭を下げた。
「でも、
怒りを向ける先は――
“仕組み”です」
沈黙。
しばらくして、
一人の老人が言った。
「……あの子、
今朝、掃除してたぞ」
「……俺も見た」
空気が、少しだけ変わる。
「すぐには、信じてもらえません」
佐津野は、静かに言った。
「でも、
記録と結果は、嘘をつきません」
夜。
詰所の灯りは、また消えなかった。
「最初の逮捕で、
この反発」
セリーナが、苦笑する。
「上等です」
佐津野は、記録を閉じた。
「反発があるってことは、
届いている」
剣ではなく、
法律でもなく――
“向き合う”という行為そのものが、
異世界の常識を、少しずつ揺らし始めていた。




