第37話 セリーナが止める
それは、小さな違和感から始まった。
「……巡回の範囲、広げたわね」
騎士団本部前で、セリーナが腕を組んだ。
目の前には、警察の巡回記録。
倉庫街から一歩外れ、貴族区の境界近くまで線が伸びている。
「基準に沿った結果です」
佐津野圭は、落ち着いて答えた。
「暴力の予兆が、そちらにも見られました」
「だから巡回した」
「はい」
* * *
「やりすぎよ」
セリーナの声は低い。
「そこは騎士団の警戒区域」
「あなたたちが入れば、
境界が曖昧になる」
佐津野は、即答しなかった。
「境界は、
事前に共有したはずです」
「共有と、実行は違う」
セリーナは一歩近づく。
「警察が“できるからやる”を続ければ、
いつか衝突する」
* * *
その夜。
詰所に戻ると、ミーアが小声で言った。
「……今日の巡回、
少し強引でした」
若い警察官も、視線を落とす。
「止める人が、
いなかったので」
その言葉に、佐津野はわずかに目を伏せた。
* * *
翌朝。
倉庫街で軽い揉め事。
警察が先に動いた。
だがその直後、
騎士団の一隊が到着する。
「止まれ」
短く鋭い声。
セリーナだった。
「これ以上は、騎士団が対応する」
警察官たちが、一瞬迷う。
基準には当てはまる。
だが、境界を越えている。
「判断は?」
若い警察官が佐津野を見る。
佐津野は、首を横に振った。
「現場で」
* * *
沈黙の数秒。
警察官は、ゆっくりと一歩下がった。
「引き継ぎます」
そう言って、報告だけを残す。
セリーナが、静かに息を吐いた。
* * *
詰所。
「……止めましたね」
ミーアが言う。
「はい」
佐津野は、淡々と記録を書く。
――騎士団へ引き継ぎ
――境界判断:警察撤退
「正しかったんですか」
若い警察官が問う。
佐津野は、すぐに答えない。
やがて、こう言った。
「正解は一つではありません」
「でも――」
視線を上げる。
「止める人がいることは、
組織にとって健全です」
* * *
夕方。
セリーナが詰所を訪れる。
「怒ってないの?」
彼女が問う。
「なぜ?」
「現場を止めた」
「基準に沿った判断を、
外部が遮った」
佐津野は、小さく首を振る。
「警察は、
“どこまで行くか”も基準が必要です」
「今日、
それが見えました」
セリーナは、わずかに笑った。
「……もう、
個人の組織じゃないわね」
「はい」
佐津野は頷く。
「だからこそ、
外から止められる」
* * *
夜。
詰所の壁に、新しい一文が加わる。
――境界は、越えられるからこそ明文化する
ミーアが、それを見上げて言った。
「……佐津野さんが止めるんじゃないんですね」
「はい」
佐津野は、灯りを落とす。
「組織は、
止められる構造を持っていなければなりません」
窓の外。
騎士団の松明が、遠くで揺れている。
警察は、広がらなかった。
だが――
一歩、完成に近づいた。




