第32話 それでも私は
夜明け前。
詰所の灯りは、
まだ消えていなかった。
* * *
「……辞める、
という選択肢は?」
ミーアが、
ふと口にした。
冗談でも、
軽口でもない。
ただの――
確認だった。
* * *
佐津野 圭は、
少しだけ考えた。
「あります」
ミーアが、
驚いたように
こちらを見る。
* * *
「警察官であることは、
義務ではありません」
「逃げることも、
裏切りではない」
「この世界では、
特にそうです」
* * *
「……じゃあ」
ミーアの声が、
わずかに揺れる。
「どうして、
続けるんですか」
* * *
佐津野は、
窓の外を見た。
夜と朝の、
境目。
「私がやらなければ、
誰もやらないからです」
* * *
「英雄なら、
他にいます」
「剣の達人も、
魔法使いも」
「でも――」
視線を、
戻す。
「記録を取り、
説明し、
嫌われ役を引き受ける人間は、
いつも足りない」
* * *
ミーアは、
黙って聞いている。
* * *
「私は、
正しい人間ではありません」
「迷います」
「怖がります」
「嫌われると、
普通に落ち込みます」
小さく、
自嘲する。
* * *
「それでも――」
声が、
少しだけ強くなる。
「線を引く仕事は、
誰かがやらなければならない」
* * *
朝。
詰所の扉が、
静かに叩かれる。
「……警察、
いますか」
市民の声。
困っているが、
怒ってはいない。
* * *
ミーアが、
立ち上がる。
「行きます?」
「はい」
佐津野も、
席を立つ。
* * *
扉を開けると、
小さなトラブル。
隣人同士の、
言い争い。
大事件ではない。
英雄は、必要ない。
* * *
佐津野は、
いつものように言った。
「話を、
聞かせてください」
* * *
ミーアが、
横で呟く。
「……それでも、
あなたは?」
佐津野は、
短く答えた。
「それでも私は、
警察官です」
* * *
記録簿の、
新しい一頁。
派手さはない。
称賛もない。
だが――
今日も、線は引かれる。
剣も、魔法もない。
それでも――
それでも私は、
この仕事を選び続ける。




