第8話
アパートから出てきた黒崎さんを追うわたし。
黒崎さんは黒のジャンパーにグレーのスウェットパンツといった格好でアパートから出てきた。完全にラフな普段着だ。
先日の件もあったし、遠出はしないんだろうな、と思った。
せいぜいコンビニか軽い散歩くらいだろう。
歩いていると彼女との距離が縮まる。
次、振り返られたらわたしが尾行してることがバレてしまう。いや、とっくにそんなの、バレてるに違いない。黒崎さんが警察に通報しないのは、せめてもの優しさだろうか。
――黒崎さんが振り返る。そして、立ち止まった。
わたしはわざとらしく、電柱の後ろに隠れる。
彼女が立ち止まったのはこれが初めてだ。
なにを考えているのだろう。
そして、また歩き出したのでわたしもその後に続く。
彼女との距離が僅か人の頭ひとつ分となったところで――。
勇気を振り絞って――。
「……ふっ!」
わたしは何を言おうとしたのだろう。なかなか自分の気持ちが言葉に出せない。
「……すっ!」
『好きです』と言いたいのに。
「待っ!」
ふすまになってしまった…………。
「ふすま……?」
後に黒崎さんの可愛らしい呟きが聞こえてくる。
「――好きです」
「あなた、誰ですか?」
終わった。告白失敗。
せっかく勇気を振り絞ったのに。
「この後、予定ある?」
「ないですけど……あ、コンビニで天然水買うくらいです」
「じゃあ、コンビニ寄ったら公園行こう!」
――というわけで、そんな流れになった。
天然水は奢ってあげた。
***
公園にて。
「一ノ宮蓮音さん、というのですね」
「またの名をストーカーです」
「知ってます」
「なんで被害届出さないの?」
「わたしの好きなアイス、くれるから、ですかね。あとは通報するのがめんどくさいから……」
やっぱりアイス、好きなんだ……。これからも沢山アイス、あげちゃおう。
「それじゃあ、この前襲ってた人――」
「――水野先輩です」
「その、水野先輩が定期的にアイスを黒崎さんにプレゼントしてたら、水野先輩がストーカーしてても許せるの?」
「それは……被害届出しちゃうかもです」
「何の違い!?」
わたしは黒崎さんに後ろから抱きつく。
「何するんですか。離してください」
「離さない」
断った後に優しい声音で諭す。
「大丈夫だからね」
「大丈夫じゃありません」
「水野先輩があんなふうに乱暴に黒崎さんを襲ったのが許せないの。きっとあなたは少なからず傷ついていると思うから、わたしがそれを癒したいの」
「はあ。でも、大丈夫ですよ。引きこもって、アイス食べて元気になりましたし。学校で先輩と会うのは……気まずいですけど」
「――頭だけ撫でさせて」
「はい」
ゆったりした時間が流れる。
黒崎さんの髪はストレートでサラサラしている。
なんか猫っぽいな。
目を細めて気持ちよさそうにしている姿とか小さい頭とかが本当に猫耳が生えているのでは? という錯覚を生み出す。
「気持ちいい?」
「気持ち、いいです」
「かわいい」
今度は黒崎さんの肩が跳ねた。リアクションまで可愛すぎじゃん。顔もきっと赤いのだろう。
でも、次の発言でこの場の空気が一気にシリアスになる。
「――水野先輩にされたようなこと、わたしともしてみたい?」
「えっ――」
「冗談。また今度ね」
わたしは走って逃げた。
あんなかわいい子と長い時間、一緒にいると身体がおかしくなってくる。ほわほわする。
本来、黒崎さんとは顔を合わせちゃいけないんだ。
だって、尊いから。
わたしが汚したくない。あの子の身体も。心も。
黒崎さんの部屋のドアノブにかかっている、アイスの入ったビニール袋にわたしの連絡先が記載されたメモを入れておいた。
アイスの周りに付着した水滴でメモが濡れてないといいな。