第25話 最高の困難のはじまり⑪
「おいメレナ、聞こえるか!」
狭い治療室のなか、俺の声がむなしく吸い込まれていく。
返事はなかった。メレナは一時期意識を取り戻しはしたものの、またすぐに気絶してしまった。
彼女が寝ているベッドは血まみれで、それとは対照的に彼女の顔は青白い。どうみても、血を失いすぎている。生きているのが不思議なくらいだ。
しかし、俺は構わず声を掛け続ける。彼女から、どうしても聞き出さなければいけないことがあるからだ。
「メレナ、頼むから目を覚ましてくれ!」
ベッドのすぐ傍らにいるエリゼも、心配そうにメレナを覗き込む。
いまや俺たちに打つ手はなく、メルルたちを見つけ出すためには彼女が目覚めるのを待つしかない。
くそっ、何もできないってのはこれほど歯がゆいのか。
「…治療魔法でどうにかならないのか?」
エリゼが医者に問う。
「いえ、魔法で治せるのは外的な傷だけです。彼女の失った血や体力を戻すことはできないのです…」
「…そうか」
メレナの回復を待っている間、俺は何度も治療室の壁掛け時計をみるが、時間はちっとも進んでいない。たったの一分、一秒が、無限にも思えるスピードでゆっくりと進んでいく。
その時、俺の視界の端で、何かが動くのが見えた。
それはメレナの手だった。
彼女はすっかり青白く、さらに真っ赤な血で染まった左手で弱弱しく俺の服を掴み、何かを語り掛けようとした。
「お、起きたのかメレナ!」
治療室にいた全員の視線が、メレナに注がれる。
「で、泥一さん…」
メレナは、今にも消え入りそうな声で喋りはじめた。
途中、喉に血が溜まっているのか、何度も咳込んでいた。
「すみません…子供たちのことを…」
「ああ、それは分かってる。後は俺たちに任せておけばいい。だから何があったのかを教えてくれ!」
「男の…三人組でした…。空間魔法を使って、子どもたちを攫っていきました…」
「犯人は三人…?」
俺たちは、今まで犯人は単独だと思っていた。
犯人は複数。三人組…。
「顔は! 顔は見なかったか?」
「夜で…ローブを被っていたので顔は…」
「そうか…」
隣で話を聞いていたエリゼの顔に、落胆の色が見える。
無理もない。唯一の情報源だと思っていたメレナだったが、肝心の犯人の顔は見ていないというのだ。
…しかしエリゼは間違っている。メレナは大切な情報を知らせてくれた。
「ありがとうメレナ。おかげで犯人の目星がついた」
「なんだと!?」
エリゼが叫ぶ。
「落ち着けよエリゼ、順を追って話す。まず、メレナの情報から犯人は複数犯だということが分かった。これが肝心なんだ。俺たちは今まで犯人は単独だと思っていた。襲う場所は一か所ずつだし、規模も大きくなかったからだ。しかし、実際はそうじゃなかった」
「それがどうしたというのだ。犯人が複数だろうと一人だろうと、私たちが何も分かっていない状況は変わらない」
「いや、そうじゃない」
俺はエリゼの目を覗き込み、ゆっくりと喋った。
すまんエリゼ、俺も考えながらなんで早く喋れない。それに、認めたくなかったことでもあるからな。
「犯人がひとりだと誰もが思い込んでいた。しかし、そうじゃないと知っているやつがいたらそいつが犯人だ」
「何が言いたい? そんなやつはいないだろう」
「いや、いる。ハンサムだ」
エリゼの顔色がみるみる変わっていく。
「あいつはラスビレグの門扉の前で、俺たちを誘拐犯『たち』と間違えたんだ。間違いなく、たち、と言った。それにハンサムはその時メルルを直接見ている。メルルを誘拐した理由もそれで説明がつく」
「犯人はあの男か…」
エリゼの表情は見るも恐ろしく、もし目の前にハンサムがいたら間違いなく殺していただろう。それだけの狂気を、今のエリゼからは感じた。
「行くぞ下僕、お嬢さまを助けにいく」
「はあ? どうやって!」
しかしエリゼは俺の言葉には耳もかさず、さっさと治療室を出ていってしまった。
「待てよ!」
俺は、あわててエリゼを追いかけた。
*
ラスビレグの夜空は黒く、にわかに肌を濡らすような小雨が降っていた。
俺はさっさと先を急ごうとするエリゼの肩を掴み、引き留めた。
「待てよエリゼ、犯人の場所は分からないんだぞ、闇雲に歩き回っても意味がない!」
エリゼはゆっくりと俺のほうに振り返り、その憤怒に燃えた眼で俺を睨みつけた。
「いや、今からあの男の場所を見つけ出す」
「だから、その方法を見つけようって…」
「フィウスさまの力を借りる」
「え?」
「実は先ほども一度使ったのだ。しかしお嬢さまは見つからなかった。おそらく空間魔法で隠されていたのが原因だ。だが、あの男を見つけるとなれば話は変わってくる」
「そ、そんなことができるのか…?」
「ああ。それなりの代償はあるがな」
「代償って、どんな?」
「二度とこの世界には戻れなくなる。神の力を使うとはそういうことだ」
「それって、お前…」
「心配するな、戻れなくなるのは私だけだ。それに、すでに一度使っていると言っただろう。私がこの世界を離れるのは決まっているんだ。すべてが終わったら、お前はまたお嬢さまと旅を続ければいい」
雨が強くなってきて、風も少し吹きだしてきた。
遠くのほうでは、慌てて店じまいをする商人たちが見えた。
「ふっ、そんな顔をするな。もとはと言えばお嬢さまをお守りできなかった私の罰。貴様が責任をかんじる必要はない」
エリゼはそれだけ言ってしまうと、話は終わりだとでも言うように俺の手を振りほどき、両手を天高くつき上げた。
「フィウス様…その御力、お借りします…」
エリゼの全身が金色に発光しだした。
しかし、それは魔法を使うときにもおこるそれではない。何というか、もっと神々しい、間違いなく神の力であることが直感的に分かった。
「エリゼ…お前…」
俺はこんなとき、掛けてやれる言葉を何ひとつ思いつかない。
できることと言えば、黙ってエリゼの覚悟を見届けてやることぐらいだった。
しばらくして、エリゼの身体の発光が終わり、またもとに戻った。
「行くぞ、泥一」
「分かったのか!」
「ああ」
しかしエリゼは言葉を続けることはなく、ラスビレグの南の方角へと向かって走り出した。もはや、話す時間も惜しいという事だろう。
俺は黙って、走り去っていくエリゼの背中を追いかけた。
いつの間にか、雨は降りやんでいた。




