第24話 最高の困難のはじまり⑩
「急げ! 急患だ!」
「くそっ、ここじゃ満足な治療ができない!」
時刻は夜の9時。にもかかわらず、ラスビレグの小さな個人病院の治療室のなかは多くの人たちでごった返していた。
治療室のベッドの上では、一人の女性が大量の血を流して横たわっている。今やその血によって、彼女の銀色の髪は真っ赤に染められていた。
それはエレナだった。
俺は治療室の外にある小さな籐椅子に座りながら、彼女の治療が終わるのを今か今かとジッと待ち続けている。
事の起こりは1時間ほど前。ラスビレグの街中で、血を流している女性がいると私兵の詰所に連絡があった。大きな街とはいえ、そのようなショッキングなニュースはすぐに出回るものだ。その女性がメレナであるということはすぐに俺の耳にも入ってきた。そして、メルルたちが行方不明であるということも。
「…やはりここにいたのか」
「ああ」
今しがた俺に声を掛けてきたのはエリゼ。随分と探し回ったのだろう、身に着けていた服は泥で汚れ、いつもは綺麗にまとめ上げられている髪型が、今は無造作に流されていた。
「っ貴様はここで何をしている!」
「…メレナが起きるのを待ってるんだよ」
「あんな女のことはどうでもいい、お嬢さまを探すのが先だろう!」
「だから、そのために待ってるんだよ!」
病院のなかに、俺の大声が響き渡る。
エリゼは、それっきり黙り込んでしまった。
くそっ、俺はこんな言い争いがしたいわけじゃない。焦っているのはエリゼだけじゃない、俺も同じだ。しかし今は手掛かりがない。今はただ、エレナが目覚めてくれるのを待つしかないんだ。
5分か、10分だろうか。無限にも思える沈黙が過ぎ去ったあと、エリゼが口を開いた。
「…すまなかった、お嬢さまがいなくなって混乱していたのは私のほうだ」
俺は、思わず目を見開いてエリゼのほうを見た。
こいつが俺に謝ったことなど、今まで一度でもあっただろうか。
「なんだ、下僕。私のほうをジロジロ見て」
「はっ!」
そうだ、こいつはいつもの調子がいい。その調子がいい。
「いや、俺も悪かったよ。お前のおかげで冷静になれた」
「ふん、」
ラスビレグ中を探し回ったおかげで疲れたのだろう。エリゼは俺の隣に腰かけると、そのまま眠ってしまった。
沈黙。治療室のなかは相変わらず騒がしいが、今の俺には関係ない。彼らは彼らの仕事をし、俺は俺のやるべきことを為すだけだ。
犯人は魔力の多い子供を狙っている。だがなぜだ? メルルはつい数日前にラスビレグを訪れたばかり。それどころか、以前はこの世界にすら存在していなかった。犯人はなぜメルルの魔力が多いことを知っていたのだろうか。
…無差別に狙ったターゲットがたまたまメルルだった?
いや、それはありえない。状況から察するに、メレナと犯人のあいだには戦闘があったはずだ。わざわざそのリスクを負ってでも、メルルである理由があったのだ。
つまり、犯人は一度メルルと接触したことがある。いったいそれは…。
ここで俺は、何の意味もなく、ある言葉を思い出していた。
それは数日前、たまたまエリゼが発していた言葉だった。異世界に来たばかりの俺は、何のこともなく聞き流していた言葉。
(あの男からは、死のにおいがする)
「ハンサム…」
そこまで考えたところで、俺の意識はまたも病院のなかへ引き戻された。
誰かの大声が聞こえる。…いや、あれは医者だ。こっちに向かって手を振っている。
「泥一さん、急いで治療室のなかへ来てください、患者が呼んでいます!」
俺は急いでエリゼを叩き起こし、治療室のなかへと入っていった。




