俺の青春は1分
時期は6月。山吹高校の体育館で高校3年生最後の公式戦が行われていた。地区大会の予選が開催されており、一回戦の試合が行われている。
体育館はどこにでもある普通の大きさ。2階の席と1階コート周囲に置かれている鉄パイプの椅子に少ないながらも観客がいた。しかし、ほとんどが空席だ。歓声は体育館に響くことはない。試合の勝敗は既に決していた。
体育館真ん中に置かれている黒塗りの電子スコアボードは第4クォーター、残り時間1:06、藤浪高校96、山吹高校58を表示している。山吹高校が負けることは既に分かっており、3年生最後の試合は残り時間が約1分だった。
ユニフォームは藤浪が濃い赤色。山吹が深緑。両高校とも背中に高校名が黒字でプリントされている。
藤浪の選手たちの表情には余裕があり、練習試合のような気楽さでプレーをしている。山吹の選手たちには、必至さが感じられず、誰もが諦観をしており力を抜いてプレーをしていた。2軍の選手を藤浪は試合に出しており、山吹は地区大会一回戦の決して強くない高校である藤浪の2軍にさえ勝つことができないほどの弱小高校だった。
試合は藤浪選手のスティールでボールがコートから出ている時。
「五十嵐、最後に試合出るか?」
山吹のベンチで50代前半の男性が椅子に座っている15番のユニフォームを着ている生徒に声をかける。
生徒の身長は高くなく、体格は細め、頭髪は黒色で眉毛にかかるほどの短さ。
彼は立ち上がり監督を見つめる。
2年前。
「五十嵐です。スタメンを目指して、頑張ります。よろしくお願いします!」
高校入学当初、五十嵐は自身の未来への道筋が光り輝いて見えていた。仲間と切磋琢磨し、今後努力を続けてスタメンのメンバーに選ばれて試合で活躍する姿が。
五十嵐の高校生活には青春があるはずだった。
入学して1年が経った頃。
放課後の練習が終わって皆が帰っている中、五十嵐はシュート練習を続けていた。
フリースローのラインからバスケットボールを放つ。弧を描いたボールはゴールの淵に当たり、床に落ちる。体育館にはボールのバウンドする音のみが響く。
体育館倉庫の更衣室から同級生である4人の男子高校生が出口に向かって歩いている。その内の高身長の生徒が口を開く。
「あいつまだ練習してるよ。試合に出れないのに何で練習してんだよ。バカだよな」
笑いながら、横にいるチームメイトが応える。
「1年以上やって、ちっとも上手くなってないじゃん。やべえよな」
周りの生徒が面白おかしそうに話す。
「上手くなるどころか、下手になってるよ。今年入ってきた後輩の方がよっぽど使える」
4人の生徒は体育館出口からで帰っていき、その廊下から聞こえてくる笑い声が体育館内にこだました。
五十嵐は俯いて、悔しさに表情を歪めて手のひらを爪の跡ができるほど強く握りしめる。彼にはそれしかできなかった。
他校との練習試合に彼が出場したのは1年生の最初の3試合と2年生2学期の1試合だけだった。公式戦には一度も出れたことがない。1年生の3試合も10分で交代されたし、2年の試合は圧倒的大差で点数が離れている負け試合だった。最後の残り時間3分で出場。
その試合が終わり、帰宅した彼は自身の部屋のベットの上で枕を殴り続けていた。
「クソ、クソ、クソ! 3分で出場させるとか何考えてんだよ。ふざけんな。バカにしてんじゃねえ。死ね、死ね、死ね!」
枕を殴り続ける彼の顔は悔しさで歪んでおり、涙を流していた。
彼は努力を精一杯やった。周りがズル休みして遊んでいる中も練習を続けている。しかし、運動神経が悪く努力の成果は表れない。
練習でのチーム分けは必ず後輩のチーム。同級生で自身だけが後輩のチームにいることに対して羞恥心が身を焦がしていく。
バカにされ続けていた。練習では下手で仲間に攻められる。同級生だけではない、後輩からもだ。自身が下手なのが理由と彼は分かっていたので言い返すこともできずにいた。
それでも彼は辞めなかったし、努力を続ける。放課後も1人でシュート練習を3年間通して行った。
3年最後の公式試合、藤浪高校96、山吹高校58と負けが確定する中、残り1分で監督は五十嵐に声をかける。
「五十嵐、最後に試合出るか?」
ベンチから立ち上がった彼は、監督を見つめる。数秒経った後に、決意を込めた声音を出す。
「はい!」
監督から6番と交代と伝えられ、スコアボードの方に歩いて行く。
「6番と交代でお願いします」
係の人は頷き、コート内に6番と15番の交代する合図を出す。山吹の6番がそれに気づいてこちらに寄ってくる。
スコアボードの残り時間はちょうど1:00を示していた。
自身の右手を差し出し、味方とタッチを行なってコートに一本足を踏み入れる。
これが彼の公式戦で初めて選手としてコート内に入ったことだった。
コート外から見る景色と、コート内から見える姿は全く違った。
山吹と藤浪の選手がいる。その姿が近い。ゴールがあって、それが異様に遠く見えた。心臓の音が激しくなり、鼓動が聞こえる。
歩みを続けて自身のコート内で足を止めた。ボールは山吹側のスローインから。
試合再会のホイッスルが吹かれ、審判はボールを山吹の選手に渡す。
スローインが行われた、チームメイトにボールが渡る。敵チームの1人が近づいて、プレッシャーをかける。ドリブルで抜こうとするが、ディフェンスが上手く抜くことができない。苦し紛れに右側の味方にパスを出すが、スティールをされてしまう。
ボールは相手チームに渡り、次々にパスを行なって速攻を仕掛けてくる。パスをもらった敵チームの14番がドリブルで五十嵐に向かってくる。
(こっちに向かってくる。止めなきゃ、、、)
腰を低くして、ボールを持った相手と向き合う。相手はドリブルのスピードを維持したまま左側から抜こうとする。彼は左側に詰め寄ってディフェンスをするが、14番は右手でドリブルをしていたところを左手にバウンドで移し替えるクロスオーバーする。必死に食い下がって彼は、右側を攻めようとする方向にディフェンスするが、もう一度相手はクロスオーバーを行い再度左側からドリブルをして呆気ないほど簡単に五十嵐を抜き去った。
自身の後ろにいた味方のチームメイト1人がドリブルを止めようとするが、相手のスピードをついていくことができず、レイアップをされてしまい得点が取られる。
(自分のせいだ。簡単に抜かれてしまった。次は止める)
スコアボードの藤浪が98点に増える。残り時間は44秒。
山吹ボールから始まり、五十嵐は味方からボールを受ける。藤浪チームは自身のコート内に守りを築く、ゾーンディフェンス行っていた。そのため、彼は難なく相手コートまで自らドリブルでボールを運ぶ。3ポイントラインまで近づくと相手が近寄ってきて、ディフェンスする。
先ほどの失点を五十嵐は取り返そうと、自らドリブルで相手を抜こうと勝負する。視線と体の重心を相手の左側に向けるフェイントを行い、自分の最高速度で右方向からドリブルを仕掛けた。
しかし、フェイントを機にもしないように、ドライブについてきて、体を右方向に入れ込んでドリブルを止める。
彼は諦めずに右方向をフェイントに仕掛けて、右手から左にボールをバウンドさせて移し替えるクロスオーバーをやって、左方向からドリブルをした。
しかし、それも見抜いていたように左方向のディフェンスをして、彼のドリブルを防ぐ。
(抜けない。どうすればいいんだ)
悩んで動きが止まった一瞬を狙った相手はスティールを仕掛けた。それに対応することができず、ボールに相手の指が当たりボールは後方に転がっていく。スティールをした敵はそのままボールを手にしてドリブル行い、ゴールに向かっていく。後方にいた味方チームの1人が、敵のレイアップをブロックする。
転がったボールを藤浪チームの一人が取る。その時には、五十嵐を含めた山吹チームの5人は自身のコート内に戻り、守りを固めていた。
スコアボードの残り時間は28秒を表示していた。
彼の青春は刻一刻と終わりに近づいてく。
五十嵐はマンツーマンでボールを持っていない相手の14番に張り付き、ボールが渡らないようした。
ボールを持つ選手は自身の味方チームメイトに向かって、ドリブルを仕掛ける訳でもなく、ボールをバウンドさせる。時間を長く使うつもりだ。刻一刻と時間が過ぎていく。体育館内にボールがバウンドする音が響き渡っていく。
焦らされた味方チームメイトはスティールを試みるが、それを待っていたようにそれを避けてドリブルを仕掛ける。他の見方がカバーに入るが、敵はドリブルを急停止させてジャンプシュートに切り替えて放つ。
弧を描いてボールはゴールに向かうが、縁に当たって跳ね返った。
地面に落ちるボールを手に入れようと両チームともリバウンドをする。藤浪チームがまたしても、ボールを手にした。そのボールを五十嵐がマークしている14番の選手にパスする。
電子スコアボードを五十嵐は見た。残り時間は16秒。
(……このまま試合が終わってしまう)
14番はボールをバウンドさせてドリブルを仕掛ける雰囲気を出す。相手が前傾姿勢になってドリブルをしようとした所を五十嵐は体ごとボールに突っ込む姿勢でスティールをする。指先にボールが当たり、前にボールが向かう。彼は前傾姿勢を治すことなく倒れながらもボールにしがみつく。左側を見ると相手コートに向かって走る見方がいて、そこにボールを思いっきり投げる。
試合残り時間は8秒。
ボールを受け取った味方がドリブルをしようとするが、既に藤浪の1人が抜かせまいとディフェンスをする。
その時に右方向に声が聞こえた。
「こっちだ。パス!」
その声の主にボールを投げる。そこには、転びながらも、走って前方に向かっていた五十嵐がいた。
投げられたボールは五十嵐の両手に収まる。
試合残り時間5秒
五十嵐は全力でドリブルをして相手ゴールに向かっていく。前に相手選手はいなかった。
ドリブルをする中で彼は部活のこれまでの3年間を思い出していた。
入学当初、意気揚々とバスケ部に入学してスタメンになって仲間と切磋琢磨する夢を描いてあの頃。
試合残り時間4秒
努力を続けたが結果が結ばず、後輩に抜かれて毎試合ベンチにいたあの頃
試合残り時間3秒
練習試合、試合残り時間3分で出場して、自身の家のベットの上で枕を殴って悔し涙を流したあの頃。
試合残り2秒
相手ゴールに向かって走る五十嵐だったが、電子スコアボードを横目で見て残り2秒であることを知り、レイアップが間に合わないことを理解する。
フリスローラインよりも手前側にいた彼はドリブルを急停止させてジャンプシュートの体勢に入った。
刹那、彼は目を瞑る。
頭の中に過去何度もし続けた光景が思い浮かぶ。山吹高校の体育館で放課後1人でシュート練習をしていたあの頃を。
目を開けて残り1秒でジャンプシュートを放つ。ボールは手から離れて弧を描いてゴールに向かう。
ボールはゴールの中に吸い込まれていき、ネットの中を通り抜ける。
それと同時に試合終了のブザーが体育館内に鳴り響いた。
俺の青春は1分。