第38話 私らしく
国王との謁見は滞りなく終わった。
特効薬が発見されたことを報告すると国王は安心した表情を見せ、すぐさま花街の封鎖解除を言い渡した。ただし、疫病の終息までは可能な限り人の出入りを制限するように言い添えることも忘れなかったが。
問題は、その後だった。
まずクライドが第五の魔法使いの生首を提出したものだから、役人も侍従たちも真っ青な顔で固まってしまった。
もちろん、国王も王妃も。
経緯を説明すると、すぐさまヴィクター・オーブリーを呼び出すことになった。
そこで登場したのはイアンだった。
「お呼び出しは必要ありません。私がお連れしましたので」
イアンは文字通り、ヴィクターの首根っこをつかんで彼を引っ立ててきたのだ。
何度も殴られたのだろう、ヴィクターの顔はパンパンに腫れあがっていて、すでに抵抗する気力すら失っている様子だ。
「わが親友から襲撃の知らせを受けて、すぐに捕縛に向かいました。まあ、少しばかり手荒にはしましたが。そこは、ほら。私も親友とその奥様が殺されかけたもので……」
いつもの人好きのする笑顔を貼り付けた顔で、血のにじむこぶしをチラつかせると、ヴィクターの肩がビクリと震えた。
よほど恐ろしい思いをしたのだろう。
同情の余地は、もちろんない。
すでにそれなりに痛い目を見ているようだが、これだけで済ませるつもりもない。
エステルはヴィクターをジロリと睨みつけた。
だが、それを見たヴィクターは、なぜか息を吹き返したようにカッと目を見開いた。
「すべてお前のせいだ!」
ヴィクターがよろよろと立ち上がる。
特に拘束されていなかった彼は、ふらふらの体でエステルの方に近づいてきた。
すぐにクライドと騎士たちが反応したが、エステルがそれを制する。
「エステル」
それでもクライドだけは首を横に振って庇うように彼女の肩を抱いた。
「こんな卑怯者の言葉になど耳を貸す必要はない。
……こんな男のために君が傷つく必要はないんだ」
また、だ。
クライドの言葉に、胸が温かくなる。
同時に、身体の底から力が湧きあがって来るのが分かる。
(私だけの力じゃない)
寒空の下待ち続けることができたのも、クライドを救うことができたのも。
今ここに立っていることも。
たくさんの人が守ってくれた、信じてくれた。
……勇気をくれた。
だからこそ、エステルはここで引き下がるわけにはいかない。
誰に何を言われても、胸を張っていなければならないのだ。
「私は大丈夫です」
エステルがそっとクライドの手に触れる。
「信じてください」
クライドはまだなにか言いたげだった。
だが、ぐっと喉を鳴らして言葉を飲み込んで、エステルの肩から手を離す。
そして、そっと背を押してくれた。
(現金なものね。
これだけで、燃え盛る炎の中にだって飛び込んでいけそうだわ!)
──カツン。
靴の踵が大理石の床を鳴らす。
エステルは、堂々と胸を張り、ヴィクターと向かい合った。
その様子を謁見室に集まった人々が固唾をのんで見守っている。
「さあ、言いたいことがあるなら、言ってごらんなさい」
エステルは優雅にほほ笑んでみせた。
これは、完全な挑発だ。
ヴィクターの頬にカッと熱が集まる。
「全ての原因は、お前のような下賤の女が我々の世界に戻ってきたことだ! お前さえいなければ、貴族の世界は平和だったのだ!」
完全な言いがかりだ。
だが、真実でもある。
貴族の世界で生まれ、花街で育ち、また貴族の世界に帰ってきたエステル。
彼女は確かに、この世界に投げ込まれた異物だった。
「大人しくしていればよかったのだ! 下賤の女らしく、しおらしく、我々の陰に隠れて生きていればよかったのだ!」
今さらこんなことを言ってエステルが罪に問われるはずはないし、ヴィクターの罪が軽くなるわけでもない。
まったく、意味のない言い分だ。
それでもヴィクターが、こうやってエステルを詰るのは、彼女に恥をかかせようとしているから。
ヴィクターは、彼女の誇りを傷つけようとしているのだ。
あの婚約破棄の時と同じだ。
この場でさめざめと泣いてみせれば、彼は満足するだろう。
だが、その期待には応えられそうにない。
「……確かに、あなたの言う通りだわ」
エステルがポツリとつぶやくと、ヴィクターがニヤリと笑った。
「自分の悪行を認めるのか?」
客観的に見れば、悪いのは当然ヴィクターだ。彼がやったことは明確に犯罪行為なのだから。
だが、彼の言うことにも一理あると感じている、特に男性も少なくないらしい。
『そうだ』『商売女が』『彼の尊厳を……』など、好き勝手なざわめきが、謁見室に広がっていく。
そんなざわめきの中、エステルがよく通る声で言った。
「いいえ」
その凛とした声に、再び謁見室が静まり返る。
「一人の人として生きていることを、なぜあなたに咎められなければならないのですか?」
エステルの問いに、ヴィクターはたじろいだ。
「私は私らしく生きていたいだけです」
エステルは美しいものが好きだ。
何より、美しい装いをして、花が咲くように微笑む姐さんたちを見るのが、好きだった。
(私も、あんな風に)
美しく、堂々と生きる女になりたかった。
「男だ、女だ、貴族だ、平民だ、下賤だ、娼婦だ、なんて。そんなことは関係ない」
エステルが一歩前に出た。
その勢いに圧されて、ヴィクターが一歩後ろに下がる。だが、彼の退路はイアンによってふさがれている。
「私には私が望んだ、私のための人生があります。それを邪魔する権利が、あなたにあるとでも?」
ヴィクターが、青い顔で震えた。
「どんな詭弁を弄しても、あなたの罪は消えません。そして……」
エステルは今、血まみれで、ところどころ切り裂かれたドレスを身にまとい、顔も泥で汚れている。そんな悲惨な格好だ。
だが、この場にいる誰よりも。
堂々と胸を張ってみせた。
「あなたに何を言われようと、私の誇りは傷つかない!」
とうとう、ヴィクターは足の力をなくしてその場に崩れ落ちた。
「女のくせに、女のくせに、女のくせに……」
あとはただ、呪詛のように同じ言葉を繰り返すだけの人形になってしまった彼は、王宮の警備兵によって引っ立てられていった。
* * *
ヴィクター・オーブリーの処刑が行われたのは、それから約一か月後のことだった。
その頃にはすべての真相が国中に知られていて、彼に同情する人間は一人もいなかったという。
花街にばらまかれた疫病が外にあふれて、より多くの人の命を奪う可能性もあったのだ。
第五の魔法使いにも、ヴィクターと同様に人々の怒りが向けられた。
そして、その陰謀を見事に暴いたグレシャム公爵夫妻は英雄と呼ばれた。
もちろん、特効薬を発見した魔法使いも英雄と呼ばれるべきところなのだが。
その魔法使い自身が、名前の公表を望まなかった。
だが、人々は後年まで語り継いだ。
人知れず戦った、名もなき魔法使いがいたことを。
こうして、事件は幕引きを迎えたのだった──。




