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【書籍化決定】離婚はちょっと困ります~なので夫の愛を買わせていただきます。それはそれとして、悪い奴は許しません!~  作者: 鈴木 桜
第3章 人の価値

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第30話 何を成したか


 公爵というのは、普通の貴族とは少し違う。


 彼らの領地は王家から与えられたものではなく、古くから彼らが受け継いできた土地だ。

 数百年前、争いを嫌った公爵家の当主が、所領の保障を条件に現王家に帰順したに過ぎない。


 世が世なら、公爵家の当主は一国の君主となる人なのだ。


 そのため、公爵家の当主は他の貴族と違って臣下に領地と爵位を与える権限を有している。


 親族会議に集まった五十八の家は本家と血がつながっている親族だが、本家から領地と爵位を与えられているという事実に代わりはなく、本家当主の臣下という立場でしかない。


 その公爵家当主であるクライド・グレシャムが不機嫌をあらわに登場したため、親族会議はのっけから最上級の緊張に包まれていた。


 この日のために公爵邸自慢の大ホールは、エステルの指示のもと完璧に準備された。床板はピカピカに磨き上げられ、シャンデリアのろうそくは最高級の蜜蝋で明かりを灯し、大きな窓ガラスの向こうには見事なバラ園が見える。


 各家の当主とその妻や両親など、集まった親族は総勢百二十七人。

 彼らは東西に長いホールの、南側と北側にそれぞれ二列、向かい合うように並べられた椅子に整然と座っている。


 そして、東側の上座には公爵夫妻のための椅子が二つ置かれている。


 だが、その片方の椅子──公爵夫人の席にエステルの姿は、ない。


 参加者たちは、当主の不機嫌の理由がそれだとすぐに分かった。

 親族たちは会議に参加するために数日前から首都の公爵邸に集まり始めたが、それを出迎えるはずだった公爵夫人の顔を誰も見ていないため、みな不思議に思っていた。

 肝心の親族会議にも現れないとなれば、それは大問題だ。


 渦中の人である公爵夫人は、この会議から逃げ出した。だから当主様もお怒りなのだ。

 彼らはそう考えていた。


 これに気をよくしたのが、コーディ・ホールデン、現当主の大叔母にあたる女性だ。

 彼女は二代前の当主の妹にあたる人で、親族内のホールデン伯爵家に嫁いだ。いち親族の、しかも隠居した身ではあるが、公爵家本家の血筋をもつ彼女は、親族内でも大きな発言力を持っている。


 昔から本家のことに何かと口をはさむ人で、 クライドと王家の姫との結婚話が持ち上がった時には、それを強く推し進めようとしたりもした。


(マイヤー女史がうまくやったわね)


 ホールデン夫人は扇で顔を隠して、にんまりとほくそ笑んだ。


(あとは、予定通りに事を進めるだけね)


 この後、とある伯爵が公爵夫人の不在について詰問し、とある男爵がその無礼なふるまいに怒りをあらわにする。何人かの当主がそれに賛同する声を上げれば、他の親族たちも追随するだろう。

 そして、公爵夫人との離縁について当主の叔父が提案し、新しい花嫁候補の選定に入る……。


 そこまで筋書きを準備してあるのだ。


(ようやく、あの下賤の娘を追い出すことができる!)


 そう、期待した。

 ところが。


 バンッと大きな音を立てて大ホールの扉が開いた。

 そこには見慣れない女性が立っていた。


 艶やかな金髪にはちみつ色の瞳を持つ、美しい女性だ。

 華美ではないが最高級の絹で仕立てられたサファイヤ色のドレスに身を包み、堂々と胸を張って立っている。


 その人は、自分に対して親族たちの好奇の目が集まるのをものともせず、ホールの中央を上座に向かって闊歩した。


 ホールデン夫人は領地で隠居生活を送っているため、公爵夫人の姿を見たのは結婚式の一回きりで、その顔はうろ覚えだった。

 だが、今目の前を通り過ぎていく女性が公爵夫人その人だということは、誰に尋ねるまでもなく確信できた。


 彼女の立ち居振る舞いには、それほどの威厳がある。


 上座では、当主がわざわざ立ち上がって彼女を出迎えた。恭しく夫人の手をとり、椅子までエスコートするその姿は、まるで一幅の絵画だ。


「会議を始めよう」


 当主の宣言に、親族たちはゴクリと息を呑んだ。




 * * *




 会議は領地の経営状況の報告から緩やかに始まった。

 そして、核心である公爵夫人の振る舞いについて発言するために一人の伯爵が立ち上がった。

 公爵夫人の劇的な登場で出鼻を挫かれてしまったが、それでも役割を果たさなければならない。この日のために周到な準備をしてきたのだから。


 伯爵は長々とした前口上の後、以下のように締めくくった。


「商売事に手を出し、さらに、白昼堂々の浮気。それらが公爵夫人という重責を負うことによるストレスからくる行動だと言われるのであれば、理解もできましょう。

 ご出自のこともありますし、やはりエステル様には荷が重いのではないでしょうか?」


 伯爵が話し終わると、クライドはエステルの方をチラリと見た。

 エステルはあからさまに大きなため息を吐いてから、伯爵をジロリとにらみつけた。


「それで?」


 伯爵の方がビクリと跳ねる。

 彼は、ここまで言われれば弱小貴族の出身であるエステルは委縮するに違いないと思っていた。

 委縮するどころか睨みつけ、しかも問い返してくるなど、予想もしていなかったのだ。


 何も言わない伯爵の代わりに、エステルがクライドの方を見た。


「あちらの伯爵家には、今後一切、公爵家からの支援は必要ないということですね」


 エステルのこの言葉に、会場中がざわついた。


 公爵家は親族から租税を受け取る立場ではあるが、それ以上に様々な支援を行っている。

 親族の領地が不作になれば租税を免除したうえで不作の分を補填したり、親族で祝い事があれば多額の祝い金を送ったり、新たに成人した男子に領地と爵位を与えたり。

 これらの支援があるため、彼らは国内の他の貴族よりも安定して裕福な暮らしができているのだ。


「そ、それは、今の話とはなんら関係がありません」


 伯爵が言い返すが、これにもエステルはため息を返した。


「だって、あなたは公爵家が利益を上げることに反対しているのでしょう?」


 エステルが手を上げると、執事長が静々と前に出た。


「奥様が事業を始めてから、公爵家の収益は右肩上がりでございます。まず、奥様の事業に公爵家から投資している分の配当が相当額ございます」


 クライドはエステルの事業に相当な額を投資している。これは贔屓ではなく、事業の成功を確信していたからだ。実にちゃっかりしている。


「さらに、奥様の事業が始まってから公爵家の他の事業の業績も右肩上がり。これは、奥様を通して取引先が増えたことが理由でございます。これらの増益は、合わせると公爵家の一年分の予算とほぼ同額となります」


 淡々と話し終えると、再び執事長が静々と下がっていった。


 公爵家の一年分の予算という、途方もない金額の利益を、エステル一人がもたらした。

 その事実を前に、親族たちは誰もが驚きに固まった。


「……あなたたちは、人の価値は身分や育ちで決まると思っているようね」


 エステルがこぼした言葉に、また、伯爵の肩がビクリと震えた。確かに、彼女の価値をそれだけで決めつけ、彼女が公爵家にもたらした利益について調べることすらしなかった。


「生まれた家、育った場所、結婚相手……。人の価値を判断する材料は様々あるけれど、それがすべてではないでしょう?」


 親族たちは、誰もが黙って彼女の言葉に耳を傾けた。




 そして、会場の隅でこの様子を覗き見ていたマイヤー女史もまた、彼女の言葉に聞き入っていた。

 マイヤー女史には分かっていた。

 彼女は、これを聞かせるために自分をここに連れてきたのだと。


「その人が何を成したのか、何を成すのか、それが重要なのではありませんか?」


 エステルの言葉が、マイヤー女史の胸に突き刺さり、じわりじわりと痛みが広がっていく。


(何を成したか……)


 親に言われた通りの人生だった。

 それでも、生徒を一人、また一人送り出す度。


 喜びが、確かにあったのに。


 最後に成したのは、劣等感にまみれた犯罪行為で。

 彼女の手には何も残らなかった。


 それが、今の自分の価値だと。

 マイヤー女史は涙を滲ませ、肩を落とすことしかできない。




「では、あなたの浮気はどうなのですか!」


 別の場所で、一人の男爵が声を上げた。


「公爵夫人というお立場でありながら、他の高位貴族の、しかも未婚の男性と浮名を流すとは! まことにけしからんことです!」


 これに、方々から賛同の声が上がる。あらかじめ()()していた貴族たちだ。


 だが、エステルは動揺したりしなかった。

 すくっと立ち上がって、堂々と胸を張る。


「私がイアン・オリオーダン卿と恋仲にあるなどという噂は、完全な事実無根です。彼とはビジネスパートナーであり、それ以上でも以下でもありません」


 そんなこと信じられるか、ごまかさないでください、けしからん、様々な声が会場中から聞こえてくる。


 それを、エステルの声が遮った。


「お黙りなさい!」


 よく通る大音声に、会場が静まり返る。


「私が旦那様以外の男性と浮気することなど、万に一つもありません!」


 その威厳たっぷりの姿に、人々は見入っていた。だが、続く台詞に全員がぽかんと間抜けな表情を浮かべることになった。


「私が欲しいのは、旦那様の愛だけなんですから!」


 まさか、こんな厳粛な場で。

 ド直球の愛の告白を聞かされるとは。

 誰も思っていなかったのだ。


 もちろん、クライドも。


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