第29話 役割
彼女が姿を消した。
その知らせを聞いた瞬間、クライドは夜着のまま部屋を飛び出した。
馬を引き、門へ辿り着く頃には、騎士たちも大急ぎで駆け付けていた。
だが、そこまでだった。
門の外は暗闇で、人の気配など一つもない。
彼女がどこに連れ去られたのか、皆目見当すらつかなかったのだ。
「落ち着きなよ」
そう言ってクライドの肩をポンと叩いたのは、イアンだった。
言葉とは裏腹にイアンも荒い呼吸を整えながら額に汗を浮かべている。
「いま彼女の寝室を調べて来たけど、どんな痕跡も残されていなかった。……魔法使いの仕業だ」
全身の毛が逆立つような思いだった。
「状況から見て、この誘拐が親族会議に関連してるってことは明白だ。マイヤー女史が関わっているかもしれない」
言いながら、イアンはクライドの手から馬の手綱を奪い取った。騎士が呼ばれて、クライドの馬を引いていく。
「エステルを誘拐したのは公爵家の関係者で間違いない。だったら、彼女を傷つけたり殺したりすることは、まずないと思っていい」
さらにイアンは他の騎士たちに声をかけた。数人の騎士たちが門から出て、あちこちへ散っていく。手がかりがない以上、足を使って探すしかない。
「捜索は騎士たちに任せて、君はこのまま親族会議を進めるんだ」
「だがっ!」
そんなことをしている場合ではない。
エステルの身に危険が迫っているのだから、親族会議など今すぐ中止にして彼女の捜索に全力を挙げるべきだ。
「このタイミングでエステルが誘拐されたってことは、彼女を親族会議に出席させないことが狙いだ。彼女の不在の間に、ことを済ませようとしてるんだよ」
「だったら、なおさら親族会議は中止にすべきだ」
「逆だよ。親族を迎え入れて、誰の仕業なのか探るんだ。君にしかできないことだよ」
イアンに言われて、クライドはハッとした。
「僕も捜索を手伝う。
エステルのおかげで下町にも知り合いが増えたから、そっちにも協力してもらおう。
その間、クライドは親族に探りを入れるんだ」
効率的に捜索を行うなら、その方がいいに決まっている。だが、そのために自分だけ屋敷でじっとしているのは、と考えていたクライドの思考をイアンが遮った。
「それに、今さら親族会議を中止にしたら、エステルが怒るんじゃない?」
イアンは苦々しい表情を浮かべて、唇を尖らせた。
「……たしかに」
帰って来た彼女が『どうして会議を中止にしたんですか! 親族たちをコテンパンにやっつけるチャンスだったのに!』と言って怒っている姿を、ありありと想像することができる。
「そうだな。……俺は、俺の役割を果たすべきだ」
彼女ならきっと、そう言うだろう。
「まったく不本意だけどね」
イアンも、本当は今すぐにでも飛び出していきたいのだろう。当たり前だ。惚れた女の身が危険にさらされているのだから、落ち着いて話をしているような場合ではない。
だが。
「あーあ。もっと普通の女の子なら、今すぐ王子様が助けに行くのにね」
イアンは両手を頭の後ろに組んで、くるりと踵を返した。その間にも、騎士たちが門から外へ出て行く。振り返ると屋敷中に灯りがともされ、使用人たちがバタバタと動く気配が伝わってきた。
公爵家に仕える者全員が、エステルのために動き始めたのだ。
クライドは、ぎゅっと拳を握りしめた。
(彼女のために)
そうだ。
彼女ために、自分のすべきことをするのだ。
そう言い聞かせて、屋敷の中に戻っていったのだった。
それから数日間、クライドは忍耐を強いられることになった。
本当ならすぐにでもマイヤー女史を捕らえて彼女の居所を吐かせたかったが、彼女が知らない可能性も否定できない。
マイヤー女史を捕らえてしまえば、捜索の糸口を失うことにもなってしまう。
そこで、クライドはマイヤー女史を泳がせることにした。
同時にイアンと騎士たちがエステルの捜索に走り回り、その間、クライドは領地からやって来る親族を迎えるために動き回った。
親族を出迎えるのは、本来であれば公爵夫人の役割だ。
怪訝な表情を浮かべる親族たちに『エステルは体調がすぐれない』と説明しながら、クライドは彼らの表情の変化をつぶさに観察した。
そして騎士を使って集まって来た親族たちに探りを入れた。
その結果、この事件の首謀者はやはりマイヤー女史を送り込んできた大叔母だと言うことが判明した。
実行犯はもちろんマイヤー女史だ。
そして、この件に認定魔法使いの一人が加担していたことも分かった。
そんな中、彼女の居所が判明したのは、親族会議当日の早朝のことだった。
それまで動きを見せなかったマイヤー女史が、ようやく動いたのだ。
夜明け前、怪しげな男から手紙を受け取ったマイヤー女史が、密かに屋敷を出た。
騎士がその後ろを尾行し、彼女が下町のとある商店の二階に入っていくのを確かめたのだ。
「彼女は、きっとそこにいる」
イアンからその知らせが届いたのは、日の出から約二時間後。親族会議の時間まで、半日を切っていたが……。
今度こそ、クライドは馬に乗って町に飛び出した。
親族会議の当日に当主が屋敷を空けるなどもってのほかだ。会議の開催自体が危ぶまれる。
だが、居てもたってもいられなかった。
そんな彼の背を押してくれたのは使用人たちだった。
「会議のことはお任せください。必ず、時間通りに開催しますから。
それまでに、奥様を連れてお戻りください!」
執事とメイドたちに案内され、クライドは親族たちに気取られぬよう、密かに裏口から屋敷を出た。しばらく走ると、すぐにイアンも合流した。
「急げ! 彼女のところに、怪しげな男たちが集まって来たって知らせが入った!」
叫ぶように言ってから、イアンはぐんと馬の速度を上げた。クライドもそれを追い越す勢いで馬の腹を蹴る。
どうか、間に合ってくれ。
心の中で何度も叫びながら、クライドは全力で馬を走らせたのだった。
* * *
そんな彼が目撃したのは、マイヤー女史の身体に馬乗りになって獰猛に笑うエステルの姿だった。
「あなたは本当に不幸なの?
これまで、幸せと感じたことは一度もないの?
そんなはずないでしょう?」
エステルに詰められて、マイヤー女史が固まっている。
「エステル」
思わずクライドが呼ぶと、エステルがパッと顔を上げて彼の方を見た。
一瞬、彼女の表情がパッと明るくなる。
だが次の瞬間には、その表情は怒りに変わった。
「どうしてあなたがこんなところに居るんですか!? 親族会議は!?」
あまりにも予想通りの反応に、隣にいたイアンが腹を抱えて笑い出す。
「はははは! さすがだよ!
ほんと、最高の公爵夫人だ!」
クライドは深くため息を吐いてから、エステルに歩み寄った。そして、彼女を抱き上げてマイヤー女史の上からどかすと、そっと、優しく椅子に座らせる。
「けがは」
「ありません。少し毛が抜けた程度です」
「……そうか」
話しながらも、クライドはエステルの身体をしっかり検分した。といっても触れることは憚られたので見える範囲で、だが。
彼女の言う通り、けがはないようだ。
ほっと息を吐いてから、クライドはエステルを拘束している縄をほどき始めた。
この段になって、ようやくエステルの肩から力が抜けたようだった。
「間に合ってよかった」
「何もあなたが助けに来なくても」
「妻の危機に夫が動くのは当然だ。俺自身が駆け付けなかったとあっては、それはそれで公爵家の沽券に関わる」
エステルはまだ何か言いたげだったが、
「そういうものですか」
と、いったん納得した様子を見せた。
だが、すぐに眉を吊り上げて、
「でも急いでください! 親族会議に間に合わなかったら大変!」
と、クライドを急かしたのだった。
その様子を、イアンがマイヤー女史の両手を縛り上げながら呆れた表情で見ていた。
「ほんと、君って期待を裏切らないよね」
「褒めてるの?」
「もちろん」
などと軽口を交わしていると、マイヤー女史がちっと舌打ちした。
それをクライドが聞きとがめて彼女を睨みつける。
「公爵夫人に害をなしたのだ。覚悟しろ」
地を這うような低い声で言われて、マイヤー女史は顔を青くして黙り込むしかなかった。
だが、
「ダメよ。彼女も親族会議に連れてきて」
エステルが言った。
「何を言っているんだ。彼女が何をしたのか、分かっているのか!」
「もちろん分かっています」
「では……」
「被害者は私です。もちろん、私にも彼女の処遇に口を出す権利がありますよね?」
こう言われてしまっては、クライドは頷くしかない。彼女の言う通り、マイヤー女史をこれからどうするのか、エステルにはそれに口を出す権利がある。
「彼女にも、私の話を聞いてもらいたいんです」
エステルが、あまりにも真っすぐな目で見つめるものだから。
これにも、クライドは頷くことしかできなかった。
「では、早く屋敷に戻りましょう!」
こうしてエステルは誘拐事件などなかったかのような様子で数日ぶりに公爵邸に帰り着いた。
そして、メイドたちの手を借りて大慌てで支度を整えた。
そして。
「さあ、やるわよ!」
戦闘準備を終えたエステルは、すでに会議の始まっている大ホールの扉の前で、意気込んだのだった。




