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第19話 あなたの愛を買わせてください!


 握手をした途端、テディが顔を真っ赤にして固まってしまった。

 それを見たエステルが不思議そうに首を傾げている。

 テディはそんな様子の彼女に、さらに顔を上気させた。今にも頭の上から蒸気が噴き出しそうなほどだ。


「大丈夫?」


 思わずエステルが尋ねると、テディははっと我に返って彼女の手を振りほどいた。

 ごほごほと咳ばらいをしながら、頭を抱えてうずくまる。


「ちょっと、本当にどうしちゃったのよ」


 エステルはさすがに心配になって彼の顔を覗き込もうとしたが、テディの方はこれ以上赤い顔を見られまいと、ローブのフードを被ってしまった。

 それを追いかけて、エステルも彼の隣にしゃがみこんだ。


「大丈夫なの?」


 エステルが優しい手つきでテディの肩に触れると、テディの身体がさらに熱を持った。


「何もない。問題ない。気にするな。ダイジョウブだ」


 と、テディは早口でまくし立てながら、ずりずりと身体を動かしてエステルから離れようとした。

 が、エステルもそれを追いかけてずりずりと移動するので上手くいかない。


「何も問題ない」


 もう一度はっきり言うと、エステルは『そう?』と怪訝な顔をしながらも、彼から身体を離した。


 二人の距離が離れると、テディはようやく落ち着いて呼吸ができるようになった。やがて、顔の赤みも引いていった。


「すまない。喉に何か詰まったようだ」


 顔を上げたテディは涼しい顔で言ってのけた。

 もしもイアンがこの場にいたら、『苦しい言い訳だね!』と笑ったかもしれない。

 だが、エステルはそもそも素直な性格なので、この言い訳を信じたようだ。


「気を付けてよね」


 エステルがホッと息を吐いて言うと、テディは神妙な表情で頷いた。


「ああ。気を付ける」


 彼女は人妻。

 しかも、公爵という貴い身分の男の妻で、彼女自身も花街育ちとはいえ、れっきとした貴族の出身。

 テディにとっては雲の上の存在なのだ。


 今、蕾がほころぶように顔を出し始めたこの気持ちに、気づかれてはいけない。


 テディはドキドキと音を立てる心臓と、芽生え始めた温かな気持ちをしまい込むように、胸元でギュッと拳を握りしめた。


「ホントに、大丈夫?」

「大丈夫だ」


 徐々に心臓の音も落ち着いてきて、テディはいつもの淡々とした様子を取り戻していた。


 そうすると、ようやく彼女と二人きりになった本当の理由を思い出すことができた。


「これを」


 テディがローブのポケットから取り出したのは、親指ほどの大きさの小瓶だった。

 虹色の宝石を入れ、栓には厳重な封印が施してある。


「きれい……」


 小瓶を受け取ったエステルは、その美しさにキラキラと瞳を輝かせた。


「あなたの杖に付いていたのと、同じ宝石?」

「そうだ」


 魔力を込めることができる不思議な石だ。テディはこれを媒介にして魔法を使う。


「今日の礼だ」


 彼女自身の商売のためではあったが、今日のことで助けられたのはテディの方だ。だから、何か礼をしなければならないと考えたのだ。


「これは何に使うの?」


 いくらきれいだといっても、飾っておくためのものではないということは、エステルにも分かったらしい。


「困ったときにその瓶を割ると、使用者がその時に最も必要としている魔法が発動する」

「必要な魔法?」

「飢えて死にそうになっていれば、食べ物が出てくる」

「ああ、なるほど」


 自分の魔力が尽きたときの保険としていつも持ち歩いているものだが、彼女に渡す礼としてはちょうどいいだろう。


「ありがとう」


 エステルが満面の笑みを浮かべるので、また頬が熱くなった。

 だが、今度は彼女に悟られないように、テディはフードの裾をぐっと引いて顔を隠したのだった。




 * * *




 その日の夜。

 いつもならクライドの夕食の席に突撃する予定の日だったが、エステルは部屋にこもって出てこなかった。

 食事を部屋に運んできてくれたメイドたちは体調でも悪いのだろうかと心配したが、エステルは彼女たちの顔を見た途端、


「ちょうどいいわ、手伝って!」


 と、にこやかにほほ笑んだ。

 メイドたちは顔を見合わせ、首を傾げた。


「今から、ですか?」


 時間は既に夜。

 食事をとったら、後は眠るだけだ。

 そんな時間に、いったいどんな手伝いが必要なのだろうか。


「今夜は旦那様の寝室に行こと思うの。だから、ちょっと背中の方にも香油を塗ってもらいたくて」


 エステルが言うと、メイドたちはポカンと口を開けて固まった。

 次いで、手を取り合って歓声を上げる。


「ついに!」

「寝室に!」

「ようやくこの日が!」

「素敵!」


 と、大喜びである。

 エステルが嫁いで来てから数か月、初夜以降、二人が朝まで寝室で共に過ごしたことはない。


 使用人たちは、この時を今か今かと待ち構えていたのだ。


「ようやく準備ができたのよ」


 エステルがニヤリと笑う。

 彼女がチラリと目を向けた先には小さな宝石箱が置かれている。


 準備は万端だ。


 もちろん、メイドたちにはエステルの言う『準備』が何を指すのかは分からない。気持ちの準備か何かだろうと解釈して、さっさとエステルの支度の手伝いにとりかかった。


 一人はブラシでエステルの髪をとかし、一人は彼女の全身に香油を塗る。さらに別のメイドは、クローゼットの奥からとっておきのネグリジェを取り出してきた。


 最後に、エステルのハンドクリームを指の間まで余すことなく丁寧に塗りこんでいく。


 テディが作った『魅惑の香り』は香水として使うよりもハンドクリームとして使った方が柔らかい印象の香りになるので効果的だと、実は最近では娼婦の間でも人気があるらしい。


 エステルはすっかり夜の支度を終え、メイドたちに見送られて夫の寝室に向かった。


 ところが。


「部屋に戻れ」


 寝室にやってきたエステルをクライドは追い返そうとした。


 予想通りの反応だった。

 もちろん、そんなことで引き下がるつもりは微塵もない。

 エステルは渋い顔のクライドにひるむことなく、ニコリとほほ笑んだ。


「いや、です」


 そして、扉の前で立ちふさがるクライドの腕の下をかいくぐり、さっさと寝室に侵入する。


「お、おい」


 クライドが追いかけるが、エステルはさらにそれを避けて今度は入り口の方に戻り、勢いよく扉を閉めた。

 その際、遠くで見守っていた執事とメイドたちにアイコンタクト。


『今夜こそ、やってみせるわ!』


 エステルのその表情に、使用人たちはゴクリと息を呑んだ。

 そして、誰もが夫妻の幸せを願い、『上手くいきますように』と念を送ったのだった。




 二人きりになると、エステルは呆れた表情で頭を抱えるクライドに、あの宝石箱を差し出した。


「なんだ、これは」

「あなたに差し上げます」


 クライドは怪訝そうな表情を浮かべつつも、それを受け取った。

 そっとふたを開くと、そこにはぎっしりと金貨が詰まっていた。


 金貨一枚で平民の家族が数か月は暮らせる。その金貨が、ざっと見た限り百枚以上入っている。


「これは?」

「私が稼いだお金です!」


 エステルは自慢げに胸を叩いた。

 正真正銘、彼女が商売で稼いだ金だ。


「それを、私に?」


 金を渡される理由に全く心当たりがないので、クライドはさらに不思議に思って眉間の皺を深くした。


「はい。最高級の娼婦を買うときの値段の相場は、だいたいそれくらいです」


 彼女はいったい、何を言っているのだろうか。


「どういうことだ?」


 クライドは、本当に全く、これっぽっちも分からず、目を白黒させた。


 そんな彼とは対照的に、エステルは喜びにひたっていた。

 クライドの手にある宝石箱の金貨をみつめて、うっとりと微笑む。


 ようやく。

 そう、ようやくだ。


 今夜、目的を達成することができる。




「あなたの愛を買わせてください!」





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