第14話 地味夫人変身作戦
彼女の名はコニー。
ダービージャー伯爵、アルフレッドの妻である。
結婚してから三年ほど経っているが、子供はまだいない。
というのも、夫があまり夜の生活に積極的ではないからだ。
コニーは、それを自分のせいだと思っている。
『私が地味で不細工だから……』
それが、彼女の口癖だった。
茶色の髪、茶色の瞳、鼻の周りはそばかすだらけ、華やかなところなど一つもない、むしろ不細工な顔。
いつも自信がなくて、猫背でおどおどして、周囲をイライラさせてしまう。
そんな自分が、彼女は大嫌いだ。
そんな彼女の部屋に、華やかを絵に描いたような高貴な女性がやってくるとは。
コニーは、夢にも思っていなかった──。
* * *
舞踏会での出会いから数日後。
エステルは約束通りコニーを訪ねてきた。
公爵夫人の訪問に、伯爵家は上を下への大騒動。最初は夫である伯爵が出迎えようとしたが、『今日は夫人に用事があって来たのよ、あなたは外してちょうだい』と、エステルは早々に彼を追い出してしまった。
そして彼女は、『まず、そのダサい服から何とかしましょう!』と言って、クローゼットを漁り始めてしまったのだ。
「もう! どうしてこんなに地味なドレスしかないの!」
エステルがバッサバッサと音を立てながら、次々にドレスを放る。コニーと彼女のメイドの二人は、その様子を黙って見守るしかできないでいた。
「なによ、この色! 十年以上前の流行りの色じゃない!」
と、エステルの文句は止むことがない。
「あらでも、こっちは悪くないわね」
彼女が手に取ったのは、鮮やかなブルーのデイドレス。コニーが結婚する前に仕立てたもので、もう自分では着られないと思ってクローゼットの奥にしまい込んでいたドレスだ。いつか、娘が生まれて大きくなったら譲ろうと考えていた。
「それはちょっと、私の年齢では……」
コニーが口を挟むと、エステルが眉を吊り上げた。
「どうして? あなた、私とそんなに変わらないでしょう?」
「今年で二十歳になります」
「私はもうすぐ十九よ。ほら、ほとんど同年代だわ」
言いながら、エステルはさらにクローゼットの奥からレースのストールを見つけ出した。
「素敵なレース!」
「あ、それも、ちょっと派手じゃありませんか?」
「どうしてよ、似合うわよ!」
エステルはレースのストールをコニーの胸にあててみた。
「……」
じっとコニーの顔とストールを見比べて、次にブルーのドレスを彼女の身体にあてる。
「……」
黙って考え込むエステルの様子に、コニーは不安を煽られた。
(やっぱり、だめなんだ……)
ところが、エステルはうんうんと唸ってから、今度はコニーが普段使いしているブラウンのドレスを彼女の身体にあてた。
「……なるほど」
エステルは小さくつぶやいて、ニヤリと笑った。
「あなた、別にセンスは悪くないのね」
なぜ褒められたのか全く分からず、コニーは冷や汗をかきながら首を傾げた。
「ちゃんと自分に似合わない色を避けているわ」
エステルはもう一度コニーのクローゼットから出したドレスを見回した。どれもブラウンや濃い赤など、暖色系の色ばかりだ。
「確かに、あなたの髪や瞳、肌の色には、赤や茶色が馴染みやすい」
「はあ」
「このレースのストールも、真っ白の糸を使っているから、顔が浮いて見えてしまうのね」
言いながら、エステルはさらに考え込んだ。
「とりあえず自分に似合わない色を避けているうちに、似たような色ばかりを選ぶようになってしまった。さらに無難で落ち着いた色とデザインばかりになって、地味に拍車がかかった、というわけね」
彼女の分析に、コニーの隣で話を聞いていたメイドが頷いた。
「はい、おっしゃる通りでございます」
どうやら、このメイドも日に日に地味になっていく主人のことを心配していたらしい。
「これはもう、クローゼットの中身を一新するしかないわね」
エステルのセリフに、コニーがぎょっと目を剥いて飛び上がった。
「そんな!」
まさか、これほどの大騒ぎになるとは思っていなかったのだ。
「私は、ちょっとアドバイスをいただければ、というつもりで……」
エステルに少しだけアドバイスをしてもらって、少しだけきれいになる。その程度のつもりで、彼女の提案に頷いたのに。
沈黙が落ちた。
ここまで勢いのまま事が進んでいたが、ここへ来てコニーが二の足を踏んでしまった。
エステルを怒らせたかもしれないと、コニーの背中を冷や汗が流れた。
(何か、言わなきゃ……)
だが、喉がカラカラに乾いて言葉が出てこない。そもそも、公爵夫人を自宅に迎え、どうにかなってしまいそうなほど緊張していたのだ。
コニーの中で、ピンと張りつめていたものが切れそうになっている。
そんな中、沈黙を破ったのはエステルの方だった。
「……あなた、その程度の覚悟だったの?」
エステルがずいっとコニーに身体を寄せる。
白くてつやつやで、なんだかキラキラ輝いて見える美しい顔が目前まで迫ってきて、コニーの心臓がドキリと音を立てて、頬が真っ赤になった。
「変わりたいんじゃないの?」
舞踏会の夜、『変わってみたいと、思いませんか?』という問いに、コニーは確かに頷いたのだ。
「でも……」
「美しくなりたいんでしょう?」
「それは……」
そうだ。
変わりたい。あの時は、確かにそう思った。
高貴なうえに美しいこの人が、真剣な瞳で『あなたを助けたい』と言ってくれたから。
「変われるわよ、あなたなら!」
エステルは戸惑うコニーの手をとり、ぎゅっと握りしめた。
「でも……」
しまったと、コニーは後悔した。
せっかく親切にしてくれている人に、『でも』なんて。
こんな風にグジグジしているから、周りに嫌われるのに。
だが、エステルは苛立ったりしなかった。
「でも! そうよ!」
下を向いてしまったコニーの代わりに、ニコリと朗らかに笑って、さらにコニーの手を強く握りしめたのだ。
「でもでも、って、もっと言っていいのよ?」
「え?」
意外な言葉に、コニーが目を見開く。
「でもでも、私だって。でもでも、そんなの無理だわ。でもでも、でもでも……、って。悩んだっていいじゃない!」
エステルは、今度は優しくコニーの手をなで始めた。
「悩んで、悩んで、悩み抜けばいい。そうしなきゃ、見つからない答えが、きっとあるわ」
ぽろり。
コニーの瞳から涙がこぼれた。
「でも、私、こんなだから、みんなに嫌われてて……」
また、『でも』と言ってしまった。
それでも、エステルは呆れたりしなかった。
「うん。でも、あなたはそこで立ち止まったりしなかった」
エステルが両手でコニーの頬を包み込んで、彼女の顔を上げさせる。
「変わりたいって、勇気を出して私の提案に頷いたじゃない!」
コニーの瞳からポロポロあふれる涙を、エステルが優しく拭った。
「その勇気を、無駄にしないで。ね?」
優しくて、力強い。
勇気がわいてくる。
そんなエステルの言葉に、コニーは確かに頷いた。
こうして、エステルのアドバイスでコニーのクローゼットが一新されることになった。
といっても、公爵夫人であるエステルのように、何着もドレスを新調するような予算は、ダービージャー伯爵家にはない。
エステルは、娼館に勤めていた頃から世話になっている下町の仕立屋を頼ることにした。
娼婦たちのドレスの、『仕立て直し』を専門に扱っている仕立屋だ。
貴族を相手にしている仕立屋は新しいドレスを仕立てるのは得意だが、ドレスを仕立て直すという発想はない。貴婦人たちは流行に敏感で、古くなったドレスは捨てるか使用人に譲り、自分のドレスは新しいものを仕立てるからだ。仕立屋も、その方が儲かる。
だが、娼婦たちはそうは言っていられない。
特に中堅から下級の娼婦たちは、娼館の看板娼婦たちがドレスを新調すると古いドレスを譲ってもらい、それを仕立て直して着るのが普通だ。
仕立て直しと言っても様々で、サイズを調整するだけのこともあれば、ドレスを一度解いて、布を染め直すこともある。
エステルはその仕立屋にコニーのドレスを数着持ち込んで、仕立て直しを頼むことにしたのだ。
エステルが『この人を都一番の洒落た貴婦人にしたいの』と言うと、仕立屋の女主人は持ち込まれた地味なドレスとコニーの顔を見比べてからニヤリと口角を上げた。
「……私に任せな!」
その力強い言葉通り、数週間後にはおとぎ話の魔法のように生まれ変わったドレスがコニーのもとに届けられた。
「まあ、あれ!」
「まさか、ダービージャー伯爵夫人!?」
仕立て直したドレスを着たコニーとエステルが連れ立ってお茶会に登場すると、参加者たちは驚愕した。
「なんて素敵な青色でしょう……!」
エステルは、あの鮮やかなブルーのデイドレスを淡い色合いに染め直してもらったのだ。さらに装飾を入れ替え、形も少しだけ最近の流行に寄せて変えてもらった。
さらに、白いレースのストールも、ライトベージュに染め直した。
どちらも彼女の肌によくなじんでいて、とても似合っている。
これらの染料の開発にはテディの魔法の力を借りたので、まさに魔法のような大変身だった。
そして、ドレスが仕上がるまでの間にエステルの指導で姿勢を矯正し、体中の肌も髪も念入りに手入れをした。
堂々と胸を張って歩くコニーは、どこからどう見ても、最高に洒落た素敵な貴婦人だ。
貴婦人たちは彼女の大変身の秘密を知りたがって、コニーに群がった。
大勢の貴婦人に褒められて、コニーが頬を染めている。
その様子を見守りながら、エステルはにんまりと微笑んだ。
(地味夫人変身作戦、大成功だわ!)
コニーを通じて評判が広まり、あの仕立屋は新規の顧客を手に入れることができるだろう。それを引き換えに今回は格安で引き受けてもらえた。これからも新しい技術をどんどん取り入れてもらい、首都一番の『仕立て直し屋』になってもらうつもりだ。
さらに、コニーが使った美容クリームの評判も、社交界で広まるに違いない。
と、ここまで考えて、エステルはハッと気がついた。
(この方向性が、正解なのでは……!?)
社交界で人脈を広げるだけではなく、貴婦人たちにファッションについてアドバイスしたり、美容法を紹介したりを続けていけばいい。
そうすれば、いずれ美容やファッションの分野で大きな影響力を持つことになるだろう。
そのうち、エステルが『これがオススメよ!』と一言発するだけで、美容グッズが飛ぶように売れることになる……。
そんな未来を想像して、エステルは興奮した。
「美容の世界でインフルエンサーになればいいんだわ!」