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第12話 本物の社交界


「公爵夫人、ごきげんよう」

「お会いできてうれしいですわ」


 エステルの周囲に、華やかなドレスを身にまとった令嬢や婦人たちが集まってきた。

 社交界に新しい風を運んできたエステルを好意的に受け止めてくれている、比較的新しいもの好きの女性たちだ。


 だが、その輪の外では、他の貴婦人たちがヒソヒソと声をひそめて話しているのも聞こえてくる。


「あらあら」

「ようやくお出ましになったの?」

「せっかく公爵夫人になられたのに、ねえ」

「どこにも出ていらっしゃらないから、てっきり社交界がお嫌いになったのかと思っていました」

「私は、公爵邸の居心地が良くて引きこもっていらっしゃると聞いたけど?」


 などと、これ見よがしに話しながらクスクス笑う彼女らは、主に高位貴族の女性たち。そもそも貧乏伯爵家の令嬢でしかなかったエステルが公爵夫人にまで上り詰めたことが気に入らないらしい。

 さすがに花街育ちであることに言及するような品のないことはしないが。


 だが、エステルは知っている。

 彼女らもあのハンドクリームを購入しているということを。


(今の内だけよ、そんなこと言っていられるのは)


 あのムカつく貴婦人たちも、きっちり金づるにしてやると心に決めて、エステルはとびっきり優雅な笑みを彼女らに向けた。


 その様子に、嫌味を言い連ねていた女性たちはウッと言葉を詰まらせて、そそくさと退散していった。


 エステルの周囲に集まっていた女性たちは、


「あんな人たちの言うことは気になさらないで」

「そうですわ」

「せっかくいらしたんですもの、楽しいお話をしましょうよ」


 と、明るく話しかけてくれる。

 だが、その表情も様々だ。

 単純にエステルに興味があるという女性もいれば、エステルを気に入らない派閥と仲の悪い、つまり敵の敵は仲間という理論で近づいてきている女性もいるようだ。中には公爵家に取り入ろうとして近づいてきた令嬢もいるだろう。


(なるほど。これが社交界、ね)


 娼館から兄に引き取られてから、エステルも社交界デビューして、いくつかの夜会や舞踏会に出席した。が、それは社交界のほんの一面に触れただけだったのだと痛感した。

 彼女の実家は伯爵家といってもそれほど裕福ではなく、自宅で夜会やお茶会を主催する財力もなかったので、招待してくれる貴族は多くはなかったのだ。招待されたとしても、それなりの身分の貴族が集まる、それなりの場。


 この舞踏会は、そんなお遊びのような場とは違う。本物の社交界だ。

 様々な思惑が渦巻くこの社交界で、エステルは勝ち残っていかなければならない。


(まあ、なんとかなるでしょう!)


 エステルにはお姐さんたちが教えてくれた知識と教養、話術、そして、絶対に負けないという不屈の精神がある。


(やってやるわ!)


 と、一人心の中で拳を握りしめていると、


「そちらのドレス、とても素敵です!」


 エステルの側にいた貴婦人の一人がうっとりと微笑んだ。


 今夜のエステルのドレスは、首都で一番人気のあるデザイナーの作だ。

 深い藍色のサテンの生地に、金色の糸で細かい文様の刺繍が施されている。じっとしていると一見地味な色合いだが、シャンデリアの下でスカートを翻せば、ゆらゆらと金の刺繍がキラめいて圧倒的な存在感を放つ。

 まさに、夜の社交場で着るためにデザインされたドレスだ。


 エステルははじめ、クローゼットの中からドレスを選ぼうと考えた。

 結婚に際してクライドが大量のドレスを新調していたからだ。

 どれも一流の職人が仕立てたもので、流行の最先端。公爵夫人が身に着けるものとして申し分ないドレスばかり。まだ袖を通したことのないそれらの中から、今夜のドレスを選ぶつもりだったのだ。


 ところが。


 二人で舞踏会に行くことが決まった次の日、ドレスの職人や宝石商が大挙して屋敷にやって来たのだ。

 彼らは『公爵様からのご注文です』と言って、惜しげもなく最高級の素材サンプルをエステルに見せてくれた。

 仕方がないので、エステルはそれらの中から使う素材を選び、デザインを相談した。


 クライドが夫婦で初めて出席する舞踏会のために、わざわざ新しいドレスを注文してくれたというわけだ。


 だが、そのクライドはドレス姿のエステルをほとんど見ていなかった。少なくとも、エステルにはそう見えていた。


(何を考えてるんだか、全く分からないわ!)




 * * *




「あのドレス、今夜のために新調したんだろう?」


 イアンの問いに、クライドは口を噤んだまま答えなかった。


「とてもキレイだ。……って、ちゃんと彼女に伝えた?」


 これにも、クライドは答えなかった。

 その様子にイアンは呆れて溜息を吐く。


「今夜、彼女は君と舞踏会に出るためにオシャレしたんだよ? ドレスだけじゃない。髪も化粧も、君のために半日以上かけて準備したんじゃない? それなのに、一言も褒めないどころか照れて彼女を見ることすらできないなんて。情けないと思わないの?」


 さらに畳みかけるが、やはりクライドは黙ったままで。


「うん。やっぱり、僕が彼女を誘うよ」


 そのセリフに、再びクライドの眉がピクリと動く。

 妻を褒めることも自分からダンスに誘うこともできないが、かといって彼女が他の男と踊ることは気に食わないらしい。


(まったく、勝手な男だよ)


 これは彼女も苦労するだろうな、とイアンが内心で呆れていると、そのエステルに一人の男が話しかけるのが見えた。


「あれは……」


 イアンがつぶやくと、クライドも彼女の方を見てじっと目を凝らした。


「あー、あれは。よろしくないね」


 彼女に話しかけているのは、なかなかの遊び人だと噂されている、独身の男だ。

 クライドも気づいたのだろう、眉間に深いしわが刻まれる。


「どうする?」

「……」


 クライドが逡巡している間に、男がまた一歩エステルに近づくのが見えた。

 彼女の方は相手が独身だと分かってなんとか断ろうとしているようだが、なかなかしつこく誘われているらしい。


 とうとう、男がエステルの手を握った。


 その様子が見えた途端、クライドが思わずといった様子で動き出した。

 ツカツカと足早にエステルの方に向かう。


 その背中を見送りながら、イアンは深々と溜息を吐いたのだった。




 * * *




「妻を無理に誘うのはやめていただこう」


 背後からぬっと現れたクライドに、男の肩がビクリと跳ねあがった。声の主が公爵だとわかるとさらに飛び上がり、顔を真っ青にして挨拶もそこそこに一目散に退散していった。


「……逃げるくらいなら、最初から誘わなきゃいいのに」


 エステルがポツリとつぶやくと、周囲に集まっていた貴婦人たちは苦笑いを浮かべた。


(まさか、今にも刺し殺しそうな形相で公爵閣下に睨まれるとは、彼も思っていなかったんですよ!)


 とは、誰も口には出せなかった。

 クライドとエステルは不仲らしいと噂されている。だからあの男もエステルを誘いに来たのだ。

 だが、どうやらそうでもないらしいと、貴婦人たちは顔を見合わせて頷き合ってから、


「ではまた」

「後でお話ししましょう」


 と口々に軽く挨拶をして去って行った。


「え?」


 エステルは何が何だか分からず、一人取り残された。正確には、クライドと二人きりにされてしまった。


「……」

「……」


 二人の間に沈黙が落ちる。


(何しに来たのかしら)


 最初にエステルの誘いを断ったのはクライドの方なのに。

 エステルは唇を尖らせて、一言文句を言ってやろうとクライドの顔を見上げた。


 その時だった。


 クライドの手が、エステルの手に触れて。

 彼の藍色の瞳が、じっとエステルを見つめた。


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