最近話題に上がりがちな「性被害」について
まず始めに。
本エッセイは、私の個人的な意見である。
まだ事実が明確になっていない事案について、訴えた側や訴えられた側に対して暴言とも言える意見が飛び交っているので、色々と書きたくなった。
もちろん、これから記すエッセイについても否定的な意見は出るだろう(もっとも、意見が出る云々以前に、それほど読まれるのかという話だが)。
ただ、世の中には、他人の性を食い物にする者や、性的被害者面をして他人を貶める者が確実に存在する。
そんな者達が一人でも少なくなることを祈り、本エッセイを記す。
◇
2023年末頃。
ある女性の「某大物芸人に性的被害を受けた」という訴えが、大々的に報道された。
事実がまだ明かになっていない中、報道だけが過熱しているように感じる。加害者とされる芸人、被害を訴える女性に対する様々な意見が飛び交っている。
現時点で、事実は明らかになっていない。
というより、明確な事実が明らかになるのは困難だろう。
その行為があったとされているときから、訴えが提起された時点で八年が経過している。たとえ行為があったとされる時点で証拠があったとしても、すでにその証拠は消滅しているはずだ。
それは、証拠が隠滅されたという意味ではない。時間が経てば、隠滅云々以前に消えてしまうものがある。
例えば、本当に性的強要があったとして。
芸人が女性の身体や衣服に触れた際は、当然ながら指紋が残る。その指紋は、八年経った現在でも残っているか。
残っているはずがない。
実際に強制的な性行為があった場合、その痕跡は八年経った今でも残っているか。
女性が、行為後に病院に駆け込んでいない限り、残っているはずがない。
本件に関しては、明確な事実が明らかになる可能性はかなり低いだろう。上記のような証拠を、行為があった直後に保存していない限りは。あるいは、芸人側が、そのような強制行為を行っていない証拠(被害者が主張している時点でのアリバイなど)を残していない限りは。
なので、本エッセイで、この報道に対する信憑性云々を語るつもりはない。
語りたいのは、本件報道に対する周囲の意見等に関してだ。
■加害者とされる芸人に関して
もし本当に、この芸人が自身の立場を利用して女性に迫ったのであれば、それは許されざる行為だ。当然のように罰せられるべきである。これに対して異論はないだろう。
しかし、これが冤罪であったらどうだろうか。つまり、女性側が金銭目的で訴えたケースや、意図的に性行為(あるいは、それに準ずる行為)をしておきながら被害者を名乗っているケースだ。もしくは、芸人自身が「合意であった」と思ってしまうケース。
もし事実が前者二つのいずれかである場合、芸人側が事実無根を証明するのはかなり難しい。「やったこと」については証拠を残しやすいが、「していないこと」については証拠を残しにくいのだ。
前記したように、女性が「被害を受けた」という時期から八年も経過している。
痴漢冤罪の場合などもそうだが、加害者として扱われた場合、無実であることを証明するのはかなり難しい。性被害の訴えがあった場合、かなり高い確率で、周囲は被害者に同情の意を示す。何の事実確認もなしに、被害者の話を信じやすい。
加害者側がこれを覆そうとする場合、自身の手などに被害者の服の繊維が付着していないことや、被害者の身体に自分の手が触れた痕跡がないこと等を証明する必要がある。しかも、被害があったとされる直後にだ。直後でなければ、そういった痕跡は消えてしまうのだから。
上記から、もし被害を訴えている側に悪意がある場合、加害者とされている芸人が身の潔白を証明するのはかなり難しい。
難しいからこそ、悪意を持って被害を訴える者にとっては、オイシイと言える行為となる。
性被害の加害者は、大部分が男性だ。もしこんな事例が多く発生すれば、世の中の男性は、どんなにいい雰囲気になったとしても、猜疑心なく女性に迫ることなど出来なくなるだろう。
こういった冤罪に対する対応策は、正直なところ、私の脳ミソでは思い浮ばない。せいぜい、被害者を名乗る加害者に対して、厳しい罪状を法律として施行し、予防する程度である。
では、加害者である芸人が「同意があると思っていた」場合はどうか。
他の国ではどうだか分からないが、この国には「イヤよイヤよも好きのうち」などというクソたわけた言葉がある。さらに、セックスの最中でも「イヤ」という言葉が悦んでいる喘ぎとして扱われている。
まったくの私事ではあるが、以前、上司にセクハラをされていた友人(女性)が言っていた。
「イヤよイヤよって言ったら嫌なんだよ」
もし、本件芸人が「イヤ」と言われながらも同意があったと思っているなら。世の中の男性が、「イヤ」を「イイ」と思ってしまう節があるなら。
「イヤ」は「嫌」であると認識する必要があると思う。
■被害者とされる女性について
実は、本エッセイを書いたきっかけは、被害者とされる女性への意見を目にしたからである。その中でも特に目に付いた意見に対して、私見を述べていきたい。
なお、下記意見は、被害者が本当に被害を受けていたことを前提とする。
・「嫌なら嫌って言って抵抗すればいいんだよ」という意見について。
はっきり言おう。被害に遭う女性がよほど強くない限り、これは不可能だ。
想像してほしい。
もし目の前に、銃を持った者がいたとする。
銃を持った者に対して、強気に出られるだろうか。
少なくとも私には不可能だ。まずは従順な振りをして、どうにか生還する手段を探すしかない。
被害を受けた女性にとって、加害者とされる芸人は大物だ。その権力は、大きな力である。さらに、相手は、自分より力が強い男性である。
人は、圧倒的に強い力の前では、恐怖を覚える。
恐怖は身体を硬直させ、自分の意思を口にすることも、抵抗する気力も失わせる。それこそ、銃を突き付けられたときのように。だからこそ、世の中には恐喝や強姦といった犯罪が起こるのだ。
事前に「同意がない性行を求めてきた相手に対して、拒否の意思を示す訓練」をしていない限り、「嫌なら嫌って言って抵抗すればいいんだよ」を実践するのは無理である。
・「どうして八年も経って訴えたんだ」という意見に対して。
前記にて、「性被害の訴えがあった場合、かなり高い確率で、周囲は被害者に同情の意を示す」と記載した。
しかし、実は、世の中には反対の意思を示す者も多くいる。つまり、性被害者に対してこんな意見を述べる者だ。
「そんな露出の多い格好をしているから狙われるんだ」
「ホイホイと男について行くからそんな目に合うんだ」
「思わせぶりな態度を取るからその気になったんだ」
立派なセカンドレイプである。
しかし、こんなことを当然のように口にする者が多数いるのも事実である。
結果、どうなるか。
被害者は、自分の責任だと感じて恥じる。
あるいは、被害にあったこと自体を、自分の中に閉じ込めてしまう。
上記のような心理状態となり、行為直後に訴えることができず、時間ばかりが経過してしまう。
時間が経ち、自分がされたことを卑劣な行為だと認識し、声を上げる心構えができる。
しかし、行為からはかなり時間が経っている。
長い時間が経っていることについて、警察は動いてくれるだろうか。
私自身も経験があるが、警察は、被害者の訴えに対してなかなか動かない。
これが行為があった直後で証拠を集め易い状況なら話は別だ。だが、八年も前のことを訴えても、警察は動かず、あるいは、動いても明確に加害者を罰することは困難だろう。
上記のような状況で、被害者女性が取れる手段はどのようなものになるか。
自分の声を、世の中に発信するしかない。だからこその、今回の件でないか。
■本件について、何を考え、どう行動することができるか。
まず、肝心な本件についてだが。
加害者とされる芸人の無実の訴えも、被害者とされる女性の被害者たる訴えも、事実として明確にすることは困難だろう。
たとえ裁判で一定の判決が出たとしても、それを事実だと断定するのは難しい。
真実は加害者側にも被害者側にも違った形で存在し、事実は闇の中である。もちろん、両者から完全一致する事実が告白されれば、話は別だが。
ただ、本件から学べることはある。
■加害者とならないために
もし、互いに同意があったと認識している性行において、同意がないと主張された場合。
同意なく強制的に性行を行ったとされる側には、何ができるか。
正直なところ、できることは少ない。だからこそ、予防が肝心となる。
例えば、飲酒。
飲酒後の酩酊した状態で性行を行った場合、たとえ行為時は同意があるような発言があっても、酔いが覚めた後に「同意などしていない」と言われればアウトである。
「正常な判断ができない状況であることにつけ込み、行為を行った」とされる。
では、どうしたらいいか。
酒を飲んだ相手とは性行しない。あるいは、交際もしくは結婚といった事実が周囲に公表されている状態である場合に限り、飲酒後に性行する。
もし、顔見知りや友人程度の相手と飲酒後にいい雰囲気になったとしても、家に送り届ける程度で済ますのがベストと言える。
色気もクソもない話だが。
また、相手が「イヤ」と言ったら、大人しく身を引く。それで相手が何も求めてこないなら、本当に嫌なのだと諦める。
もし、「イヤ」と言った相手が、もどかしそうに求めてきたら――
――そういうプレイを楽しみましょう(笑)
■被害者とならないために。あるいは、被害者になったとしても
これはもう、教育と訓練しかない。
何の教育かと言えば、性教育である。
上記の「加害者とならないために」もそうだが、被害者とならないためにも、備える教育が必要である。
日本の性教育は非常に遅れている。「性」というものを秘匿するものとして扱い、深く触れない。性教育においても、教えるのは、せいぜい「どうやったら子供ができるか」程度である。
性とは、子孫を残す行為であり、生まれも育ちも違う者同士が意思疎通を図る行為であり、同時に、加害者と被害者を生み出す行為でもある。その事実を、より幼い頃から正確に教える必要がある。
さらに、被害者とならないために、教育の中でも「嫌」と言って拒否する訓練を積むべきである。
それでも被害者になってしまった場合は、被害者となった直後に訴える必要がある。
これも上記で記したが、性被害者は自責の念に囚われたり、性被害を受けたことを恥を感じる風潮がある。
そんな気持ちを抱かないよう教育の場でしっかりと伝えてほしい。被害者が、被害を受けたことを恥じることなく、堂々と、自らの傷と損失に対して訴えを起こすことができるように。
■最後に
ここまで色々と述べたが、性に関することは本当に難しい。痴漢冤罪のように、相手方の謀略や勘違いにより、加害者にされてしまうこともある。反面、相手の力に屈して被害者になることもある。
性に関しては、教育、刑罰、社会通念等のあらゆる視点において、価値観を変えていかなければならない。
地位や権力、腕力があるからといって、相手の性を欲求のはけ口に使うことは許されない。
被害に遭ったことを恥や屈辱と思わず、堂々と訴える環境ができてほしい。
被害者を装って自らの利益に繋げたり、相手の失墜を狙うなど、下劣の極みである。
それらのことを、最近の話題から思う。
おしまい。