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煌槍と碧眼のノスタルジア  作者: カゲミヤ
1/4

一話魔ヲ狩リシ者達




銀砂を撒いたような星々と、満ちかけた月が夜空に浮かんでいた。

 風のない夜で、森は恐ろしく静かだった。

月はもう高い。獣道の中、ひとり帰路を急いでいた女は、自分の他に足音がある気がして、ふと足を止めた。

 その時、背後から疾風のように何かが近づいてきて、女の口を塞いだ。抵抗どころか、悲鳴を上げることすらできず、女の意識は闇の中へと落ちていった。

 それきり、女の姿は消えた。森の小道の中には、疾風の名残りにそよぐ草が、さらさらと音を立てているばかりだった。



一ノ欠片 魔ヲ狩リシ者達


1、

 王都より東のイスタリア地方は、その北部・ノースタリアとの境目に、小高い山脈が広がっている。その裾野は緑豊かなイスタリアを象徴するような広葉樹林で覆われており、街道からも村落からも外れたこの一帯は、野生の動植物が多く棲息している。

 住みよい環境であるのは、何も野生動物たちにとってばかりではない。木々や動物の気配に紛れて、魔物たちもまたこの森を住処にしている。

 尖った耳に、薄緑色の分厚い皮膚。人よりやや小型のその魔物――ゴブリンは、四体で群れをなしながら、森の静寂をどたばたと踏み荒らしていた。春風によそいでいた小ぶりな花が、その足にぐしゃりと潰され、花びらを散らした。

 そのゴブリンの群れを、枝から枝へと飛び移りながら追う人影があった。

 二人の若い男だった。一人の髪は黒。鋭い瞳と、肩に担いだ太刀の刀身が、透き通るような青をしている。

「一匹左に外れた。追えるか?」

 黒髪の男は、やや後ろを走っていたもう一人の男に、さっと目配せをした。声をかけられた男――こちらは茶髪――は、「お任せ!」と一言答えるなり、枝から飛び降り、群れから外れた一匹の後を追った。森を颯爽と駆け抜ける背中が、視界から消えていく。

 残された獲物は三体。その一体に、黒髪の男は飛び降りざまに刀を突き立てた。

「さて……」

 抜き取った刃を、残りの二体に向ける。

 ゴブリンたちの背後は背の高い岩壁がそびえている。袋小路に追い込まれた二体は、その粗末な凶器を手に、ぐるる……と低く威嚇の声を上げた。

「鬼ごっこは、おしまいだ」

 男の手にした刀身が、薄闇の中に青白く光った。

 しん、と静けさが辺りに漂った。

 張りつめたような空気の中ごと裂くように、男は刃を振り上げ、二体を瞬く間に斬り捨てた。遅れて、二体がどさりと地にくずおれる。

「これで三匹」

 男は軽く太刀の血を払い、静かに鞘に納めた。

「一匹はクレアが追った。となると残りの一匹は――」

 男が視線をやった先、その遠く。

 同じく深い森の奥地で、一匹のゴブリンと対峙する金髪の少女がいた。身の丈よりゆうに長い槍をゴブリンに突きつけながら、少女はそっと呟く。

「ようやく追いついた……」

 前髪の下の目が、殺気でぎらりと光った。

「もう、逃がさない」

 その声音には固い決意が滲んでいた。



2、

 時は少し遡り、朝。

 所用を済ませた帰り、人里離れた平原で、黒髪の男――シドウは、行き倒れている少女を見つけた。

 銀色に光る長槍をしっかりと握ったまま、少女は身じろぎ一つせず、土の道の上に横たわっている。見たところ、息はあるようだ。

いかにも訳ありの少女だ。面倒ごとの気配が漂っていた。

 シドウが見ないふりをして引き返そうとすると、がしり、と足首を掴まれた。

「……見捨てるの?」

 恨めしげな声と、眼差し。

「いや、いつもなら助けるところなんですけどね。なんというか、今回は関わらない方がいい気がしましてですね。こういう時の勘って上がるんですよ」

 男が告げると、少女はむくりと起き上がり、シドウを強い眼差しで見上げた。

「ちょっとそれどういう意味よ。動けなくなってる人間をほっとくなんてあんた正気?」

「いやめっちゃ動けてますやん」

 少女は構わずまくしたてる。

「困っている人間を助けるのは常識でしょ! それをしないなんて人として終わってるわ!この人でなし」

「そこまで言うか」

 男はひとつ溜息をつき、「分かった」と頷いた。

「困りごとがあるなら手を貸す」

 その言葉を聞いて、少女は「ほんと!?」と目を輝かせた。が、すぐに我に返り、「あ、じゃなくて」と言葉を重ねる。

「最初からそうすればいいのよ。まったく、もう少し良識を持ちなさい」

「前言撤回。その良識ある人間が来るまで寝てろ」

 そのまま男はその場を立ち去ろうとした。

 助けの手が突然引っ込められた少女は、狼狽えた。

「あ、ちょ、ごめんなさい! 調子に乗ったことは謝るから! ここ全然人通らないから、つい舞い上がっちゃっただけなの! お願い置いていかないで! ねえ一人にしないでよ!」

 少女の必死の懇願を背に、シドウは容赦なく遠ざかっていく。

 と、その時、彼は背後で何かが崩れ落ちる音を聞いた。

 振り返ると、先ほどの少女が再び地面に倒れ伏しているのが見えた。

「今度はどうした」

「……お」

「お?」

 ぐうぅ、と腹の虫が鳴く音がした。

「お腹……空いた……昨日から……何も食べてない……」

 そう言うなり、少女は今度こそがっくりと力尽きた。

 そのまま置いて帰るわけにもいかず、シドウは仕方なくその少女を背負って帰路を歩いた。家に帰るなり、シドウを出迎えた茶髪の男――クレアは、少女とシドウとを交互に見つめ、「えーっと……」と怪訝そうな顔を向けた。

「もしもしポリスメーン! 誘拐ですぅー!」

「違う」

 シドウが顔をしかめて反論した時、背中で少女がひっそりと目を覚ました。


 

 庭はうららかな日が差している。穏やかな風が抜け、小鳥がさえずる様子は、まさしく春の陽気そのものだ。庭には草花が色とりどりの花を咲かせ、やわらかな風にそよいでいる。

 木製のテーブルについた少女は、シドウが料理を出してやると、すごい勢いで手を付け始めた。ライ麦のパンと湯気の立ったスープが、みるみるうちにその腹に納まっていく。大ぶりな具がごろごろ入っているスープは、鶏肉と根菜を柔らかくなるまで長時間煮込んだものだ。

「なるほどねー。そんなことがあったんだ」

 事の顛末を聞いたクレアは、納得した様子で言い、テーブルに頬杖をついた。そうしている間にも、向かいに座る少女は貪るように料理を口にしている。

「それにしても、よほどお腹空いてたんだね。まあ、食欲があるのはいいことだ」

「……この料理って、あいつが作ったの?」

 口にパンを含んだまま、少女が尋ねる。口元には無防備にパンくずがついていた。

「あいつって、君を連れてきた? そうだけど」

 クレアは不思議そうに少女に訊き返す。ふと、何かに思い至り、彼はそのまま口元をほころばせた。

「あ、想像以上に美味しかった?」

「……別に? 普通だけど。普通過ぎてつまらないくらいよ」

 言って、少女は大きく口を開けて鶏肉をほおばった。咀嚼し、嚥下する表情からは、料理を心から堪能していることが見て取れる。

「素直じゃないねー」

 クレアが苦笑した時、シドウが勝手口から顔を出してきた。台所から戻ってきたところらしい。手にはつやつやと黄金色に光るパイが乗った大皿。甘くて香ばしいにおいが皿から漂ってくる。

「貰い物のリンゴが余ってたからパイを焼いたんだが、食べるか?」

「パイ!?」

 少女が身を乗り出した。

「食べる食べるー!」

 クレアも子どものようにはしゃぐ。シドウが差し出してくれるパイを、今か今かと二人して待っていると、「言っておくが、無理に食べる必要はないぞ」とシドウは少女に向かって笑みを作った。

「ふえ?」

「素人が作った『普通』のパイだ。味は『普通』、見た目も『普通』、さぞかし舌が肥えている君じゃあ食べるのも苦痛だろう」

「な、さっきの聞いて……!」

 少女の顔に焦りがあらわになる。意地を張りたいが、目の前のパイも食べたい。そんな風に顔に書いてあった。

「食べたいか?」

 追い打ちをかけるように、なおも笑みをたたえたまま、シドウは尋ねた。一見微笑を作ってはいるが、その目は全く笑っていない。

「食べたいです……!」

 少女はパイの誘惑とシドウの圧力に屈した。

「でも俺の料理は?」

「美味しい! 美味しいです!」

 その答えを聞いてやっと、シドウの顔から不穏な笑みが消えた。パイがそっとテーブルに置かれる。素直じゃないなあ、とクレアが苦笑した。

やがて、シドウの手によってパイにナイフが入った。ざく、と音がすると同時に、甘く煮詰められたリンゴと香辛料のにおいと、パイ生地のバターの香りとが、鼻腔をくすぐった。ざくざくと小気味いい音を立ててパイが切り分けられていく。

「ほら」

 パイがひと切れ乗った皿が、目の前に置かれる。クレアは「わーい」と早速手を伸ばした。ごろっと入った煮リンゴとは贅沢にシナモンがきいている。パイは内側がしっとりと、外側はさくっと軽い食感で、バターの風味がしっかりと感じられる。

 目の前の少女も、どこか決まり悪そうにしながらも、アップルパイにフォークを入れた。一口食べると同時に、彼女の顔はふわっと緩んだ。それにしても美味しそうに食べる子だな、とクレアは思った。

 パイをそれぞれ食べ終わると、少女はようやく腹が満たされた様子だった。そのタイミングで、クレアは改めて切り出した。

「さて、改めて自己紹介をしようか。僕はクレア。そこで不機嫌そうにしているのがシドウ」

 手で示されたシドウは、腕組みをしたまま壁に寄りかかっている。

「それで、君は?」

「……ルミナよ」

 少女は短く名乗った。

「じゃあルミナ。君はどうしてこんなところに?」

 この辺りは人家がない辺境地帯だ。大きな街や街道どころか、村落からもそれなりの距離がある。目の前の少女・ルミナは、その服装と、傍らの槍からして、近隣の農村の出身というわけではなさそうだ。

 ルミナは答えにくそうに目を伏せて、ぽつぽつと話し始めた。

 昨晩、街はずれの森に野草を採りに行っていたルミナは、偶然ハルナナカマドを見つけた。ハルナナカマドは琥珀色の実をつける広葉樹だ。実は苦いが薬効があり、煎じれば万能薬になる上、希少性が高いので高値で取引されている。しかも木は一本だけではない。これは運がいいと、ルミナは早速ハルナナカマドの実を摘もうとした。これでしばらくはお金に困らない。うきうきしながら枝に手を伸ばしたと同時に、茂みの奥から獣の気配がした。

「どうやらそこ、キングボアの縄張りだったみたいで……」

 キングボアは巨大なイノシシ型の魔物だ。人に害をなす類いのモノではないが、縄張り意識が強く、侵入した者には容赦なく牙をむく。

 猛スピードで繰り出された突進を、ルミナはすんでのところで避けた。その後、半日かけてなんとかキングボアをまいたと思ったら、逃げるのに夢中で、全く知らない場所に出ていることに気がついた。街道に出る道か、あるいは集落はないかと探したが、歩けば歩くほど獣道すらない辺鄙なところに出て、あたりには人っ子一人いない。丸一日何も食べずに歩き回っていた彼女は、そのまま疲労と空腹で力尽きてしまった。

 そこにたまたま通りがかったのがシドウだったというわけだ。

「おかげさまで助かったから感謝してるわ。何かお礼をしたいところなんだけど……」

「いやいや、そんな気にしなくていいよ」

 クレアは朗らかに言って、続けた。「『困ってる人間を助けるのは常識』でしょ?」

 ルミナはばつが悪そうに口ごもる。少しの間をおいて、「ねえ」と彼女は口を開いた。

「ずっと気になってたんだけど。あなたたちって、何者?」

 その言葉に、空気がわずかに緊張を帯びた。

「さっき言った通り、ここって人里から明らかに離れてるわよね。それにこの家、普通の庶民が住めるようなところじゃない」

 ルミナは改めて周囲に視線をやった。入口には灯りのついた立派な門扉。煉瓦の塀に囲まれ、草花や樹木の植わっている庭。尖った屋根と、きれいに塗られた白壁の建物は、この辺りでは滅多に見ない三階建てだ。その上全ての窓が飾り窓になっている。その大きさと瀟洒な外装は、貴族の別邸だと言われても納得ができるほどだ。

 とても男二人で住むような家には見えない。そのことが、ルミナには訝しかったらしい。

「まさかとは思うけど、あなたたちってお尋ね者で、私を助けたのも下心があったから、ってわけじゃないわよね?」

 警戒をあらわに尋ねたルミナを、シドウは「自意識過剰だ」と一蹴した。

「心配せずとも、お前みたいな子どもに興味はない」

「子どもじゃないし! もう十七だし! というか、初対面なのにお前呼びって何よ!」

 睨み合うシドウとルミナを、クレアが「まあまあ、落ち着いて」と宥めた。

「僕たちはここで『便利屋』みたいなことをしているんだよ」

「便利屋?」ルミナが首をかしげる。「それってどんなことするの?」

「基本的に、依頼されればなんでも引き受けるよ。道端の草むしりから荒事まで。さすがに、悪事目的の依頼は断るけどね」

「へえ……じゃあなんでこんなところに住んでるわけ?」

「人が多い所だと落ち着かないからさ」

 ――それにしたって、こんな僻地じゃ不便極まりないと思うけど。

 腑に落ちない思いを抱えつつ、「ふうん……」とルミナは一応頷いた。それから少し考え込み、再びクレアに目を向ける。その目つきは先ほどよりも真剣なものに変わっていた。

「……なんでも引き受けるって言ったわよね?」

「うん」

「それってつまり……魔物に関する依頼も?」

「受けるよ」クレアはにっこり笑って答えた。「実際、今日もこの後ゴブリンを狩りに――」

「クレア」と尖った声で遮ったのは、シドウだった。

「流石に喋りすぎだ。依頼内容まで漏らすのはマズい」

「ごめんごめん、つい楽しくなっちゃって」

 クレアは軽く言って、頭を掻く。へらへらしている彼の傍らで、ルミナは「決めた」と小さくひとりごちた。

「その依頼、私も手伝う」

 クレアはぽかんとした。一瞬冗談を疑ったが、ルミナのまっすぐな視線からは、彼女が本気で言っているのだということが見て取れた。

「いやー、流石にそれはちょっと……」

「ゴブリンって群れで行動する上にすばしっこいでしょ? 人手が多い方が効率もいいわ」

「それはそうだけど……」

「ダメだ」

 腕を組んだまま、シドウはきっぱりと告げた。「なんでよ!?」とルミナが食って掛かる勢いに負けず、シドウは淡々と続ける。

「お前は先ほど礼をしたいと言ったな。だが素人が介入することは手伝いではなく邪魔。現場を混乱させるだけだ」

「そうね。確かに、素人が行っても足を引っ張るだけ。……でも、私は違う」

 ルミナは立ち上がり、シドウの方へとずかずか歩を進めた。手には銀色に光る槍を携えて。

槍を持った腕をまっすぐにシドウに突き出し、彼女は言う。

「この槍は飾りじゃない。足手まといにはならないわ。私だって戦える」

 沈黙が降り、しばらく二人の睨み合いが続いた。

 張りつめた空気の中、最初に口火を切ったのは、シドウだった。

「なぜそこまでこの依頼に……いや、正確には違うか。――魔物に固着する?」

 はっとしたルミナは、「別に、こだわってなんか……」と目を伏せる。

「私はただ、困ってる人を助けたいだけよ……」

 言って、悔しそうにうつむいてしまう。大きな瞳は今にも泣きそうに、小刻みに震えていた。

 シドウはひとつ嘆息した。

「わかった。ただし、一つ条件がある」

「条件?」

「腕試しだ」

 シドウの言った内容は、こうだ。

 今回の依頼の討伐対象は五匹。うち一匹でもルミナが仕留めれば、シドウの負け。だが一匹も仕留められなければ、身の程をわきまえて大人しく元の生活に戻ること。無論、二度と魔物とかかわろうなどとは思うな。

「お前が思っているほど、奴らは甘くない」

 最後に彼はそう言い残し、庭を後にした。「望むところよ」とルミナは固く手を握りしめ、去っていく背中を強く見つめ続けていた。



3、

 ――あんなことを言われて、負けられるわけがない。

 少女の胸中に燃えているのは強い闘志だった。彼女にはもはや、目の前の獲物しか見えていなかった。目に殺気を宿しながら、獲物を追う。強い執念に突き動かされ、俊敏なゴブリンに懸命に食らいつく。ゴブリンは瞬発力こそあるが、小柄な分スタミナに欠ける。持久戦に持ち越せば、こちらがやや有利だ。

ルミナはシドウが取りこぼした一匹を着実に追い詰めつつあった。息が弾んでいる。手汗で槍が滑りそうになる。負けるわけにはいかないと、ルミナはしっかりと槍を握りなおす。目に汗が入っても、彼女は瞬き一つしなかった。

 ついに袋小路にゴブリンを追い詰めた。背後は切り立った斜面。ルミナは肩で息をしながら、にやりと笑った。

「この勝負、私の勝ち――」

 言って、槍をゴブリンに向かって振り上げ、間合いを一気に詰めようとした時。

 風を切る音とともに、鋭い光が目の前を走った。

 何が起こったのかわからぬうちに、ゴブリンが倒れる。額には真っ青な刀が突き刺さっているのが見えた。

 ルミナはその光景を、茫然と見ているしかなかった。

 刃から柄まで青色の、不思議な太刀。見たことがある。あの男のだ――

 そう思うや否や、ざ、ざ、と下草を踏む足音が聞こえた。

「クレアが一。俺が四。そしてお前はゼロ。お前の負けだ」

 無慈悲な声が背後から突き刺さった。

 振り返ると、森の深い闇の中から、シドウが近づいてくるのが見えた。

「ちょっと待ってよ! 追い詰めたの私だし! あとは槍を突き立てるだけだったし! そもそも今のって明らかに横取りでしょ! ノーカンよノーカン!」

「横取りしてはならないなんて規定を覚えた覚えはない」

「そんなの屁理屈でしょ! 異議ありよ! 異議あり!」

 ルミナの抗議に訊く耳を持たず、シドウはまっすぐにゴブリンの死骸へと近づき、太刀を引き抜いた。まとわりついた血を払う。血糊が地面に飛び散った。

「第一、この結果はお前の視野が狭いという何よりの証拠だ」

 言って、シドウはルミナにやっと目をやった。その視線の鋭さに、ルミナは思わずたじろいだ。シドウは冷淡な声音で続ける。

「いいか? 戦闘において、より良い結果を出すためには過程も重要。結果だけを見る奴は二流だ。

 先ほどのお前は眼前の敵にしか注意が向いておらず、他方からの介入など全くと言っていいほど警戒していなあった。だがもし、後ろにいたのが俺では無かったら」

 言いながら、シドウは太刀を鞘に納めていく。

「飛んできた刃が向かう先は、お前だ」

 がちゃん、と鍔と鞘の触れ合う音がした。

 ルミナはぐっと奥歯を噛みしめていた。確かに、私は目の前の敵に夢中で、まるで周りが見えていなかった。それは事実だけれど――。

強く握りしめた手の先で、槍の切っ先がかすかに震えた。

「そんなこと言っても、横取りしていい理由にはなってないわよ!」

 ルミナのあまりの剣幕に、シドウは耳を塞いだ。ひとつ舌打ちをする。

「いちいち細かいことを気にするな。結果だけ見ろ。世の中過程が全て。結果はどうあれお前の負けだ」

「さっきと言ってること違う!」

 ルミナのわめきたてる声に、「おーい、しどー」という気の抜けた声が重なった。クレアだ。傍らに、ゴブリンの死体がかき集められている。

「言われた通り、他の四体持ってきたよー」

「おお、助かる。これも今そっちへ」

 シドウは仕留めた一匹を小脇に抱え、クレアの方へと歩み寄っていく。

「ちょっと! 話はまだ終わってないんだけど!」

 シドウが地面にゴブリンの死体を放り投げる。二人はその傍にかがみ込み、小ぶりなナイフを取り出した。「ねえ、無視はひどくない?」というルミナの声を聞き流し、小声でささやき合う。

「準備はいいか?」

「おけおけ」

「よし、始めよう」

それから突然繰り広げられた惨劇に、ルミナは目を見張った。

二人は死肉を切り開いて、ゴブリンの腹を捌き始めたのだった。血で濡れた臓器がてらてらと光っているのが見えた。躊躇なくその中に手を突っ込み、腸を取り出していく。その度に、ぐちゃぐちゃと嫌な音がした。ルミナは血の気が失せていく感覚がした。

「え……ちょ……何やって……」

「解体だが。見て分からんか?」

 シドウの返答はあくまで素っ気ない。

「いや、それは流石に分かるけど……なんでわざわざ解体? 希少ならまだしも、ゴブリンなんて素材にもならないでしょ?」

 ルミナの問いをまたも聞き流しながら、シドウとクレアは次々と死体を切り開いていく。

「あーもう! また無視! 何か言ってよ!」

「……あいうえお」

「ちがーう!」

 シドウが適当にルミナをあしらっている間にも、淡々と作業は進む。

 臓器の中に手を突っ込んで中身を改めていた二人は、ひととおり腸を取り出してしまうと、低く目配せをした。

「これは……」

 クレアが小さく呟く。

「予想的中だな。今回の件に関して、こいつらは白だ」

「むむむむ……」

 しゃがみ込んだまま、何か考え込むクレア。シドウはそっと立ち上がった。

「ひとまず、ゴブリンの案件はこれで完了。先方への報告は頼む」

「了解~」

「それと」

 言って、シドウは背後にちらと目をやった。その視線の先で、ルミナがいじけながら地面を枝でいじくり回していた。

「ついでにそこで拗ねてる迷子に、帰り道を教えてやってくれ」

「……リョウカーイ」

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