8 やんごとなき方々
「私が国王夫妻とお茶?」
学校がお休みの日に伯爵家へ遊びにきたニキアスの口から、思いもよらないお誘いの話が出てきた。
「ああ、二人がレーネに会いたいと言ってるんだ」
「恐れ多いわ……でも、どうして?」
「伯爵家の侍女がレーネから妊娠する方法を教えてもらったって話が王宮の侍女経由で王妃の耳まで届いたんだ」
ニキアスが言いにくそうに教えてくれた。
「国王夫妻もなかなか恵まれなくて……だから、レーネの話を聞いてみたいって」
えええ!!!
心の中で盛大に叫んでしまう。
国王夫妻がまだ子宝に恵まれていないのは知ってはいるけれど、悩まれていたのね。
でも……
「でも、私は医者ではないし、一般的な助言をしただけよ。医学的に正しいかはわからないわ。それに偶然かもしれないし……」
どうにかして回避できないものかと、言い訳をあれこれと述べていく。
「レーネ」
落ち着いた声で私の名を呼ぶと、そっと抱きしめてきた。
一瞬ドキンと胸が高鳴ったけれど、それどころではない。
「でも……本当に助言が利くかもわからないのよ。こんな小娘の話を真に受けて駄目だったら?」
腕の中でぐずぐずと言い訳を言い続ける私の背中を、ニキアスが優しく撫でる。
侍女との雑談が、国王夫妻を巻き込む大事になるなんて泣きそうだ。
「それだけ陛下達は藁にでも縋りたいほど必死なんだ。公爵家としても頼みたい。それに、王妃にも話し相手が必要なんだ。他に頼める相手がいないんだ」
妊娠で苦労した前世の記憶が残っているレーネには人ごとではない話だ。王妃の胸の内は想像に難くない。
国王からのお誘いを小娘が断るなんて出来るわけないのは分かっている。
「信憑性がない話だって伝えてくれる?……それでもよければ」
私も婚約者の責務を果たさなくてはいけないしね。
「うん、いいよ。ありがとう」
頭の上で安堵したような優しい声が聞こえた。
ん?頭の上?一瞬で我に返った。
(ニキアスの腕の中にいる!目の前、胸!!)
「ニキアス!ごめん、近い!!」
慌てて、ニキアスの胸を押して離れようとすると「今頃気づいたの?」と呆れたような口調が聞こえた。
「今は誰も見ていないから、振りはいらないから!」
「……振り?」
ぎゅっと腕に力を込めてニキアスが抱きしめ直した。
「ニキアス?」
(どうした?……っていうか苦しい!)
「くっ苦しいよ。どうしたの?」
腕の中で暴れる隙間がなくなってしまった。
「ん、役得だなと思って」と揶揄うような口調で言うと、ようやく体を離してくれた。
思っていたよりも力強い腕の力も、がっちりとした硬い胸板も……気づいてしまうと胸の動悸が止まらない。
振りを受けるのが人前だと平気なのに、二人きりの時だと胸が高鳴るのはどうしてだろう。
(ああ、きっと顔が真っ赤だろうな)
ニキアスがニヤニヤとした顔で見ているのは分かったけれど、熱い頬を冷まそうと深呼吸を繰り返した。
+ + + + + + + +
国王夫妻とのお茶会という大イベントの日はすぐにやってきた。
「このドレス、ニキアス様の気持ちが見事に表れていますね。とってもお似合いです」
侍女のメアがうっとりとした調子でドレスを眺める。
水色のドレスに黄色で刺繍が施されたニキアス色のドレスだった。
仲の良い婚約者の振りをここまでしなくてもいいのに……妥協できない人なのね。
私の姿を見た途端、迎えにきてくれたニキアスが目を見開いたまま動かない。
「ニキアス?」
私の声が引き金になったかのように、みるみるうちに蕩けたような笑みが顔中に広がっていった。
「レーネ、すごく綺麗だ。妖精が舞い降りたかと思って見惚れてしまったよ」
「ニキアスの正装姿も格好良くて素敵よ」
ホールの隅で控えている侍女達もうっとりとニキアスを見ている。
正装した美形の迫力には負けるわ。
馬車の中で何度か深呼吸をしているとニキアスに笑われた。
「緊張しすぎだよ」
「だって……雲の上の存在なのよ。何か不敬なことをやらかしてしまわないかと不安よ」
「レーネなら大丈夫だよ。……俺も緊張しているかも。綺麗すぎるレーネに」
「ふふ、よく言うわ。……でも、ドレスを用意してくれてありがとうね」
こういうところなんだよね。誠実さを感じるのは。言動が完璧すぎてむしろ怖い。
好きな女性にはもっとハイスペックな対応になるんだろうな。
突然ニキアスに頬を摘まれる。
「ひたぁい!にゃにしゅるの?」
驚いて思わず声に出したら、微妙な話し方になっちゃった。
「お前、今いらないこと考えていただろう」
「え?」
「レーネが考え込む時、大抵ろくでもないことが多いんだ」
「そうかな。ニキアスの完璧な婚約者対応が凄いなって。本気の相手だったらもっと凄いのかしらって」
「……やっぱりろくでもないな」
苦笑したニキアスは「肩を貸して」と投げ捨てるように言うや否や、横に座っている私の肩に頭を預けてきた。
さらさらの柔らかな髪が頬にかかって、くすぐったい。
「どうしたの?眠いの?着くまで寝てていいよ」
うん、とくぐもった声でニキアスが答える。
体の右側の体温の温かさに安心するような落ち着かないような気持ちのまま王宮に着いた。
「初にお目にかかります。アバーテ伯爵が長女レーネでございます」
国王が面白そうにレーネを見つめている。
「君のことはニキアスからよく聞いているよ。才媛ってね」
「過分なお言葉をありがとうございます」
「ニキアスの執着がよくわかるドレスだね」
ニキアスが怒ったような困ったような顔をして、陛下を睨んでいる。
「ふふふ」と楽しそうに笑う国王を、王妃のエイダ様がふんわりと戒めた。
「そんなにニキアス様を困らせるものじゃないわ。レーネ様、よく来てくださいましたね」
ブルネットの髪と濃紺の瞳から知的さを感じさせるエイダ様が、柔らかく微笑みかけてくれた。
(エイダ様ってなんてお美しいの!思い描いていた理想の王妃様そのもの。品があって優しくて美しくて……眼福すぎる)
うっとりとエイダ様に見惚れてしまう。
「実は非公式で来てもらったのは、レーネ嬢が子宝が授かるアドバイスができると聞いたからなんだ。今から話すことは内密にはして欲しいんだが……」
国王の言葉に頷いて姿勢を改めた。
「なかなか私達には子供が授からなくてね。有り体に言えば、要らぬ争いを生みかねない状況なんだ。私が側妃を断っているしね」
国王が俯いている王妃の手をそっと握る。
「私としては、エイダとの間に子供ができなければ王位継承権の通りに王位を繋いでいけばいいとは思うのだけれど……」とちらりとニキアスを見る。
「ただ、公爵家の二人はそれを望んでいない。王位に関係なく、私もエイダとの間に子供を授かりたい。だから侍女の話を聞いた時に、一度レーネ嬢から話を聞いてみたいと思ったのだ」
後継者問題はどの世でも争いごとに発展する。ましてや、国王夫妻が子宝に恵まれない話は、強い野心家の貴族達には格好の餌になるに決まっている。
退位の時期によっては継承権二位のニキアスが王位を継承する可能性があるってことなのね。
国王夫妻から期待するような、縋るような視線が注がれる。
(うぅ……なんとか力にはなりたいけれど……)
「医者ではありませんので、侍女に助言したことが医学的に正しいかはわかりません。専門家ではない私の言葉でお二人が、特に王妃様がお辛い思いをされないか不安なのですが、ただの雑談の延長だと思って聞いてくださいますか?」
不敬を承知で、事前に念を入れておく。
この世界には不妊治療の概念がまだない。そもそも医療は前世の世界より遅れている。
何よりも、私、医者じゃないしね。ただの前世の知識だもの。
「ああ、分かった。少しでもエイダの気が楽になればいいんだ」
そう言って王妃を慈しむように見つめる国王の視線はどこまでも優しかった。
想い合ってる夫婦ってやっぱり素敵。
国王夫妻も憧れの夫婦像だわ。王弟の公爵様よりだいぶ結婚が遅かった理由は、想い合える相手を待っていたからとも聞く。
素敵な二人の憂いを少しでも軽くできたら嬉しいな。
うぅぅ腹を括りますか。
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