7 ニキアスside
俺の周りには、幼い頃から何かしらの欲を抱える者達がいつも群がっていた。
特に7歳の時に公爵家で開かれた、婚約者を決める為のお茶会は酷かった。
人より見目が良い方だと言うのは、幼い頃から使用人達の目つきや顔色でわかっていた。既に七歳の頃には欲を孕んだ視線を受けることが多くなり、辟易していた。
やさぐれだした俺を心配した両親が、俺の将来の為にも早めに婚約者を決めておこうと、家柄が釣り合い、且つ年齢も近い子女を集めたお茶会を開いたのだった。
猛攻撃を仕掛けてくる令嬢達の相手に疲れ果ててた俺は、お茶会の途中で庭園の外れにある満開の桜の木の上へ逃げ込んだ。
ぼんやりとしていると、桜の木の下にお茶会の出席者だろう令嬢が一人立っていた。風に靡いている、ストロベリーブロンドの髪の毛が艶めいていて目が離せなかった。
令嬢が上を見上げた時、美しい顔立ちがはっきりと見え思わず見惚れてしまう。上から息を潜めて観察していると、見上げている令嬢の綺麗な緑色の瞳から涙がこぼれ落ちるのが見えた。
「あ……」
その涙を拭ってあげたい衝動に駆られ、無意識に手を伸ばしてしまった俺は見事にバランスを崩し地面へ落下した。
顔を上げると、少女が大きな猫のような瞳を見開いてこちらを見つめている。少女の綺麗な緑の瞳に吸い込まれそうになる。自分の無様な状況に気づくと恥ずかしさと痛みとで逃げ出したかった。
衝撃で受けた痛みに耐えながら体を起こすと、少女がそばまで来ていた。
驚いた俺は自分が落ちたことをうやむやにしたくて、何故泣いていたのかと少女に尋ねてしまう。
どこか遠くを見て、桜の美しさが儚く感じたからと答えた彼女に、君は桜よりも美しくて驚いたと伝えたらどう思うのだろう。
勿論そんな言葉を口にすることはできず、俺の肘にできた傷を心配そうに見つめる彼女の横顔を盗み見た。
伏せた長いまつ毛の間から美しい緑色の瞳、陶器のような白い肌、顔にかかる艶やかに流れるまっすぐな髪、彼女を形作るものを一つ一つ目に焼き付けるよう見つめた。
手慣れた様子で傷の手当てしてくれた彼女は、まるで年上の様にえらいね、がんばったね、と俺を褒めてくるのがくすぐったい。今まで会ったどの令嬢とも違う俺への接し方に戸惑うばかりだった。
お茶会の場所へ戻ろうとした少女を咄嗟に声をかけて呼び止めてしまう。
なんとなくもう少し一緒にいたかった。それなのに……言うべき言葉がわからない。
ありがとうと伝えると、弾けるような笑顔で手を振った彼女がお茶会へと戻っていく後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。
あの子は俺の顔を必要以上に見つめなかったし、頬を赤らめたり、自分を売り込んだりもしなかった。唯一熱心に伝えようとしたのは、渡してくれた飴に毒など入っていないと言うことだけ。
「レーネ・アバーテか……」
その名を忘れないよう心の中にしまった。
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伯父である国王になかなか子供が授からず、王位継承権を持つ父と俺の周りが年々騒がしくなっていった。
俺の婚約者問題も含めて揉め事が起きる前に、父と伯父と話し合って隣国へ留学することを決めた。
伯父の子供に関しては授かりものだからどうにもできない。父は王位を継承するつもりはない。俺もそんなつもりはない。国から離れて時間を置くしかなかった。
その間に少しでも沈静化する希望を込めて……。
隣国に留学中、緑色の大きな瞳の少女を度々思い出した。彼女が最後に見せてくれた弾けるような笑顔や桜の花を見つめる真剣な眼差しが心をよぎる。
さすがの俺も、一目惚れしたんだって自分の心を認めるしかない。
だからと言って、いつ母国に帰れるかわからない身。婚約を申し入れするつもりはなかった。
それに、あんなに美しい子は婚約者がもう決まっているだろうと思って諦めていた。
十二歳で帰国した時、国王から覚悟を告げられた。
「一人の女性を誠意を持って愛する人生を送りたいんだ。今の国王の仕事にはちゃんと向き合うが、自分の血を残すために側妃をとろうとは考えていない。だからニキアスには国王になる心積もりをしておいてほしい」
父も、兄である国王の気持ちに寄り添うと決めたらしい。
「このことはこの三人の中だけにしまっておこう。ニキアスもまだ十二歳だ。すぐに王位など無理だし、国王もまだ若い。これからどんなふうに物事が変わるかはわからない」
「そうだな。ありがとう。そういえば、ニキアスはまだ婚約者は決めていなかったな。万が一のことを考えて、王妃にもなれる素質のある令嬢と婚約した方がいいと思う」
王妃の役割を成し遂げられる令嬢……。
もちろん、俺の頭の中には一人の令嬢の姿しか思い浮かばない。
「アバーテ伯爵のご令嬢は……既に婚約者はいますか?」
思い切って切り出した。
いきなり具体的な名前が出てきたことに、二人は驚きつつも答えてくれた。
「アバーテ伯爵令嬢は確かニキアスと同い年だったな。長男がいると聞いたから爵位の相続は問題ないな。令嬢は領地にいて王都にほとんど出てきていないと聞いているが……会ったことがあるのか?」
「はい、七歳の頃に開いた我が家でのお茶会で一度だけ会いました」
ニキアスは木から落ちた時にできた怪我の処理を手際良くしてくれたこと、自分に対する態度に好感が持てたことを伝えた。
「アバーテ伯爵は仕事のできる男だ。王家を支持している家柄だし、アバーテ伯爵領は領地経営が上手くいっていて領地も潤っている。金銭問題も無いし、堅実な男だから家格は問題ないだろう。公爵家でアバーテ伯爵家のことを調べてくれるか?報告を見て最終的に判断しよう」
「はい、それでは公爵家で調査を行い、兄上に改めてご報告に伺います」
「ああ、頼む。二人には、苦労をかけてすまないな」
「いえ、勿体無いお言葉です」
不明瞭な未来への不安に押し潰されそうだった。でも、緑色の瞳を持つ少女と一緒であれば乗り越えられるような気がした。
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アバーテ伯爵家の調査結果から国王に婚約の了解をもらった俺は、父と共に領地から王都へ戻ってきていたレーネに会いに行った。
レーネは、想像よりも更に美しくなって俺の前に現れた。
ただ相変わらず俺を見ても反応が薄くて、心の中で大いに慌ててしまう。婚約を申し入れても飛びついてこずに理由を尋ねられる始末だ。
自分を特別視しないからレーネが気になっていたのに、煩く近づいてくる令嬢達の態度と違いすぎてどう接すればいいかわからない。
二人きりになると緊張し、取り繕った態度ができなくなり、そっけない態度に戻ってしまった。
それでも顔色ひとつ変えずに応対してくれるレーネに余裕すら感じてしまう。
事前の調べで、レーネには結婚願望がないと報告があった。
だから愛を語るより、契約的な結婚で推し進めようとした俺の計画は見事に方向性を間違えた。
レーネは貴族社会では珍しい「愛がある結婚」を目指すが故に、結婚願望がなかったのだ。
初手から間違えてしまった俺は、体のいい女避けの婚約の申し込みと思われてしまう。自分の気持ちを伝えることやレーネの勘違いを正す事すらできなかった。
レーネは俺を自分勝手だと思っただろう。初手を間違え、修正の仕方がわからない俺は途方にくれた。
留めに「好きな人ができたら婚約解消をする」と婚約の条件を言われた時は、自分の不甲斐なさが情けなかった。レーネが好きなのに。好きだから婚約したのに。
それならば、俺を好きになってもらおうと、今までの無愛想な態度を改めて好意を伝え続けたのに……仲の良い婚約者の振りだとレーネは思い込んでいる。
婚約者の振りをするという口実で、堂々とレーネに触れられるし一緒にいられるけれども、どんなに言葉で想いを伝えても行動で示しても異性として意識してもらえない。
他のカップルをうっとりと眺めているレーネの中で、俺は恋人として登場していない。
そんな状況に腹が立つ。
俺を男として好きになってほしい。俺だけを見てほしいのに。
想いを伝えても俺からだけの一方通行の想いでは潔く別れを切り出されそうで、親友と言ってくれる立場に甘んじている自分が情けない。
『好きだから婚約を申し入れた』この一言を最初に言えなかったせいで、俺の好意が全て演技としか受け止めてもらえなくなるなんて予想していなかった。
十二歳の自分にも腹が立つ。
レーネが好きだ。
婚約者の振りではなくて本心から想いを伝えている、といつか伝わる日が来るのだろうか。