5 自分勝手ですね
公爵家のお茶会の翌朝、朝食の席で思い切って尋ねてみた。
「ね、お父様、伺いたいことがあるのです」
「うん?なんだ?」
「アレックスもいることですし、私が結婚できなくても伯爵家は大丈夫ですか?」
お父様の顔から一気に表情が抜け落ちる。横のお母様も顔色が悪くなった。
「できなくても?……昨日、何かあったのか?」
焦ったように尋ねてきたお父様の言葉に首を振る。
「何もないですよ。それと領地経営について学ばせてもらえませんか?」
「……どうしたんだ、急に」
「もし、私が政略的に結婚する必要がないのなら、領地で領民の為に働く人生もいいなと思い始めまして」
「レーネ、昨日誰かに何か言われたのではなくて?」
さすがお母様。魑魅魍魎が住む貴族の女性の世界で生き抜いてこられただけあって、勘がいいですね。
「昨日、公爵子息様とはお話しできませんでしたが、自分の結婚について考える機会になりました。私は、お父様とお母様みたいに愛し愛される関係を築くことができる方と結婚したいと思うのです。でも……お相手から愛されない場合のことにも備えておきたいのです」
「何を言ってるんだ!こんな愛くるしいレーネを愛さない男などいるわけがない!むしろそんな男が相手だったらこっちからお断りだ!」
しまった、お父様を興奮させちゃった。
「結婚に不安になるのはわかるわ。だからって焦っては駄目よ。それとは別で、レーネが領地経営を学ぶことは賛成よ。領地に戻ったら早速始めましょう」
「はい!よろしくお願いします!」
昨夜一晩じっくり考えた、悪役令嬢だった場合これからどう行動すべきかを。
万が一婚約解消されても良い様に居場所を作っておきたい。そして、お金も必要だ。
今のところ家族仲は良好だし、弟のアレックスは優秀だ。潤っている豊かな領地もある。……それなら、解消後に領地で暮らせるよう下地を作っておこうと決めた。
おっとりとお嬢様然しているお母様は、前世で言うバリキャリだった。
お母様からみっちりと領地経営のいろはを叩き込まれたおかげで、私が発案した施策は順調に進み、どんどん新しい事業を作っていった。
もちろん、私の名前が表に出ないようにお父様の名前を使わせてもらったけど、
だって、万が一悪役令嬢として婚約破棄された時の手札なんだもの。簡単に公にはできないものね。
そんなこんなで領地で忙しい日々を送っていた私は、公爵子息のお茶会のことはすっかり頭から抜け落ちていた。
そんな頃……
(なぜ我が家に来たのだ?あの時の美少年よ)
木から落ちてきた無愛想な美少年が別人かのように柔らかく微笑み、レーネの目の前で優雅にお茶を飲んでいる。
お茶を持ってきた伯爵家のメイドも、美少年ぶりに若干手が震えていたような……。
(そっくりな別人?でも、ドルシ公爵が横にいるから公爵子息よね。あの美少年と双子とか?)
五年も経って、レーネの記憶の中の美少年の姿は朧げになっていた。アイスブルーの瞳とブロンドの髪の色を持っていたことは覚えていたけれど。
「レーネ嬢に我が息子ニキアスとの婚約の申し入れをしたくやって参りました」
ドルシ公爵の言葉に思わず目を見張った。
(婚約?!どういうこと?)
ちらりとお父様を見ると、目がこぼれ落ちそうなほど見開いている。
(お父様もご存じなかった話なのね)
かたや、目の前の美少年は、好感度の高い柔らかな笑顔でレーネを見つめている。
「五年前のお茶会で出会ったレーネ嬢をずっと忘れることができませんでした。隣国への留学中に既に他の方と婚約されているかと心配だったのですが、まだどなたとも結んでいないと聞いて嬉しかったです。レーネ嬢、どうか私と婚約して頂けませんでしょうか」
(ええ!!!あの美少年が公爵子息様だったの?)
今度は私の顎がはずれそうになったよ……もちろん、扇子で隠したけどさ。
(フラグを立ててしまったの?見目麗しい高位貴族との婚約なんて悪役令嬢の役割通りじゃない)
混乱中の私と悲壮感を滲ませたお父様を置いて、生温かな視線を送ってくるお母様と公爵様から、「二人で庭を散歩しておいで」と送り出されてしまった。
「どうして私なんでしょうか」
庭のガゼボで勧められたままベンチに座った私は、一番の疑問を目の前の美少年に直球でぶつけてみる。
五年前のあの日に私に恋心を持つなんて現実味がないもの。
「好意を持って頂けるような事はなかったかと思うのですが」
「君はあの時も今も、俺の顔を見ても眉ひとつ動かさなかった。だから、だよ」
こっちの話し方が地なのかな。双子じゃなかったんだ。こっちの方の美少年なら記憶に残っている。
対面に座ったニキアス様は屋敷で見せてくれたような朗らかさや柔らかさが消えて、砕けた物言いに代わった。
っていうか変わり身が早すぎませんか?
婚約を申し込みにきたんだよね?普通の令嬢なら、美少年からそんなそっけない態度を取られたら泣くよ。
「そんなことで?」
「俺には重要なんだ。色々あって顔で近寄ってくる女性には辟易してる」
「……見目が良いと大変なんですね。その他の理由は何がありますか?」
「……なんでそう思う?」
「見目の話だけなら、私と婚約を結ぶ必要はないでしょう?政略結婚だとしても、公爵家に我が家と縁を結ぶ利点があるとは思えないですし」
「来年から君も通う予定の学校へ俺も入学するんだ」
「つまり、学生期間中の女避けと言うことですね」
「……まぁ、端的に言うとそうなる」
なるほど。
「その後は?女避けが必要な理由はわかりました。学校を卒業したらどうするおつもりですか?本当に私と結婚をするおつもりなのですか?」
ニキアスが居心地悪そうな表情を浮かべた。
「俺は公爵家の跡取りとして妻が必要になるのは確かだ。……君はあまり結婚願望がないと聞いた……だからお互いちょうどいいかな、と……」
ちょうどいい?お飾りの妻として私がちょうどいいっていうことね。
(あらあらまぁまぁ、随分自分勝手だこと)
「わかってる。自分勝手だって」としゅんと肩を落としたニキアス様が呟いた。
(あれ?私、声に出しちゃった?)
「わかってる、自分勝手で君にも失礼な申し出だと。だから、ちゃんと約束するよ。婚約者としての責務はしっかりと果たす。もし結婚したら、公爵夫人としての仕事はやってもらいたいが、君が事業を行いたいなら援助はもちろん惜しまない。そして、伯爵家に対しても援助が必要な時は対応する」
(自分勝手だけど、真面目だね!)
ただ一つ勘違いは正しておこう。
「……私は結婚願望がないのではなく、愛のある結婚をしたいのです」
「愛のある結婚……か」
ニキアス様が唖然とした様子でその言葉を繰り返した。
「俺の申し出とは真逆だった……」
「お互いを大事に、慈しみあえる相手がいいのです」
「大事にか……。今、想う人はいるのか?」
「いませんよ。ニキアス様は?」
「……いや、いない」
ん?間が少し気になるけど、まぁいいか。まだ、ヒロインは現れていないってことね。
ついに悪役令嬢顔としての役割がスタートするんだな。
「わかりました。そのお話を受け入れます」
「いいのか?」
縋り付くような弱々しい表情を浮かべたニキアス様に微笑んで頷いた。
どうせ王位継承権もある公爵家からの申し出を伯爵家は断れないし。
「条件があります。好きな人ができたら隠さずに相手に伝えること。そして、円滑な婚約解消をすること。婚約中はお互い婚約者の責務を果たすことでいかがでしょう」
惨めなゴシップを社交界に提供する気はない。知らないところで物事が動くのは避けたい。
目を丸くしているニキアスに、私はにっこりと微笑みかけた。
「まずはあなたと友達になりたいわ。レーネと呼んでね。これからよろしくね」
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