12 予想通りの展開に
毒に倒れてから1ヶ月経ったある日、久しぶりにニキアスから手紙が届いた。
婚約をしてからこんなに長い間連絡を取らなかったのも、会わなかったのも初めてだ。
リアンからソフィー様との話を聞いて、レーネから手紙を書くのをためらってしまったところもある。
手紙には公爵邸に来てほしいと書かれていた。手紙の文面が今までと違ってよそよそしく感じるのは気のせいだろうか。
(うん、これはアレだな、アレがついにくるんだな)
覚悟を決めて向かった公爵邸で、心なしか苦しげで辛そうな表情を浮かべたニキアスがソフィー様と共に応接室へ入ってきた。
「レーネ、久しぶりだな。体は大丈夫か?」
「ええ、心配をかけてしまったわね。もうすっかり大丈夫よ」
「そうか……それならよかった」
変わらず柔らかくレーネを見つめる視線の中に、躊躇いや動揺の色がちらちらと見え隠れする。
(ソフィー様を横に連れている時点で答えはもう出ているだろうに。いいにくいのかしらね)
暫く見つめ合っていると、悲痛な面持ちのニキアスが躊躇いながら口を開いた。
「レーネ、すまない。君との婚約を解消したい」
予想していたはずなのに……ニキアスの言葉がレーネの胸に突き刺さる。体の芯から冷えていくような感覚に思わず息苦しさを覚えたレーネは、一度大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
そう、予想していたことが起こっただけ。
初めから約束していたことだから誰も悪くない。
(レーネ、落ち着くのよ)
自分の心に言い聞かせ、淑女のような微笑みを浮かべる。
「……はい、承知いたしました」
真っ直ぐに私を見つめるアイスブルーの目が傷ついたように翳った。どこか苦しそうな顔をしている。
(どうして貴方が傷つけられたような表情を浮かべるの?)
「好きな人ができたら解消するお約束でしたもの。ニキアス様はお気になさらないでください。どうか、ソフィー様とお幸せになってくださいませ」
小柄で豊満な体のソフィーが勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべ、ニキアスの腕に胸を押し付けるかのようにして寄り添っている。
(やっぱり悪役令嬢顔の立ち位置はどの世界でも変わらないのね)
心の中で苦笑した。
ソフィーは垂れ目で柔らかな顔立ちの令嬢だ。髪の毛もふわふわしていて小柄で可愛らしい。
かたやレーネはつり目がちで勝ち気な顔立ちをしている。
七歳の時にソフィーから「悪役令嬢顔」と言われた時は、言い得て妙だと納得した。
「婚約解消に必要な書類は、父へ送っていただけますか?」
「……ああ、わかった」
呻くような苦しげな声で答えたニキアスが、躊躇い気味にまた口を開いた。
「レーネ、約束の件を覚えているか?」
「約束……?」
「婚約を解消する時の条件だ」
(婚約を解消してもずっと親友って話かしら)
「……ええ、覚えています」
「絶対に忘れないでいてくれ」
聞いているこちらの胸が締め付けられるような、悲しくて切ない声に狼狽えてしまう。
ニキアスの何かを懇願するような視線に違和感を抱きつつも頷いた。
「……ええ、わかりました」
ほっとしたような表情を浮かべるニキアスに、勝ち誇ったような顔をしていたソフィーが不服そうに口を尖らせて顔を覗き込んでいる。
そうよね、一体何?って不安になるわよね。
ニキアスはソフィー様にちゃんと説明できるのかしら。
でも二人とも、安心して。悪役令嬢顔の私はあなた達の前から退場します。
さよなら、私の親友。
幸せになって。
+ + + + + + + +
ニキアスとの婚約解消について告げた時、お父様は……静かに怒っていた。握りしめた拳がプルプルと震えている。
「お父様、申し訳ありません」
「レーネは全くもって悪くない!それよりもレーネをこんな辛い目に遭わせた奴らを絶対に許さん……」
予想していたからあんまり辛くない、なんて言える状況でもなく、王都にこのままいてもしょうがないのでお母様と弟のアレックスとさっさと領地へ戻ってきた。
王立学校は卒業に必要な単位は既にとれているので、このまま休み続けることにする。
アバーテ伯爵領は比較的王都に近い場所に位置している。
活気がある港町を持ち、手工業や他国との貿易、運送業務で潤っている。
お母様は領地経営の手腕があって、社交シーズン以外はほぼ領地で仕事をしている。七歳の時に、領地運営を学びたいと強請ったレーネの希望があっさりと通ったのは、お母様が実務の実権を握っているからだったのだろう。
私が発案した施策は、お母様の監修の元、お父様の名前を使って実行した。婚約解消されるまで、逃げ場所があることを他の人に知られたくなかったから。
「まさか、幼い頃にレーネが言ってたように婚約が解消されることがあるなんて思ってもみなかったわ」
お母様に優しく抱きしめられる。
「お姉様、お辛くないですか?」
「いつかはこうなるって覚悟していたんだもの、大丈夫よ」
ニキアスとソフィー様が寄り添っていた姿を思い出すと、胸が締め付けられるような痛みはある。
傷ついていないとは思っていない。でも、傷ついているとは認めたくない。
「これからレーネはどうするの?」
「アンのところで働こうと思います」
「私達と一緒にこの屋敷で一緒に暮らしては駄目なの?」
「お母様ごめんなさい。いい機会なので現場を見てきます」
「分かったわ。でも今夜はここにいてね」
「はい。休みの時はここに戻ってきますね」
居場所があってよかった。
+ + + + + + + +
「アン!」
「お嬢様!ようこそいらっしゃいました!」
伯爵領の港町の一角に女性と子供のための民間シェルターとそれに隣接した食堂がある。
一番最初に私が着手した施策が、パートナーと離婚や死別をした女性や暴力の被害にあっている女性や子供が逃げ込める民間シェルターを作ることだった。
「アン、元気にしていた?運営の方はどう?」
「はい、体調も運営も大丈夫ですよ。でも、お嬢様……連絡をもらっていましたが何かの間違いですよね?婚約を解消されたなんて」
「あら、手紙で書いた通りよ。学校もお休みをすることにしたから、暫くここでお世話になるわね」
「ええ!!本当だったんですか?」
「そうなのよ。また、その話はおいおいね。ね、キーデルはどこにいるの?」
「キーデルは今、伯爵家騎士団でお世話になっているんです。週末にはこっちに帰ってきますよ」
「あら、屋敷で会えなかったわ。週末が楽しみね」
アンは伯爵邸の使用人の親族だった。
暴力を振るう夫から子供を連れて逃げたいけれど逃げる場所がなくて困っている女性がいると、使用人達の井戸端会議の声がレーネの耳に入ってきた時、それだ!と閃いた。
その話をもっと詳しく!と物陰から飛び出してきた伯爵令嬢に、使用人達は顔を青くさせたが、伯爵令嬢がどんな意図で話を聞きたいのかを知ると、色々と領民が、特に女性や子供が困っている話を教えてくれるようになった。
アンと息子のキーデルは民間シェルターの利用者第一号だ。無事に夫と離婚できた気立の良いアンは、働き者でもあった。今では民間シェルターと食堂の責任者としてレーネの元で働いてくれている。
「今から食堂の仕込みに入るの?私も手伝うわ」
腕まくりをし始めたレーネをギョッとしたように見つめて首を振る。
「え?無理ですって!そんなことお嬢様にさせられないですよ!」
「だって私、これからここに住むのよ。何も仕事をしない方が無理だわ。それに私、炊事や掃除ができるの知ってるでしょう?」
立ち上げた頃、食堂のメニューを考えたり、掃除の仕方をアンや従業員達へ教えたりしたのはレーネだから。
「……わかりました。流石に綺麗なお嬢様が給仕をしたら、領主のお嬢様ってすぐにばれてしまいます。厨房の方に入ってもらえますか?」
「立ち上げた時を思い出すわね。頑張るわ。よろしくね!」
よし、お仕事頑張ろう!!
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