11 彼の幸せが一番です
結局ベッドの上に起き上がることができたのは、王宮で倒れてから五日目のことだった。
三日目で深い眠りから覚めたが、その後は意識が朦朧としていてはっきりと覚えていない。十日経った今も、解毒薬の影響かうつらうつらとしてしまうことが多い。
「レーネ……」
ノックの音と同時に、扉の向こうにニキアスの姿が見えた。
まだ声を出す許可をお医者様から貰えていないので、喉を触って声が出せないことを伝える。
ベッドのそばに来たニキアスの顔を見て、ギョッとした。
『どうしたの?酷い顔よ。大丈夫?』
声が出せない代わりに、筆談で伝える。
心なしか頬がこけ、目の下にクマができている。ベッド脇に座った、憔悴した様子のニキアスの頬に思わず手を伸ばした。
頬においた私の手をニキアスが上から包み込む。
やつれた様子のニキアスは、退廃的な美しさを醸し出していて一瞬胸がドキンと高鳴った。
美少年の顔を暫く見ないと、耐性もリセットされるのかな。
アイスブルーの瞳に安堵の光は見えるも、憂いを含んだままだ。
「レーネが生きていてよかった。置いていかれるんじゃないかってずっと不安だった」
握っている私の手を強く握りしめた。
『不安にさせてごめんね』
「俺が守りきれなかった。俺のせいで……ごめん」
『解毒剤を飲ませてくれたって聞いたわ』
「効くか不安だった。効いてよかったよ」
お父様から事件の概要を聞いた。
王妃に献上されたお茶の中に毒が仕込まれていたという。
毒を飲んで倒れた時、王宮や王都の医師達の多くがミレー侯爵領で起きた大規模な崩落事故の応援で出払っていて、私を診てくれる医者をすぐに捕まえられなかったそうだ。王宮で私を待ってくれていたニキアスが騒ぎを聞きつけて、解毒剤を飲ませてくれたおかげで助かったと聞いた。
『ニキアスは命の恩人ね。ありがとうね』
メモを見せるとニキアスが頬に置いたままのレーネの手をぎゅっと握りしめた。
「レーネがいなきゃ俺は生きていけない。間に合わなかったらと思うと今でも怖いんだ」
『よく解毒薬なんて見つけられたわね』
「……ああ、俺も父も、国王もだけど幼い頃から毒の耐性をつけさせられるんだ。だから毒のことは結構詳しい。それに王宮のどこに解毒剤が常備されているかも知ってるからな」
囁くように言うと、ニキアスは泣きそうな顔で弱々しく笑った。
『辛い経験をしてきたのね』
「そのおかげでレーネを助けられたのなら、意味があったと今は思うよ」
ニキアスの言葉に目が潤む。
『ありがとう』
そんな一言では足りないくらいの想いをどう表わせばいいのか判らなかった。
さっき飲んだ薬のせいか、頭にモヤがかかったように段々とぼんやりとしてきた。
目がとろんとしてきた私に気がついたのだろう。
「そろそろ休んだ方がいいよ」
ニキアスが背中のクッションを整えてくれた。
『一つお願いがあるの』
「レーネが望むことなら幾つでもいいよ」
柔らかな声に心が落ち着く。
『手を握っていて』
「もちろん、寝付くまでそばにいるよ」
ニキアスの温かな大きな手がレーネの手を包み込んでいる。
体から力が抜けていってペンが持てない。瞼が重くなって目が開かない……。
皆には大丈夫って強がっているけど、目の前が暗くなると倒れる前の苦しさを思い出して震えが止まらない時がまだある。
片方で私の手を握り、もう片方で頭を撫でてくれるニキアスの手を感じていると安心して怖い思いが解けていく様だった。
「レーネ、大好きだよ」
ニキアスの優しい声が聞こえたような気がした。
+ + + + + + + +
漸く喉も体調も回復したけれど、私も狙われている可能性があるということで、学校には行けず家に閉じこもる日々だった。
心配して下さったエイダ様からは、毎日のように花やお見舞いの品が届く。
エイダ様を狙っての事件だけに、心理的に負担がかかっていらっしゃらないか心配だ。妊活にストレスは敵なのに。
今回の毒殺未遂事件は極秘事項。しかも私と王妃の関係も秘密。お見舞いに王妃が来るわけにもいかずエイダ様の代理として、王妃専属医のモリー様がたびたび顔を見に来てくれた。勿論、王妃の妊活についての状況確認や方針についての打ち合わせも兼ねて。
私が倒れた日は、ミラー侯爵領の鉱山で崩落事故が起こり、多くの人が巻き込まれて被害に遭ったそうだ。怪我人が多くてモリーも他の王宮の医者達も応援要請の対応に追われていたのだという。
「毒を入れた犯人は分かったの?」
王妃を害そうとしたことは極刑にあたる犯罪になる。
「王妃付きの侍女が一人自害した。その侍女が毒を入れたのではないかと言われていると聞いたよ」
「エイダ様もお辛いわね」
「レーネのことを王妃が心配していたよ」
「お気遣いがありがたいわ。早く落ち着いて、エイダ様にお会いしたいわ」
エイダ様が毎朝記録している体温表から、モリー様と一緒に医学書を片手に妊娠しやすい時期を予想する。
早速出した予想を国王夫妻に報告してくる、とうきうきした顔で王宮へ戻って行くモリー様を見送りながら、エイダ様が無事にお子を身籠ることができるよう願わずにはいられなかった。
リアンも授業のノートを持って、何度か遊びに来てくれた。
「学校にレーネがいないから寂しいわ」
「セルジオ様がいらっしゃるじゃない」
「騎士科だもの。お昼はご一緒できるけれど他の時間はいつもレーネといたから寂しいわ」
「でも、ニキアスもいるでしょ?」
「……」
「どうしたの?」
「……最近、ニキアス様と会った?」
「ここ暫くは会ってないわね」
「お手紙は?」
「ないわ……何かあった?」
チラッと私の顔を見ては俯くリアンの様子にまさか……と勘が働く。
ついにこの時が来たのかな。
「ニキアスが他のご令嬢と仲良くしている、とか?」
はっとしたように私を見つめたリアンの瞳が悲しそうに潤んでいる。
「知っていたの?」
「いいえ、でも予想していたの」
なんでもないことかのように、微笑んで伝える。
「喧嘩でもしたの?」
「いいえ、していないわ」
「レーネはニキアス様が他の令嬢と仲良くしていても許せるの?」
どう答えようか。
リアンには本当のこと言っていいわよね。リアンを悲しませるのは私も辛いわ。
「あのね、私達、どちらかに好きな人ができたら円満な婚約解消をする約束をしているの。それに私は学生時代の女避けの為の婚約者になっただけだから」
リアンが瞳を瞬かせる。
「あんなに仲が良いじゃない」
「仲はいいわよ。でも私達の間にあるのは恋心ではなくて、友情なのよ。それにニキアスは婚約者の振りをするのがとっても上手なの」
リアンが呆れたようにため息をつく。
「ニキアス様はレーネに本気よ」
「ね、周りにそう思わせるくらい振りが上手なのよ」
にこにこと笑う私をかわいそうなものを見るような目でリアンが見てきた。
「今のニキアス様は置いておいて、あんなにレーネに好意を伝えていたニキアス様がかわいそうに思えてきたわ。多分二人には話し合いが必要ね」
「そうね……ちなみにニキアスは今、どちらの令嬢と仲が良いの?」
「……ソフィー様よ」
なるほど。ソフィー様は小柄でふわふわの髪の毛で可愛らしい方だ。
きつい顔の私が悪役令嬢顔というのなら、ソフィー様はまさにヒロイン顔だ。
「ソフィー様はまるで付き合っているかのように学内で振る舞っているのよ。取り巻き組達がレーネが体調不良で休んでいることをいいことに、婚約破棄するんだろうって。ソフィー様と婚約するのだって根も葉もないことを吹聴しているの。信じ始める人も増えてきて……悔しいのよ」
リアンが悔しさに耐えるように唇を噛んだ。
毒を盛られたことはリアンも知らない。体調不良としか対外的には言っていない。長く休むと婚約破棄の噂の信憑性が増すのかもね。
「リアン、私の為に憤ってくれてありがとう。でも、私なら大丈夫。ニキアスの幸せが一番だわ」
「ニキアス様は幸せそうじゃないわよ。ただ、ソフィー様が纏わりつくことを許しているだけよ」
なんだか胸が苦しい気がするのは、気のせい。私たちは元々恋人同士ではないのだから。
婚約解消した後の身の振り方を決めておいて良かった。
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