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あやかし、ときどき、百合の咲く。

 ああ、ついに。ついに災厄の大妖が目を覚ます。

 封印を解いた後悔は微塵もない。ユリは、大妖封じを代々任されている神官の家系、その巫女にあたる。かつて日本を恐怖の底に突き落としたと伝えられている大妖を、彼女はどうしても解き放たねばならなかった。


 一族の者以外はその場所を知らぬ神域、ある山中の奥地にある祠にかけられた注連縄(しめなわ)と符はすでに灼き切った。

 ちりちりとした妖気がユリの肌を刺し、周囲の風の流れは祠に向かって吹き込んでいく。


「どんな見た目してんのかなぁ。せめて大学サボったのに釣り合うイケメンでありますよーに」


 登山着にリュックとおよそ巫女らしくない、かつ女子大生らしくもない格好で、ユリは大妖の目覚めを待つ。水筒に入れてあった熱いほうじ茶をずず、とひとすすり。後ろで一つ括りにしている黒髪がふと揺れた。

 ひときわ大きく妖気が爆ぜ、祠の戸がはじけ飛ぶ。土煙の中からすらりと現れたのは、一糸まとわぬ銀髪の女性。ユリと同年代程度の、見目麗しい姿をしていた。


「疾く去ね。人ごときに用は無い」

「――ッ!!」


 おおよそ、災厄の名を冠する大妖には見えない姿。

 ユリは大きく目を見開いて息を呑んだ。


「漏れる妖気に当てられ声も出ぬか。なんとも未熟な――」

「イケメンじゃないじゃん!!! 女の子じゃん!!」

「は?」

「チェンジで!!」

「はぁ!?」


 力なくうなだれ、ユリが肩を落とす。


「イケメンの封印を解いて恩を着せて彼氏に、とか思ったのに計画丸つぶれじゃんもー!」

「や、その、災厄の大妖を前にその態度は、お主、欲に忠実すぎやせぬか?」


 ユリは大きく溜息をつきながらリュックをがさごそと探り、登山装備にと入れておいた着替え一式を取り出して所在無さげに立っている全裸の彼女へと渡す。礼を言って受け取ろうとするが、そこで周囲の異変に気がついた

 再度、ちりりと走る妖気。大妖の封印が解かれた影響か、幾多もの魑魅がわらわらと集まってきている。


「封印を解いた余波とみえる。己が欲のために下妖を呼んだか。助けはせぬ。己が業ぞ」

「いいよー、別に」


 荷物から数珠を取り出し印を結ぶ。そして二言三言呟くと数珠はパッと弾け、物体の保存則を無視したおびただしい量の数珠がじゃらじゃらと蛇のように地を這い、さらに縦横無尽に伸びてゆく。

 うごめいていた魑魅どもを標的と定め、縛り上げ、貫き、砕いていく。大妖は微動だにせずそれを見ていた。数秒もせぬうちに辺りは静寂に戻り、場に立っているのはユリと大妖のみ。


「ほら、わたしってば、強いから」

「なるほど、巫女の一族か。して、何用か」

「さっき言ったじゃん。彼氏になってもらおうと思ってたの。あー、女の子だなんて思ってなかった。私の目的なくなっちゃった」

「なんとも愚かな。それでよくぞ巫女が務まるものよ」

「歴代最強、との声が多数寄せられてますけどー」


 ぴくり、と大妖の眉が上がる。


「最強とは聞き捨てならぬな」

「んじゃあ、勝負する?」

「不遜。人間などと同じ土俵に降りるものか」

「あ、そう。よし、服着たら行きましょ。連れていきたい所があるから」


 くるりと背を向けてユリは無防備な背中をさらす。

 人間など、刹那のうちに命を絶つことができる。それだけの力が、大妖には確かにある。それを知らぬわけでもあるまいに。大妖は眼前の人間の意図が読めずにいた。ここで腕を刃の一つにでも変じて斬り伏せることもできるのだ。それを警戒している様子は微塵もない。


「まったく、数百年ぶりの外だというに調子が狂うてかなわぬ」

「んー? 何か言ったー?」


 首だけをひょいと向けてユリは問い掛ける。大妖は「ふん」と一つ鼻を鳴らして何も答えなかった。外界に出たところで、特に何をするあてもない。暫定的にユリに着いていくことを決めた。




   ○   ○   ○




 神域、その山中よりさらに奥深く。日は既に傾いで山道は暗く。巫女と大妖、連れ立って歩く。


「うーん、暗くて道が見えなくなってきた」

「当然至極。日も暮れてから山に入るなど下策であろ」


 薄暗くなっていく視界の中、心底呆れた様子で大妖は問い掛ける。


「巫女ならば、災厄の大妖について口伝の一つでも聞いておろうに」

「もちろん。日本を滅ぼそうとした悪逆非道冷血無比の妖怪だって言い伝えられてる。けど――」


 大妖、不意に目を伏せて唇を噛む。だが、辺りの暗さもあってかユリはその仕草に気が付かなかった。


「……さにあらば、畏怖を向けぬか。もしくは悪として討てばよかろう」

「それは困るなあ。あ、着いた。向こうもこっちに気づいたみたい」


 風の音も、虫の音もない。深い自然の中にあって、不自然なほどに無音。


「この気配……よもや神域の主か」

「ん、ご名答。一緒にやっつけようと思って」

「何を企んでおる」

「倒したらちゃんと話すよ。――はい来た」


 樹々の間からじわりと苔のような塊が染み出し、二人を囲んでいた山木が意思を持ったかのように根元からずるりと動いて遠巻きに円を形成していく。常識の範疇から外れた超常を経て、出来上がった結界はさながら大きな土俵のようだった。暗闇から篝火が次々出現し円周を、二人を照らす。

 暗がりの向こうから地鳴りと共に歩み寄る巨躯。一足ごとに木々が避けて進路を開ける。ずずん、と土俵の中に現れたのは、猪の頭を持った8メートル越えの獣頭巨人だった。


 大気を振るわせて、神域の主たる巨人は吠える。

 体躯に見合わぬ俊敏さで一気に距離を詰め、岩のような拳を振り下ろした。ユリと大妖は左右に飛ぶ。


「めっちゃ怒ってる!! 不法侵入だもんね、当たり前か!」

「まさか無策で神獣に挑もうとしているのではあるまいな!?」

「だいじょぶー! ちょっと時間稼いでー!」

「いかほど!」

「10秒!」

「承知」


 大妖の腕がごきりと変化し、肘から先が禍々しい刃になる。背からは黒鴉の羽根がばさりと生えた。全ての妖の全ての力をその身に宿す者。それが災厄の大妖。伝承の中では、神にも等しい存在とある。


「神を斬る、か。久しいものよ」


 地を低く飛び、二撃、三撃と落とされる拳をかいくぐる。四撃めを躱すと同時に疾風、巨人の片足を切断。そのまま、首を狙い天に向けて駆けた。

 素っ首に入った刃はしかし、獣頭を斬り堕とすまでには至らず。宙に浮かびながら大妖、ちぎれかけた首をぶらつかせる巨人を見下ろす。


「首まで落とすつもりであったが、少し鈍ったか。だが、刻は稼げたであろ」

「おっけー、10秒ジャスト!!」


 首を元の場所に戻し巨躯が吠える。けれど裂帛の咆哮も虚しく、その場から動けず。

 ユリの手から、数珠が一筋、ロープのように空中を走り大妖に巻き付く。数珠を通して、彼女の力が流れ込んでくるのが分かった。じりじりと熱を帯びた、銀に輝く巫女の力。


 静かに、ユリは言を紡いだ。


「百八の御魂、御刀、その一振りをここに奉じる。流星落華、天の降岩」


 大妖の右腕が白銀に輝き、刃は再び形を変じて巨人のそれと同様の大きさにまで膨れ上がった。大妖、意図を介して流星の如き拳を叩きつける。真昼のような閃光が辺りを射し、光が収まってみれば元の山道の風景があった。




   ○   ○   ○




 虫の音が喧しい深夜の山中で、二人は焚火を挟んで向かい合う。


「さて、と。どこから話そうかなあ」

「つまらん話であれば、その首もらい受けるぞ。災厄の大妖を顎で使いおって」

「その名乗り、やめない?」

「何を言う。口伝で以てそう聞かされておるのだろう」

「わたしは一度もそう呼んでないよ、タツキ(・・・)さん」


 大妖、びくりと肩を震わせる。

 龍姫(たつき)。それは、まだ自分が人であった時の名。人として妖の力を振るい、西洋の怪物たちと戦っていた時の名だった。

 戦国の世。鉄砲やキリスト教と共に日本を征服せんと攻め立ててきた怪物を退けるために、妖の力をその身に宿して戦った英雄が彼女だった。


「酷いよねえ。人体実験さながらのことやっといて、敵がいなくなれば汚名を着せて封印だなんてさ」

「……その話、明るみに――」

「出てない。人外の争いがあったこと。あなたが日本を守ってくれたこと。怪物、妖怪の存在も全部ひっくるめてわたし以外誰も知らない」

「そうか。ならばよい」

「よくなーい!!」


 ぱちん、と火にくべた木が爆ぜる。

 立ち上がって、ユリは言った。


「あなたは、人間でしょ!!」


 巫女仕事の傍ら、秘匿された大妖の真実をユリは古ぼけた書記で偶然知った。そして、彼女と同じ時代を生きた先祖の願いも、それを叶える方法もそこには記されていた。


「……違う。人間などでは――」

「だって封印を解いてもわたしを殺そうとしなかったし」


 邪悪な妖怪であるならば、その場で討って終わりにするつもりだった。


「だから、ご先祖様の願いはわたしが叶える。あなたの身に宿る百八つの妖怪の力、あ、いや、さっき一つ奉じたから残り百七。全部元の持ち主に返して、あなたを人間に戻す」

「できるものか」

「わたし歴代最強だもん」


 事もなげに言い放たれた台詞に、知らずのうちにくすりと笑っていた。


「面白い。乗ってやろうぞ」

「じゃあ自己紹介! よろしくね。わたし、藤原栞莉」

「……藤原龍姫」

「え、うそ、ご先祖様だったの?」

「奇縁もあったものよな、末代よ」


 明々と照る炎が二人を照らす。

 ユリから差し出された手を、タツキはしなやかに、だがたしかに取った。


 まもなく、夜が明ける。

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