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かつて人間だった僕より君へ


――みんなが幸せになるのなら、それでいいと思ったんだ。


 かつて僕が人間だった頃、僕の武器は「耳」だった。

 人並み外れた聴覚は、敵の足音や息遣いまで完璧に聞き分けて、相手の動きを把握し、翻弄した。

 そしてその特技は、人外となった今もまだ健在だった。


「ふんふんふん」


 遠く聞こえてくる子供たちの笑い声に合わせて、指揮者気分で触手を振る。しばらくすると、世界のどこかにある教会で鳴った鐘の音と、放牧された牛たちの鳴き声がセッションを始めたので、僕は音色にあわせてずんぐりとした巨体を揺らした。

 平和だ。耳に飛び込んでくるすべての音が。



 世界をかけた戦いがあった。もうずいぶん昔の話だ。

 魔族と人間、双方の存続をかけた最終戦争だった。僕は人間側の兵力として前線に赴き、そこで長い間戦った。

 たくさんの敵を殺した。たくさんの味方が死んでいった。絶叫を聞いた。断末魔を聴いた。死体が転がる音を幾度となく耳にした。もうずいぶん……昔の話だ。

 ようやく敵の親玉を追い詰めた時には、こちらの戦力も風前の灯火で。魔王が最後の魔力を振り絞り、山ほどの大きさになった時、僕たちに残された道は一つしかなくて。


 絶望に濡れた声を聞くのが嫌で。みんなのすすり泣きを聞くのが嫌で。耳に飛び込んでくるすべての音がたまらなく憂鬱だったから。


 だから僕は、異形になることを決意した。


 

「異形化の魔法っていうのは、昔からあったんだよ。人間から異形への一方通行の魔法だから、誰も使ったことはなかったけど」


 僕に異形化の魔法をかけたのは、仲間の魔法使いだった。僕の体はたちまち何百倍にも膨れ上がり、手足は触手に、肌は堅い鱗に変質した。体中の至る所から目玉が飛び出て、口は大きく引き伸び、数えきれないほどの牙がびっしり生えた。

 膨大な魔力と、触手の一振りで山を崩せるくらいの膂力を手に入れた僕は、そのまま魔王を滅ぼした。


「魔王には偽物の心臓が千ほどあって、正確に本物だけを潰さないといけなかったらしいんだけど……一発目で当てちゃってさ」


 名もなき異形と化して一番強化されたのは、間違いなく聴覚だった。もともと自信はあったけど、それにしたって千の鼓動を正確に聞き分けるのはやり過ぎだ。


「で、世界を救うために異形になった僕は、国王様から褒美として、この極東にある無人の島に立派な神殿を作ってもらって、隔離されたってわけ。ここまでで質問は?」

「なはは、なに言ってるかぜーんぜん分かんね」


 そりゃそうだ。

 人間の言葉なんて、もう喋れないんだから。


「いや~、しっかしあれだね」


 白髪の少女は僕の顔を覗き込み、


「思ったよりもドギツイ見た目してんね」

「ほっとけ」

「なはは、グォウだって。怒ったん?」


 ケラケラ笑って、僕の触手を杖でつついた。

 人と会うのは久しぶりだ。五百年ぶりくらいだろうか。


「でもなんとなく、君が私の質問に応えてくれてる雰囲気は伝わってきたよ~。見た目の割に、穏やかなんだねぇ」


 つい数刻前、唐突に彼女は現れた。

 人懐っこい、気の抜けた笑い方をする、髪も肌もローブも白い、多分それなりに実力のある魔法使い。フレアと名乗った彼女は、挨拶もそこそこに言ったのだ。


『じゃ、君がそうなるに至った経緯を聞かせておくれよ、英雄君』


 英雄――それは随分と懐かしい響きだった。

 魔王を倒して凱旋した僕のことを、当初人々は英雄と呼んだ。

 だけど、そんなのは最初のうちだけだった。

 人でもなく魔族でもない、おぞましい見た目をした得体の知れないナニか。そんなものを手放しに讃えられるほど、人は強くはできていない。

 数年の後、王都から遥かに離れたこの地に追いやられたのは当然の流れだった。

 

 最初のうちは、ここを訪ねてくる者もいた。その多くが「異形の英雄」を観光気分で見に来た野次馬ばかりだったけれど、中には大切な人もいた。

 一人はあの戦争を共に最後まで戦い抜いた友人。


『俺、本を書くよ! 誰もお前を忘れないように! 英雄を、みんなが忘れないように!』


 泣きながらそういった彼は、それから一度も訪ねてこなかった。

 もう一人は、僕に異形の魔法をかけた魔法使い。


『今となってはもう遅いかもしれませんが……私はあなたのことを愛していました』


 僕も彼女のことは好きだったから、嬉しかった。

 結局、二度と会うことはなかったけれど。


 こうして神殿に訪れる人がいなくなっていき、何百年もの時が過ぎた。

 異形と化し、馬鹿みたいに寿命が延びた僕の存在は、少しずつみんなの記憶から風化していく。

 英雄の名前は忘れ去られ、神殿を訪れる者もいなくなり――やがて僕の名前は闇に消えた。

 

「なーなー、英雄君。君はさぁ、ほんとにそれで良かったの?」


 だから、驚いた。僕を英雄と呼ぶ存在が、まだこの世にいたことに。


「一人だけ割食ってさー。納得できなくない?」

「いいんだよ」


 どうせ言葉は通じないけれど、僕は応えた。

 だって今、世界は平和だから。耳に聞こえてくるすべての音が、心地よく、穏やかに、あるかも分からない鼓膜を震わせるから――だから、いいんだ。


「みんなが幸せになったなら、それで」

「なはは、なに言ってるかぜーんぜん分かんね」


 おもむろに。

 フレアは肩に担いでいた大きな杖を構えると、


「けど、腹立つ」


 大きく、横に薙いだ。

 刹那――本当に、その刹那。

 聴こえてくる音の質が、変わった。


「なんだ、これ……」


 それは、



 助けて! 娘だけは助けてくださいお願いします! ギャハハハハッ! ごめんな、父さんもう、両手がないんだ……。コロセコロセコロセ!



 それは、



 第一戦線、応答しろ! くそっ、国の精鋭部隊が二分で全滅だと!? 痛い痛い痛い痛い痛い助けてよぉおお! やめろ! 言う! 仲間の居場所を言うから! だから命だけはぁあああああっ!



 それはまさに、あの戦争と同じ音をしていた。


「なんだよ、これ……」

「さて、君に伝えなくてはいけないことがある」

「なぁ! なんなんだよ、これは!」


 フレアは続ける。


「およそ五百年前、一人の魔法使いが君に魔法をかけた。『慈愛の詩』。対象者に平和な音だけを聞かせる固有魔法」

「は……?」

「もう分かっただろ? 世界は平和になんてなっちゃいない」

「嘘だ……」

「魔王は、死んでなんかいない」

「嘘だ……っ」

「君は、世界を救っていない」

「嘘だッ!」


 だったら……だったらさぁ!!

 僕のしたことはなんだったんだよ! 僕はなんのために異形になったんだよ!

 わけのわかんない体になって、誰からも距離を置かれて、友人とも、愛する人とも会えなくなって、こんな辺鄙な場所で一人寂しく、何年も、何百年も一人でいた! 辛かった! 苦しかった! だけど耐えた、耐えてたんだよ! だって、みんなが、みんなが幸せに――



「うん、ようやく絶望したね」



 フレアは猫っぽく、にやりと笑った。


「絶望しなくちゃ希望もない。その枯れ果てたた感情を動かそうかと思っていたけど、どうやら上手くいったみたいだ」

「……何が言いたい」

「ボクはね、君を連れ出しに来たんだよ。もう一度、一緒に世界を救うために」

「……断る」

 

 自分で思っていたよりも、即答だった。脳で考えるよりも先に答えが出た。

 でも……仕方がないじゃないか。


「僕は……」


 ノイズ混じりの戦場の記憶がよみがえる。


「たくさん……たくさん殺したんだ。たくさん隣で死んだんだ。もう、あんな思いはしたくない……どうせ報われないんだろ? どうせ誰も幸せになんてなれないんだろ? だったら――!」

「なはは、なに言ってるかぜーんぜん分かんね」


 フレアはまたそう言って、



「だから、君の意見はぜーんぶ却下だ!」



 大きく杖を振るった。

 僕と彼女の体が勢いよく浮かび上がる。


「君を知るまでに六年、『慈愛の詩』を解くための修行に八年、君を探すのに三年かかった! もうこれ以上は待てないね!」


 僕の巨体は神殿の屋根を派手に壊して、そのまま空へと浮き上がる。


「――っ」


 そして、世界を見た。

 それは平和とは程遠い風景だった。

 紫色の太陽が、埃っぽい空気に乱反射していた。

 海はどす黒く、雲は灰色で、時々どこかでけたたましく雷が鳴っていた。

 至る所で声がする。悲痛の叫びが、脳を揺さぶる。



――みんなが幸せになるのなら、それでいいと思ったんだ。



 僕一人の犠牲で、たくさんの人間が幸せになるのなら、それが一番いいと思ったんだ。

 だけど今、目の前に広がっている風景は……耳に届く絶叫は、ちっともあの頃と変わっちゃいない。


「なぁ、英雄!」


 やめろ、その名で呼ばないでくれ。

 僕は誰も救っていなかった。何も成し遂げちゃいなかった。


「一緒に世界を救おう! 今度こそ、みんなを幸せにしようよ! それで――!」


 どうして……どうしてなんだ。

 僕はただ、みんなが幸せになるのなら、それでいいと――



「それで今度は、君も幸せになるんだよ!」



 耳を、疑った。


「僕も……?」

「そうだ! 君一人が割を食うなんて許さない! 誰かが不幸を背負って生まれる平和なんて、このボクが許さない! だから!」


 紫色の太陽を背負って、フレアが僕に手を伸ばす。

 こんなにも絶望的な風景の前で、それでも彼女は笑っていた。


「行くぞ! ボクの英雄!」


 僕の触手が、彼女の手に触れる。

 五百年ぶりに、人の温もりを思い出した。

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