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婚約破棄から数十年。眠れる荒野の生贄王女は、老騎士になった恋人と添い遂げる。

「殿下と儂の婚約が破棄されたのは、もう数十年前のことでしてのう」


 目の前の老人は、荒野に立つルーデリアの前に姿を見せて、おかしげにそう口にした。

 

「こうして再び会いまみえる事があろうとは、思ってもおりませんでしたな」


 剣聖アルダ。

 数十年前ぶりに再会した彼は、かつての精悍な面差しに年輪のような深い皺を刻み、白く長い髪を後ろで纏めている。


 服装は、薄くなった灰色の前合わせの衣と膝丈の細袴(ズボン)、そして編み上げの粗末な長靴(ちょうか)のみ。

 左手には、おそらくは旅装であろう荷物と外套が下げられていた。


「ああ、いや。婚約は破棄というより、白紙になった、という方が正しいですかの」


 歳を取ると、とんと言葉が出てこない。


 そう苦笑するアルダが右手で持つ片刃の愛剣は、かつてと変わらず青々と冴え渡っており、鍔も変わらず『守りの加護』を刻んだものだったけれど、記憶の中よりも古びていた。


 ルーデリアは、そんな彼に静かに問いかける。


「……なぜ、そちがここに?」


 かつて、魔の国と呼ばれた国の最奥部。

 ルーデリアが立っている場所には、魔王が倒された後に建てられた石碑が砕けて散らばっている。


 こちらの質問に、アルダは苦笑を刻んだまま答えた。


「他に、引き受ける者もおりませんでな。魔王を討ってからこっち、勇猛な若者も居なくなったようで」


 と、自分が歩いてきた方向にどこか遠い目を向ける。


「それと『責任を取れ』だそうで。魔王を倒したと人を欺いた罪、封印が甘かった咎だとか」

「……そちは、紛れもなく魔王を倒したではないか」


 ルーデリアは、目を伏せた。

 アルダとルーデリアは、かつて勇者パーティーのメンバーだった。


 当時、突如出現した魔の国が戦争を仕掛け、周辺にあった人間と亜人の国を強大な力で支配しようと目論んだのだ。


 魔の国は、魔王と呼ばれる存在一人が、その〝支配の力〟を持って纏め上げている魔族と魔獣の集団だった。

 研究により、魔王を倒せば瓦解することが明らかになった時、人の国はこれを倒すことを目的として強者を集めた。


 小国の王子であるルーデリアの兄、勇者オルドゥ。

 近衞騎士の息子にして幼馴染みでもある剣聖、アルダ。

 優れた才覚を持つ魔術師にして公爵令息のテガペ。


 そして、癒しと浄化の力を持つルーデリア自身。


 亜人と人間の連合軍が前線を切り開き、その隙を縫って魔王の元へ向かった、少数精鋭の暗殺団。

 アルダは、ルーデリア達と共にきちんと、魔王を打ち果たしたのである。


 だが。


「功績など、とうに忘れ去られました」


 彼は語る。

 アルダが首を刎ねる間際、魔王の一撃から彼を庇って兄オルドゥが討たれ、またルーデリアを失ったことで、生国は後継者が絶えた。

 故に、生国王族の血を引く隣国の遠縁が玉座についたそうだ。


 その時に兄が死んだ事実と、ルーデリアが遺った瘴気を浄化する為の人柱に奉じたという偽り(・・)を世に広めたのは、宰相となったテガペだという。


「父君である先王の代まではまだ、浄化の儀が行われておりましたが……現王がそれを廃する選択をしたことで苦言を呈したテガペは王に疎まれ、処刑され申した」


 ルーデリアは息を呑み、同時に自分が目覚めた理由を知った。


「そんな、愚かなことが?」

「起こったのですよ。〝忘却〟が仇となったのでしょう。……儂は剣を振るうしか能のない人間ゆえ、両殿下を失った責を取って、田舎の荒屋(あばらや)でひっそりと暮らしておったのですが」


 〝忘却〟は、そのままの意味だ。

 ルーデリアは、魔王に関する詳しい事実の全てを、人々の頭の中から消し去った。


 生き残った人々は、『魔の国を起こした魔王を、勇者パーティーが討った』ことしか覚えていない。


「あれが誤りであったとは思いませぬが、人は歳月を経て、当時の恐怖を風化させ申した。詳しく覚えておらぬのであれば、なおのこと。……魔王の力を復活させぬための定期的な瘴気の浄化には、随分とカネが掛かるようでしてな。現王はそれを厭い、結果、殿下は目覚められた」


 昔と変わらぬ、黒に近い藍色の澄んだ瞳を細め……白い顎髭を蓄えたアルダは、寂しそうに笑みを浮かべた。



魔王の継承者(・・・・・・)ルーデリア・エクスティア王女殿下。世は、貴女の献身を忘れ去ったのです」



 魔王には秘密があった。

 強大な支配者の力は、かつて人間であった魔王が、異端の儀式を行なって得たもの。


 迫害された者の恨みの結晶だというその力は、不滅。


 器たる魔王が倒れようとも、『ヒト』を滅ぼす力が継承されることが分かったのは、彼を倒したその時だった。


 ルーデリアの聖なる力も、魔王継承と共に失われてしまった。

 もし自殺や寿命、他の理由で死ねば、この力がまた誰かに宿る。


 ゆえに『自分を封ずる』と、ルーデリア自身が決断したのだ。

 この力を、二度と世に出してはならないと。


 ルーデリアは、『魔王が元は人間であった』事実などを、魔王の力を使って人々の記憶から消し去り、眠りについた。


 なのに。


「遣わされても、儂に殿下は殺せませぬ。その意味もないですしな。……叱責と死罰を覚悟して、御前に参じました」

 

 アルダは荷物を落として近づいてくると、ルーデリアの前の地面に剣を突き立てて、膝をついて首を垂れる。

 かつてルーデリアが贈った守りの鍔を嵌めた、自らの半身とも呼べる剣の前に。


「儂は貴女の騎士。たとえ魔王となられようと、ルーデリア殿下のご意志のままに従います。後世を導くことの叶わなかった我らの不甲斐なさを、罪となさいますなら。どうぞこの素っ首を叩き落として下さいますよう、伏してお願い申し上げます」


 ルーデリアは、アルダの言葉に天を仰いだ。

 空は晴れ渡っており、瘴気によって荒野と化したこの地と違って、何も変わらない。


「アルダ。わらわの願いも、そなたの栄誉も、兄の犠牲も、テガペの貢献も。……ヒトは、全て忘れ去ったと申すのじゃな」

「遺憾なことですが」

「であれば……わらわも、ヒトの為に我が身を捧げるのをやめても良いということよの」


 ルーデリアは、自分の姿を見下ろした。


 封じられた時と変わらない、白く清廉な聖女服に、時折子どもと間違えられるような小柄な体。

 顔の横に掛かるプラチナブロンドの髪もそのまま。


 違いは、真紅に染まった瞳の色と浅黒い肌、そして、こめかみから生えるねじれたツノ。


 ルーデリアは、アルダに視線を戻す。

 年老いた、かつての婚約者であった想い人に。


 魔王退治の同行を命じられた際に、主君であったルーデリアとの婚約を望んだ騎士。


「そち、伴侶は」

「おりませぬ。我が忠誠と愛を捧げたのは、殿下ただお一人にございますれば」

 

 ルーデリアは、その言葉に泣きそうになった。

 

 討たれることが無意味ならば、復活した以上は人々と協力して、どうにか我が身を犠牲にしてでも、この力を消滅させなければと思っていた。


 なのに、現れたのはアルダのみ。


 ルーデリアはヒトへの絶望を感じながら、彼の剣を引き抜き、そっとその肩に剣を添える。

 かつて、生涯ただ一人のルーデリアの騎士として、定めた時のように。


「アルダ。今一度、そちに命ずる」

「何なりと」


 迷いのない返事に、ルーデリアは薄く笑みを浮かべる。


 絶望の世界に、彼が生きていてくれていた。

 もう、王族ではなく、責任から解放されて良いのなら。


「この先も、魔族として(・・・・・)共に生きよ。……そなたは生涯、わらわのただ一人の騎士故に」


 ゴッ! と瘴気が巻き起こり、ミシミシと音を立ててアルダの体を作り替えていく。


「が、ァ……!」


 ルーデリアと共に生き、ルーデリアが死ねば共に死ぬ、魔王の眷属に。


 苦痛の呻きを上げながらも、アルダは跪いた姿勢を崩さなかった。

 やがて瘴気の嵐が収まると、そこには姿こそ変わらないが、魔王と魂の繋がりを持ち、全盛期の力強さを内に秘めた一人の魔騎士が生まれ落ちていた。


「殿下。……貴女の守りたかったものを守れなかった儂を……まだ、側に置いていただけるのですか」

「勘違いじゃ、アルダ。元々、そちよりも大切なものなどわらわにはない。ヒトが我らを蔑ろにするのであれば、わらわたちも務めを放棄して……問題、ないでしょう?」


 剣を下ろして、差し出すと。

 アルダは目尻に涙を浮かべながらそれを受け取り、立ち上がる。


「お兄様もテガペも、望むなら蘇らせて、ひっそりと生きるの。わらわは世界などいりません。……一人の女として、大好きな人たちと一緒に、生きたいから」


 魔王を倒した時、ルーデリアは16歳、アルダは18歳だった。

 姿形は歳月と共に変わってしまったけれど、その間アルダは、ずっとルーデリアを想い続けてくれたのだ。


 もう責務を果たさなくて良いなら、彼とただ、お互いを想い合って、自由に生きたい。


 精一杯張っていた虚勢が崩れ、ルーデリアは泣きながらアルダを抱きしめた。


「大好きよ、アルダ。もう、二度と離れないわ」

「仰せのままに、我が主君。……儂も、愛しておるよ。ルーデリア」


 抱き返してくれたアルダの腕の力強さに、ルーデリアは頬を緩める。


「おかしいの。すっかりお爺ちゃんが板についてるじゃない」

「ルーデリアこそ、孫のような歳のままで。これではまるで、儂は色狂いの爺さんじゃよ」


 頭を撫でる節くれだった手の感触に目を細めながら、ルーデリアはアルダとクスクスと笑い合った。

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