始まりは勾玉紛い
壱 歴史オタクの回想
「はぁ・・・。」
ある日の放課後、川上雫は机に突っ伏して意気消沈していた。換気の為に開けた窓から、今の雫の心情を表すように冷たい風が入ってくる。
「なんであれ言っちゃったかなあ・・・。」重たい溜息を付きながら、雫は今日の日本史の授業を思い出す。
時を一時間程遡り、日本史の授業。古墳時代、古墳という墓が、たくさんの人間によって造られた時代だ。古墳にも色々な種類がある。大仙古墳のように、一番有名な古墳の形と言えば、やはり前方後円墳だろう。鍵の穴のような特徴的な形で造られた前方後円墳は、美しいとさえ言える。いや、雫は美しいと感じる。たくさんの埴輪を添えられ、古墳という名の棺の中で、当時の権力者達が永久の眠りについているのだ。そして今も尚、こうして存在を認知されている。永い永い年月が経ち、その間ずっと守られてきた古墳群。これぞ正に歴史のロマン!
雫は、頭の中で談義を始めるが、元々の悩みとはかけ離れているのに気づき、頭の中をリセットする。
そう、雫は悩んでいた。歴史オタクの雫は、人並外れた記憶力(と、言っても、歴史に関してだけであって、他の授業ではまるで無いものである)と、無駄とも言える細々した知識を兼ね備えており、「歴史」と名の付くものを前にすると、歯止めが効かなくなってしまうのである。今日も日本史の授業中、古墳についての蘊蓄を語り尽くし、先生に宥められ、挙句クラスメイト達はまたか、とでも言いたげに、雫に白い目を向けた。そこで初めて、自分がまた皆を困らせているのだと理解した。
――ああ、またやってしまった・・・――
その時、スマホが鳴った。聞き慣れた電子音が響く。雫は誰だろう、と思い、液晶画面を確認する。
――水谷シュウ――
表示された名前を見て、先程まで沈みこんでいた事など忘れ、勢いよく立ち上がった。おかげで脚をテーブルに打ってしまったが、そんなことを気にしている暇はない。
走りながら雫は応答ボタンを押す。
「もしも・・・」
『何をやっている川上!早く来い!』
すみません、と謝ろうとしたところで電話はブツっと切れる。相変わらずシュウは短気だ。雫は階段を駆け上り、二階倉庫室、すなわち部室へ向かう。
「歴史同好会」。今から五年前、設立されたこの同好会では、歴史好きがこぞって議論をし、レポートを書いていたのだとか。だが、今では衰退していき、同好会は事実上解散。
しかし、そんな「歴史同好会」に事件が起きる。とある男子生徒が崖っぷちの同好会に入るや否や、理事長の孫というよく効くスパイスを使い、同好会は新たに生まれ変わった。それが、
――水谷歴史探偵所である。
そして、水谷歴史探偵所をつくった男子生徒は、もう言うまでもないだろう。室長、水谷シュウだ。
ガラッとドアを開け、「遅くなりました!」と叫んだ。色白な肌。凛とした余裕のある表情。切れ長の目が雫を刺すように見つめる。そして一言。
「・・・遅いぞ、川上。」
弐 歴史探偵の決闘
「遅いぞ、川上。もうボクは今日の決闘の準備を済ませている。」少し怒っているかのようなツンとした態度だが、今日もシュウは自信に満ちていた。決闘、とは、自分の持てる知識全てを駆使し、どちらが歴史愛があるかを競う、シュウ考案の談義の形である。まあ、言ってしまえばクイズに答えるだけだが。
「今日はボクが決める。ズバリ、イギリスだ。近世イギリスで決闘しようじゃないか。」そう言ってシュウはほくそ笑む。だが、それなら雫とて得意分野である。古代エジプトの次に好きな近世イギリス。これは負ける訳には行かない。
「いいでしょう。水谷先輩、絶対その判断に後悔しますよ。」雫はニヤ、と口角を上げ、宣戦布告する。その様子を見たシュウは、少し驚いたような顔をした後、直ぐに笑みを浮かべた。
「では、決闘を始めようじゃないか。」
「先輩、今日の先攻は?」頭の中の辞書を広げ、準備をしながらシュウに尋ねた。少し考えた後、彼は、
「ふむ。先に題材を決めたのはボクだな。ならば、先攻はオマエで良いだろう。」頭をポリポリと掻きながらぶっきらぼうに言った。少し深呼吸し、真っ直ぐシュウを見つめる。
「では。エリザベス一世の出生の問題を。エリザベス一世の両親を答えてください。」雫は淡々と、淀みなくシュウに問いかける。簡単だ、と呟いてシュウは答えた。
「父、ヘンリ八世。母親はアン=ブーリンだ。では、問題。アン=ブーリンは夫、ヘンリ八世により処刑された。それは何故か。」シュウは私の問いにスラスラと答えた。もちろん正解だ。そして、間髪入れずに雫への問題を入れる。雫は少し考えたあと、
「男児が産まれなかった為、他の女性と関係を持ち、男児を産むため・・・です。再婚の為に彼女に濡れ衣を着せ、刑死した。・・・ですよね?」チラ、とシュウの表情を伺う。
「・・・正解だ。中々しぶといな。次はオマエだ。」ほっと一息ついて、少し考えた後、問題を決める。
「・・・では、エリザベス一世の姉、メアリ一世は何と呼ばれたか。」シュウは成程な、と呟き、組んでいた長い脚を組み換え、答えた。
「ブラッディメアリー。血だらけのメアリー、だな。」これまたスラスラと答えるシュウに、雫は苦虫をすり潰したように苦い顔をし、正解です、と呟く。
「くふふっ・・・なんだ?もう終わりか?では・・・そうだな、同じ別名に関する問題を出そう。問題、エリザベス一世は生涯夫を持たなかった。そんな彼女に付けられたニックネームは?」
うっ。言葉が詰まる。えっ、という声を出す寸前に止め、何とか冷静さを保とうとする。しかし、緊張感は隠せなかった。冷や汗が出る。シュウはふっ、と鼻で笑った。それは、雫の諦めの合図でもあった。
「・・・降参です。」
・・・負けた。これで今五連敗だ。正直、とても悔しい。近世イギリスには自信があったからである。それに、雫の様子を見て満足気に微笑み、優雅に紅茶を啜るシュウを見ると、悔しいという感情がどんどん大きくなっていくのを感じるのだ。はぁ、と溜息を吐いて、恐る恐るシュウに解説を求める。
「それで、何ですか?エリザベス一世のニックネーム・・・。」紅茶を嗜みながら、片方の手の人差し指をピン、と伸ばし、円を描くようにくるくると回す。彼のクセである。そして、紅茶のカップを置き、真っ直ぐに雫を見た。
「ヴァージン・クイーン。処女王、だ。様々な国の王や国内貴族からの求婚を断ったことに由来する。確か、国が恋人だ、という発言もあったな。また、イギリスの発展を支えた彼女を、敬愛の意味を込めて『愛すべき女王ベス』とも呼ばれたそうだ。それだけ、イギリスにとって彼女が重要だったということだろうな。」スラスラと解説するシュウ。相変わらず、シュウは説明するのが上手い。雫であれば、途中で言葉に詰まってしまうし、あの流れるような説明は無論、出来ないだろう。だが、シュウの見解には激しく賛同する。その通りだ、と思った。
エリザベス一世無くしては、今のイギリスは無かっただろう。
「はぁ・・・。負けたぁ・・・。」堪らず机に突っ伏す。シュウは小馬鹿にするようにクス、と笑った。
「安心しろ、川上。オマエのその知識は素晴らしい。歴史なんて面倒だと、ろくに興味を持たず、ただただ授業が早く終わることだけを願う生徒の方が多い。ボクからしたらウンザリするがな。だが、歴史に興味を持ち、古きを知り、新しい知識を培っていく。その姿勢が、現代の歴史学を支える。オマエは、ボクと張り合える唯一の生徒だ。」
雫は意表を突かれ、何度もパチパチと瞬きをした。非常に珍しく、シュウが雫を褒めたのだ。顔が熱くなるのを感じる。しかし、チラ、とシュウの様子を見ると、もうどうでも良いと言うかの如く、読書に夢中になっていた。
ふいにシュウと出会ったあの日を思い出す。今までは歴史オタクである雫に張り合える人なんていなかった。
雫は思い出す。水谷シュウという天才と出会ったことを。
参 歴史オタクの委員活動
約二ヶ月前のことだ。クリスマスを間近に控え、皆色めきだっていた。そんな折、雫は校内の図書館へと向かっていた。すっかり冬が深まり、冷たい風に身震いする。雫は図書委員で、週に二度当番があった。
当番の仕事は本の貸し借りの手続きや本の整理、返却された本を棚に戻すことなどで、さほど難しくはない。お昼を食べられないことに少し困るくらいで、雫は当番を面倒だとは思わなかった。
カウンターの中でぼんやりと図書館を眺めていると、一人の生徒がカウンターへ本を持って向かってきた。
「頼む。」と、凛とした声がかかる。はい、と答えて生徒を見上げた。
少し長目の薄い黒髪を縛った男子生徒が本を差し出し、切れ長の目で雫を見つめた。綺麗に整った容姿に目を見張る。
「・・・何か?」彼の一言でハッと我に返り、いえ、と呟き首を横に振った。そして、差し出された本のバーコードを読み取ろう、と本を見る。
『古代エジプトの歴史』
題名を見て、雫は驚いた。古代エジプト、それは自分にとって人生を変えたものだった。古代エジプトの神秘に魅せられ、歴史の扉を開いた雫は、驚きと共に嬉しさを感じ、もう一度彼を見た。
「・・・あ、あの・・・歴史、好きなんですか?」堪らず男に質問をする。彼は少しきょとん、とした後、ふっ、と表情を緩ませた。
「ああ。古代エジプトはまだ完全に把握しきれていなくてな。」
「古代エジプトはいいですよ!謎に包まれた古代!文明が生まれ、人々は知恵を凝らし、美しい時代をつくりあげた…これぞロマン!これぞ志向の歴史学!」
「くふふっ、詳しいな。」彼はクスッと笑ってみせた。その一言で、また自分が暴走していたことに気付き、細い声で「すみません・・・。」と呟く。
「構わない。いい話が聞けたよ。では。」
彼はそう言って、本を大事そうに持ち、図書館を後にした。
翌日。いつものように当番の仕事をしていた。本を棚へ戻しながら、昨日の男を思い出す。美麗な顔立ちに凛とした声、切れ長の目。何より彼の借りていった本も、全て忘れることはできなかった。ただ、嬉しかったのだ。興味を持って貰えることが。
「川上さーん!」名前を呼ばれ、はい、と返事をしカウンターに戻ると、司書の小暮万理華先生、図書委員委員長の大谷雅志先輩が私を待っていた。
「川上さんごめんね、大谷くんと新刊本のことについて話さないといけないから、カウンターを見ててもらってもいいかしら?」小暮の話を受け、分かりました、と答える。
カウンターに入る。小暮と大谷は司書室に向かった。雫は、当番表に当番の記録をつけよう、と思いペン立てから鉛筆を取り出し、記録した。今の今まで気づかなかったが、今日のもう一人の当番は、学校を休んでいるようだ。カウンターに本を持った生徒が来て、バーコードを読み取る。生徒はそのまま本を持って図書館を出ていった。どうやら他に利用者はいないようだ。ふぅ、と一息吐く
。それにしても、暖房がよく効いていて暑い。制服のジャケットを脱ぎ、カウンター内の机に掛けた。雫は、返却された本を棚に戻しつつ、カウンターの整理も始める。メモ帳が置いてあったので、引き出しに入れる為メモ帳を持ち上げると、その下には鍵があった。
――これ、図書館の鍵・・・?
後で先生に渡そう、とポケットを探るがない。そこで自分のジャケットが机に掛かったままになっていたのを思い出し、ジャケットを羽織ってから鍵をポケットに入れた。その三分後、チャイムが鳴り、私は図書館を後にした。
肆 歴史探偵の宣言
「・・・え?」放課後、呼び出された雫は、先生が放った言葉が頭に入らず、聞き返す。
「だから、図書館に展示してある勾玉が盗まれたんだ!」担任の中島健史先生が声を荒げる。その隣には、司書の小暮が立っていた。
そういえば、図書館の入口に、この学校を設立する際出土した勾玉や土器が展示されている。その勾玉が無くなったというのだ。司書の小暮は図書館の戸締りをしていた所、展示されていた勾玉が無くなっていることを発見。急いで鍵を確認したところ、鍵も無くなっていたという。これは悪質な盗難事件だ。
が、雫はその説明を聞き、ドキリとした。自分のジャケットの中に、渡しそびれた鍵の存在を思い出したからだ。
「小暮先生によると、川上は図書館で一人だったそうだな?三年の大谷は小暮先生と一緒にいたことが確認されている。盗むことができるのは川上だけだ!鍵と勾玉、持っているんだろう?素直に出せ!」
「まっ、待ってください!確かに鍵は私が持ってますが・・・私はやってません!」そう言ってポケットの中を探り、私は凍りついた。ポケットには鍵が入っていた。渡そうと思っていた鍵だ。だが、それ以外に何か、身に覚えが無いものが入っている。おそるおそるそれをポケットから出した。
「・・・えっ?」
――それは、紛れもなく勾玉だった。
やっぱり、と中島が呟く。
「生徒指導室まで来い。親御さんにも連絡する。やっぱりお前だったか・・・。」氷よりも冷気を帯びたナイフが、自分の首に当てられているように錯覚する。なんで、どうして。思う所は沢山ある。間違いなく、そんな事はしていない。何かの間違いだ。だが、ポケットの中から鍵と共に見覚えの無い勾玉が出てきた。もう、これはどうしようもないだろう。守ってくれる人なんて、信じてくれる人なんて、いないんだ・・・。
「敗戦とは、自分は負けてしまったと思う戦いのことである。」
凛としたよく通る声が、雫の耳に響く。その声には聞き覚えがある。氷のように冷ややかで、ナイフのように鋭く、だが、どこか優しみを帯びている気がする。雫だけでなく、小暮も中島も驚き、振り向いた。
「知っているか?フランスの哲学者、サルトルの言葉だ。そこのオマエ、そのままではオマエの敗戦は確実だぞ?」男は雫に目配せする。その瞳には、確かな輝きに満ちていた。絶対の自信を持つように、ひとつの曇りも無く、堂々としている。鋭さはあるが、雫は、優しさを感じたのだ。
「み、水谷!なんでお前がここに・・・っ」
「ふん、よく言うな。先生と女子生徒が揉めている、と一年共が騒いでいるぞ?・・・話は聞かせてもらった。もう少し詳しく聞きたいがな。」雫は思い出す。この前、古代エジプトの本を借りていった男だ。水谷、と呼ばれたその男は目を細め、すぅ、と息を吸う。そして、大きな声で宣言した。
「賽は投げられた!このボク、水谷シュウが、嘘を塗り替えて魅せよう!」
伍 歴史オタクの救済
――賽は投げられた。
ローマの英雄、カエサルの名言である。ここに立つ男はカエサルとはかけ離れた細身であるが、その背中は、まるで本物の英雄の如く、寛大で、堂々とし、獅子のように立派であった。雫も、中島も、小暮も、彼に圧倒されていた。いち早く我に返った中島は馬鹿を言うな、と水谷を――出会った当初はこう呼んでいた――叱責した。水谷はお構い無しに小暮の前に立つ。
「小暮先生。鍵が無くなっていたのは本当だな?」水谷は小暮に目配せした。
「え、ええ・・・。職員室の、鍵が纏めてあるところに・・・ほら、体育館の鍵とかと一緒に・・・水谷くんも見たことあるでしょう?」小暮は困惑しつつ答えた。
「ふむ・・・。」水谷は頷き、そして不敵な笑みを浮かべる。そして、今度は雫を見た。
「オマエ、名前は?」
「えっ、と・・・川上、雫です・・・。」
「川上。鍵と勾玉を渡せ。」水谷は有無を言わせずずいっと手を差し出した。それを見た中島は、堪らず、
「こ、こら!水谷!関係無い奴は引っ込んでいろ!」と、声を荒げた。水谷は中島を見るともせず、早く、と言いたげに雫に差し出した手をグッと近づける。雫は恐る恐る勾玉と鍵を渡した。満足気に、水谷はにこっと笑ってみせた。
「中島先生、この鍵は間違いなく図書館の鍵か?」水谷は鍵を食い入るように観察し、中島に話を振る。中島は、今何が起きているのか分からないような困惑した表情だった。水谷の問いに、自分が先生だということさえ忘れ、ああ、と相槌を打った。
「ならば、この鍵は間違いなく図書館の鍵だ。だがまあ、実を言うと、この鍵が本物か偽物かなど無意味な確認だがな。」水谷は鍵を中島に向かってひょいっと投げた。中島は慌てて手を伸ばし、なんとか鍵をキャッチした。それを横目に、小暮が言った。
「本物か偽物かがどうして無意味なの・・・?」
その言葉を聞いた水谷は、嘲笑うかのように、くつくつと笑った。
「なに、簡単なことだよ、小暮先生。オマエ達はもっと頭を柔軟にして考えたらどうだ?」小馬鹿にするように水谷は笑っていた。この時、平常心であったならば、憤りを感じたかもしれない。だが、この場にいる全員、言い返すことはなかった。
「この話は、事件ではない。つまらないし、くだらない。ただ、オマエ達がアホである為に、ここまでややこしくなっている。」水谷はそう断言した。雫は堪らず、水谷に問う。
「あ、あの・・・どういうことですか・・・?」おずおずと手を挙げた雫に、水谷は言葉を続ける。
「簡単なことだ。錯覚だよ、錯覚。具体的に言おう・・・もし、図書館の鍵が二つあったとしたら?」
雫はその言葉を心の中で繰り返した。確かに、鍵が二つあれば、雫の疑いは一つ減る。だが・・・、本当に、そんなことが出来るのだろうか?水谷は沈黙を切り裂き、言った。
「そしてもう一つ。川上、中島先生、全校生徒・・・全校生徒に聞くことはできないが・・・この図書館の利用者達は、出土した展示品を、じっくり見たことはあるだろうか?」そう言われてみると、確かにない。雫は中島へ目配せする。中島も神妙な顔で、小さく首を横に振った。
――一人、小暮だけが、目を見開いていた。
「・・・勾玉、という言葉は、世に浸透しているが、それが何のことなのか。それは、正にこれだろうな。」雫達に見せたのは、先程雫が渡した勾玉だった。綺麗な優しさのある翠だ。彼が持っている勾玉は、紛うことなき、勾玉だ。
「えっと・・・だから?」首を傾げる。
「まだ分からないか?・・・オマエ達は、勘違いしている。出土した勾玉が、こんな土産店で売っている勾玉な訳がないだろう?ほら、この勾玉は新しいし、厚みがある。光沢もな。・・・この学校の勾玉は、これでは無い。」
思わずえっ、と声を出す。驚いて、開いた口が塞がらない。だが、そう言われてみるとそうだ。勾玉、と聞いて正にこの目の前の勾玉を思い描いたが、出土した勾玉がこんなに綺麗な訳がないではないか!
「川上、この勾玉がオマエのポケットに入っていたんだな?」水谷の言葉で、呆気に取られていた雫は我に返る。
「あっ、は、はい・・・。」
「オマエ、心当たりは無いか?」水谷は真っ直ぐな目で雫を見つめる。貴公子のように整った彼がじっと見つめてくるので、雫は少し頬を紅潮させる。顔が熱い。・・・そう思ったところで、少し引っかかった。引っかかった何かはポロリ、と心の中に落ちていった。そうだ。確か当番の時に・・・。
「あっ!そ、そうです!当番中に、部屋が暑くて、ジャケットを脱ぎました!座席にかけておいて、それを戻るときに忘れそうになりました!」雫は少し昂った気持ちで一生懸命に伝えた。水谷はそれを聞きたかった、とでも言いたげに、目を細め、優しい顔で頷いた。
「つまり、第三者が川上のジャケットのポケットにそっと勾玉を入れることも可能だった。もう分かるだろう?これで川上は犯人ではない、と言いきれる。」雫は、水谷の言葉にホッと安心した。だが、まだ疑問は残っている。それは中島も同じ事だった。
「じ、じゃあ、一体誰が・・・。」水谷は振り返り、分からないか?と呆れたような顔をした。
「言わずもがな、と思い言わなかったが・・・。分からなかったのか?もう簡単だろう?そんな事ができるのは、オマエだけだろう?小暮先生。」
陸 歴史探偵の勧誘
小暮万理華は、目を見開き、少し震えていた。ギリッと奥歯を噛み締める。馬鹿な生徒と先生なら、余裕で騙せると思っていたからだ。雫と中島は、信じられない、と言うように小暮を見ていた。本当にアホらしい。
「・・・好きなのよ。」か細く、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、小暮は呟く。だが、深呼吸をし、今度は大声で、語りだす。
「好きなのよね!馬鹿な生徒共が貪欲な教員に怒られて処罰を受けるのが!面白いったらありゃしない!ムカつく生徒が退学になったら最高だわ!愚図でヘコヘコしてる教員共も一緒!あんなクズな奴らなんて、問題でも何でもして、人生終わっちゃえばいいのよ!ははははっ!」
狂ったように高笑いをする小暮に、雫は相当なショックを覚えた。いつの間にか雫達の周りには多くの生徒や先生で溢れかえっている。駆けつけた先生に連れられ、小暮は職員室へと連行されていった。尚も響く高笑いに、雫は身震いする。ふと気になって水谷の様子を伺った。彼は、無表情で、だがその顔には力強さがあって、雫と同じく連行されていく小暮を見ていた。溢れかえった生徒の、ザワザワとした喧騒に、雫と水谷だけが浮いていた。ただ、小暮が向かった方を見つめ、何をするともなく、ただそこに立っていた。まるで、何も聞こえていないかのように。
「・・・賽は投げられた・・・。」ぽつり、と呟くと、水谷が振り返って雫を見た。
「カエサルの、言葉ですよね・・・?」恐る恐る、聞いてみる。すると、水谷はまた微笑む。
「そうだ。言葉通りの状況だと思ってな。もちろん勝たない訳がない。」切れ長の目を細める。すごい、と。心の底から、すごい、の一言しかない。彼の宣戦布告は、実行されたということだ。感嘆した。だが、そんな雫を見て、水谷はピンと張った糸を切るように、表情を崩した。
「はははっ、嘘だ。少しカッコつけたかっただけ。ピッタリだろう?内心、羞恥もあったがな。」そう言って、彼は声を出して笑った。とても朗らかで、それは今まで彼が見せなかった、男子高生らしい笑いだった。雫は、彼のような完全無欠な人が、表情を崩し、思い切り笑う姿を見て、なんだか安心した。つられて笑みを零す。二人で一頻り笑った後、水谷は、「川上」と呟いた。
「オマエ、歴史は好きか?」唐突な問いでも、雫はその問いに即答することができる。はい、と勢いよく返事をした。私は、歴史が大好きだ。
「歴史とは、道だ。歴史とは、運命だ。歴史とは、謎だ。そして、それはロマンだ、とボクは思う。歩んできた道、定められた運命。そして、多くの謎。それを解き明かして行く。それは、ロマンだ。」スラスラと、とても誇らしげに見解を話す水谷。雫も同意見だ。強く頷いてみせる。すると、彼は満足気に頷き返し、雫を見た。
「川上、ボクは二つの目的で生きている。一つ、歴史を敬愛すること。二つ、分からないことは、解き明かすこと。それが道になるのなら、やり通す。だから・・・。」そこまで言って、手を差し出した。
「ボクは歴史好きの探偵だ。・・・探偵とは言っても、トラブルを解決するだけだが・・・コホン。それはともかく、ボクはこれ歴史探偵、そう呼んでいる。このボク、水谷シュウは、必ず、敬愛する偉人達のように、道をつくることを約束しよう。そして、川上。・・・オマエも、着いてこい。」力強い言葉だった。雫は、信じることにした。この、ハチャメチャな自称、歴史探偵を。差し出された手を握り、握手を交わす。
「よろしくお願いします、水谷先輩。」
「・・・シュウでいい。ワトソンくらいにはなってくれよ?」
ここに、水谷歴史探偵所の部員が一人増え、冴えない歴史オタク、川上雫は、彼のワトソンになったのだった。
終 歴史オタクの現在
あれから、無名の水谷歴史探偵所に依頼の声はなかった。だが、シュウとの決闘は、雫の毎日を鮮やかに彩っている。
「明日は、絶対に古代エジプトで決闘しましょう!」シュウは苦笑し、
「それではオマエの独壇場だろう。」と答える。
「当たり前です!でも、古代エジプトは謎か沢山ですよ!歴史探偵の貴方なら、黙って居られないはずです!そうですよね?」雫は熱弁し、呆れ顔のシュウをじっと見つめる。シュウははいはい、と不承不承と言う感じに頷き、本棚から本を取り出す。クレオパトラの伝記であった。
「クレオパトラ・・・。聖女なのか、悪女なのか。まだ、その全貌は明かされていないのだったな。」本を開きながらシュウは答える。
「クレオパトラは、プトレマイオス王朝最後の女王です。波乱に満ちた人生を歩んだクレオパトラ・・・。きっと、彼女の存在がなければ、今と大きく変わったんでしょうね。」
「そうだな。謎だらけだ。」シュウはページを捲りながら呟いた。
「・・・アインシュタインの言葉、ご存知ですか?」雫は試すようにシュウに問いかける。が、もちろんシュウは即答した。
「『クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、大地の全表面が変わっていただろう。』、だったか。」
「はい、正解です。・・・その言葉、私達にも言えるのではないでしょうか。」私の呟きに、本を読んでいたシュウは顔を上げ、雫を見た。
「どういう事だ?」珍しくきょとんとしているシュウ。雫はその真意を答える。
「だって、私達の出会いは古代エジプトだったじゃないですか。クレオパトラは、歴史を大きく変えた人です。アインシュタインも、きっとそう思ってこの格言を言ったのだと思うんです。アインシュタインの言う通り、クレオパトラが聡明過ぎず、普通の平々凡々な、型に嵌った女王だったら、今のエジプトも・・・いや、世界中、日本でさえも、変わっていたのかも。」シュウはふむ、と呟き、こう答えた。
「なるほど。確かにな。では、クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、ボク達は、出会えなかったかもしれないな。」
シュウは、そう言いきって、優雅に紅茶を口に運ぶのだった。
『クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、私達は出会えなかったかもしれない〜始まりは勾玉紛い〜』を読んで下さった皆様、こんにちは。
神崎描魔と申します。
今作は、あらすじにも書きました通り、なろうでも投稿、連載をさせて頂くことになりました。これからよろしくお願い致します。
今作は、『歴史』をテーマに、学校で起こるトラブルを、歴史探偵、水谷シュウと助手の歴史オタク、川上雫が解決していくお話です。
歴史関係ないじゃん!と、思った方、確かに内容はあくまでもトラブル解決のお話ですが、それと共に歴史の素晴らしさと、面白さをお伝えしたく、歴史をテーマに書いてみました。この作品で興味を持って頂けると嬉しいです。
次回、サブタイトルは『音楽室の歴史探偵』です。
それでは、またお会いしましょう!